「黄金姫の憂鬱」 第五話
”黄金の世界、銀の焔”・番外編「黄金姫の憂鬱」 第五話
「で、どうなんだよ?進捗具合ってぇやつは……」
大胆なボタニカル柄な開襟シャツの前を胸元まで開け、黒いスラックスを無造作に臑まで捲り上げた素足を二本とも、ヤケに存在感のある大理石の巨大高級デスクに投げ出して座る男。
そんな見るからに行儀の悪い男は片手で耳をほじりながら問いかける。
「どんなって?順調だよ、ザマっち推薦の鋼くんのお陰で」
そして同室の入り口付近、秘書用のデスクで何やら書類に目を通していた女が緊張感の無い間延びした声で応える。
「態と流した情報に、早速フィラシス公国の猟犬共が食いついてきたし、それも上手く捕らえられたから、あと二、三日あれば情報はそこそこ引き出せるかなぁ?」
柄の悪い男に続けて答える秘書の女は……安瀬日 緋音だ。
この国を牛耳る十二の上級士族、”十二士族”。
その上級士族達の一族を纏め上げる絶対的支配者の下で働く彼女の身分は政府の職員であり、国家元首の秘書官だ。
つまり彼女は……この国の王たる”九宝 戲万”の秘書官であった。
「テメェこら!だーれが、そんな余計な事しろって命令したよ!あの穂邑 鋼にふったのは個人的な依頼だ、毛唐共の始末は別の……」
「でもひとつに纏めた方が効率良いよね?」
細身というか寧ろ痩せすぎ感のある男は、長い手足と細い目そして柄の悪い出で立ちである。
そして、その柄の悪い男、九宝 戲万の口元がチッと舌打ちするが、緋音は全く気にせず続ける。
「でも”個人的”ねぇ?……ふふふ、ザマっちが”個人的”な依頼をあの鋼くんにぃ……」
「気持ち悪りぃ顔してんじゃねぇっ!」
そしてなにやらニヤニヤする女の表情に九宝 戲万はガン!と机を蹴り飛ばした。
「これは申し訳ありません、戲万閣下、ですが流石は閣下のお目に掛かった青年、フィラシス公国の強者集団と名高い天翼騎士団をああも簡単に退けるとは驚きです」
安瀬日 緋音は立ち上がり、姿勢を正して恭しく主に頭を下げるが……
彼女は主君たる九宝 戲万の態度を恐れたのでも、ましてや今更、礼儀正しい忠実な秘書官に成ったわけでも無いだろう。
――ニコリ
何故なら恭しく頭を下げた女の口元は先程までと変わらず上機嫌に微笑んでいるからだ。
「……チッ」
そしてそんなことはお見通しの柄の悪い主は、蹴っ飛ばしてヒビの入った大理石製のテーブルに再び足を乗せ、思いっきり背もたれに仰け反りながらボソリと呟く。
「ふん……穂邑 鋼ならそうだろう……フィラ公の駄犬如き」
何かを思い出すように視線を天井に向ける。
――九宝 戲万
絶対的支配者たるその男は、情け無用な恐ろしい噂の数々と実際に信じられないほどの凄まじい能力を持ったこの国一の実力者。
そして百年以上生きて尚、四十代の容姿という馬鹿げた存在であった。
「……」
「うふふ、ザマっちは鋼くんの話題の時はいっつも機嫌が良いよねぇ?」
安瀬日 緋音は両手の平を口元に当てて二ヒヒと含んだ笑いを見せる。
「はぁぁ!?ざっけんなよ、この女ぁ!誰の機嫌が……」
机に両足を乗せた行儀の悪い男は、ギロリと緋音をひと睨みして怒鳴るが……
「最凶、最悪、最強の九宝 戲万様がねぇ……うふふ、この依頼も名指しだしぃ?」
しかし緋音はまったく動じること無く、からかうのも止めない。
人民が……いや、驚異的な身体能力と特殊能力を保有する上級士族でさえ震え上がる九宝 戲万の眼光を向けられても平然と笑っている女は……ある意味この安瀬日 緋音だけだろう。
