8 吐き出した気持ち
あのデートの日以降、ぼんやりすることが増えた。
当たり前のことだが、ルーク様からの求婚もなくなった。
学園でも姿すら見掛けなくて、それなのに目は彼を探してしまう。今までルーク様が私の元を訪れていたからこそ会えていたのだと今更ながら気付く。
時々ぼんやりしてため息をこぼしてしまう私に、公爵夫人から心配げな視線を感じたものの、何と言えばいいのかも分からないので気付かないフリをしていた。
今日も学園から帰るなり自室に篭ってぼんやりとしていると、コンコンとノックの音が聞こえてきた。
入室を許可すると、入ってきたのは侍女長のアンナだ。
「リリアーナお嬢様」
「ばあや。どうしたの?」
アンナはファビュラント公爵の乳母をしていた人だ。私やブレースにとって祖母のような存在の人で『ばあや』と呼んで慕っている。
ファビュラント公爵の日記に書いてあったことが本当なら、私の出自を知ってるはずだ。
アンナはファビュラント家の侍女長で忙しく、私の部屋に来ることは滅多にないので不思議に思った。
「お茶でも如何ですか?」
「え、ええ。頂くわ」
私の質問には答えず、お茶を勧めてくるアンナ。断る理由もないので頷くと、アンナは手際良くお茶の用意をしていく。
「ばあやに入れてもらえるなんて今日はいい日になりそうだわ」
「あら、私はお呼び頂けたらいつでもお茶をお入れしに来ますよ」
アンナの微笑みを見て、安堵の気持ちが湧いてくる。
殆ど白髪の髪をきっちりと纏めたアンナはしかし、背筋もピンとしていてまだまだ現役といった様子だ。そのきっちりした雰囲気とは反対にとても穏やかな人で、幼い頃から私が落ち込むことがあれば、話を聞いて優しく包み込んでくれた。
アンナが居ることでどれだけ救われたか分からない。
(……ばあやは何で私に優しくしてくれたのかしら)
アンナが入れてくれたお茶を飲みながら、ふと疑問に思う。アンナは私が捨てられた子だということを知っているはずだ。それなのにファビュラント家の娘として大切にしてくれた。
本当はどこの誰とも分からない子どもなのに、そんな素振りも見せず、ただ優しくしてくれた。何故なんだろうか。
「ばあやは……何故私に優しいの?」
気が付けばぽろりと言葉がこぼれ落ちていた。アンナのお茶で気持ちが解れていたせいかもしれない。
「もちろんリリアーナお嬢様が大切だからですよ」
「!!」
迷いなく発された言葉に、私は息を飲んだ。
考えたり悩んだりすることもなく、それが当然であるように答えてくれた言葉。
一番求めていた言葉なのに、その衝撃に声が出なかった。
「旦那様や奥様も同じ気持ちでございますよ」
何も言えない私の内心を読んだかのように、アンナはファビュラント公爵と公爵夫人のことも言う。
本当にそうなのだろうか。不安に押しつぶされそうだった私は声を絞り出した。
「私が……でも?」
しかし、喉が締め付けられているかのようにかすれた声しか出ない。そんな私を急かさず、微笑んで待っているアンナ。
(――そうだ。ばあやは昔からそうだった)
落ち込んでいる私の側にいて、私が何か言うまで待っていてくれるのだ。
そうしている内に心の整理が出来てきて、話すことが出来るようになるのだ。
昔のことを思い出すと不思議と喉の締め付けが緩くなった気がして、声が出るようになった。
「私が本当の子どもじゃなくても……?」
そして口に出してしまえば、感情が溢れてきて、頬を涙が伝う。
日記を見てから初めて自分が二人の子どもではないという事実を口にする。
それはとても怖いことだった。信じたくなくて、本当は否定してほしくて、でも本当のことだと言われると今度こそ絶望で壊れてしまいそうで口に出来なかった言葉。
アンナの答えを聞くのが怖い。でも、これ以上一人で抱え込むのは私には無理だった。
しかし、アンナは驚いたように目を開いた後、「当たり前じゃありませんか!」と声を上げた。
「旦那様方がどれだけ愛情を持ってお嬢様に接していらしたか分かっていらっしゃるでしょうに」
そして少し呆れたような顔をして、優しい声音で言うアンナ。
それを聞いて、私の瞳から堰を切ったように涙が流れ出した。
わーわーと子どものように声を上げて泣いている私を、アンナはただ優しく抱きしめてくれた。
