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微笑う死神の追憶 -幾億の夜を抱えて-  作者: 木村竜史
第十章 『ウィリアム』
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ジャネットとウィリアム

 ウィリアム・ゲイシーは少し臆病で内向的なところもあるが、どこにでもいるような普通の少年だった。農夫の父と家庭的な母。そして妹のジャネット。四人で小さな牧場でウマに乗って牛を追いかける。慎ましい生活であったがささやかな幸せを感じながら生きる。まさしくこの時代ではよくある光景だった。


 そして、一時であるがそれなりに濃度のある幸福と破壊の快楽を求めた無法者に蹂躙されるのも、この時代にはよくある話だ。父は自衛のために持つことが許された銃でささやかな抵抗を試みたが、それはかえって無法者たちの感情を逆撫でするだけだった。様々な銃火器から放たれた鉛弾を二十発ほど撃ち込まれた挙句、死体は切り刻まれて野に晒された。母も犯されながら殺された挙句、死してなおその身体を更に辱められることとなった。


 近くの町へ買い出しに出かけていたウィリアムとジャネットの兄妹は、幸運にも無法者たちの牙に切り裂かれることはなかった。若い身で身寄りをなくした挙句、住んでいた家や牧場が焼け野原と化したのは、不幸そのものであるが。


 その日から、ウィリアムは力を求めるようになった。父が強ければ無法者を倒すことが出来た。夫婦揃って殺されることはなかった。子供たちが家も土地も金も全て失い、二人揃って苦しむこともなかった。


「絶対に、絶対に、取り返すんだ」


 星々が広がり、二つの月が放つ銀色の光が大地を微かに照らす夜。ほとんど朽ち果てた小屋の中、ウィリアムは毎晩必ず呟いていた。二つの目は窓から入り込む月の光を反射することはない。濁りきった泥のような瞳を、隣で寝息を立てるジャネットは認識できなかった。辛うじて日々の糧を得ることができる程度の生活を、数年間ずっと続けている。世界を這いずり回るような日々のなかで、兄妹……特に兄のウィリアムの精神は擦り減り続けていた。


「俺たちが奪われたものを取り返す。それが、ジャネットの為なんだ――」


 彼の腰には、一丁の拳銃がぶら下がっている。かつて両親を殺した、人殺しの為の叡智の結晶。効率よく人が人を無力化するための武器。


「……お兄ちゃん?」


 ジャネットが心配そうな顔で兄を見上げていた。彼女の瞳は月の光を反射し、きらきらと輝いている。同じ境遇を生きてきた筈なのに、二人の眼は対照的なものであった。


 ウィリアムは妹の瞳の輝きを美しく尊いものだと考えていた。そして、それを守るためならばどんなことをしてもいいと覚悟を決めている。


 簡素なベッドに横たわるジャネットの髪を優しく撫でながら、ウィリアムは口角を少しだけ上げた。


「起こしちゃったか。ごめんな」

「ううん、大丈夫だよ」


 ジャネットはただ、兄と一緒にいればいい。それだけを望んでいた。求めていた。こうして暖かな手で髪に触れてくれるこの微睡みが、彼女の幸せそのものだったのだ。


 それに兄は気付かない。濁った瞳では気付くこともできない。妹の幸せはこんなところに存在せず、沢山のカネによって得られるものだと信じて疑わない。それを口にしないのは、今のウィリアムにはそれを手にすることができないからだ。


 希望を口にしてしまえば、それは呪いになる。妹の幸せは、何事にも替えられないものなのだから。


「明日も早いんだろう? 早くもう一度寝ないと」


 ジャネットの朝は早い。町のダイナーの掃除から開店作業まで、一日中働くのだ。毎日毎日汗水垂らして働いて、得られる金は僅かなものだ。ほんの僅かな時間に見せるつかれた表情が、ウィリアムを更に焦らせる。


「うん。おやすみ、お兄ちゃん」

「あぁ、おやすみ」


 兄の言葉を聞きながら、瞼を閉じて眠りにつくジャネットであったが、それが彼女が最後に聞いた兄の言葉だった。彼女が朝起きた頃にはウィリアムは家を出ていた。兄は仕事の都合上、太陽が昇る前には家を空けることも多い。いつものことか、と思ったジャネットは変わりない一日を過ごしていた。


 次の日の午後、ウィリアムが二人の無法者を撃ち殺したという噂がどこからか流れてくるまでは。


(嘘よ、お兄ちゃんがそんなことをする筈がないじゃない……!)


