第7話 再会
_____時田安明、夕暮れの下校路
赤い空の下に広がる帰り道を、いつものように一人で歩く。
もうお決まりとなったはずのこの作業に、今、僕は何か違和感を感じていた。
いつもより、前に続く道が暗い気がする。
昨日よりも、明らかに空気が黒ずんでいて、道を照らす夕日の光も非常に微かなものに感じられた。
一体どうしたのだろう。
これから夏に入るということで一日が進むごとに日が伸びることはあっても、短くなるなんてことがあるはずはない。
この時間帯はまだ夕焼けの燃えるような赤い光が道の先をはっきりと照らしてくれるはずだ。
雲が空を覆っているのだろうか。
確かめるようにして機械的に顔を上に向けてみたが、空は端っこの方にわずかながらに雲を浮かべているだけだった。
なら、なんでこんなにも今日の道は暗いのだろう。
外を見回しても原因はどこにも見当たらない。
・・・・・・本当は気づいている。
道がこんな暗いのは、外が暗いからじゃなくて、僕の内面が黒いもので詰まっているからだ。
道が暗いんじゃなくて、僕の黒ずんだ心が道を暗く見えさせているんだ。
今日、僕は水野さんから逃げ続けた。
朝に彼女が僕に手を振ってきたとき、僕は目を背けて視界から彼女の手を消し去った。
昼に長い休み時間はやってくれば、僕は即座に教室から抜け出して、いつものあの場所へと走り去った。
水野さんが昨日のことで僕に何か話しかけてくるとすれば、人目につかない場所を確保して話をするのに十分な時間をとれる昼休みだろうと思ったからだ。だから彼女が僕の席に来る前に教室を出た。
教室に戻ったときに僕に向けられた水野さんの目、僕は一瞬で逸らしたけど、今でも鮮明に思い出せるほどその目は脳裏に焼き付けられている。
まん丸と見開かれた水野さんの驚きに満ちた目。おそらく得体の知れない僕の学校の過ごし方を不思議に思ってあんな目をしたのかな。
水野さんの方はおそらく僕のことを探して・・・きっと他クラスの教室の友達に会いに行っているとでも考えて教室という教室を探し回っていたのかもしれない。
しかし実際のところ僕はどの教室にもいなかった。
校舎の中を探し回っても影も見つからなかったのに、それでいて休み時間が終わるとなると湧いて出たようにして教室に現れたんだから、そりゃ奇妙にも思われるよね。
じゃあ僕は昼休みにどこにいたんだっていうと、答えは「外」だ。
もちろんサッカーやテニスなんかをして気持ちよく汗をかいていた訳じゃない。
グラウンドとは反対方向にある、校舎と体育館の建物のはざまの空間で作られた隙間。誰の目にもつかないような裏の外れに孤独に空いている、細くて薄暗い空間。
そんな空間で僕は、毎日そうしているように、一人で持参した弁当を黙々と食べていた。
弁当を食べ終えたら、スマホを片手に、特に調べたいものがある訳でもないのにネット空間を適当に漁って時間が過ぎるのを待つ。
そしてチャイムの鳴る時間が近くなれば、重い腰をあげて自分の教室へと戻る。
今日していたことも、なんてことはない、いつもやっていることと寸分違わず同じことだ。教室を出るのはいつもより早かったけど。
だから、「逃げる」なんて言い方は外面だけを見れば違うのかもしれない。
別に水野さんから逃れるためにわざわざ今日に限って外に出た訳じゃない。
ただ、いつものように外に出ていたから水野さんの側が僕を見つけられなかっただけだ。
でも、僕の意識の上では間違いなく今日あの場所に向かったことは「逃げる」ことに違いなかった。
教室に残った僕に水野さんが話しかけにくるかもしれないことが怖かった。怯えていたんだ、僕は。
違う世界の人に触れて、痛い目を見ることを恐れていたんだ。クラスのみんなの余計な注目を浴びるかもしれないことが、たまらなく嫌だった。
僕だって話し相手くらいは欲しい。
休み時間にわざわざ教室を抜け出る必要のないよう、クラスで話せる友達がいたらいいとはいつも思ってる。
だけど、その相手が水野さんだなんてのは順序を何段も飛ばし過ぎだ。毎日ぬるいお茶しか飲んでいない人にいきなり度数60パーセントのウォッカを一気飲みさせるようなものだ。とてもじゃないが僕がまともでいられる訳がない。
いや、分かってる。僕が考えすぎだってことは十分わかっている。
こんなクラスでも目立たない地味な僕のことを水野さんがそこまで考えていることなんてあり得ない、そりゃそうだろう。たまたまでも一応出会ってしまった僕に何も言わずに放っておくのはもどかしいから、社交辞令として僕になんでもいいから話しかけようとしているだけだろう。向こうはこれといった感情は何も持ってないはずだ。
それなのに僕の方は彼女に話しかけられるのを自意識過剰なまでに恐れている。まるでストーカー被害にあってる女性が当の男に怯えているかのようだ。
我ながら偉くなったものだ、僕に付きまとおうと考える人なんているはずがない、ましてやその相手が水野さんときたら、誇大妄想も大概にしろと言いたくなる。
頭ではそうとわかっているのに、じゃあなんで水野さんと近づくことを過剰なまでに僕は恐れるのか。
・・・・・これは認めたくないことだ。
僕が彼女を恐れる理由 それは、僕の中のどこかに水野さんと仲良くなれるという考えがあるからなんだと思う。
今まで壁の向こうの存在でしかなかった水野さんと、もしかしたらゲームでつながることができるかもしれない。こんな考えが僕の意識をかいくぐるようにしてうごめいているんだと思う。
これを聞いた人の中にはこう言う人もいるかもしれない。「意味不明だ」「仲良くなれると考えているのならなんで恐れる必要なんかあるんだ」 と。
普通の人はそう考えるのが当然だろう。仲良くなれる「チャンス」を見つけたのなら、むしろこれからの関係の進展に心を踊らせ、湧いてやってきた喜びの気持ちを満面の笑顔で迎え入れるのが大多数の人のとる行動だ。
でも僕はそれができないんだ。
誰かと仲良くなれるチャンスがあっても、それに触れて僕が真っ先に想像するのは冗談の言い合いを楽しむ明るい未来なんかではなく、気まずく物別れに終わる暗い未来でしかないんだ。
クラスで顔を合わせるたびに苦しい思いになって目をそらしてしまうような、そんな苦い状況ばかり考えてしまうのが僕なんだ。
いつからこうなったのか知らないけど、こんな僕の性格のおかげで、この学校に友達と呼べる人間を一人も作らずにここまでやってきた。多分僕の近くにも友達を作る「チャンス」はたくさんあったんだろうけど、この性格がそれらを見逃し続けることを正当化してくれたのだ。
手に入りそうなものに手を出して結局得られない辛さを味わうよりは、最初から一人でいた方がいい と僕の体の中から呼びかける声が聞こえてくるんだ。
だから僕は人と繋がる「チャンス」を見つけてもそれに怯えてしまう。
悲しい結末を味わうハメになるのが怖いんだ。
普通の生徒相手にすらそうなんだ、ましてや相手が水野さんだったら?
