9 父の言葉
私は談話室の扉の前に立つと、深呼吸をした。
今からファビュラント公爵に本当のことを尋ねるのだ。緊張で心臓が爆発しそうだった。
何回か深呼吸をしてから、意を決して扉をノックした。
「……お父様、リリアーナですわ。入ってもよろしいですか?」
「入りなさい」
声を掛けると返事は直ぐに返ってきた。
失礼致します、と言って入室すると、ソファに座っている公爵が目に入った。テーブルにはワインのグラスと本が置いてあって、寛いでいたのが見て取れる。
「邪魔をしてしまい申し訳ございません……」
忙しい公爵の癒しの時間を邪魔してしまったと思い謝罪をするが、「気にしなくていい」と言われ少し安心した。
ソファに座るよう促されて、公爵の正面に座ると、執事のセバスチャンが直ぐにお茶の用意をしてくれた。
「ありがとう」
そのお茶に口を付けて気持ちを落ち着ける。
しばらく公爵たちを避けていたため、何だかいたたまれない。どうやって話を切り出そうかと考えていると、公爵が先に口を開いた。
「――大丈夫か?」
「えっ?」
何に対しての言葉なのかが分からず、私は首を傾げる。
「最近元気がないようだとエリーシアが言っていた。今日も夕食も食べずに部屋に行ってしまったと」
確かに夫人から心配しているような視線は感じていた。でもまさか、忙しい公爵に伝えているとは思ってもみなかった。
驚いている私を尻目に、公爵は足を組みなおして私に問い掛けてきた。
「ホーネスト家の次男のせいか?まだ諦めずに付き纏ってくるのか?」
「ち、違いますわ!」
ルーク様の名前が出てきて、慌てて否定する。
公爵は先程の優しい瞳から一転して、氷のように冷たい瞳になっていた。もしこのまま誤解されたらルーク様やホーネスト家がどうなるか分からないと思ってしまう程、冷たい瞳だ。
それが違うなら何なのだと訝し気な視線を感じて、私は今日ここに来た目的を話そうとした。
「私……っ」
でも、いざ話そうとすると喉がぎゅっと締まって言葉が出てこない。
そんな私の言葉を公爵はじっと待っている。
目を瞑って深呼吸をすることで緊張を解すと、少しだけ喉の締め付けが緩くなったような気がして、私は目を開けた。
「日記を読んでしまいましたわ。申し訳ございません」
震える声で何とか言い切ると、深く頭を下げる。
横からセバスチャンが息を飲む音が聞こえたが、頭を下げているため公爵の表情は分からない。
ピリピリした空気を感じていると、公爵から深いため息が聞こえてきて私は手をぎゅっと握りしめた。
「――頭を上げなさい」
「……はい」
公爵の顔を見るのが怖い。秘密を暴いた私を軽蔑しているだろうか、それも今まで気付かなかったことへの呆れ?何を思っているのかを知るのが怖い。
でも、いつまでも逃げている訳にもいかない。
私はゆっくりと顔を上げて公爵を見た。
(何で……笑っているの?)
