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おやすみ

 スヴァリにカレトのことを頼まれて、数日が経過していた。その間にできる限りのことをしたつもりだ。腕力のない女でも狩りができるような罠の作り方や、弓の扱い方。鏃や槍といった武器に使えそうな石が採れる場所や、食べることの出来る草や茸といったものまで、私の記憶の中にあるものは惜しげもなく伝えた。


 クディアの集落の女達は、男がやることにはひたすらに不干渉だったようだ。興味が無かったとも言っていい。彼女たちはこの集落の外で何をすればいいのか、何も知らなかった。同じ場所で同じ木の実を採ることしかしていなかったのだ。狩りというものは見様見真似でどうにかできるものではない。だから外に出ていった女たちは帰ることができなかったのだろう。


 はじめは懐疑的であったクディアの女達であったが、実際に食べるものや出来ることが増えていくにつれて、徐々に私を見る目が余所者を見るそれから変わっていった。それでも私を得体の知れない生き物か何かのように接していた。何しろ彼女らは獲物を捕まえて殺すところまでは出来たが、その後のことを考えていなかったのだ。石のナイフで腹を裂き、血を抜き、臓物を取り出す。食べることの出来る部位とそうでないところを切り分けて、肉を食べられるように切り分ける。その行程に非常に強い拒否反応を示していたのだ。血に濡れた生暖かい臓物を見て、泣き出したり嘔吐したりする者もいた。


「まったく、なんてザマだろうね」


 スヴァリはそれを見て深く深くため息を付いていた。彼女が今のクディアのなかで唯一獲物の解体を出来たのだが、如何せん高齢である以上まともに身体は動かない。力も衰えて、震える指先でナイフを持つものだから危なかっかしくて見ていられないが、他の女に比べればまだいい方であった。


 男たちはそんな女たちに愛想を尽かしてしまったのかもしれない。自分たちがいなければ何も出来ない。この世界に慈悲など存在せず、強いものが生き、弱いものは死んでいく。その掟に従わずに生きている女達を見ながら、これからどうすればいいのか、ただそれだけを考えていた。


 食べるものが増えてきても、この集落からは『死』の気配が和らぐことはなかった。せめてひと冬早く来ていれば、なにか明確な対策が出来たかもしれない。私に出来ることは、その速度をゆっくりにすることしか出来なかった。昨日もリリヘナが死んだ。私のことをそこまで排他的に見ることのなかった数少ない女だ。少し咳き込んでいたと思えば、次の日の朝には冷たくなっていた。その前の日もこの周辺で取れる木の実の場所を教えてくれたイネロサとノヅマヤが死んだ。残る女たちは20人もいない。健康的に動ける女は、5人いるかどうか程度だ。死んだ同胞を埋める穴すらも掘るのに手間取ってしまうのが、このクディアという集落の現状だった。


「まったく、どうすればいいんだろうね」


 虫の鳴き声が辺りに鳴り響いている。夜の帳はとうに落ちていて、二つの月が大地の全てを見下ろしているだろう。そんな誰もいない部屋で、私はひとり頭を抱えていた。このままではカレトどころかこの集落はあと数日で全滅だ。どうにかしなければという焦燥だけが、胸の中でぐるぐると回っていた。


 今、私がいるこの部屋はスヴァリが用意してくれていた空き家……といっても主がとっくに土の中に埋まっていて放置されていただけのものであり、居住性は最悪の一言に過ぎる。それでも野宿よりは安心して眠ることが出来るので、用意をしてくれた彼女に別段文句を言うつもりはなかった。部屋の真ん中で揺らめいている炎を背にして。枯れ草を乱雑に敷いた寝床に寝転がりながら、これからどうするかをひたすら考えていた。


 新しく子を増やせるなら、クディアは再び元に戻る。スヴァリは本気でそう思っているようだった。早くてあと数日で滅びてしまうような集落だというのに、彼女だけが未来を見据えていた。年老いた自分の次の世代、その次の世代のことよりも、ずっとずっと遠くを見ている。今まで生きてきた中でそういった考えを持つ人は本当に少なかった。雪が解け、暖かくなり段々と食べるものが増えてくると、考え方に余裕が出来てくる者もいた。だがそれはあくまで食べるものにそれなりに不自由しないような生活をしている者の思考だ。こんな滅びる寸前の場所で生きている、余命幾ばくもない老婆が考えることにはとても思えない。


 だからといって、カレトを集落の繁栄のための道具のように扱おうとする考えは容認できなかった。彼は彼の生き方がある筈だ。彼の細く白い腕が頭の中に過ぎる。彼に近いうちに訪れる逃れようのない『死』の時まで、足掻けるだけ足掻きたかった。


「エドナ」


 音もなく住居の入口に入り込んでいたカレトの声に口から臓腑が飛び出すのを堪えつつ、身体を起こして声の方に顔を向ける。炎が作りだした柔らかな明かりに彩られたカレトは重さをほとんど感じさせない足取りで、音もなく私の隣に座る。


「ねぇ、エドナは、なんでここまで色々教えてくれたの?」


 炎をじっと見つめている彼の声はいつになく小さく、虫たちの声に掻き消されてしまいそうだった。今にも消えてしまいそうな程に儚いカレトの頭を優しく撫でながら、優しく呟く。


「私は、みんなに生きていて欲しいのさ。リリヘナ、イネロサ、ノヅマヤだけじゃない。今まで死んじゃった人たちの分まで、ね」


「じゃあ、ずっとここにいてくれるの?」


 私の言葉は紛れもない本心そのものであったが、続くカレトの言葉に答えることはできなかった。その沈黙を否定と感じとったカレトも、何も言うことが出来ずに黙り込む。火の元になっている細枝が鳴る音だけが、小さな部屋に響いていた。


「そう、そうだよね。エドナは、遠くから来たんでしょ? ここに住むために、歩いてきたわけじゃ、ないん、だよね」


 暫しの間、沈黙を破ったのはやはりカレトの声だった。彼の小さな手が何かに耐え忍ぶように私の寝床の枯れ草を掴んでいる。


「私、エドナが遠くに行っちゃっても、頑張れるよ。もし次に空が明るくなったときにエドナがいなくなってても、ずっと、ずっと、忘れない。スヴァリみたいになっても」


 気付けば虫の声が小さく聞こえるほどに、カレトの声は大きくなっていた。満足そうに歯を見せて笑いながら立ち上がり、少しだけ体勢を崩しながら前に出るカレトに手を伸ばそうとする私を風のようにするりと躱される。


「それだけ、それだけ言いたかったんだ。ありがと、エドナ」


 まだ声変わりもしていない鈴のような声を残して、背を向けて外に出かけようとするカレトは、陽の光に照らされている姿よりもとても小さかった。今にも消えてしまいそうな彼を繋ぎ止めるように、声を掛けた。


「――カレト、おやすみ」


「?」


 振り向いたカレトは、言葉の意味をわからずに不思議そうな顔でこちらを見ていた。私もこの言葉を初めて聞いたとき、こんな顔をしていたのかもしれない。そう思うとなかなか不思議な気持ちになるが、それを気取られないように、笑みを浮かべながら言葉の意味を伝える。


「夜、別れる時の挨拶みたいなものだよ。空が明るくなったら、また会いましょうってことさ」


「ふぅん、まだ知らないことがいっぱいあるんだね。今度また、教えてね」


 そう言ってカレトは自分の家に戻る為に、入口へと向かっていく。彼の向かっていく先にある闇の先には、何があるのだろうか。それを確かめる術は、思いつかなかった。


「おやすみ」


 カレトの少しだけ寂しそうな声が、夜の闇に溶けて消えていった。

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