 仕事など手に付くはずがない。自分が産まれた時からずっと一緒だった兄は、人を殺せるような人間ではない。ジャネットには何かの間違いにしか聞こえなかった。


 ダイナーで馬鹿笑いをする男たちの会話が否応なしに少女の耳に入る。今日の店内はウィリアムのことで持ち切りだった。


「ヘンリーとカーチスのチビデブコンビがアイツの事を侮辱したんだとよ。寄りにもよって目の前でだ。よっぽど馬鹿にしてたんだろうなぁ」

「んでもって殺されちまうなんて! あの二人はもっと馬鹿な奴らだ!」

「全くだ、がはははははは!」


 ヘンリーとカーチスという二人に、ジャネットは心当たりがなかった。今すぐに兄の元へ行って彼の無実を証明したかったけれど、兄が仕事に行く時は、何処に行くかは教えてくれない。場所が分からない以上、闇雲に走り回ることも出来なかった。


 ドレスの端を握りしめても、現状は何も変わってくれない。太陽が昇ったばかりだというのに、安酒を飲みながら馬鹿みたいに笑う男たちは、ジャネットに向かって声をかける。


「姉ちゃん、知ってるか? ウィリアム・ゲイシーって男をよォ」

「バッカおめぇ、こんな純情そうな娘っ子が知るわけねぇだろうよ」


 男たちの声に、ジャネットは答えられない。ぐるぐると目が回る。真っ直ぐ立っているかもわからない。返答を得られなかった男たちは、何事もなかったかのように酒を飲み、豆料理を食べながら会話を続けていく。


「ウィリアムの野郎、これからどうなるんだろうな」

「知るかよ、保安官に追い回させるか、チビデブコンビの仲間に復讐されるか。どっちにしろロクなもんじゃねぇさ」


 このままだとウィリアムが殺されるかもしれない。とにかく会って話をしなければ。兄のことを信じることしかできないジャネットの身体は、動くことを選択した。


「ご、ごめんなさい。今日はもう帰ります」

「はぁ!? 今こんなに忙しいのに!?」


 店主である年老いた女が眉間に皺を寄せながら声を上げる。いつもより高いその声は、不機嫌を隠そうとしていない。いつものジャネットであれば、逆らうことなどしなかった。せっかく見つけた働く場所が、なくなってしまうかもしれない。兄と一緒に過ごせなくなるかもしれない。そう思えば、どんなことも耐えられた。


「……失礼します!」


 だからジャネットは尚更、居ても立っても居られなくなったのだ。この場所にいたら、きっと不安でどうにかなってしまう。早く兄を探さなければ。動きが悪くなっているダイナーの開き戸を体当たりするように開き、町の中を全速力で走っていく。外れにある自宅から水筒を肩にかけ、弾の入っていない銃を手に取る。兄が護身用にと渡してくれた、兄のものと全く同じ装飾が施されたものだ。これと全く同じ銃で、兄は人を殺したのか。父と母のように、生命を、奪ったのか。


 頭の中に込み上げてくる兄の凶行の可能性と共に傷一つない回転式の拳銃を鞄の中に押し込み、ジャネットは自宅から飛び出す。近くの水源で飲み水を補充する程の心の余裕は持っていた。準備が終わり次第、早足で町の外へと向かっていく。視界全体に広がる荒野は、不安を更に悪い方向へと膨らませていく。それでも、足を止めるわけにはいかなかった。


 すぐに痛みはじめた足を引きずって歩いているうちに、太陽が沈み、星々と二つの月が登っていく。月の光だけがほんのりと世界を照らしていくが、少女の足元を確かめるには圧倒的に光量が足りない。すぐ先も見えない、真っ暗になった世界のなかで一人でいると、まるで世界に取り残されてしまったようだ。


「本当にどうしちゃったのよ。お兄ちゃん……」


 ジャネットの呟きは夜の闇に吸い込まれていく。視界の端に見える小さな炎と、そのすぐ近くの人影。明かりに吸い寄せられる虫のように、ふらふらと歩いていくと、目を閉じたまま横たわる一人の女性がいた。ジャネットの住む町では見たことのない髪の色をしている。炎の明かりでもわかる紅い髪は、もう一つの揺らめく炎のようにも見えた。


「あの……」


 孤独に耐えられずに声をかける。


「んが」


 返ってきたのは、どこか間抜けな声だった。

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