答えは決まってる、逃げるしかないじゃないか。
“あの”水野さんと仲良くなれるかもしれないという「期待」と、そんなものは幻想でしかないという「恐怖」。この矛盾する僕の気持ちを頭の中でどんなに考えても整理することなんて不可能だ、ソクラテスだって答えを出しようがない。
だったらやることは一つしかないじゃないか。
答えを出さずに離れる、つまり逃げる これしかない。
ゲーセンでも、学校でも、僕は水野さんから逃げ続けたけど、それしか僕にはなかったんだから仕方ないじゃないか。
僕は間違ってない。
僕にとってはあれが正解だったんだ。
そう理解したはずなのに、頭の中で納得をつけたはずなのに。
なんでこんなに気持ちが晴れないんだろう。
なんでこんなに道が暗く見えるのだろう。
水野さんから逃げたからなのか?
水野さんと仲良くなるチャンスを棒に振ったからなのか?
でも、友達を作るチャンスなんて今までも何度も捨ててきたじゃないか。
なんで今回に限って釘を打ちつけられたように痛みが僕の心から離れないんだ。
僕はまだ水野さんと繋がりたいと思っているのか?
でも、今まではまだ見ぬ友達への「期待」も、湧き上がる「恐怖」にすぐかき消されたじゃないか。それに、今回水野さんに触れて湧いた「恐怖」はこれまでとは比べ物にならないくらい大きなものだった。
それなのに、なんで今回に限って淡い「期待」が未だに僕の中に消えずに残っているんだろう。
僕はいったいどうしたいんだろう、どうなりたいんだろう。
僕がいったい何を考えているのか、何を感じているのか、僕がどういう人間なのか、考えてみれば考えるほどわからなかった。
矛盾と矛盾が複雑に絡み合った僕の心を覗いてみても、もはや何が何だかわからない。
覗いた先に見えたものは、ただ雑音のザーザーと響き渡る、真っ暗な大きい穴だけだ。
ちょうどこの道と同じような、不気味な暗い世界。薄気味悪い。
そんな道を、僕は力なく歩き続けた。
赤い屋根の家、雑居ビルに挟まれたコンビニ、少し傾いた電柱。
飽きるほど見てきた帰り道の光景、この道は相変わらずいつもの道だった、いつもより少し暗いことを除いて。
そんな道を、僕は力なく歩き続けた。
足音もさせずに歩き続けていると、ふとある光景に目が止まった。
通りの向こうに立つ駅から隠れるようにして伸びた、脇の向こうの小さな道。
昨日僕が通ったあの道だ。
いつもとは違う帰り道を歩きたかった僕が歩いていった、怪しさの漂う汚い小道。
今の僕には関係のない道だ。
僕はさっさと顔を駅に続く道へと戻した。
そしてそのまま歩みを再開しようとした。
しかし僕の足は止まった。
再び顔が横へと向かう。
顔の向く先は影の充満した細い空間。
僕はその道をしばし見つめた。
この道を歩けばあの古びたゲーセンがある。そこには僕がプレイしたファイナルファイトがある。初めてだったというのもあるけど、思った以上に歯ごたえがあってすぐにコインを二つ消費してしまった。
昨日僕がコインを入れることから逃げた魔界村もある。タイトル画面だけでプレイヤーに汗を垂らさせるようなゲームだった。
他にも、往年のシューティングゲームや、名作と言われる格闘ゲームもたくさんあった。
そして、あそこには彼女が・・・・・・水野さんがいた。
僕は、格ゲーの筐体の前に立っていた水野さんの姿を思い起こした。
ずっと画面に向かって格闘していたのだろうか、少し疲れ気味に肩を落としつつも、どこか満足気味に胸を張る水野さんの姿。
そんな彼女の姿を脳裏に浮かんで来た。
その情景を内に眺めていていると、やがて僕の中で奇妙な少しづつ感情が湧いてきた。
それはさっきまで僕が覆われていた感情からすれば全くおかしいとしか言いようのないものだけど、確かにそんな気持ちが生まれているのを感じる。
「あのゲーセンに行きたい」 そんな気持ちが今湧いている。
今までの憂鬱な気持ちを考えれば、そんな感情が生まれるはずもない。ゲームをしたい気分なんかになるはずがない。
それなのに、今僕はあのゲーセンに行きたいという想いで心が動き始めていた。
昨日ファイナルファイトをプレイして、僕は久々に手に汗握る思いに血を沸かせた。もう随分と味わっていなかった興奮を、久々に僕に思い出させてくれた。
そんな気持ちをもう一度味わいたい。
僕の胸の奥底からそんな囁き声が聞こえてくる。
もう一度あのゲーセンに行って、また体の熱くなる闘いをしたい。
これが僕がゲーセンに行きたいと思う理由か。
いや、それだけじゃない。
血の踊る闘いをもう一度味わいたい それだけ? 正直になれ。
確かにその理由は合っているけど、もっと大きな理由が僕の心を奥底から揺り動かしている。
それは僕のもう一つの感情。
興奮を求めるのとは別の、僕の正直な感情。
そんな感情が起こる訳がない、ありえない。さっきまでの僕を見れば誰でもそう考えるに違いない、僕を含めて。
でも今、確かに一つの感情が僕の心の中から飛び出そうとして暴れている。
その感情、それは
水野さんがいるかもしれない
そんな僕の奥底からこだまする声だ。
どう考えてもおかしい。
さっきまで僕はあんなに水野さんに会うのを恐れていたじゃないか。
今日だってずっと彼女から逃げた、今さらどうして彼女がいる場所に行きたいだなんて思う?
それはおかしいことに違いなかった。
でも、なぜか今は水野さんに会うことに怯えてはいなかった。
正確に言うと、「あのゲーセンにいる水野さん」に会うことには怯えていなかった。
なんで急にそんな気持ちになったのかは自分でもよくわからない。
けど、なんでかあのゲーセンにいる水野さんとなら、会っても大丈夫な気がするんだ。
その理由は、_____理由とすら言えないかもしれないけど・・・・さっき水野さんを思い浮かべた時、筐体の前に佇む彼女のその姿、疲れ気味に下がった肩と満足げに張らされた胸の姿、それが格ゲーにハマっていた頃、連勝した時に僕がやっていた姿勢に似ているような気がしたんだ。
ずっとゲームをしてきた僕だからわかる。あの姿勢は、ゲーム画面に長いこと向かった末に何かを成し遂げた時に、安心感と疲労感と達成感が同時に湧き上がった時に自然と出てくる動きだ。
そう、考えにくい話だけど、水野さんはひょっとしたらゲームに対しては僕と同じような想いを持っているのかもしれない。
学校の校舎では別の世界に生きている水野さんだけど、ゲーセンの中では「ゲーム」という同じ世界にいれるのかもしれない。
だとしたら、少なくともあの場所でなら彼女に怯える必要はないんじゃないか?
