11 最後のチャンス
「姉上さぁ、今後あんなに好いてくれる人なんか現れないと思うよ」
話が終わった後、二人で廊下を歩いて自室に向かっていると、ブレースが唐突に言った。
ルーク様のことを言っているのだと直ぐに分かったが「何のこと?」ととぼける。
呆れたようにため息を吐いたブレースは、歩くのは止めずに私に言った。
「どうせ血のこと気にしてるんだろうけど、貴族の養子に入る人間なんていくらでもいるんだしさ。幸い向こうも継ぐ爵位はそこまで高くないんだし、気にすることないんじゃないの?」
それはまさに私が気にしていることだった。
もちろん養子はいるだろうけど、王家に縁ある公爵家がただの平民を養子にするなんて通常なら有り得ない話だ。
平民から子爵家に嫁ぐのと、公爵家から子爵家に嫁ぐのでも話は変わってしまう。
「姉上って本当に要領悪いよね。さっさと父上に相談してれば上手いことしてくれただろうに」
知らず俯いていた私の頭上から、ブレースの呆れた声が聞こえてきた。
「――ま、俺には関係ないから別に好きにしたらいいと思うけどさ」
そう言いつつも、私の頭にぽんと手を置いてきた。きっとブレースなりに慰めてくれたのだ。
顔を上げて微笑んで見せると、ブレースはさっと手を退け、そのままさっさと一人で自室に戻っていってしまった。
(素直じゃないわね)
でも、お陰で少し心が軽くなった。
――――――
それから数日が経った。相変わらずルーク様とは顔を合わすことが出来ないが、仕方ないと割り切れるようになってきた。
その矢先のことだった。
「リリアーナ様!」
学園から帰ろうと馬車乗り場へ行くと、ルーク様がいたのだ。
驚き後ずさる私に、ルーク様はその場から動かず声を掛けてきた。
「あれだけ最後だと言っていたのにまた姿を現して申し訳ありません。ですが、今日ブレース殿が俺の所に来て……」
そこまで言うと、ルーク様は言葉を濁した。
ブレースが来て何なのだろうか。というより、ブレースは一体何をしているのよ。
「ブレースが何か粗相をしましたの?」
「とんでもない! ……ただ、話をしたんです」
「話、ですか」
何だかとても嫌な予感がする。ブレースは何を言ったの?
ここでする話ではないと思い、どこで話そうかと悩んでいると、ルーク様から「カフェで話しませんか?」と誘われた。
デートの日を思い出して、胸がちくりと傷んだが、気付かない振りをして頷く。
何でこんなことになったのかしら。
――――――
前に来た所とは違うカフェへと来た。こちらも貴族がよく利用するカフェで、個室があるのだ。今回の話は人の耳がある所でするべきではないと思い、この場所を提案した。
給仕の者には、お茶とお菓子を用意してもらうと、しばらく寄り付かないようにと言い付けた。もちろん扉は少し開けておいてもらう。
本来は婚約者でもない人と二人きりで個室にいるのは良くないことなのだが、人に聞かれてはいけない内容かもしれないので背に腹は変えられない。
「それで、何の用ですの?」
お茶を一口飲んでから、単刀直入に言う。ブレースが話した内容も気になるが、まず一番に聞くべきは突然彼が姿を現した理由だ。
ルーク様は少しの間言い淀んでいたが、胃意を決したように話し出した。
「――ブレース殿が、リリアーナ様は何かとても大きい悩み事があって、そのせいで俺を遠ざけられたのだと聞いたのです」
そう言った後「もちろん詳しいことは聞いてません!」と、焦ったように付け加える。
「それを聞いてあなたは何を思って来たのです?」
「もしその悩みが俺に関係することなら、話してほしいと思ったんです。それに何より、あなたに嫌われていなかったという事実がとても嬉しくて後先考えずに来てしまいました」
申し訳ありません。そう言って頭を下げたルーク様に、私はため息を一つ落とした。