顔を上げて見えたのは、軽蔑や呆れのどちらの表情でもない。
困ったような笑顔だ。眉尻を下げて、でも口角は上がっていて、いたずらした子供を見るような優しい瞳で私のことを見ている。
「そうか、見てしまったか。ということはもう自分のことも知っているんだな?」
「は、はい」
「――あれは全て事実だ」
あっさりと事実だと認められて、私はぐっと唇を噛む。
アンナにも聞いて分かっていたことだ。それなのに、直接聞くとこんなにも重い。
「私の本当の親は――」
「探していない」
本当の親の所在を聞こうとすると、間髪入れずに言葉が返ってきて目を見開いた。
私の反応を予想していたかのように、公爵は苦笑を浮かべる。
「意外とでも言うような顔だな」
「探そうと思えばいくらでも探せたのでは……?」
探して本当の親を見つければ、自分の子供だと公表する前に厄介払いできたはずなのに。何故それをしなかったのかと、私は理解出来ないでいた。
だって、私はファビュラント家とは元々何の関係もないのに。
私さえいなければ、正しい家族に戻れたのに。
「それはもちろんそうだ」
公爵は私の疑問を肯定しつつ、「だが」と言葉を続けた。
「それを探して何になる?赤ん坊をあんな寒空に放置するような親だ。ろくでもないのは分かり切っている」
ろくでもないというのは確かにそうだろうと思う。
もし、本当の親の元に返されたなら、今頃どんな目に合っていたか分からない。この年まで生きられたのかも謎だ。
……ということは公爵は私に同情したのか。
「それにな、リリアーナ」
肩に温かい手が乗って、私は顔を上げた。
知らない内に俯いていて、公爵が私の隣に移動してきたことに気付きもしていなかった。
隣に腰を下ろした公爵は、真剣な瞳で私を見ている。その青色の瞳は私と同じ色で、それなのに何故私はこの人と血が繋がっていないのだと泣きそうになった。
私が目に力を入れて涙が溢れないように耐えていることが分かったのか、公爵は肩に置いていた手を頭に移動させる。
そして撫でてくれる手付きはとても優しい。
「たとえ血が繋がっていなかったとしても、お前は私たちの子どもだ。もし返せなどと言われようものなら、私は何をするか分からないぞ」
『私たちの子ども』
その言葉を聞いた瞬間、耐えきれずに涙がこぼれてしまった。
そうなるともう駄目で、次から次へと涙が溢れて止まらなくて、私は両手で顔を覆い隠した。
(ずっとその言葉を聞きたかった)
日記で『私の子どもじゃない』と書かれているのを見てから、自分の今までが全て否定されたように感じていた。
感じていた愛情すらも信じられなくなって、それが申し訳なくて辛かった。
でも、子どもだと認めてもらえたことで、二人の愛情を信じることが出来た。
血が繋がっていなくてもそれで充分なのだと、私は涙を流し続けた。
ーーーーーー
「酷く傷付けてしまったな」
ようやく涙が止まった頃、公爵……いえ、お父様は言った。
「あの場所は私しか使わない本が多いから油断した。本当のことなど知らずにいてほしかったのに……迂闊だった」
お父様は苦い表情をして、すまなかったと頭を下げる。
基本的に執務室の本は領地の管理などに関係する物ばかりで、人が触ることはないのだろう。
たまたま仕舞い損ねた日記を私が見つけて勝手に触ってしまったから。
「いえ、私が悪かったのです。申し訳ございません」
「リリアーナ……」
お父様に罪悪感を持って欲しくなくて、私も頭を下げた。
気が付けば、胸に溜まっていた澱みは無くなっていた。
あんなに辛くて苦しくて悲しかったのに、お父様からたった一言貰っただけで消えてしまった。
――もちろん二人と血が繋がっていなかったことは本当に悲しい。
でも、本当の子どものように想ってくれているなら、これ以上ない幸せだと思うことが出来た。
「一つ聞きたいのですけれど……」
「何だ?」
ふと、子どもだと思ってくれていたなら、何故執務室で『結婚させない』と言ったのだろうと疑問に思った。
この際だから聞いてしまいましょう。
「私、同じ日にお父様とセバスチャンが話しているのも聞いてしまったのですわ。私には結婚させないと……それであの……私は厄介者なのだと思い込んで……」
「なっ」
盗み聞きしていたのが後ろめたくて、尻すぼみになってしまった。しかし、最後まできいたお父様は固まってしまった。
「お父様……?」
怪訝に思って呼びかけても反応がない。
どうしたというのかしら。もしかして、結婚の話は本心だったから……?
「僭越ながらお嬢様。私からお話しさせて頂いてもよろしいでしょうか」
「セバスチャン」
不安を感じていると、横からセバスチャンが声を掛けてきた。
本来ならお父様にお伺いを立てるべきなのだが、反応が無くなってしまったからか、私に許可を求めている。
「えっと……いいわよ?」
どうするべきかと横目でお父様を見るけれど、固まったままピクリとも動かない。
このままでは話も聞けないし仕方ないかと思い、私はセバスチャンに頷いて見せた。