ゲーセンの中でなら水野さんとだって上手くやることができるんじゃないか?
だって、あの場所では僕は席にうつむく大人しい生徒じゃなくて街を守る市長だし、あの場所では水野さんは笑顔の眩しいクラスの人気者じゃなくて一人の格闘家なんだから。
あのゲーセンの中なら、僕だってきっと・・・・・・・
僕の胸は体の外に漏れでるくらいに鼓動の音を響かせていた。
ワクワクする。
期待、希望、興奮、勇気、あらゆる熱い感情が僕の中で渦巻いて、体を熱する。
高校生になってから今まで、こんな気持ちになったことはなかった。
あのゲーセンは、もしかしたら僕の何かを変えてくれるかもしれない。
そんな思いを抱きながら、僕は細い路地へと一歩を投げ出した。
逃げるためだけに使われてきた頼りない足は、今、力強くコンクリートを踏みしめていた。
人気のない裏路地を進むと、やがて目に悪そうに輝くネオンの赤と青の光が見えてきた。
ゲームセンターマオカ・・・この昭和からやってきたようなゲーセンこそ、昨日僕が迷い込んだ場所だ。
娯楽施設にも関わらず人目を避けるかのようにひっそりと佇むこのゲーセン、相変わらず人の出入りを感じさせない無機質ないで立ちである。
というか、本当に人の気配が感じられないんだけど、誰もいないのかな?
昨日だって割合広い室内の中にいたのは僕と水野さんの二人だけだったし、こんな状態でこの店はやっていけるのだろうか。
せっかく見つけたばかりのゲーセンが潰れるだなんてことになったら悲しすぎる、さっき湧いた希望はなんだったのかという話になる。
でもネオンの光と微かに漏れ出てくる電子音から察するに、とりあえず今日も営業はしているようだ。
この扉の向こうに昨日僕がプレイしたファイナルファイトがあって、僕が逃げだs・・・戦略的撤退を決めた魔界村があって、他にもシューティングや格ゲーや、他にも色んなゲームがあるんだ。
少し武者震いが走った。新しいゲームをやる前って時には僕はいつもこうなる。
・・・そして、もしかしたら彼女だってこの先に・・・・・・・・
さっき「ゲーセンの中の水野さん」となら上手くやれると根拠のない期待を抱いていた僕だったが、いざゲーセンのドアを目の前にすると不安が湧いてくる。
本当に大丈夫か?
何も喋れず、目も合わせられないなんてことはないか?
最悪、また逃げ出してしまうなんてことはないか?
ネガティブな光景がパッと脳内を走り回って僕を脅そうとしている。
けど、ここでそんなことを気にしてもしょうがない。
大丈夫だ。僕の直感は間違っていない。
彼女は、きっとゲームの部分に関しては僕と似た性質を持っている。
もしそれが正しいのなら、きっと上手くやれるはずだ。
闘いの場は教室じゃない、ゲーセンなんだ。ゲームは、僕の得意分野じゃないか。ならばなんの不安もないじゃないか。
僕は入り口のドアへと近づく。
湿った手のひらで金属製の取っ手を包み込む。
深く息を吐いて少し間を置く。
息を吐き終えると、意を決したようにドアを勢いよく奥へと押し込んだ。そして勢いそのままにゲーセンの中へと入り込んだ。
ドアの向こう側に身を乗り出した僕の目に飛び込んできたのは、昨日見たあの薄暗い寂れたカウンターだった。
ここには人はいない、昨日と同じだ。
僕は目を奥の方に向ける。電子音が湧いてくるその場所は筐体が集結する場所、この小さなゲーセンの中心部だ。そう、ファイナルファイトや魔界村がおかれている場所で、そして水野さんと出会ったあの場所だ。
口にたまっていた唾をゴクリと飲み込んだ後、僕はそのうるさい場所へとゆっくりと一歩一歩向かっていった。
入り口を前にして、壁際から除くようにその部屋の中を伺った。
電子音の渦に混じって、プラスチックでできたボタンを叩く音が耳に入ってくる。
手前の筐体に目を向けてみると、そこにはなんとスーツを着たサラリーマン風の男が座っていた。ブラウン管の画面に鋭く目を向けて、必死にボタンを叩いたりレバーを傾けたりしている。
今日は僕以外にも人がいるのか。
当たり前のことではあるが、昨日のあまりの寂れっぷりが強く印象に残っていたため、ここに僕と水野さん以外の人がいる光景は想像していなかったのだ。
来客はこのサラリーマンだけじゃない。真ん中の方に目をやると、ニット帽をかぶった若い男がゲームをしている。あの台は確か昨日僕が座っていたところ・・・・彼がやっているのはファイナルファイトだ。ボス戦を戦っているのか知らないが、ニット帽の男は必死な顔に汗を浮かべながら画面に向き合っている。昨日の僕もはたから見たらあんな感じだったのだろうか。ちょっとだけ恥ずかしい気持ちなったけど、僕が熱くなったゲームに同じく熱中してプレイしている人を見つけて、どこか嬉しくもなった。
他にも、壁際の方にもまた一人男が座っている。白と黒のストライブのTシャツと年季の入ったジーパンを着た、40くらいのおっさんだ。やっているゲームは・・・・・両隣の筐体から察するにシューティングだろうか? 表情を変えることなく画面を見つめながら淡々と手を動かしている。なんとなくだけど、この人はゲームを僕の何倍もやり慣れている人な気がする、そんなオーラがする。
他にも誰かいないかと部屋の中を見回して見たが、他にはいそうにない。
サラリーマンの男とニット帽の若者、そしてジーパンのおっさん、この3人に僕を加えた4人がどうやら今ここにいる人数のようだ。
昨日の寂れ具合から考えればこれでも随分と賑やかなように思えるが、室内を見終わった僕が真っ先に感じたのは物寂しい気持ちだった。
ドアを押す前に思い描いていた少女の姿を、見つけることができなかったからだ。
まあそう毎日ゲーセンなんかにいる女子の方が珍しいんだし、今ここにいなくてもそれは当然の話だ。今日会うことができなくても、通い続ければいつかまたバッタリ鉢合うってこともあるはず。そう気を落とすこともない。
とりあえず、今日はゲームをやることに専念しよう。
僕は外の壁に隠すようにしていた自分の体を部屋の中へと押し込み、筐体の群れへと入っていった。中の男たちは3人とも自分のゲームに忙しいようで僕が現れたことを気にも留めずに画面に顔を向けたままでいる。気に留めないというより、おそらく僕の存在に気づいてすらいないのかもしれない。
そんな彼らのプレイを邪魔しないよう気をつけつつ、僕は物色するようにして筐体を見てまわった。
元々は昨日やったファイナルファイトにリベンジしようと考えていたのだけど、残念ながら今はニット帽の男に使われている。
