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「黄金姫の憂鬱」 第四話

 ”黄金の世界、銀の焔”・番外編「黄金姫の憂鬱」 第四話


 ゴトン……


 磨き上げられたフローリングの床に、金属製のアタッシュケースを雑に置いた俺はそのまま傍にあったソファーに倒れ込む。


 ドサッ!


 「ふぅぅ……」


 上質な羊毛の生地に自重で沈んだ身体(からだ)をだらしなく投げ出した俺は、陸に上がったやる気の無い軟体動物(タコ)だ。


 「……ぅ……んん……」


 暫く……俯せに顔を埋もれさせた状態で俺は、そこに残った僅かな痕跡を堪能する。


 ――微かに甘い……懐かしくて良い香りだ


 それは俺がよく()る人物の残り香。


 俺が命よりも優先させる、最も大切な存在。


 「……今週はまだ……帝都の本邸に行ってるんだっけ?」


 臨海(りんかい)市内にあるアミューズメント施設”マリンパレス”の敷地内に建つ自宅マンションに戻った俺は、灯りもつけずにそうした事を考えながら、屍になっていた。


 「ふぁぁ……今日はもうこのまま寝るか」


 ――時間は午後七時十五分三十二秒……


 俺は靴を脱いだだけの格好で、人間にとって一、二を競う重要な行為である睡眠を全く冒涜した状態で、自堕落な言葉を吐いて(まぶた)を閉じる。


 ――いや……俺が悪いんじゃない


 ――それもこれもあの女が……


 ――あの……”安瀬日(あしび) 緋音(あかね)”……今回の仕事の依頼主代理たるあの女が無茶をさせるから……


 俺の携わる仕事では、荒事自体はそう珍しい事じゃない。


 だが今回はあまりにも唐突過ぎた!


 だいたい今日は調査のみで……

 いやいや、それを言うなら(そもそ)もそんな危ない仕事だとは聞いていない。


 俺はそう言う手合いの仕事なら(はな)から断るか、受けるにしても事前に周到な準備をしていたはずだ。


 ――用心棒とでもいうか、ボディーガードとして彩夏(あやか)琉生(るい)に連絡を取ってだなぁ……


 「……」


 そんなことを思考しているうちにも次第に意識は微睡(まどろ)み……


 ――眠い……ふぁぁ……久しぶりに”焔鋼籠手(フランメシュタル)”を使ったから……か?


 「……」


 ――だい……たい俺は……肉体労働は……ほんらい……せんもん……が……


 「…………」


 いよいよ”穂邑 鋼(オレ)”の意識が怪しくなったときだった。


 ガチャッ!


 玄関のドアが解放される音が、静寂と闇が支配しつつある我が夢の世界に響き……


 ――トントン……


 控えめな足音と共に……


 「(はがね)?帰って来てるの?(はがね)?」


 よく知る人物の透き通った声が近づいて来たかと思うと、ピッという電子音と共に部屋が明るくなった。


 「……」


 ――ああ……良い香りだ……


 俺は相変わらず俯せに突っ伏したまま鼻をクンカクンカとさせ、より鮮明になった”微かに甘く懐かしい香り”を肺一杯に満たして満足……


 「はが……あ、居た」


 「……」


 澄んだ濡れ羽色の美しい瞳に見下ろされる自堕落者の背中。


 「……こんな所で寝てると風邪引くわよ?」


 呆れたような彼女の声に俺はそのままの状態で応える。


 「帰るのは明後日の予定じゃなかったのかよ……」


 「……」


 艶のある美しく長い黒髪、眉にかかる前髪が、部屋を照らすありふれた灯りにさえも目映くサラサラと輝く。


 透き通った透明感のある肌と整った輪郭、可憐で気品のある桜色の唇、高貴さと清楚さを兼ね備えた比類ない容姿の女性。


 「……」


 「……みや?」


 一転、無言で俺を見下ろす、比類無き美貌を誇る彼女の極めつけは……


 澄んだ濡れ羽色の瞳の波間に時折揺れるように顕現する黄金鏡の煌めき。

 神々しいまでに神秘的な双眸があまりにも印象的な可憐な存在であった。


 彼女の名は……燐堂(りんどう) 雅彌(みやび)


 この国を支配する十二の上級士族の一家(いっけ)、竜士族の当主家(とうしゅけ)燐堂(りんどう)家の当主代理である。


 「ん……ええとね、予定がたまたま早めに済んだの……そ、そういえば、”偶然”今日明日は(はがね)も休みだって言ってた……かしら?」


 「…………そうなのか」


 雅彌(みやび)との会話がそこまで進んだところで、俺はようやく体をムクリと起こし、ズレた眼鏡を右手で直す。


 「(はがね)は……随分と疲れているようだけど、どうしたの?」


 雅彌(みやび)の濡れ羽色の瞳が俺を見据えて疑問を投げかけた。


 今日と明日は仕事が休みのはずなのに何故そんなに疲れているのか?

