第6話 放課後、学校にて
_____水野ヒカリ、昼過ぎの教室
「・・・という訳で午後のホームルームはこれで終わりだ」
窓から差す光の少し弱まった昼過ぎの教室に、午後のホームルームを終える山田先生の声が渋く響いた。
そんな先生の言葉をよそに僕は窓際のある男子の席へと目を置いていた。
時田くん。相変わらず彼は黙って顔を前に向けたまま動かないでいる。
結局昼には一緒に話すことができないままになっちゃったな。
放課後に一緒に話すことができればよかったんだけど、今日に限って委員会の集まりがあるんだよなー・・・
口惜しさを感じさせる細まった目を時田くんの背中に向けたまま、僕は黄昏の時間のホームルームをじっとして過ごしていた。
「・・・いや、一つ言い忘れてた。次の日の朝からは俺がホームルームを始めた時点で席についていなかった者は問答無用で遅刻扱いにするから、気をつけておくように」
特定人に言い聞かせるような語気をたっぷり含んだ先生の言葉を受けて、クラスの生徒は乾いたような笑い声を吐き出すとともに、目線をこちらに向けてきた。
「だってよ水野さん」
「いや私だけに言ってる訳じゃないし」
「やべーじゃん水野、これから毎日遅刻扱いじゃね?」
「いや何でこれからも遅刻ギリギリに来るの前提な・・・のよ」
語尾を「なんだよ」と男の喋り方としてしまわないよう、意識して男子のイジリにノッてやって答えた。
全く、本当は今そんな気分じゃないんだけど。
「では今日はこれで解散だ。部活のないやつは気をつけて帰るように」
先生がそう言い放つと、クラスのみんなは一斉に席を立った。
ある人は教室を出て部活へと向かい、ある人は友達の席へと向かい一緒に帰る約束をしている。
例えば、僕の方へとまさに今小走りでやってきたナツなんかがそうだ。
「ヒカリ! アタシ今日部活無いから一緒に帰ろ!」
イエス以外の返事など一切考慮にないといった様子でナツは輝かしく見開かれた目をこちらへと向けて言う。
いつもの僕なら二つ返事で了承しているところだが、残念ながら今日は放課後に学校に用事を残している。
「あーナツごめん、今日は美化委員の方でやることがあるの」
「えー つまんねーのー」
「今日はメグと一緒に帰らないの?」
「メグは部活だよ ぶ・か・つー、書道部だよ」
「そうなんだ、まあたまには1人で帰るってのも悪くはないよ。私だって2人が部活の日はいつも1人で帰ってるし」
「いやいやナツ様を見くびんなよ、部活に友達いるから2人がいないならそいつらと帰るっつーの」
今の僕の顔はおそらく、いかにも物思いをしていると言わんばかりの思わせぶりな表情をしているはずだけど、ナツの方はそれに全く気づいていないかのごとくに溢れる快活さを僕に叩きつけるようにして話し続けた。
「さすがハンドボール部のエースは違うね」
「ヒカリもウチの部に入ればそいつらみんな友達になるぜ!」
「いやー遠慮しとくよ、なんかみんな元気に溢れすぎてそうで私なんかが中にいたら窒息死しそう」
「んなことないってー」
他愛もない絡み合いを続けていた僕たちだったが、それを外から見ていた男子がこちらへと近づき、軽い語気で会話に割って入った。
「あー、水野さん、盛り上がってるところ悪いけどそろそろ委員会の集まりが始まる時間だぜ」
「あっ、ごめん千葉くん。ついうっかり」
若干腰を低くして、女子が男子に接せられる時に感じる威圧感を抑えるような姿勢で僕に話しかけてきたのは、同じくこのクラスの美化委員の千葉くん。
身長は僕より5センチほど高く、短く切られた黒髪の印象爽やかなテニス部男子だ。