ブレースはあの日、廊下で話した時に私が本当は、ルーク様と婚約したかったのだということに気付いていた。だから、お節介をしたのね。
もう一度ため息を吐くと、ルーク様の宝石のような瞳を見つめる。
「ブレースの言うことが本当だとして、あなたに話して何になるというのですか?」
口から出た言葉は酷く冷たくて、自分で自分が嫌になる。
素直に話して、受け止めて欲しいと言えばいいのに、傷付きたくない私は壁を作ってしまう。
また傷付けてしまったかもしれないと、俯いて唇を噛む。しかし、返ってきたのは優しい声。
「俺は……あなたにただ、悲しい顔をして欲しくないんです。初めて会った時のように、笑顔でいて欲しい」
――あなたの笑顔は世界で一番美しいから。
はっと顔を上げると、ルーク様は真っ直ぐ私を見つめている。
その言葉と視線を受けて、顔が赤くなるのを感じた。ルーク様は真っ直ぐ過ぎてたまに恥ずかしい。
でも、と思う。
もし、話してもいいのなら。話して彼が受け入れてくれるのなら。
「……私、本当は公爵家の血が一滴も流れていないのですわ」
嫌われてしまうかもしれない。この話はなかったことにと言われてしまうかもしれない。
でも、これ以上ただ突き放すのは、もう嫌だった。
恐る恐る様子を伺うと、ルーク様は首を傾げていた。
「そうなんですか」
「……」
だからどうしたとでも言わんばかりの反応だ。
もっと驚かれると思っていたので、逆にこちらが驚いてしまった。
普通、公爵家の娘だと思ってた人間にその血が流れていなかったら驚かない? 驚くわよね?
「えっと、ルーク様?」
「はい」
彼はどこまでも真剣な表情で、話の続きを待っている。
「私の悩みというのはそれなのですけれど……」
「えっ! あ、あのすみません! そうですよね!」
おずおずと伝えると、それが悩みだと知ってルーク様は途端に焦り出した。
私を傷付けたと思ったのだろうか、わたわたと手を動かして「すみません!」と必死に謝っている。
しかし、私はそれよりも気になることがあった。
「何故あまり驚かれないのですか?」
そう訊ねると、ルーク様はきょとんとして「いえ、驚きましたが」と言った。
あまり驚いてたようには見えなかったけれど……と私が思っていると、ルーク様は「ただ……」と言葉を続ける。
「リリアーナ様が公爵家のご令嬢だろうと平民の娘さんだろうと、俺にとってリリアーナ様に変わりないので」
さっきまでの焦った様子は何処へやら、平然と言ってのけるルーク様に、私は力が抜けるのを感じた。
何というか、私は一体何を悩んでいたのかしら。
お父様にも、ルーク様にもさっさと話していたら、こんなに遠回りしなくて良かったのでは……。
そう考えると余計に力が抜けて、はしたないというのも考えずに項垂れてしまった。
「リリアーナ様からしたらとてもショックでしたよね! それなのにすみません!」
慌ててフォローしてくれるルーク様に、大丈夫だと言葉を返す。
そして、何とか頭を上げて、冷めてしまったお茶のカップを手に取った。
温くなって美味しくはないが、それでも気持ちを落ち着けるには充分だ。
(ルーク様にとって、私が公爵家の血縁でないということは大したことではなかった。私はずっと、一人で空回りしていたのね)
ルーク様を見ると、彼はまだ慌てている。そんな彼に笑みが溢れた。
この真っ直ぐな人は、いつも私だけを見てくれているのだ。
それなのに、私は一人で勝手に傷付いて、遠ざけて、ルーク様を傷付けた。それでもルーク様はやっぱり私を見てくれる。
それが申し訳ないのに嬉しくて、いつの間にか胸に希望の光が灯っている。
私が全てを話して、傷付けたことを謝って、やっぱりあなたの側に居たいと言っても、ルーク様は許してくれるだろうか?
こんな自分勝手な女を、好きで居てくれるだろうか?
「――ルーク様、私の話を聞いて下さいますか?」
「もちろん!」