それなら昨日逃g・・・楽しみを後にとっておくために敢えてやらなかった魔界村をやろうとも思ったが、魔界村はファイナルファイトのすぐ隣だ。知らないニット帽の男といきなり肩を合わせてプレイというのは少しハードルが高い。人で賑わうゲーセンならまだしも、今ここにいるのは僕を含めて4人だ、なるべく隣り同士となる状況は避けたい。
じゃあ他に何か面白そうなゲームはないか。往年の名作と名高いレトロなゲームで溢れているが、種類が多いだけに何からやればいいのか決断を下しにくい。別に1プレイ50円なんだからそんな悩む必要はないはずだけど、かねてよりの優柔不断な性格のせいで座るべき筐体が定まらないでいる。
様々なブラウン管の画面に目を飛ばしつつ、ゲームもやらずに筐体の周りをブラブラうろつく状態が続いていたが、そんな僕の目にふとあるゲームの画面が飛び込んできた。
白い道着に赤いグローブをつけた筋骨逞しい男が素早く力のこもってそうなパンチを投げつける、それを青いチャイナドレスを着た脚の太い女がひらりと跳んで躱す。
男と突き刺すような正拳と女の空を切るような飛び蹴りの応酬、デモ画面に映るその闘いの光景は、さながら舞のように可憐だった。
このゲームの名前を、僕は知っている。
そう、これはかつて一斉を風靡して社会現象までも起こした伝説の格闘ゲーム。
そのゲームの名は「ストリートファイター2」、通称「スト2」。
PS3やPS4の世代に生きる僕だって知っている。格ゲーをしたことがあるなら誰だって知っている、格ゲー界の王とすら言えるゲームだ。
同じシリーズのスト4や5なら僕もやったことがある、しかし当のスト2の実機を目にするのはこれが初めてだ。
さすが昭和からやってきたゲーセン、昭和の代表作を漏らさずにきちんと取り入れている。しかも他のゲームは1台だけしかないのに対して、スト2だけは2台続けて置かれている。かつての時代の人気ぶりがここからもうかがい知れる。
今、ちょうど2台とも画面の前には誰も座っていない。
僕は止まっていた足を急に駆けるように動かし、その台の前の椅子を確保するようにして座り込んだ。
目の前にある画面を見てみると、そこには大きく映し出された“Street Fighter Ⅱ”の文字。
僕は興奮を抑えようと努めるが、自然と口元が開いて緩い笑みが浮かんで着てしまう。
昨日ファイナルファイトも見つけた時もワクワクしたけれど、今の僕は昨日とは比べものにならないほどに体の奥が熱くなっている。
小さい頃から、僕がゲーセンでやるものと言えば格ゲーだった。
ボタン一つで普段の僕が到底できないような動きを繰り出せることの楽しさ、敵と体力を削り合うことの面白さ、そして接戦の果てに敵に競り勝った時の嬉しさ。格ゲーの筐体を前にしていた時の僕は普段の何倍もの汗をかいていて、それでいて充実感に溢れた表情をしていた。
そんな僕が、今スト2の筐体を前にして座っている。
昨日慣れない横スクアクションに慌てふためいていた僕とは違う、これまでのゲーム人生で身につけてきた本当の実力を発揮できる機会が、まさに今訪れている。
キャラとキャラが激突するデモ画面から放たれる光を浴びながら、僕は背中のリュックサックを脇に置いて、その中に手を伸ばして財布をとった。
財布の中には昨日補充した1000円札3枚と小銭がジャラジャラ鳴る程度に入っている。その内50円玉の数は・・・・4枚ある、十分だ。
僕は投入口の横に50円玉を3枚並べ、1枚を指で挟んでつまんだ。
久しぶりの格ゲー、それもシリーズは経験済みとは言えタイトルとしては初めてプレイするスト2、いったい僕はどれだけやれるだろうか。
少し深呼吸。久々の闘いを前にして興奮と緊張が同時に体を揺さぶる。
息を吐いて、体の震えを外に出して、心を落ち着けて・・・・いざ!
僕は指に挟んでいた50円玉を投入口へと投げ込むようにして入れた。
ピロン、の音に続いてボタンを押すと、いきなり世界地図を背景にしたキャラクター選択画面に入った。世界各国から格闘家が集まるストリートファイターらしい演出だ。
僕がスト4でよく使っていたゲン(ケンではない)は残念ながらスト2にはいないらしく、選択可能なキャラアイコンにその姿はない。
仕方がないので他のキャラを使うことにする、どれがいいかな・・・・
スト2は初めてのプレイだから、ここはひとまず王道を征きリュウを選ぶのがベストだろう。昇竜拳や波動拳のコンボなら難なく出せるし、格ゲーの復帰戦にはもってこいのキャラだ。最も、スト2の技のコマンドがスト4や5とは別物だったら厄介だけど、多分その辺りは変わっていないはずだ、問題ない。
よし決まり。僕は白い道着に赤の鉢巻を頭に身につけたリュウにカーソルを合わせてボタンを押した、画面の左に勇ましいリュウの上半身がデカデカと映しだされる。
さて相手キャラは誰かな。
画面が一度暗転したかと思うと、二人の男が左右に向き合って目を戦わせている絵が現れた。
リュウに向かい合って立っているのは、茶色い肌に赤い刺青を入れ、耳にどでかい輪ピアスをはめ首におどろおどろしい髑髏のネックレスをかけた異世界に住んでいそうな人間。インド出身のヨガを極めし男、ダルシムだ。
ダルシム・・・あくまでスト4と5の記憶だけど、確かかなり攻撃のリーチが長いキャラだった気がする。久々のプレイだからと興奮に身を任せて突撃するのはやめて置いたほうがいいな。
緩んだ気を再び締め、僕は最初のステージに臨むことにした。
第一のステージはダルシムの故郷であるインド。ヒンドゥー教にありがちな人間を超越した姿形の神様の絵を背景に、左右の端に巨大な象が何体もずらずら並んでいる。
そんな異国情緒溢れる宮殿を眺めるのもつかの間、画面中央に試合開始を告げる”ROUND 1”の文字が浮き出てくる。
直後にその文字列は消滅し、代わりに”FIGHT !”の文字が現れ試合の幕開けがなされた。
さあ、1年ぶりの格ゲーだ。まずはレバーを左に動かしてダルシムから離れつつ、レバーの傾きとキャラの動きの相関性を掴む。そして隙を作らぬよう気を注ぎつつレバーを上に押し込んでリュウをジャンプさせる。飛び上がる高さとキャラの滞空時間のおおよその感覚を把握し、着々とリュウを満足に動かすための準備を進める。がむしゃらにボタンを押してゴリ押すのはスマートじゃない、キャラの動きと技の特性を掴み上げてやってそのキャラのパフォーマンスを最大限まで引き出して戦うのが格ゲーの醍醐味だ。