――――――
「落ち着かれましたか?」
「……ええ」
一通り泣いて落ち着いてくると、アンナが冷やしたタオルを持ってきてくれた。
それを目の上に置いて冷やすと、熱くなった瞼がひんやりとして気持ちが良い。カチャカチャと音が聞こえて、お茶を入れなおしてくれているのが分かった。
「ばあやは何も聞かないのね」
「何をでしょうか?」
首を傾げてとぼけるアンナ。私が言いたくなかったら聞かないということだろう。こういうところも昔から変わらなくて何だか懐かしい。
アンナになら、全て話せる気がした。
「――私、偶然お父様の日記を見てしまったの」
アンナをソファの隣に誘い、私は一つずつ話していった。
婚約を申し込みされ、それを受けるために、執務室で公爵を待っていたこと。たまたま日記を落としてしまい内容を見てしまったこと。その時に血がつながらないことを知ったこと。直接聞くのが怖くて、逃げたこと――。
「それでも信じられなくて、直接聞こうと思い直したわ。でも執務室の前で、私なんて嫁に出せないと言っているのを聞いてしまって……。その声がとても冷たくて、日記に書いてあったのは本当のことだったと確信したの。そうしたら何もかもが信じられない気持ちになってしまって……」
確かに二人から愛情を感じていたはずなのに信じられなくなって、『お父様』『お母様』と呼ぶことすら出来なくなった。
気持ちを吐露すると少し胸がスッとした気がした。お茶で口を潤していると、アンナが口を開いた。
「リリアーナお嬢様は間が悪かったのですね」
「間?」
意味が分からなくて首を傾げると、アンナは頷く。
「ええ。きっと最初から最後まで話を聞いていたら今とは違うことを思っていたと思いますよ」
「言っている意味が分からないわ……?」
「そうですね。ですから旦那様に直接聞いて下さいな」
「でも……」
アンナに話すことは出来たが、公爵に直接聞くとなると躊躇してしまう。
そのことを想像するだけで、緊張して肩に力が入る。しかし、私の様子に気付いたアンナが、そっと肩に手を置いてくれて、その温かさに力が抜けた。
「では私の話をしましょう」
アンナが突然話し出して、私は驚いてしまった。一体何の話だろう。
「――その日は冷たい雪の降る日でした。旦那様が突然赤ん坊を連れてきたのです。寒い中毛布一枚にくるまれただけの赤ん坊を」
話始めると直ぐに分かった。これは私の話だ。
「最初は、奥様が出産したばかりだというのに何故こんな厄介事をと思いました」
『厄介事』という言葉に胸がずきりと痛んだ。思わず俯くがアンナが「でもね」と言葉を続けたことで顔を上げる。
「その赤ん坊を見た瞬間そんな気持ちは吹っ飛んだのですよ。綺麗な銀色の髪に青い瞳がそれはそれは愛らしくて……置手紙を見た時には捨てた母親に猛烈な怒りを感じました」
アンナは、私の手をそのシワだらけの手で包み込んだ。
「今にも死にかけのその子は、必死に生きようとしていて、最初は嫌悪感を滲ませていた旦那様も次第に赤ん坊の生を願うようになっていました。もちろん奥様もです。名前を付けて必死に声を掛けていらっしゃったんですよ。元気になった時にはそれはそれは喜ばれて……」
日記には書いていなかったことだ。私は疎まれていたのだと思っていた。一命を取り止めなければこのまま終わるはずだったのに……と。
でも、生を願っていてくれたの?
「旦那様が言った『お嫁に出さない』というのは、きっと何か別の意味も含まれているんじゃないかとばあやは思うのですよ」
最後にアンナはそう言って締めくくった。私は繋いでいた手にぎゅっと力を込める。
「私……話をしてみるわ。お父様はいらっしゃるかしら」
アンナの話を聞いて覚悟が決まった。今なら、彼らのことを信じられる気がする。
そんな私の言葉を聞いたアンナは優しく微笑みかけてくれた。
「ええ。談話室でお酒を飲んでいらっしゃるはずですよ」
「ありがとう……ばあや」
いろいろな気持ちが込み上げてきて、アンナに抱き付く。
血なんて関係なく、こんなにも私を大切にしてくれる人がいる。それは私の壊れかけた自尊心を繋ぎ止めてくれた。
(私は本当に幸せ者だわ)
頭を撫でてくれる温かい手を感じながら、心からそう思った。