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第2話 ヒカリの朝

夜明け。


地平線から顔出した太陽は、街に覆う暗闇を山の奥へと少しずつ追いやっていく。


冷たかった空気もだんだんと温められ、それを喜ぶかのように小鳥もさえずりを始めた。


今日も朝が来た。


太陽がその姿を現していくにつれ、石のように固まっていた人々の瞼も動きだす。


窓から刺す朝日の光と、冷たいけど暖かくもある、どっちつかずな空気の肌触り。


朝の時間に訪れるこれらの自然のいたずらは、街の人にとっては、今日もまた活動始めよとのサインとなるのだった。


のどかな外の雰囲気とは裏腹に、多くの人にとっては重たくのしかかるサインだ。





太陽が空に昇って数時間、もう、大勢の人間は既にこれからなさねばならない活動のための準備に忙しく取り組んでいるころだ。


街の中は今や、人々の眠気を覚まそうと騒がしいテレビの音や、電車や車が地面を揺らす音で溢れており、小鳥の鳴き声はとうに隅に追いやられていた。



しかし、此の期に及んでもいまだに目を閉じたままの少女が、まだ一人いた。


窓から眩しいくらいに降りかかる朝日と、枕元で何度も鳴り響くスマホのアラームを完全に無視し続ける少女。


誰が決めたのでもない「活動のサイン」なんかには死んでも従わないとの抵抗の意思が、誇張して作っているかのようなだらしない寝顔から伺える。


小動物を捕食でもするのかと思わせるほどに口はアングリと開かれ、その端からはよだれが朝日を反射して輝きながら流れ出ている。


本当に女子なのかと疑いたくなってしまうほど、見てられない有り様である。


だが、見た目は間違いなく女子だ。それも、道ですれ違ったら思わず三度見はしかねないほどにとても可憐で整った見た目をしている。部屋と寝顔は散らかりまくっているのに。


そんな少女の部屋は相変わらずアラームの音が暴れ続けているが、一向に少女は起きる気配がない。


スヌーズは既に5回目に突入していたが、ついにスヌーズを切ることすらどうでもよくなったようである。




ドン ドン ドン ドン

  



