7 二人きりの薔薇園
薔薇園に近付くと、入り口に白と赤の薔薇を使ったアーチが建てられているのが見えた。咲く位置まで計算されているようでとても美しい。薔薇たちが丁寧に世話されていることが窺える。
アーチを潜る前に、侍女と護衛に向き合う。
「あなた達はここで待っていて」
「しかしーー」
「いいのよ。お願い」
待機を命じると護衛が抗議の声を上げるが、私が頼み込むと渋りつつも了承してくれた。
これで最後になるのだから、ルーク様と二人で話したかった。
出来れば、様子がおかしい理由も知りたい。
「美しいですわね」
私たちは並んで、色とりどりの薔薇で作られた道を歩く。辺りには薔薇の芳香が立ち込めていて、現実と切り離されているような感覚にうっとりとしてしまう。
「本当ですね。素晴らしいです」
私の言葉に、ルーク様は頷いて答えてはくれたものの、やはりいつものような溌剌とした明るさがない。
これが最後だということを彼も意識しているのだろうか。それにしても、今日一日中こんな調子で、やはりおかしい気がする。
私は意を決して理由を尋ねることにした。
「ルーク様、今日はどうされたのですか?」
「何故ですか?」
「お元気がありませんわ。それに、私はルーク様のことをあまり知りませんけど、無理しているように感じますの」
私が思ったままのことを口に出すとルーク様はピタリと足を止めて、俯いてしまった。
一緒に足を止めて彼の顔を見上げると、ルーク様は動揺したように口を開いた。
「あなたが少しでも喜んでくれる所をと思っていたんですけど……」
そして、困ったような顔をして私を見る。
どうやら、ルーク様は私が喜ぶようなデートをしようとしていたらしい。
私が歌劇や美術館を好むと思っていたのね。もしかして、その落ち着いた色の服も髪型も、私の好みだと思ったのかしら。
何より、ぎこちなかったのは私の反応を気にしていたから?
しかし、ルーク様は言葉を続ける。
「でも、これで最後になると思うと楽しめない自分がいるんです。今日この時間が終わるのが怖い。少しでも俺のことをあなたの記憶に残しておいてほしい。それなのに上手く話すことが出来なくて、時間はどんどん過ぎていって……」
ルーク様はそう言って髪をぐしゃりと握った。その苦しそうな表情を見て、私まで胸が苦しくなってしまった。
ずっとぎこちなかったのは、ルーク様なりに葛藤していたからなのね。
そこまで、私のことを思ってくれているなんてーー。
そう思うと喜びと罪悪感に同時に襲われるが、私はその気持ちを飲み込んで微笑みを顔に浮かべた。
「あなたは思い出をくれと言いましたわね。それなら、何も考えずに楽しまなければ」
「うわっ!」
そして、背伸びをしてルーク様の頭に手を置くと、髪をぐしゃぐしゃにかき混ぜた。
きっちりと撫でつけられていた髪の毛は、元のように元気に逆立ってしまったが、いつもと同じ姿の彼を見て私はホッとした。
一方、髪をぐしゃぐしゃにされたルーク様は、拗ねたような顔で私の手首を掴む。
「……酷い人だ。俺がどれだけあなたのことを愛しているのか知っているのに」
掴む力はあくまで優しく、壊れ物を扱うようだ。
思わず口から笑みが零れていた。
「ええ、存じてますわ」
彼が私を好きになってくれてよかった。
――――――
私たちはまた薔薇園の中を進んでいく。中心には広場があり、噴水の水がキラキラと反射していた。
周りにはベンチも設置されていたので「あそこに座りましょう」と、ルーク様に声を掛けた。
すぐさまベンチにハンカチを敷いてくれたルーク様にお礼を言って、二人並んで座る。
「ルーク様は何故私に想いを寄せて下さるのですか?」
二人で薔薇を眺めていると、私は気付けば尋ねていた。
自分の言ったことに気付き、ハッとして口に手を当てる。嫌な感じだと思われたかも……と恐る恐るルーク様に目をやるが、彼は気にした様子は無い。
見えないようにほっと息を吐いていると、彼は薔薇に目を向けたまま口を開いた。
「ーーあなたが悲しそうにしていたから」
その言葉に私は息を飲み込む。
「最初にあなたに断られた時、辛くて諦めようと思いました。でも、その時のことを思い出すと、あなたが悲しくてどうしようもないという顔をしていた気がして」
私の反応には気付かず、ルーク様は言葉を続けた。
「翌日にもう一度あなたの所へ行くと、それは勘違いではないと分かった。あなたは断りながらも悲しそうにしてた。だから何か事情があるんじゃないかと思ったんです。でも俺如きに出来ることなんて何もない。……せめて、愛を伝えることしか」
「だから、あんなにも毎日……?」
思いも寄らなかった内容に声が震える。
手まで震えてきて、誤魔化すようにぎゅっと握り込んだ。
「あんなに冷たくしてしまったのに……」
何故彼はこんなにも真っ直ぐなんだろう。何故こんなにも私を想ってくれるんだろう。
ルーク様の想いが嬉しくて辛い。涙が出そうになるのをぐっと堪える。
私に泣く資格なんてないのだから。
「そんな辛そうな顔をしないで下さい。俺が想いを伝えることで、あなたが余計に辛い思いをしているなら、もう止めにしないといけないと思ったんです」
握り込んだ手に、ルーク様の手が重なる。
顔を上げるが、ルーク様の後ろから夕日が照らしていて表情はよく見えない。
「リリアーナ様、どうか幸せになって下さい。それが俺の今の願いです」
優しい声で私の幸せを願う彼は、一体どんな表情をしているのだろうか。
それは分からないが、一つだけ言えることが私にもある。
「……私も同じ気持ちです。どうか幸せになって」
夕日に強く願った。
――――――
二人の間に語る言葉はなく、ただ夕日と薔薇を見つめていた。
最初のような気まずい沈黙ではなくて、どこか穏やかで優しい沈黙が二人を包む。
「そろそろ行きましょう。皆さんが心配してますよ」
沈黙を破ったのはルーク様だった。
もう随分と時間が経ってしまった。日が落ちる前に戻らなければと思うけど、もう少し一緒にいたい。
「……はい」
しかし、一緒にいたいなどと言える訳もなく、私は大人しく頷いた。
私の手を取り立ち上がらせると、ルーク様は微笑む。
「最後にリリアーナ様とこうして話すことが出来て良かった。ありがとうございました」
感謝の言葉に、私は何も返せず頷くことしかできなかった。
その後は無言で薔薇園の中を歩き、侍女と護衛の元に戻った。
帰りの馬車の中でも私たちに会話はなく、沈黙を守ったままあっという間に屋敷へと着いてしまった。
馬車を降りると、ルーク様は頭を下げる。
「今日はありがとうございました。もうリリアーナ様の前に現れないことを約束します」
頭を下げたまま礼儀正しく述べたルーク様は、送りの馬車を断ると歩いて去っていった。
彼の背を見送りながら、溢れそうになる涙を堪えるためにドレスのスカートをぎゅっと握る。
――これで終わりだ。もう会うことはない。
ルーク様の気持ちは聞くことができたけれど、私の気持ちを伝えることはできなかった。
伝えるつもりはなかったのに、そう思うと辛くて、トゲが刺さったかのように胸がチクチクと痛む。
いつか胸のトゲは抜けるのだろうか。
今はまだわからない。