さて、基本的な動きはある程度知ることができた。ダルシムもだいぶ近づいてるし、そろそろ腕と足の動きの方も繰り出していかないとな。
迫り来るダルシムにこちらもジリジリと歩を寄せる、こうすることでダルシムの攻撃を誘いリーチの範囲を伺うためだ。
リュウが腕を伸ばしてもギリギリ相手に届かないくらいの距離まで詰まったとき、ダルシムの足蹴りが放たれた。インドのヨガを極めて神秘の力を会得したからなのか、ダルシムの足はゴムのごとくに伸びてリュウの体に触れんとした。
すかさず僕はレバーを後ろに傾けてガード。間一髪で攻撃を防いだ。こちらから物理的に攻撃を仕掛けることはできない距離からキックを届かせるとは、ヨガの力恐るべし。
しかし今の攻防のおかげでダルシムのキックの間合いとこちらのガードのタイミングを把握することができた、まだノーミスでこの流れはいい感じだ。この調子で先制ダメージはこちらがいただくことにしよう。
僕はガードの際に一度後ろに引かせていたリュウを再び横にすべらせて、ダルシムとの間合いを一気に詰めさせた。流れるようにすかさずボタンを軽く二回連打、ダルシムに向かう勢いそのままにリュウの正拳突きが炸裂する。
二発の拳の弾丸はガードに防がれることなく両方ともヒットし、ダルシムを怯ませた。
その隙を僕は見逃さない。
何年ぶりかに入力するこのコマンド、いくら単純な方とは言え今の僕では失敗する可能性は十分にあったが、スト2のデビュー戦を飾るにはこれ以上にふさわしい技はない。
僕はダルシムを前にしてレバーを右、下、右下の三方向に素早く切り替え、レバーが右下を向くと同時にパンチボタンに指を振り下ろしてバチンと軽快な音を鳴らした。
瞬時、リュウが拳を上に掲げたかと思うと、その拳の上にダルシムを乗せ、体を回転させつつ弾丸のように飛び上がりダルシムを空中へと突き上げた。
昇竜拳。
リュウの、そしてストリートファイターの代名詞といっても過言ではない、あまりにも有名なこの技。
昇竜拳は見事に成功し、ダルシムを宙へと放り込んだ。
落下して地面に全身を叩きつけられたダルシムは、起き上がりはしたが頭の上に何やら星らしきものを明滅させつつ浮かばせている。
チャンス! ダルシムは混乱してて動くことができない。
このまま再び空中に浮き上がらせてからのキックとパンチの連打で体力をゴリゴリ削ってもいいけど、どうせならここはあの技を試してみたい。
だいぶ複雑ではあるけど、相手が何もできない今なら失敗してもリスクはない。
機を逃さぬよう手に意識を集中させ、僕は再びコマンド入力の体勢に入り込む。
レバーを下・右下・右に切り替える動作を瞬時に二回繰り返し、最後に右にレバーが傾いた瞬間にパンチボタンを押し付ける。
決まった。
かめはめ波のポーズをとるかのように、両腕に力を込めて手のひらを合わせるリュウ。
一瞬動きが止まったかと思うと、合わせられた手のひらから青白い光が芽生え、直後にリュウの大きな手から溢れるほどの一つのエネルギーの塊となった。
その青白い塊を投げつけるようにリュウは両の手を前方へと突き出した、すると、青白い塊は勢いよく手のひらを離れ、波動となって立ちすくむダルシムへ向かって放出された。
真空波動拳。
波動拳の波動を五つまとめて解き放つリュウの大技が、今ダルシムの腹に直撃した。
波動の衝撃をまともにくらったダルシムは後方へと仰向きのまま飛ばされ、空を見上げる姿勢で地面に倒れこんだ。
ダルシムの体力ゲージは残りわずか、パンチとキックの通常コンボを決めればもう終わりだ。一方リュウの体力ゲージは少しの赤い部分も見えない完全状態のまま。このデビュー戦、パーフェクト勝ちでラウンド1は貰った。
ボロボロな状態で起き上がったダルシムの頭突き攻撃を後方ガードで防ぎ、即座にパンチを連打してダルシムにとどめの連撃を決め込んだ。
最後のパンチがダルシムの体力ゲージを真っ赤に染め上げると同時に、画面に黄色い“YOU WIN!”の文字が点滅して現れた。
ふぅー・・・・・・
僕は体から息を抜いて緊張していた体を落ち着かせた。
久しぶりの格ゲーだったから少し心配していた、衰えてはいないかと不安な気持ちもあったけど、なんてことはない、まだまだ僕の指は闘いのやり方を忘れてはいなかったようだ。
圧倒的なんてもんじゃない、相手に一度も攻撃をくらわせない完璧な勝利。
楽しい。やっぱ格ゲーって すごい楽しい。
ああ、この感じだ。
闘いに熱中していたあの頃によく感じていた、体の内側で血潮が煮えたぎってくる熱い感覚。
一戦が終わるたびに汗を流してている自分に気づいて思わず顔がほころぶこの体験こそ、まさに僕がゲーセンで味わってきたものだった。
この懐かしくて心地よい感覚にしばらく浸っていたい。しかしそれを許さぬように画面は2回戦目の開始を予告している。
僕は緩めていた手に再び力を込めてレバーを握りしめ、立ち上がったダルシムとの次の闘いに意識を切り替えた。
厳しい英語音声での「ファイト」の声とともに、ラウンド2が始まった。
後がないダルシム、自分の置かれた状況に焦っているのか先ほどよりも躊躇のない攻め方をしてくる。
遠くから飛び上がったかと思うと、そのまま体をねじらせて弾丸のような頭突きを放ってきたり、いきなり口から火を吹き出してきたりなど、もはやヨガとはいったい何なのかと疑いたくなる奇想天外な攻撃でリュウを追い詰めてくる。
しかしやられてばかりの僕ではない。真空波動拳のような派手な技は控え、少し距離とってからの波動拳を繰り返すことで地味ながらジワリと相手の体力を削っていく。
相手が波動拳を乗り越えようとジャンプしてこちらへ向かって来ようものなら、すかさず昇竜拳をお見舞いして元の位置へと送り返す。
もしも相手がCPUではなく人間だったらこちらまで聞こえてくるほどの舌打ちが鳴るであろう精神を削る攻撃ではあるが、「このデビュー戦はノーデスで 決める」と先ほどの完封に調子付いて勝手に心の内で誓いを立てていたので、ここはどんな手を使っても負けるわけにはいかなかったのだ。
そうしてそんな作業を繰り返しているうちにラウンド2も難なく勝利。僕のスト2のデビュー戦はノーデス2本勝利、内1試合ノーダメという華々しい幕開けとなった。
フフッ
思わず口から喜びの気持ちの濃厚にこもった笑いが漏れ出る。
そして笑った後でハッとそれに気づいてすぐに口元を手で隠した。そういえば今日は僕以外にも客がいたんだった。
誰にも聞かれてないよな? 恥ずかしい思いでわずかに顔を傾けて後ろの方を見回してみた。