「…………ちっ、勝手に馬鹿面で笑ってろ、テメェみたいな変わり者は”現在”は独りだけだってぇの……」
九宝 戲万はそう吐き捨てるとそっぽを向く。
「…………」
そして、そんな男を見る緋音の口元は一転、スッと口角が下がった。
「現在はって……ね、ザマっち……あんまり何時までも気にしてると体に良くないよ?もう随分前の事だし……ね?」
先程までとは明らかに調子が変わる女の声色。
「……はっ!随分とお優しいじゃねぇか、”姉殺し”の犯人相手になぁ?」
「……」
目の前の尊大な男をまるで慰めるかのような優しい口調の緋音の言葉に、戲万は右耳をほじりながらそんな言葉を投げ捨てる。
「いいかぁ?テメェの姉貴は弱いから死んだ、それだけだ。俺はそんな当たり前の事なんざ気にもかけてねぇよ、はっ!バッカじゃねぇのか?ひゃははっ!」
そしてさも下らないとばかりに、薄っぺらく笑い飛ばしてからゆっくりと席を立つ。
そんな男に対して緋音は、ごく自然な動作で、背後にあったコートハンガーから男のコートを外してそっと付き従う。
「くだらねぇ話はやめだ……とりあえず、そのフィラシスのガキ共の所へ案内しろ」
そしてそう命令する主に素直に従う安瀬日 緋音はその背にポツリと呟いたのだった。
「だよね……うん、けどザマっち……は誤解されやすいからねぇ……あはは」
彼女には珍しく寂しそうな表情で。
――
―
年の瀬も近い平日夕暮れ時にさしかかる臨海市の町並み――
俺はベンチに腰掛けて、心なしか忙しそうに行き交う人々を眺めていた。
――この時期ってほんと毎年毎年こんな感じで代わり映えしないなぁ……
逆に言えば、仕事帰りにはやや早い時間帯の街で、コートにフォーマルスーツ姿でぼぉっと時を過ごす俺は、忙しなく通り過ぎていく人々から見れば少しばかり異質だろう。
勤め人で無い俺は時間に融通が利く。
――とはいえ……俺も半分仕事中みたいなものなんだが……
高校を出て俺は進学も就職もしなかった。
”とある理由”で独り暮らしの生活費以外に多額のというか巨額の資金を必要とした俺は学生時代から副業で稼いで来た。
俺の仕事はトレーダー、いわゆる証券投資から、表裏問わずに商品を扱う取引商、情報屋、クラッカーなど多岐にわたった。
とどのつまり、比較的に大金が稼げるような仕事全般を取り扱う個人事務所……
そして二年前の……あの一件。
幼馴染みの燐堂 雅彌を無事救出し、幼少時からの念願を果たした俺ではあったが、未だに俺は同業種で大金を稼ぐ毎日だ。
まぁ確かに金は無いより有る方が良いに決まっているが、俺の稼ぐ額は月に億単位……
いや、場合によってはもっとだ。
何故に未だそんな大金が必要なのか……
それは……
「ふぅ……」
俺は溜息をひとつ吐いて、スマホの画面を見る。
――画面には設計図のファイルが展開され、そこに描かれた代物は……
重量感のある、首無しの人型を模したような機械。
試作品の機体名は”BTーRTー07”
そう……あの悪夢の如き”鋼の魔神”……通称”鋼の虎”の後継機種であった。
俺はその画面を見てからチラリとそれを映し出すスマホを持った右手の手首に視線を移動させる。
ジャケットの裾から覗く手首には金属製の黒い時計……に見えるなにかの機械。
俺はそれを見てからもう一度溜息を吐いた。
――どっちも使わずに越したことは無いと思っていたが……
とは言っても俺は既に片一方は使用してしまった。
仕方の無い状況だったといえども……既に……
――”焔鋼籠手”を……
「ちっ、あの”安瀬日 緋音”って巫山戯た女のせい……」
「お待たせ、鋼」
――っ!?
