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微笑う死神の追憶 -幾億の夜を抱えて-  作者: 木村竜史
第七章 『キュレティステネス』
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天を受け入れずに

「キュレ――」


 私の声は途中で遮られる。役人らしき男と向かい合うキュレイの目がとても恐ろしく見えたからだ。彼女の手に刃物があったならば、きっと男に向かって振り回していただろう。そう思えるほどに、殺意に似た怒りを孕んだ瞳だった。夥しい数の夜と昼を繰り返しても、この瞳には慣れることはない。食べられる前の小動物のように、入り口で固まってしまっていた。


「人は天に対しては祈ってはならない。天は手を差し伸べない。何も齎さない。天は人に対して祈らない。人は人のために祈り、過去を振り返らずに今の自分自身と手の届く範囲の快楽のために生きるべきだ、だと? よくもまぁ巫山戯たことを言う!」


 彼女の怒りを受け止めたのか、それとも彼の怒りをキュレイが受け止めたのか。それは定かではないが、男も怒りを抑えられずにいた。


「あぁ、そうだ。ボクと貴方も、生きている限り動的にも静的にも快楽を求めるだろう? それを求めて祈り、生きて何がいけないというんだ」


 キュレイの言っていることは至極真っ当な事だ。腹を満たすことも、気の向くままに寝ることも、周囲から認められることも快楽だ。それを求めるために祈り、生きても何も問題はない。強いて言うならば、このリアーロではそれが叶わないということだ。


 リアーロの民は天に祈る。人は人には祈らない。天が人に祈ると思われているからだ。だから、当たり前のことが通じない。祈りは何処までも上る。決して降りてこない。それを、誰も理解していない。煌びやかな装飾を胸に飾る男は、異質なものを見る目でキュレイを睨みつけている。


「貴方は天の声を聞いたことはあるのかい? ボクは聞いたことはない。リアーロの領主様とリアーロの民、何が違うというんだい? 今の幸福のみを祈り、行動して、何がいけないというのかい?」


「貴様、不敬だぞ!」


 顔を真っ赤にして怒鳴る男の腰のツルギに手が伸びている。全身の毛穴が閉じるような感覚を覚えたが、私が出来たことは足を一歩前に進めることだけだったが、男もずさり、という音に気を取られたのか一瞬だけこちらを見る。ここでようやく私の存在に気付いたのか、口を大きく開く。


 男は恐らく『なんだ貴様は』とでも言おうとしたのだろう。彼の口から空気を吐き出す前に、キュレイは銀色の髪を靡かせながら、それを遮る。


「不敬!? ボクは領主様には感謝しているさ。ボクのようなハミダシモノが生きることの出来る街。文化を尊び、書を愛す街。ボクがボクでいられると思った街だ。でもね、もうそれは、過去のものになってしまったよ。あれは私の半身そのものだ。それを受け入れないのは、ボクを受け入れないのと同じことだ。受け入れない街に、いる意味なんてない」


 いつの間にか、太陽は微かに傾いている。暖かな光は足元だけを照らしていた。キュレイがどんな表情をしているのか、よくわからない。それでも声には未だに怒りが残っている。そして、哀しみの割合が強くなっていく。


「だから、もうここに用はない。ここにボクの居場所はない。キミたちも、ボクがここにいないほうがいいんだろう?」


 微かな沈黙の後に放たれた言葉に、男は無言で肯定したようだった。天の使いが一体なんだというのか。ただのヒトではないか。最初に言い出しただけなのに。


 キュレイの溜め息が部屋の中ではっきりと聞こえる。


「キュレイ、私も――」

「違うよ、エドナ」


 なんとか絞り出せた言葉は容易く遮られる。キュレイの声は優しく落ち着いたものだった。先程までの怒気など初めからなかったような、いつものキュレティステネスの声。それがなんだかとても嬉しくて、何故かとても悲しくなった。


「例えキミがボクと同じような考えを持っていたとしても、一緒に行かなくていいんだ。これは、ボクの、ボクだけの問題なんだ。ボクだけが立ち向かわなければならないんだ」


 キュレイは微かに笑い、静かにドアを開けて外に出る。咄嗟に手を伸ばすが、それは彼女へと届くことはない。


「……まったく、手間を取らせて。まぁ天に唾を吐くような女など、すぐに野垂れ死ぬだろう」


 そう言い残し、役人も外へ出る。ドアの隙間から流れる冷たい風に、私の頭の中も急速に冷たくなっていく。誰も殺さないと決める前であれば、腰のツルギを男の後頭部に叩きつけていたかもしれない。それほどに、あの男の表情はどす黒い悪意が込められたものだった。


「うぉっと!?」


 どこか間抜けな声がすぐ近くから聞こえてくる。グイルがドアの隙間からこちらを見ていたようだ。飛び退くように後ずさる彼を、役人の男が鋭く睨みつけている。私から見ればただの八つ当たりにしか見えない。


「なんだ貴様、見世物ではないぞ!」

「へへっ、すいやせんすいやせん」


 苛立ちを隠さない男の声と、媚びへつらうようなグイルの声。年齢でいえばグイルの方が上ではあるが、天の使いの部下というだけでそこまで地位というものが変わるものだろうか。未だにこの時代の価値観に慣れていない自分がいた。


 鼻息荒く何処かへと歩いていく役人を何度も見ながら、グイルは口の片端を小さく吊り上げながら笑う。


「気にするなよ、エドナ。俺たちゃ天の下で生きてるんだ。天に祈らず、人に祈るなんてできないんだよ。そうだろう?」


 これがリアーロの人間か。天に全てを委ねた結果、自身の幸せすらもわからなくなっている。微かな綻びが起きた瞬間に、この平穏が無くなることを理解していないのだ。


 ごめんね、私はここの生まれじゃあない。ここに住んではいるけれど、実際のところはただの来訪者だ。キミたちの言っていることが、まるで理解できないよ。


 頭の中で答えながら、小さく息を吐く。キュレティステネス。彼女は何処に向かうのだろうか。追いかけたかった。追いかけて追いかけて、彼女の行く末を見届けたかった。


 だけど、彼女は自分自身の問題だと言った。それを言われてしまうと、私が付いていくことは自己満足そのものということになってしまう。


 一人でも多くの人を救う。バラナシオから託された私の生きる道。その為に、わたしは歩かなければならないのだ。長い休憩ではあったが、ここらがいい機会なのかもしれない。


 結局、数日後に私もリアーロの街を出ることになる。天への祈りしか信じることの出来ない周りの視線に耐えられなくなったということもあるが、それ以上にこの街のヒト達のことが異質なものに思えてきたからだ。


 二つの月と一つの太陽を背中に、歩いていく。やはり私は自身の名前の通りに歩き続けていく方が性に合っている気がする。見渡す限りの平原と流れる風が心を躍らせ、次の一歩、その次の一歩に力を与えてくれる。


 もう何度目かもわからない旅を続けている途中に、二つの噂話を耳にする。


 それは天に祈りを捧げ続けた小さな国が、飢餓と戦争で容易く滅んだということ。


 そして、キュレティステネスという『男』が掲げた思想が『快楽主義』という名前で、この世界で流行の兆しを見せているということだ。

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