しかし他の客は相変わらず自分のするゲームに忙しいようで目線は微動だにせずにずっと画面に向かっている。僕の笑い声には気づいてもいないようだった。
ガチな人しかいなくて良かった。画面に振り返って僕は安堵のため息をついた。
そんなくだらないやりとりをしている間にステージは次の場面に移っている。次の相手はザンギエフか。以上に発達した胸筋と丸太のように太い腕を持つロシア・・・当時のソビエト出身のプロレスラーだ。
さて、ここからはさっきみたいなセコいコンボには頼らずに僕のコマンド技術を使って連勝を重ねていくぞ。
そしてこのザンギエフ戦もまずは相手の動きととるべき間合いを把握しつつ、こちらがとるべき動きと技を明らかにしていくように努めた。
ザンギエフはそのぶっとい両腕に捕まったが最後、体力をゴッソリと持っていくスクリュードライバーなる技を放ってくるため迂闊に間合いを詰めるのは非常に危険だ。
が、こいつはリュウの波動拳やガイルのソニックブームのような飛び道具を一つも持っていないため、近づかなければ全く怖くない。
つまり、こっちが離れた距離から波動拳をくらわし続けて、相手が間合いを詰めてきたりジャンプしてこちらに向かってきたなら昇竜拳で追い返せば簡単に対処できるのだ。対人戦ならともかく、CPU相手ならこれで十分・・・・
アレ、でもこれじゃさっきダルシム2回戦めでやったセコい闘いと全く同じになってしまうんじゃ・・・・
少し思考。
安全な位置からスクリュードライバーを避けて体力を削る作戦に出るか、それともリスクを犯して接近からの肉弾戦に持ち込むか。
ザンギエフから距離をおきつつ、次のとるべき一手を考える。
確実な勝利か、それとも手に汗握る闘いか。
答えは決まっている。
さっき僕は自分の技術を使って闘うって誓ったばかりだ、ここは賭けに出ないと男じゃない。
僕はレバーをそれまでとは逆の方向に切り替え、ザンギエフの巨体に一気に詰め寄った。
そのまま何度かパンチとキックの合わせ技をお見舞いして先手を奪うが、その連撃は突如として中断された。
ザンギエフの掃除機のごとき吸引力を誇る両腕がリュウの体をガッチリと左右から掴み抑える。
マズイ、捕まった!
ザンギエフと戦うときには誰もが一番恐るあの技、スクリュードライバーが発動してしまう。
反射的にレバーを反対側に押し倒したりボタンを無作為に連打したりして腕の中から逃れようと試みるが、もう遅い。
腕の中でリュウが逆さまにひっくり返されたかと思うとザンギエフの巨体が鈍く飛び上がり、そのまま回転してリュウの首を地面にぶっさすようにして落下した。
痛恨の一撃。リュウの体力ゲージが一気に赤く染められた。
くそっ、やっぱりザンギエフ相手に接近戦は危険だ、一瞬たりとも気が抜けない。
あまりパンチや昇竜拳に頼らずにダメージを与えていかないと。
僕は一度ザンギエフから距離をとり、掃除機並みの吸引力を誇る彼の腕の射程外に陣取った。
そしてその場でレバーをグリグリと動かし特定のコマンドを入力しにかかる。
波動拳と昇竜拳以外にもリュウにはまだ技がある。
遠くからでも攻撃ができる安全性と直接相手に触れる肉弾攻撃の格闘性を両方持つ武術の奥義、竜巻旋風脚!
コマンド入力が成功すると同時、リュウの足が鋼で作られたコンパスのごとく直角に開かれ、足を前に突き出したその状態を保ちつつ高速に回転を始める。
強靭な足が空を斬るかのようなその回転が、目にも留まらぬ速さでザンギエフを襲う!
遠方からの急な接近を受けたザンギエフは受け身を取る暇もなくリュウの強烈な回し蹴りをもろにくらった。
効いてる効いてる。リュウでの対ザンギエフ攻略は波動拳ゴリ押し以外にも手があるようだ。
そうとわかればもうビクつきながらレバーを握る必要はない。僕は余裕を取り戻してその後のザンギエフとの男臭い肉弾戦を楽しんだ。
“YOU WIN !”
よし!ザンギも2本勝ちだ! この調子でどんどん行くぞー
次のステージはアメリカの治安の悪そうなストリート、対戦相手は米軍所属のガイル、パイナップルらしき奇抜すぎる髪型の金髪の男だ。
遠くから放たれるソニックブームをガードで防ぐことに常に神経を尖らせておかないといけないので中々疲れる闘いだ。
遠距離からの攻撃を気にしすぎるあまり、こちらからコマンドを仕掛けるチャンスを何度も逃してしまい、中々ガイルにダメージを与えられない。
対人戦なら隅にこもってソニックブームを連発して相手の体力をわずかでも削り、そのまま時間切れによる判定勝ちを狙ってもよし。はたまた相手がソニックブームを抜けてこようものならジャンプの隙をついて反撃に出てダメージをえぐり取ってもよい。このいわゆる最悪の不敗戦法、「待ちガイル」を擁するガイル。(これを対人戦で実行すればゲームの外から飛び出てプレイヤー同士のリアルファイトに発展しかねないのでオススメはできないが)
その伝説はかねがね耳にしていたけれど、まさかスト2のガイルがCPU状態でもここまで厄介な相手だったとは。以降の作品でろくな強化もなされず不遇な扱いが続いたのも今なら納得できる。
神経を削る攻防戦がしばらく続いたが、なんとか今回も2本勝ちで乗り切ることができた。
今回はこちらの体力ゲージも黄色がわずかに残ってるだけのギリギリな勝利となってしまったが、勝ちは勝ち。シリーズの経験者だとはいえ、スト2のプレイ自体は初めてなことを考えれば上々の流れと自己評価しても過大ではないはずだ。
よし、では次。
次のステージは中国、怪しげな路上の売店を背景にした中国らしい雑多な場所だ。今度の対戦相手は春麗、スト2では唯一の女性キャラだったということもあり、女性キャラの増えた今でもシリーズのヒロイン的扱いをされることの多い人だ。見所はなんといっても脚の太さ、3Dで描写された時もそのあまりの太さに始めはずっと気になっていたけど、ドット絵でもはっきりと分かる太さに今一度感心してしまった。まあこういうの好きな人もいるかもしれないし、あまり何かをいうつもりはない。紅一点のキャラに太ましい属性を投入するのは思い切り過ぎている決断だとは思うけど。
さて、そんな彼女の筋肉で盛り上がった脚に見とれている間に試合開始、慌てて力を抜いていた手に意識を入れ直してレバーを握る。
今度もこちらからパンチをまずお見舞いしようと相手との距離を一気に詰めにかかる。レバーを右に倒し、リュウを春麗の方に滑らせた、キックなら届きそうな距離まで近づいた。
今だ!
