10 誤解と喜びと
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新しいお茶が用意され、しばしその香りと味を楽しむ。
その温かさに緊張が解れていくのを感じた。
「お嬢様はどこからどこまでお聞きになったのですか?」
一息吐くと、まずは確認を……とセバスチャンが私が聞いた内容を尋ねてきた。
私は頬に手を当て、その時の記憶を辿ってみた。
「結婚はさせられないという所から、嫁に出せない……というところまでかしら」
「なるほど。それで誤解を深められたのですね」
内容を伝えると、セバスチャンは納得したように二回頷いた。
何だというのだろうか。不思議に思っていると、セバスチャンは私を見て微笑んで言った。
「旦那様が結婚させられないと仰っていたのは、リリアーナお嬢様が可愛すぎるからでございます」
「セバスチャン!」
「え?」
セバスチャンの言葉に、お父様はようやく動きを取り戻し、立ち上がって責めるような声を出した。
私はと言えば、意外な言葉に頭の理解が追い付かない。
(今、可愛いと言った?)
混乱する私を余所に、セバスチャンは平然としている。
「そもそも旦那様がちゃんとお嬢様にお話にならないからここまで誤解が深まったのです」
「うっ」
それどころか、詰め寄ってくるお父様に対してぴしゃりと言い放つ。
お父様は図星を突かれたのか、言葉に詰まり、そのままソファに座り項垂れてしまった。
そんなお父様のことを意に介さず、セバスチャンは私へと向き直った。そして、先ほどの言葉を詳しく説明し始めた。
「旦那様は常日頃から、お嬢様が如何にお可愛く、優しいかという自慢をしているのです」
「お父様が自慢?私のことを?」
お父様は少し神経質な所もあるが、基本的に几帳面で真面目な方だ。だが昔から、何を考えているのか分からないところがあり、気難しい人なのだと思っていた。
私のことは愛してくれていたが、可愛いと言ったり人に自慢したり、そういう人ではないと勝手に思っていた。本当は表に出すのが苦手なだけだったのね。
意外すぎる一面だが、お父様が私のことを自慢に思ってくれているのは純粋に嬉しいと感じた。
でも、それが何故結婚させないことに繋がるのだろうかと首を傾げると、セバスチャンは話を続けた。
「あの日もお嬢様に届いた婚約の申し込みを一蹴するので、私も口を出させて頂いたのです。それでも『可愛いリリアーナを嫁に出せる訳がない!』と取り合って頂けず――」
聞けば、元々私への婚約の申し込みは多々あったようだ。しかし、結婚させず手元に置いておきたかったお父様はそれを全て蹴っていた。
同じ年代で身分が釣り合っている人がいないから婚約はしないのだと聞いていたけれど、それは嘘だったのね。
あの日、執務室で聞いたのは、いつまでも婚約させまいとするお父様を、セバスチャンが諫めていたところだったのだ。
「誤解を招くようなことを話していて申し訳ございませんでした」
全て話すと、セバスチャンは深々と頭を下げた。
それを見て私は慌てて首を横に振る。
「謝らないでちょうだい。そもそも私が勝手に聞いてしまったのが悪いのだから」
そうは言いつつも、それだけお父様が愛してくれていたという事実は、私の気持ちを明るくした。
ちらりとお父様へ目をやってみると、手を組んだ上に頭を置いて項垂れている。
私は嬉しかったけど、そんなに知られたくないことだったのかしら。
「お父様……あの、申し訳ございません」
お父様があまりにも打ちひしがれていて、思わず謝ってしまう。
私の謝罪に顔を上げたお父様は、疲れたように微笑んだ。
「いや、いいんだ。これで誤解が解けるなら本望だ……」
そうは言いつつも「父親の威厳が……」とか「私のイメージが……」とブツブツ呟くお父様に本当に本望なのかしらと思ったが、まぁここは突っ込んで聞かないことにしましょう。
普段とは違うお父様を見て見ぬふりしていると、お父様は一つため息をこぼした後、私に真剣な目を向けてくる。
「そういう訳だからリリアーナ。お前の結婚を阻止していたのは事実だが、お前を嫌ってそうしていた訳ではないんだ。それに絶対に嫁にやらないと思ってる訳じゃない。リリアーナが本心で結婚したいと思う男がいたのなら、私は応援しよう」
その瞳を受けて、私は嬉しくなって心からの笑み浮かべた。
しかしその直後に、ルーク様のことを思い出してしまった。
もし私があの時お父様にきちんと確認をしていたら、私はルーク様の求婚を受けることが出来ていたのかしら。
ルーク様の愛の告白に、笑顔で頷く自分を思い浮かべる。しかし、その想像は直ぐに打ち消した。