そんな事を考えていた俺に、背後から聞き覚えのある、鈴の音の様な澄んだ可愛らしい声がかけられた。
「おっ!?おっ?……み、”雅”……」
俺は後方へと振り向くと、慌てて手首を袖で隠し、スマートフォンを裏返して画面を彼女から見えなくする。
「ごめんなさい、出がけに本邸から報告が入ってしまって……待った?」
いつの間にか俺の背後に立った女性はそう言って微笑む。
――うぅ……
そして俺はその声の主を、本日の待ち人を座った状態で見上げて……
艶のある美しく長い黒髪を、今日は三つ編みにして耳の後ろ辺りでまとめてお団子にしたエレガントなアップスタイル。
襟元をファーで装った、ダブルの膝丈Aラインコート。
フォーマルドレスを包むホワイトベージュのコートを纏った彼女は、真に雪の妖精だ。
「べ、別にそんなには待ってないって……」
暫し魅蕩てしまっていた俺は、慌ててそう答えて立ち上がる。
「良かった、今日は寒いから……」
俺の答えに安堵した美女は、慌てて駆けつけたのだろう……
透き通った透明感のある肌を少し高揚させ、可憐で気品のある桜色の唇が通常より早めに息を刻んでいる。
――ほんと……何時見ても
――どれだけ一緒に居ても……
「可愛いなぁ……」
「えっ?」
思わず零れた俺の不意打ちの感想に、彼女はボッと頬を染める。
比類無き容姿の彼女。
燐堂 雅彌の美貌の極めつけは……
――澄んだ濡れ羽色の瞳
その宝石の中で波間に時折揺れるように顕現する黄金鏡の煌めき……
神々しいまでに神秘的で印象的な双瞳の美姫。
彼女こそ、この国を支配する十二の上級士族の一家、竜士族の当主家である燐堂家の息女で俺の……恋人であった。
「あっ!いや……つい……はは」
「…………ばか」
まるで”いかがわしい”サイトを隠れ見ていたのを彼女に発見されて慌てふためく男のような動作をついしてしまった俺は無防備に感想を述べ、彼女を困らせていた。
「そ、それより行くか?もう予約の時間まであまりないしな」
俺は誤魔化すようにそう言うと今日の目的地に彼女を誘う。
「そうね……」
しっかりドレスアップした眩しい雅彌と目指すのは高級イタリア料理店だ。
久しぶりに外で待ち合わせした俺と雅彌は、そこで夕食をして、それから……
「ホントに行くのか?正直、雅には相応しくない場所だけど……」
俺は歩きつつ、直ぐ後ろにいる彼女に話しかけるが――
「今日は寧ろそちらが本題でしょう?」
直ぐに返ってくるそういう言葉に渋い表情を浮かべていた。
そう……俺はあの時、雅彌がクリームシチューを作ってくれた夜に問い詰められ、そして優秀な審問官に見事に供述させられた俺は、本日の深夜にその件で会う予定の情報屋との待ち合わせ場所に彼女も立ち会わせる約束を無理矢理にさせられていたのだった。
高級イタリア料理店での夕食後に訪れる予定の……繁華街の密会場所……
「……」
暫し俺は無言で歩いていた。
正直……これは俺の望むところで無い。
俺の仕事……それもこう言う危険な匂いのするモノに雅彌を関わらせたくないし、なにより”九宝 戲万”だ。
二年前のあの事件、いや……それ以前の事でもあるが、あの男の関わる事案に”燐堂 雅彌”を金輪際関わらせたくないというのが俺の心底からの本音だからだ。
けど……
――”今回は峰月 彩夏さんも阿薙 琉生さんもいないのでしょう?”
その彼女の一言に渋々頷いた俺に彼女は今夜の同行を頑として譲らなかった。
俺はその時心底後悔したんだ。
職業柄、普段から危ない取引が少なくない俺は、友人である彩夏と琉生に護衛を頼むことが多いが、今回はそれをしていない。
九宝 戲万の秘書官を名乗る安瀬日 緋音の依頼が元々そんなに危険で無い依頼……
”物探し”であった事もその原因のひとつだが、それ以外にも二人がどちらともが現在この国に居ないという事も理由である。
――峰月 彩夏と阿薙 琉生、鬼士族の手練れである二人が居ない代わり……
渋い顔のまま歩き続ける俺の腕に、そっと柔らかいものが差し込まれた。
――っ!?
「み、雅彌?」
その正体は、ブスッたれて歩く俺の左腕にそっと華奢な腕を絡ませる幼馴染みの腕……
「……本題といってもね……鋼くん」
燐堂 雅彌は少しだけ頬を朱に染めて、傍らから見上げてくる。
「その前の夕食もすごく楽しみにしていたの…………本当よ」
美しい濡れ羽色の瞳を上目遣いに告げる雅彌に俺は……
「そうだ……な」
と、答えになっていない言葉を返すのが精一杯。
冬の街を忙しなく行き交う人々同様に足早に歩いていた俺の足は少し前までとは違い、
――ほんの少しだけ”ゆっくり”と……
二人はイタリア料理店までの道のりを堪能するのだった。
”黄金の世界、銀の焔”・番外編「黄金姫の憂鬱」 第五話 END