 と、言う意味だろうが……


 「……」


 「(はがね)?ちょっと……」


 「……」


 ソファーの上に座った俺は、行儀悪く両足を上げて胡座をかき、その視線は彼女の足元に……


 「聞いてるの?」


 ――勿論聞いている


 しかし俺の視線は、目の前の類い希なる美女のスカートから覗いた白い足首……

 細くて白くて繊細な御御足(おみあし)を……


 ――っ!!


 じゃなかった、えっと……

 そのスリッパ履きの彼女の足元に置かれたトートバッグ。


 そう、上部の口が開いたバッグから覗き見えるスーパーのレジ袋のような白いビニールに包まれた物体に向けられていたのだ。


 「……あ、これね……これはシチューの材料というか」


 「シチュー?」


 何故か恥ずかしげに白い頬を染めて答える雅彌(みやび)を俺はジッと見上げていた。


 「実はね、臨海(りんかい)市に着いたのは昼過ぎ頃で、今までちょっとね……その、真那(まな)の所に寄って夕食の用意というか仕込みを手伝って貰っていたというか……」


 恥ずかしげに頬を染め、若干しどろもどろに答える雅彌(みやび)はなんというか……

 とても良いっ!!


 この国を支配する十二士族でも最高クラス”竜士族”。


その当主代理たる彼女が、いつもはその立場を見事なまでに全うする風格を漂わせる超お嬢様の雅彌(みやび)が、唯一俺の前ではこんな(うぶ)な少女の反応をする……


 ――フフン!……まぁ”恋人”たる穂邑 鋼(オレ)の特権だろう!


 「だから聞いてるの?(はがね)


 「ああ、聞いてるぞ。つまり要約すると、休みの”俺の為”に美味しい夕食を用意してくれるために帝都での仕事を早めに切り上げて、何でも出来るが料理はイマイチの雅彌(みやび)が”俺の為”に 吾田(あがた) 真那(まな)に手解きを受けながら”俺の為”のシチューを用意して……」


 「だ、だから……変な要約しないで……よ」


 益々と頬を染めて珠玉の双瞳(ひとみ)を下方に逸らす幼なじみ。


 ――おおっ!!超可愛いっ!!


 俺は疲れなど何処かへ飛んでいったかのように全身に活性化された熱い血が巡る!


 「”俺の為”って何度も言うし……」


 そしてそのまま、少しだけ不満そうに桜色の唇を尖らせて、遠慮がちにだが、再び俺を彼女の美しき黄金の世界で捉える。


 「いや、ははは……つい嬉しくて」


 俺はそう言うと立ち上がり、彼女の足元に下ろしたままのトートバッグを持ち上げる。


 「夕飯にしよう、二人で用意した方が効率が良い」


 現金にもすっかり死人返りした上機嫌な俺の言葉と態度に、雅彌(みやび)はクスリと微笑んで言った。


 「役に立つのかしら?私、これでも折を見て真那(まな)に教えて貰っているから、かなり上達しているのだから」


 俺がさっき言った、”何でも出来るが料理はイマイチ”を根に持っているのだろう、彼女は冗談半分にそう可愛らしい抗議をしてキッチンに向かった。


 「むぅぅ、いいなぁ……やっぱ」


 恐らく、他人に見せられないレベルのだらしない顔で俺は彼女の背を見送り、そして直ぐに後を追った。


 おっと、そういえば先程から雅彌(みやび)との会話にちょくちょく出てくる”吾田(あがた) 真那(まな)”という名前の人物だが……


 雅彌(みやび)のお付きで、下級士族である蛇士族の……


 いや、まあいいか、面倒臭(めんどうくさ)……今回は特に絡んでこない人物だろうから。


 ええと、つまり、小うるさくて口と目つきが悪いホントにどうでもいい奴である、うん、説明終わり。


 ――

 ―


 ――暫くして……


 部屋着に着替えた俺と雅彌(みやび)は向かい合い、二人だけの夕飯、その最中だった。


 「美味いな、さすが(みや)はなんでも上達がはやいなぁ」


 「真那(まな)に手伝って貰ったから……それに元々、牛乳と小麦粉のシンプルな料理だから……」


 俺の手放しの賞賛に彼女は少し照れながら謙遜する。


 一日の大部分を、俺は仕事で、彼女は竜士族の当主代理たる役目に奔走する。


 だから一緒に住んではいても、こうやって同じ食卓を囲むことはあまり無いし、二人の時間も週に数時間あるか無いかだ。


 「はい……(はがね)はほんとうに子供の頃と変わらないのね」


 ついテンションがあがってシチューを零す俺に、呆れながらティッシュを差し出した彼女も少女の様に笑う。


 ――そうだ


 俺は昔から色んな雅彌(みやび)を見てきた。


 他人を寄せ付けない気高い雅彌(みやび)