同じ委員会に所属しているということで、クラスの男子の中では一番僕に気兼ねなく話しかけてきてくれる子だ。
女になったとはいえ、心は男のままの僕にとってやはりずっと女子とばかり話していると少し気疲れしてくる。千葉くんみたいなよく話す男子が存在していることは僕としても助っていた。
「いやいや大丈夫だよ、今から行けば間に合うから」
「うん、今すぐ準備するね。ごめんねナツ」
「わかったよ、んじゃアタシはもう行くわ。そっちも美化活動頑張ってきて」
「頑張ってくるよ、んじゃまた明日ね」
「水野さん明日は土曜だよ」
鼻で笑うようにして千葉くんがご指摘をくれた。
「あ、違う、また来週ね!」
「ハイハイw またね」
ナツも鼻で息を殺した笑いを作って、こちらを水に後ろ手を振りながら教室を出ていった。
「水野さんて見た目に似合わず抜けたとこあるよな」
「えっ!? そ、そうかな・・・?」
「いやからかってる訳じゃないけどな、俺は水野さんのそういうとこ面白くて好きだし」
「あ、ありがとう・・・なのかな?」
「どういたしまして」
「ありがとうでいいんだ・・・」
恋愛的な意味で言ったんじゃないってことは分かってはいるけれど、男子から「好き」と言われるのはやっぱり・・・なんとも言えないな。
なんで恋愛的な意味じゃないと分かっているのに抵抗があるのかというと、男時代にそんな言葉を言われた経験が皆無だからだ。
女子同士ならともかく、男同士の友情関係ってのは親密であれば親密であるほど互いを褒める言葉なんて使わないものだ。男同士の場合は、バカとかアホとかいった汚い言葉が褒め言葉の代わりになるものなんだ。
だけど、女になって女子からも男子からも褒め言葉をいただくようになった。
今の千葉くんの「好き」って言葉もそう。
男子の場合は男友達に、たとえ友情的な意味であったとしても「お前のこと好きだぜ」なんて言葉絶対に言わないし、そんなの不自然だ。
けれど女子の場合は女友達同士で平気で「好き」なんて言葉を使う。何か友達がおしゃれな着こなしをしていたらすかさずみんな口を揃えて「キレイ」だとか「カッコいい」といった褒め言葉を投げかける。(女になって初めて知ったことだけど、女子にとっても「カッコいい」という言葉は褒め言葉となるらしい)
だから、女子になった今となってはこれまで人生で言われてきた総数をゆうに上回るほどの「お褒めの言葉」を受ける毎日で、ここに男女の違いをまざまざと感じさせられる。
そのギャップは新鮮なものではあるけど、そんな気遣いが男として過ごしてきた僕にとってはどこか疲れるものでもあるのだ。
もし男同士の会話が女子のものと同じく、褒め言葉にまみれた「心地よい」ものであったなら、千葉くんの「好き」との言葉を僕は何も気に留めずに受け取っていたかもしれない。
でも、そんな会話とは無縁に生きてきたので、女となった今でも千葉くんの言葉にも敏感に反応してしまうのだ。大半の女子は即座に社交辞令の一種と判断して澄ました顔で受け取れるんだろうけど・・・
まあその内慣れるでしょ、あまり考えないことにしよう。
「あ、待たせてごめんね千葉くん。今準備終わったからいこっか」
「おう、行こうぜ」
教科書を詰め込んだスクールバッグを肩にかけ、私はドアへと少し速さを見せるようにして歩いていった。
廊下に出る直前、僕は振り向いて窓際のあの席へ目を向けた。
しかし、当たり前のことだけど、そこにはもう時田くんの姿はなかった。
僕の鼻から微かに殺したような空気が漏れた。