僕は機を逃さぬよう瞬時に指をキックボタン目がけて発射した。
しかし直後に僕の目に飛び込んだ光景は、リュウが果敢に蹴りを決める勇姿ではなく、むしろ空に浮かぶ春麗にかかとを頭にふり落とされてよろめくリュウの姿だった。
瞬時、僕はレバーを全力で切り替えてリュウを春麗の射程範囲から脱出させる。
こちらのキックが不発した?
これまで味わったことの無い感覚を味わい、若干狼狽した。
しかしそんな僕を余所に春麗はまたもこちらへ接近を仕掛けてきた。
このまま走ってくるとしたら、間違いなく正面からの蹴り攻撃だ。
ダルシム、ザンギ、ガイル戦でスト2の戦い方をあらかた掴んでいた僕の脳が、次に画面に現れる光景を頭の中に描写した。
僕はその絵に従って、ちょうど正面に蹴りがなされるタイミングに合わせてガードの姿勢をとった。
しかし画面の中の春麗はそんな僕の予測を嘲笑うかのように動いた。
彼女が蹴ったのはリュウではなく、地面だった。
反発の力で宙に浮かんだ青いチャイナガールは、そこから凶器になり得るほどに太く鍛え上げられた脚を真っ直ぐに伸ばし、リュウの頭上へと振り下ろした。
ガードのタイムングがずれた今、重力を身にまとい勢いづいた彼女のかかと落としはリュウの頭を直撃し、衝撃でリュウは地面にバッタリと倒された。
クソ、相手の攻撃を全然防げない。
思わずレバーを握る左手に力がこもる、ボタンのすぐ上に浮かんでいる右手も微かに震えだした。
二度の足蹴りをくらって気づいた。これまでのキャラと違って、春麗は空中からの攻撃がメインウェポンなのだ。
今までのように2次元的に攻撃を捉えてガードをするだけでは不十分で、相手が空中技を仕掛けてくる時のことも考えながらガードをとらないといけない。
ビギナーズラックに浸っていたせいで、こんな格ゲーでは当たり前の心がけをすっかり忘れていた。スーファミ時代のゲームとたかを括って油断してたらやられる、これまでとは違う特性のキャラだということを念頭に置いて慎重に勝負に臨まないと。
さあ仕切り直し。消沈状態のリュウを素早く立ち上がらせ構えの姿勢をとらせる。
相手はまだ近くにいる、このまま逃す手はない。僕はさっさとコマンド入力を済ませて反撃の一手に出る。
二度も足蹴りをくらわせて満足げに勇みたつ春麗に向かい、高速の竜巻旋風脚。
ガードされることなく見事にヒットし、ようやく春麗の体力ゲージに赤色をつけることに成功する。
そこからはこれまでとは比較にならないほどに緊迫した武術と武術の激突が繰り広げられた。
こちらが接近戦に持ち込もうとすれば相手が上に躱して空中技を決め込もうとしてくるし、相手が遠ざかろうとすればこちらが波動拳や竜巻旋風脚を即座に放ち追撃を仕掛ける。
一進一退の攻防、両者とも一方的な展開をつかむことなくジリジリとゲージを削り合う試合を展開していく。
そして残り時間が2桁を切った直後、ついに春麗の上段蹴りが発動するとともにこちら側のゲージから黄色が消滅した。
画面に映るは倒れこんだリュウの姿。
4戦目にして、初めて黒星をいただくことになった。やはりこの試合は一筋縄ではいかない。
久しぶりの格ゲーでの敗北を味を噛み締め、僕の中で闘志が燃えたぎる。
このやりつやられつの緊張感こそが格ゲーの醍醐味だ。面白い。
次は絶対に勝つ。僕は再びレバーを握り直し二回戦目に備える。
試合再開を告げる音声が聞こえた瞬間、僕は目にも留まらぬ速さでコマンドを入力、遠い間合いからの竜巻旋風脚で春麗に襲いかかり、先制攻撃を食らわせること成功する。
相手へ近づいたのにそのまま下がるのは勿体無い、ここからさらにもう一つ仕掛ける。相手のとの間合いを詰め、手の届く位置に入り込んで・・・・・今!
昇竜拳を発動、春麗を空に浮かび上がらせる。
春麗の体が地面に落ちきる前にパンチで追撃、相手のゲージを少しでも多く削る。
2ラウンド目開始からまだ10秒と少し、すでに春麗の体力は半分近くまで削られている。先制攻撃の流れにうまく乗ることができた、大きなアドバンテージだ。この流れをもう一度作るのは無理だろう、後は堅実に攻めていくのがベストだ。
間合いを詰めて相手の出方を伺い始めるリュウ。
一方で試合開始早々に生んでしまった体力の差を少しでも埋めようと猛攻に出てくる春麗。
僕は相手の上下左右から繰り出される攻撃のガードに追われるが、いくつかの蹴りを防ぎ漏らしてダメージを負ってしまった。
まだまだ相手の方が手負いが多いとはいえ、先ほどの試合を考えると油断はできない。少しリュウを安全な位置にまで下がらせる。
そんなリュウを前に春麗は何やら不穏な動き。ジリジリと距離を詰めてきてはくるが、彼女の足の届く範囲にまでリュウに近づこうとはしない。
一体何をしているんだ?