たとえお父様が私のことを応援してくれていても、血が繋がっていないことは事実だ。その事実がある以上、貴族のルーク様と結婚するなんて不可能だ。大体、自分勝手に傷付けておいて今更にも程がある。
自分の考えに自嘲の笑みを浮かべていると、お父様の心配そうな表情が目に入った。
「――ところで、私の出自を知っているのはお父様とお母様、ばあやとセバスチャンだけですの?」
私は誤魔化すように微笑みながら、結婚から話題を逸らす。
それに、何かあった時のために、誰が知っているのかを把握しておきたかったのも事実だ。
そうだと頷くお父様に、予想通りだと思いつつもブレースのことを聞く。
「ブレースには黙ったままでも良いのでしょうか。あの子はいずれお父様の跡を継ぎますし、その時に私の存在が邪魔にはならないでしょうか……」
「邪魔になる訳がない!」
私の言葉に、お父様は食い気味に否定をした。
驚きに目を見開くと、お父様は我に返ってコホンと咳払いをした。そして、数瞬考える素振りを見せた後、口を開く。
「――だが、リリアーナが知ってしまった以上、ブレースにだけ隠すというのも良くないだろうな」
そう決めるや否や、セバスチャンにお母様とブレースを呼ぶように言い付けたのであった。
――――――
「――で、これはどういう集まり?」
ブレースは談話室に入って、私とお父様、そして先に来たお母様がソファに座って向かい合っているのを見るなりそう言った。面白がっているような表情だ。
するりと私の隣に腰掛けると瞳をキラキラとさせてお父様に問い掛けた。
「もしかして姉上の婚約が決まったとか?」
ブレースは「遂に諦めたの?」と私に顔を向けてくる。諦めるというのがどういう意味なのか分からないが、面白がっていることは分かるので、敢えてそこには触れずに「違うわよ」
と否定する。
するとつまらなさそうに頬を膨らまして、ブレースは本当に子供っぽいなと思う。それなのに要領が良いのだから羨ましい。
締まらない雰囲気の中、お父様はどうやって話を切り出すのかと思っていたら単刀直入に二人を呼び出した理由を話し出した。
「――二人に話があるんだ。特にブレース」
お父様の雰囲気に、真剣な話なのだと感じ取ったブレースは口を閉じて座りなおした。
「リリアーナは私とエリーシアの本当の子どもではない」
お父様がそう告げた瞬間、正面から息を飲む音が聞こえてきて、顔を向けるとお母様が口元を手で覆って蒼い顔をしていた。
その顔色が心配になって声を掛けようとする前に、ブレースは詰まらなさそうな声を出した。
「なーんだ。そんなことか」
「そ、そんなことって……」
私たちは双子どころか本当の姉弟ですらなかったというのに、あまりにも軽い口調のブレース。しかし、ブレースは何てことないと言いたげな表情だ。
「だって、そうじゃないかなと思ってたし」
この言葉には私だけでなく、お父様やお母様も驚いたようだ。呆然とブレースに目をやると「むしろ何で分からないの?」と聞かれて、私がおかしいのかと思ってしまう。
「だって姉上って父上と母上の子どもにしては鈍臭いし」
「どんくさい……」
「要領悪いし」
「……」
「さすがに全く血が繋がってないとは思ってなかったけど。父上は真面目だから母上以外に手出すと思えないし、親戚かなんかの子どもを事情があって引き取ったのかと思ってた。ほら、二人ともお人好しだから」
そこは似てるなぁ。なんてあっけらかんというブレースに脱力してしまう。なんというか、
本当にブレースには敵わない。
「何?最近暗かったのってそれのせい?」
「……そうよ」
ため息を吐いて肯定すると、ブレースはけらけらと笑う。私が悩んでたのは一体何だったのかしら……。
でも、そう思いながらも姉上と言って家族のように扱ってくれていたのだから、ブレースも何だかんだ優しい。
「……ありがとう」
小さく感謝の言葉を言うが、ブレースは気付かないフリだ。
「ああ……良かったわ」
そこに、お母様の安心したような声が聞こえてきた。先程は青かった顔色はだいぶ良くなっている。
「あなた達が知ってしまうことで深く傷ついたり、仲に亀裂が入ったりしないかと心配していたのよ。……いえ、もう深く傷ついてしまった後よね」
「お母様……」
「お父様から聞いたと思うけれど、私たちは本当にあなたのことを愛しているのよ。本当の子どもだと思っているわ」
「はい。ありがとうございます」
お母様の言葉に胸が温かくなる。
その後、ブレースに私を拾った経緯などを話したことで、隠し事はもう何もなくなった。
これまでと同じように家族として過ごしていけると思うと、本当に嬉しい。
しばらく談話室で話した後、明日も学園がある私とブレースは退出することにした。