 竜士族の次期当主たる重責と期待に応えるために必死な雅彌(みやび)


 滅多にないが、それに負けそうな時の俺にだけ見せる弱気な雅彌(みやび)


 そして……


 「……」


 ――俺は、現在(いま)、目の前に存在()るこの雅彌(みやび)が一番好きだ


 そう……


 これが俺が手に入れたモノ


 二年前のあの一件で、命懸けで、雅彌(みやび)との別れさえ覚悟して……


 ――手に入れた現在(いま)の幸せ


 「俺は譲る気は無い」


 「え?なに、(はがね)?」


 ついボソリと言葉になった俺の独り言に、対面の大切な存在はキョトンとする。


 ――俺は”こればかり”は微塵も譲る気はないんだ!


 俺は改めてそう心に誓い、そして……


 「いや、なんでもない」


 そしてそう言って笑って誤魔化した。


 雅彌(みやび)はそんな俺を呆れた視線で見た後に続ける。


 「(はがね)、そういえば今回受けているお仕事って……」


 あのお節介な吾田(あがた) 真那(まな)の馬鹿が、何処からか聞きつけてきて主たる雅彌(みやび)に話したのだろう、対面の彼女が問いかけてくる。


 「……」


 「ああ、九宝(くほう) 戲万(ざま)からの依頼だけどな……ちょっとした故人の調査というかまぁ雑用だ」


 「……」


 「あの傲岸不遜の馬鹿も、二年前の……俺や雅彌(みやび)に対する自身の行動に多少の引け目があるんだろうな、(たま)にこうやって楽でおいしい仕事を回してくるんだよ」


 雅彌(みやび)にそう答える俺だが、勿論嘘だ。


 九宝(くほう) 戲万(ざま)からの依頼なんて初めてだし、”九宝 戲万(ヤツ)”が引け目や罪悪感なんて上等な代物を感じるわけがない。


 ただ俺は……


 あの二年前の一件から再び、九宝(くほう) 戲万(ざま)絡みの厄介ごとに巻き込まれているなんて如何にも雅彌(みやび)が心配するような事を話す訳にはいかない訳で、それにフィラシス公国の”天翼騎士団(エイルダンジェ)”なんていいう大層な戦闘集団が関わってきてるなんてトンデモ展開はとても話す事なんてできない。


 「……そう、なんだ」


 雅彌(みやび)はそんな俺の答えに、そっと箸を止めて俺の顔を見詰める。


 「あ……うん、そうなんだよ……(みや)にとっては不快な名だろうけど、仕事の難易度の割には報酬は破格だしな、そこは目をつぶってくれれば……」


 「……」


 ――うっ!


 あまりにも美しい瞳。


 燐堂(りんどう) 雅彌(みやび)の黄金の瞳は、どれだけ傍に居ても決して見慣れる事の無い魅惑の宝石。


 俺はそんな至高の瞳に見据えられ、魅つめられ、心臓がギュッと締まる思いに口元を引き攣らせていた。


 「安全な仕事なら別に私は何も言わないわ、(はがね)


 そして美しき女性の桜色の唇はそっとそう告げる。


 「お、おう……危険なんて無いぞ、それが証拠に今回は彩夏(あやか)とか琉生(るい)をボディーガードに雇ってもいないからな」


 俺は緊張半分、高鳴り半分でぎこちなくそう答える。


 「そう……それなら」


 ――それなら良かった


 俺はそう続くと思い込み、フッと安堵の息を吐き出し……


 「あのケースは何かしら?」


 「っ!?」


 かけて一気にその息を呑み込んだ!


 「うっ……ぐ……」


 美しい黄金の姫が白魚の如き流麗な線の指先で指し示したのは……


 ソファーの傍らに無造作に置かれたアタッシュケース。


 「(はがね)、あんなモノがどうして今更必要なのかしら?」


 「……うう」


 優しく微笑む絶世の美女を前にしても、今の俺にはちっとも嬉しくない。


 「答えてくれるわよね、(こう)くん?」


 「……う……く……」


 彼女だけが使う、懐かしい俺の呼び名を口にした雅彌(みやび)


 彼女の可愛らしい口元が、その見た目とは違う意図を含んだ笑みに変わり、黄昏を彩って輝く黄金の双瞳(ひとみ)は静かに細められる。


 そして、俺は……


 そんな美しき”恋人”兼”幼馴染み”の尋問官を前に、息を呑み込んだまま固まっていたのだった。


 ”黄金の世界、銀の焔”・番外編「黄金姫の憂鬱」 第四話 END

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