2 公爵の日記
その後のお茶会がどうだったのかは、ほとんど覚えていない。
ただ、「考えさせて下さい」と言った時のルーク様の期待に満ちた表情だけが頭から離れなかった。
婚約を申し込まれたことを知ったらお父様はびっくりするだろうけど、私だってもう17歳なのだし婚約者くらいいても良いはず。
お父様は優しいから、私がルーク様と婚約したいと言ったらきっとさせてくれるわ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
屋敷に着くと執事のセバスチャンが迎え入れてくれる。
私は馬車から降りて屋敷に入ると、そわそわとしながらセバスチャンに尋ねた。
「お父様は?」
「まだお帰りになっていません」
「どのくらいで帰ってくるのかしら?」
「あと1時間程でしょうか……」
セバスチャンは懐中時計の蓋を開けると時刻の確認をした。
お父様の帰宅の時間が分かると、私はそのまま執務室へ足を向けた。
「執務室で待っているわ。お父様がお帰りになったら待っていると伝えて頂戴ね」
「かしこまりました」
セバスチャンは一礼すると、侍女に飲み物を用意するよう指示を出す。
執務室に着き、机の前に置かれたテーブルに一通りのお茶菓子が用意されると、私は少し休みたいからと人払いをした。
本来は自分の部屋で休むべきなのだが、お父様は帰るとまずこの執務室に寄る。
それなら、自分の部屋で休むよりここで待っていた方が早い。
「お父様は許して下さるかしら……」
紅茶を飲んで心を落ち着けると、本当に婚約できるかしらと心配になってきた。
お相手も、ルーク様で良かったのかしら。いえ、でもあの瞳はとても誠実そうだったし……。
そんな考えが頭の中をぐるぐると回る。
「こんなこと考えても仕方ないことだわ!お父様に頼んで婚約の前にルーク様の人柄も調べてもらえばいいのよ!」
一通り考え終わったところで、そう結論付けた。
ふうとため息を吐くと、何とは無しに執務室を見回す。
お父様は几帳面な方で、壁に並ぶ本はタイトル順に隙間なくきっちりと並べられている。
「あら?」
その時、窓を背にした執務机の近くの本棚から、本が一冊飛び出ているのを見つけた。
「珍しいわね」
そう思いつつも、直しておこうとソファから立って本の側へ寄る。
その本は小さめで、タイトルも何もない。革の表紙が付いてることから見て、手帳のような物なのだろう。
「あら、入らないわ」
本棚にきっちり仕舞おうとしても、本が詰まっていて上手く入らない。
一度抜いて隙間を空けてからがいいだろうと思い、私は手帳を引っ張る。
なかなか抜けず力を入れすぎた結果、手帳はばさりと音を立てて床に落ちてしまった。
「いけない!」
お父様の大切な物だったら大変だと思い、私は慌てて手帳を拾おうとした。
手帳は落ちた拍子にページからめくれてしまい、中身が見える状態になってしまっていた。
日付と手書きの文字が目に入ったことで、それが手帳ではなく日記帳だと気付いた私は罪悪感に駆られる。
しかし、内容を見る前に閉じようとして、ふと気になる単語を目が捉えてしまった。
「『私の子どもじゃない』……?」
不穏な内容に、私は見てはいけないと思ったのも忘れて日記帳を拾い上げる。
そして、その日のページを読んだ。
「『12の月5の日。今日はとても寒く朝から雪が降っている。門の側に赤ん坊が捨てられていた。銀の髪に青い瞳の女の子だ』……銀の髪に青い瞳?」
その文言に、私の胸がどきりと嫌な音を立てた。
続きを読むのが怖い。
でも、このままにはしていられない。
「『赤ん坊が入っていた籠に手紙が入っていた。そこには私の子どもだから引き取れと書いてあった。ふざけるな、私の子どもじゃない。しかし、私の髪や瞳と同じ赤ん坊を放って置けば、どんな話が出るか分かったものじゃない。今はキャシーに頼んで見てもらっているが、これからどうするべきか……』」
キャシーとは、昔からファビュラント家に仕えている侍女で、お父様の乳母でもあった人だ。
私は足元がふらふらてして覚束ず、その場に両膝を付いた。
「どういうこと?」
頭が考えることを拒否する。しかし『銀の髪に青い瞳の女の子』『私の子どもじゃない』という言葉が網膜に焼き付いて離れない。
続きを読んではいけないと脳が警鐘を鳴らしていたが、止まることが出来なかった。
もしかしたらお父様の日記ではないかもしれないという、僅かな希望が胸にあった。
「『医者に見せたところ、まだ生後1ヶ月も経っていないとのことだった。泣きもせずこちらを見ていたが、凍傷になりかかっていて酷い状態のようだ。もしこのまま良い方向へ向かうなら、私はこの子を引き取るか孤児院に入れるかの選択を迫られることになるだろう。子を産んだばかりのエリーシアは心身ともに疲労している所だ。それなのにこんな話をするなんて申し訳ない。いや、そもそも私を信じてくれるだろうか――』」
そこまで読むと、思わず天を仰いでしまった。
エリーシアとは私の母の名前だ。そして、産んだ子どもとは、私の双子の弟であるブレースのことだろう。
――ということは、やはりこの日記はお父様が書いたもので間違いないだろう。
僅かな希望は打ち砕かれてしまった。
ああ、何と残酷な真実なのだろう――。
ーーーーーー
「待たせたなリリアーナ」
ノックが聞こえ、返事をするとお父様――ファビュラント公爵が入ってきた。
「……いいえ、お茶飲んでいたので平気ですわ」
私は声を絞り出すと、足に力を入れて何とかソファから立ち上がった。
ふらつきそうになるのを堪えながら、淑女の礼をとる。
「お帰りなさいませ」
「あ、ああ、ただいま」
いつになく丁寧に挨拶をする私に、公爵が戸惑っているのを感じた。
しかし、私はそれに気付かないフリをする。
「――ところで用事とは何だ?」
向かいのソファに座ったファビュラント公爵は、私にも座るように促してから用件を聞いてきた。
「用事は無くなりましたわ」
「……何だと?」
私は勧められたソファには座らず、立ったまま答える。
用があるから待つと言われたのに、突然それが無くなったと言われた公爵は怪訝な表情で私を見た。
「……待っている間に無くなってしまったのです」
私が苦笑を浮かべて言うと、公爵の眉間に皺が寄った。
「……ですから、これで失礼致します」
それを見ないように、私はもう一度淑女の礼をして、ファビュラント公爵の声も聞かずに執務室を出たのであった。