結局、今日は一言も話すことができなかったな・・・・
「水野さんどうしたの?」
「いや、なんでもないよ。 いこ」
わずかに人が残っていた教室を跡にした僕たちは、暗い廊下を渡り委員会が行われる教室へと向かっていった。
「しかし水野さんが美化委員に入ってくれて本当に助かったよ、それまで俺一人でクラスの仕事やらされてたんだぜ」
「私は途中から転入してきたから、委員会の中で唯一人手が足りてなかった美化委員に強制的に入らされたんだ。なんで美化委員だけこんなに人気がないの?」
「そりゃ、この委員会だけ他より活動回数も多いし、活動内容もトイレからプールの清掃まで幅広くてんこ盛りだし、名前とは裏腹にこんなに汚くて面倒臭い委員会なんてやりたがるやつ誰もいないでしょ」
「確かに私たちだけ他の子より委員会活動で残されること多いなとは思ってたけど、そういうことだったんだ・・・」
「そ、そいうこと」
「でもなんで千葉くんはそんな美化委員をわざわざ選んだの? 私の場合は選択肢がなかったから仕方がないけど」
「俺は部活入ってるから委員会に時間取られるのはご免でね、最初は一番活動回数の少ない選挙管理委員会にしようとしたんだ。でも同じような考えのやつが他に5人ほどいてね、じゃんけんで決めることになったんだけど残念ながら負けて余り物から選ぶしかなくなって、その余り物を決めるじゃんけんでも負けて、最終的に残った美化委員に晴れて任命されることになったわけ」
「それは運が悪かったね」
「最初は本当にそう思ったよ、毎週のように委員会に駆り出されるし。でも、今は美化に入って良かったって思ってるけどな」
「へー、どうして?」
「こうやって水野さんと話すことができるしな」
「それは・・こっちとしても、よ、よかった・・・」
・・・・これも褒め言葉の一種だよね?
字面通りに受け取ると告白とも考えられちゃうし、やっぱり女子になっての会話って難しい。
「いやマジでそう思うよ。会話が盛り上がったときの水野さんの喋りって聞いてて本当に面白いもん。なんつーか女子と喋ってるときに感じるような壁があまり感じられないんだよなー」
「えっ!? それって__」
「いや男っぽいて言いたい訳じゃないんだよ、気を悪くしたらゴメンな。なんというか、普通の女子相手に話してもノらないような話だって、水野さんとなら凄く空気が上がるし楽しく続けられるんだよな」
そりゃー、元々男ですからね 僕。
というかバレたのかと思った、焦った。
「普段の水野さんも元気で溢れてるけどさ、あれでも実は抑えたりしてるの? 話が弾むといつも以上にノリが良くなるっていうか」
普段は男らしさを抑えて話をするように努めているけど、話が盛り上がってくるとどうも無意識の内にリミッターが外れて素の僕が顔を覗き出して喋り始めるらしい。
千葉くんと話すときはこれから注意しないとな・・・
「いやー何も抑えてなんかいないんだけどなー。千葉くんと話してる時は楽しいから自然と私も盛り上がっちゃうだけじゃない?」
僕の内面の話をごまかすために、慣れない「褒め言葉」を使ってお茶を濁してみた。
あまり僕の内面を詮索するような話は避けたい。まさか向こうも僕の中身が男だなんてことは考えてもいないはずだけど、念には念のため不自然さを臭わせる芽は全て摘んでおく。
「・・・・・・・そうか」
ん?
さっきまであんなにテンション高い喋り方してたのに、急に落ち着いた空気になっちゃった。笑顔で緩みきっていた顔の表情も、心なしか固くなっているような・・・・
また何かまずいことでも言っちゃったかな?