僕は奇妙に思いながら対戦相手の謎の動きをしばし注視した。
すると、突然春麗が体を上下逆さまにしたかと思うと、その姿勢で猛烈に回転を始めてリュウへと台風のごとく飛びかかってきた。
事態の急変に一瞬虚を突かれた僕だったが、すぐに襲いかかる台風からリュウの身を守るためガードの体勢を作ろうとする。
が、間に合わない。
疾風の速さで画面を横切る春麗の竜巻が、リュウを切り裂いて通り過ぎる。
こちらの体力ゲージが一気に削られた。
春麗・・・そういえば空中攻撃だけじゃなくて遠くから間合いを一気に詰める技も彼女は持っていた。
そうとなると不要に間合いを置くのもあまり得策ではない。
お互いに体力は半分以下だ、ここは得意の接近戦に持ち込んで反撃の隙も与えぬ連撃でゴリ押しにかかるのが最善策だろう。
そうと判断するが早いか、僕はレバーを台風の過ぎ去った方へと押し込み、春麗との近接戦を仕掛けにかかった。
中距離からの波動弾。
相手がガードした瞬間をついて近距離への接近。そこから素早く昇竜拳。
相手の対空時間を利用しての普通攻撃の連打。
一連の流れを途切らせることなく成功させ、春麗のゲージを残り少しまで削り取ることができた。
あとは一つ大きな技でも決めればこのラウンドは勝ち取ることができるだろう。
さあ、何で決めるとしよう。
波動拳では火力不足、昇竜拳は何度も使ったから新鮮味に乏しい、ならば竜巻旋風脚でとどめをさすことにしようか。
台風相手には竜巻で。
僕は竜巻旋風脚のコマンドを入力しようとレバーを握りしめた。
その瞬間、僕の頭にある考えが浮かんだ。
いや、竜巻旋風脚よりももっと華々しい絵で勝利を飾れる技があった。
真空波動拳。まだダルシム戦で一度使ったきりの大技が残っていたじゃないか。
レバーを6回も切り替えるこの大技、ド派手な最後を作るにはもってこいの技だ。
しかし、コマンドの入力の難しさを考えるとここで発動するのはあまりにもリスキーだ。
一度ラウンドを取られているため、ここで負けたら僕はゲームオーバー。
残っている体力だってそう多くはないから失敗すればその流れで負ける可能性は大いにある。
それに、春麗の残りの体力を考えると真空波動拳はオーバーキルだ。わざわざ難しいコマンドを入力して真空波動拳を出さずとも竜巻旋風脚をくらわせればこのラウンドは勝つことができる。
状況を整理して冷静に考えればここで真空波動拳を使うのは「無い」選択肢だ。
そう、不合理に満ち満ちた馬鹿げた考えなのだ。
ここで真空波動拳を使うのはありえない。
はずなのに。
頭ではそうと分かりきっているのに。
なぜか真空波動拳を決めて悠然とそびえ立つ白い道着の武道家の姿を描く妄想が渦を巻くようにして僕の内を駆け巡っていた。
そして、何を考えるでもなく、気がつけば僕の手は一つのコマンドを入力すべく動いていた。
レバーは下に傾き、次いで右下へ、そして右へと電流のようにバチっと切り替えられていく。そして右に倒されたレバーは再び下へと倒されて元の動きを繰り返す。
このコマンドは、真空波動拳の発動するためのものだ。
あまりに無茶な選択、もし入力に失敗すれば相手に攻撃を与えることもできず、むしろ失敗により生じた隙を利用されてこちらが倒される可能性すらある。
果たして上手くいくのか。
レバーの向きは下から右下へ、そして右下から右へと到達する。
レバーが右を向くまさにその瞬間、すぐそばでボタンの打ち付けられる大きな音が鳴った。
真空波動拳のコマンドを締める最後の作業、レバー右と同時のパンチボタン。
コマンド入力は成功! リュウの派手な幕引きの儀式がこれから行われる!
全身の力が込められたリュウの手のひらに集まったエネルギーの塊が、波動となって春麗へと向かうその光景が、今、まさに______
____しかしその光景はいつまでたっても始まらなかった。
画面に映っているのは、ただ春麗を前にして棒立ちで立ちすくむリュウの姿だった。
な なんで!?
確かにコマンド入力は成功したはず。
一瞬のうちに混乱の波が全身を打ち付けた。
一体どうなっているんだ?
僕は両目を画面から台の上 ___自分の両手へと向けた。
そして、驚くべきことに気づいた。
パンチボタンを押したはずの僕の右の中指は、その一つ隣のキックボタンの上に乗っていた。
つまり、コマンド入力の最後の最後でパンチではなくキックを入力してしまったために真空波動拳は発動しなかったのだ。
波動をその手に握っているはずだったリュウの手は、今、寂しく空気をつかんでいた。
突如舞い降りた一斉一隅のチャンスを春麗は見逃さなかった。
コマンド入力失敗で隙が生じたリュウに向かい、先ほど放った台風のごとき回し蹴りを食らわせにかかる、当然ガードをする暇もない、攻撃はリュウに直撃した。
その勢いに乗って春麗は自慢の足で百烈の蹴りを放つ。回し蹴りで宙に浮かされたリュウの肉体に蹴りの一つ一つが突き刺さる。
最後の蹴りがリュウの体から離れ、リュウは地面へと叩きつけられた。
それと同時にリュウの体力ゲージから黄色が消え、画面にはこのラウンドの終了を知らせる“YOU LOSE”の文字が眩しく輝いた。
試合結果、春麗の2本勝ち。リュウの、僕の負けだ。
ため息をつく暇もなく画面は暗転し、ボコボコに顔を痛めつけられたリュウの上半身がおもむろに映し出された。
リュウの右ではでかでかと光る数字が次々と一つずつ数を下げて移り変わっている。コンティニュー画面に来てしまったようだ。
「あー、あと一撃与えれば倒せたのに惜しかったねー」
「ホント、普通にやってれば倒せたはずなのに・・・とりあえず今回は予備のコインもあるからもう一回挑戦して・・・・ て、え?」
僕はコインを投入口に入れようと掴んでいた手の動きを止め、謎の声がやって来た方に顔を振り向けた。
直後、僕の右手は開き、掴んでいた50円玉は真っ逆さまに落ちた。
固い地面に金属のぶつかる音が、あたりにキーンと高く響いた。
ショートヘアーの赤い髪にクリンとした丸い目と細い鼻筋、埃まみれの室内と対をなすかのような透き通る白い肌。
そして僕の高校と同じ女子の制服。
目の前に見えたのは、昨日ここで見た光景と全く同じものだった。
水野さんが、今、僕の目の前に立っていた。
僕は唖然として、彼女の方を向いたまま固まった。
「・・・・・・・ねえ」
「えっ」
「コイン、入れなくていいの?」
「あっ」
僕はいつの間にか意識の外に押し出されていたゲームの方へ慌てて目を向け直した。
しかし、僕が目を直したと同時に画面の数字は0を示した。
画面は情け無用に暗転し、すぐに最初のタイトル画面へと切り替わった。
「あ」
「あー」
「・・・・・」
「・・・・・なんかゴメン」
「えっ、いやっ・・・・・・」
タイトルの映し出されたブラウン管の画面を申し訳なさそうに見つめながら、少女は小さな声で謝った。