やっぱりお世辞なんて慣れてないこといきなり言うもんじゃないな。
「えーと、千葉くん?」
「んっ!? どうした水野さん」
「いやなんだか急に雰囲気変わったなー・・・・て思って」
「あーごめん、ちょっと考え事してた。気にしないで」
「あ、そうだったんだ。よかった、てっきり煽り言葉と受け取られたのかと思った」
「水野さんが煽りなんてやる姿想像したことすらねーよw」
「うん、うん、私はそんなことしないからね」
まあ煽りというかイジリだったら男時代には友達同士でやりまくってたけどね。
「あ、もうすぐ教室着くよ」
「おし、今日は会議やった後にプール清掃の準備だけして解散ってとこだろうな」
「早く終わるといいね、千葉くん部活あるもんね」
「ホーンとそれ。あんま練習遅れると残って自主練させられるからとっとと済ませねーと」
「テニス部って結構厳しんだ」
「この前に他校と試合したんだけど2年だけボロボロに負けちまってさ、先輩のしごきがすげーんだよ最近」
「お疲れ様です」
「水野さんはこの後はなんかあるの?」
「私は特に何もないよ、終わったら帰るだけ」
本当は“やること”はちゃんとあるんだけどね。
「いいなー羨ましい」
「ハハ、早いとこ終わらせて部活いっちゃお」
澄ました笑いを作った僕は、足早に委員会が行われる教室へと駆け寄り中へ入っていった。
「7組の二人、遅いですよ」
教室に入るや否や、僕らはメガネをかけた女の委員長の先輩の冷たい声色の歓迎を受けた。
「あーごめんなさいッス先輩」
「す、すみません」
「これから会議を始めるので急いで空いた席に着いてください」
既に着席した他の生徒の突き刺すような視線を避けるようにして、僕は小走りで近くの席に着いた。千葉くんの方はあまり慌てる素振りも見せずに、僕の隣の席が空いてるのを見つけるとこっちに歩いてきてそのまま座った。
「怒られちゃったな」
小さな声で千葉くんが呟いてきた。
「遅刻で怒られるのは慣れっこだから大丈夫」
僕も冗談を呟いてそれに返した。千葉くんは肩を小さく震わせてニタニタ顔で笑っている。
「では揃ったところで、これから会議を始めるので私語は慎みながら私の話を聞いてください」
委員長がメガネの奥から睨みつけるようにして千葉くんを見ながら冷徹な声調で語りだす。千葉くんは肩の動きをピタっと止めて話を聞く姿勢に転じた。
その様子を見て満足した委員長は、黙々と今日の議題とこれからの活動の予定について事務的な口調で話し続けた。
しかし委員長の話は僕の頭をするりと突き抜けて何処かへ行っていく。
今、僕の頭の中はこの後に行くあの古びたゲーセンのことで一杯で、他のものが入り込んでくる余地はなかった。
ああ、早くスト2をやりたい。昨日すんでのところで阻止された僕の15連勝を、今日こそは成し遂げてやらないと気が済まない。
50円玉は十分用意してきた、今日は思う存分に闘いまくるぞ。
女子高生の外見の内に潜む、格ゲーに燃える男の子としての僕のハートが、これから待ち受ける闘いの場面を想像してドクドクと鼓動を刻み始めた。
ここで僕はあることに気がついた。
もしかしたら、彼もあそこにいるかもしれない。
年代物の、スマホアプリにしか触れない高校生からすれば化石としか思えないようなゲームが立ち並ぶ場所、そんなところに彼は一人で現れた。
時田くんは確か、僕と同じく部活に入っていなかったはず。今頃あそこにいてもおかしくない。
いや、きっといるはずだ。
なんの根拠もないけど、なんだかあの子は僕と同じような性格をしている気がするんだ。
昨日時田くんが立っていたあの場所、あそこは確かファイナルファイトが置いてあるところだ。
筐体なら他にもスーパーマリオやツインビーみたいな手軽にできるゲームだってあったのに、その中でファイナルファイトを選ぶ時田くんはとても興味深い子だ。きっとゲームに関して自分の中で何かしらの思いを持っているんだと思う。
なんだか、彼とは気が合うような予感がする。
昼休みに彼がどこにいるのかも分からないし、彼が僕のことをどう思ってるのかも分からないけど、僕の方から近づいていけばきっと意気投合だってできるはず。
ゲーセンのライバル・・・いい響きだな、ちょっとワクワクしてきた。
時田くんと一緒に闘ってみたい、彼は一体どんなプレーをするんだろう。
ああ、今すぐこんな教室を出てあのゲーセンまで走っていきたいなあ。
体から溢れ出そうな気持ちの高揚を抑えながら、僕は時田くんがきっといるであろうあのゲーセンがある場所の方向を窓の向こうに見ていた。
既に街は夕日に赤く照らされていた。