そんな少女の部屋に、アラーム音に加えて、誰かの力強い足音が響いて来た。


階段を一段一段蹴る音が入り混じる。音は一歩ごとにドンドンと大きくなる。


その音は少女の部屋の前で最も大きくなり、そしてピタッと止まった。


音の主が静まり返ったかと思った次の瞬間、少女の部屋のドアは勢いよく開かれた。その直後に発せられたのは女性の大きな声



「ヒカリ!!!! いい加減起きなさい!!!!!」


「ヒッ!」



黒髪ロングの女性の力のこもった一喝を受け、少女は長い眠りからついに解き放たれた。


いきなり鼓膜に衝撃波を喰らった少女は、反射的に上半身を一瞬で飛び起こさせた。


頭を混乱させながら目を見開いた少女は、朝の光で部屋が満たされているのを見て、やっと今の状況を理解した。


「やっっっっっと起きたわねこのネボスケ」


「母さん・・・もう少し心臓に優しいやり方で起こしてくれよ。そのままベッドにまた倒れこむとこだったよ」


「そこで鳴ってるアラームの音でも起きないんだから、そんな悠長なことやってたらいつまでたっても起こせないわよ。早く止めなさいそれ、さっきからうるさいわよ」


「へいへい・・・」


少女はまだ重くのしかかっている瞼をこすりながら、アラームを解除した。


「あとねぇ・・・・・アンタ、”もう”、一応女の子なんだから、その寝顔はなんとかした方がいいわよ」


「え、そんなにヤバイ? 僕の寝顔」


「ヤバイなんてもんじゃないわよ。もしそのグシャグシャな寝顔を男が見たら百年の恋も冷めるわよ」


「いやー、いくら見た目が女の子になってからってさすがに彼氏なんて作る気はないから、大丈夫だよ」


「いや女でその寝顔はいつか悲惨な事件を起こすことになるから、頼むから治してちょうだいよ・・・・」


「面倒くさいなぁー、女って」


「面倒くさいと言えば、時間は大丈夫なの?ヒカリ。電車に乗り遅れてもっと面倒くさいことになっても知らないわよ」


「え、いやまだそんな慌てる時間じゃ・・・ってエー!!!???」


時計に目を向けると7時半を指していた。

ギリギリ遅刻を回避するには7時50分の電車に乗らなければならない。


家から駅までかかる時間を考えると・・・・



「10分で支度しないとマズイ!」


「ご飯と制服は下に用意してあるから早く済ませちゃいなさい」


「いや、ご飯食べてる時間無い! 今日はあっちでパン買って食べる!」


「そんなことになると思ってあなたの朝ごはんはおにぎりにしといたわよ、さっさと家出て向こうで食べちゃいなさい」


「さすが母さん!」


机にほっぽっていたカバンを掴み取り、僕は母親に満面の笑みを浮かべながら親指を立ててグッジョブマークを送り、そのまま部屋を走り出た。


階段を2段跳びで駆け下る。1階に到達時に直行で洗面台へダッシュ、歯ブラシに歯磨きを乱暴に乗せ、ミント味の粉を歯に荒々しく擦り付ける。


片手で歯を磨きながら、片手でパジャマのボタンを外していく。

1秒たりとも時間は無駄にしない。遅刻との戦いに常に追われている僕だからこそ為せるようになった技だ。


水玉模様の黄色いパジャマを体から外し、上下とも洗濯機にぶち込む。


鏡を見ると、そこには白い綿製のパンツとスポーツブラジャーをまとった細く締まった体付きの少女が映っている。


女になってから何度も見てきたけど、未だにブラジャー姿の僕には慣れない。


男の頃にはなかったあの胸を締め付けられる感触が、どうにも気になってしまうだ。だから、できればこんなのなんてしないで学校に行きたい。


まあ、しなかったらしなかったで、乳首を襲うあのもどかしい感触が気になって仕方がなくなるのだが。


それに、もし男どもにブラしてないのがバレて変な噂立てられても嫌だ。


水野光変態説が広まって僕が男のオ●ニーのオカズにされるのは勘弁だ。


男だった僕は、男が教室で何を考えているかよく分かる。みんなクールを気取って授業を聞いているけど、その実頭の中では黒ずんだピンク色の妄想を働かせているやつばかりだ。


という訳でなくなくこのブラジャーは外さずに今日も学校へ行く。はぁ・・・早いとここの生活にも慣れないとなあ。



っていけねっ、こんなこと考えている場合じゃなかった、早く歯磨き終えて着替えないと。


僕は口の中に溜まったミント風味の液体を洗面台へと吐き捨て、流れるようにうがいを済ませてリビングへと急いだ。





「うー、制服制服は・・・っと、ここか」


リビングのソファーに畳まれて置かれた制服を見つけた僕は、流れているテレビの番組そっちのけでシャツに手を通し始めた。


するとテーブルで新聞を読みながら優雅にコーヒーを舌づつみしていた父が私の物音に気づいたらしく、こちらに顔を向けて話しかけてきた


「ヒカル、やっと起きてきたか。おはy ってブーッッッッッ!!!!!!!!!」


「あ、おはよ父さn ってええええー!? なに、どうしたの急に!?」


「ゲホッゲホッ・・・ゲホッ!」


「父さん大丈夫?」


「・・・ヒカル、あのな、下着姿で父さんの前をうろつくのはやめなさい。着替えるならお前の部屋で着替えなさい、ゲホッ」


「えー、だって母さんがいつもリビングに制服置いてるんだから仕方ないじゃん」


「それはパジャマ脱ぐ前に ゲホッ 自分の部屋に持って行って ゲホッ 着替えれば済む話だろう」


「だって時間ないし、いちいちそんなことしてたら遅刻しちゃうよ」


「ならもっと早く起きてくればいいじゃないか。いいかヒカル、お前はずっと男として生きてきたから女としての生き方にまだ慣れないのはしょうがない。けどな、私たち家族やお前にとってはそうだとしても、世間の人はお前のことを”初めから女であった人”としか認識してくれないんだ。その辺の恥じらいや分別はしっかりと持っておかないと、社会に出てから割りを食うのはヒカルなんだぞ」


「わかったわかった! 今度から気をつけますー」


「分かればいいんだ。全く・・・ヒヤヒヤさせてくれるんだから」


「しかし実の息子の下着姿見て慌てるなんて、父さんそれは父親としてマズイと思うよ」


「いや、だって今のお前は息子じゃなくて娘だろうが」


「いや娘だったとしても自分の子供の下着姿なんかでコーヒー吹き出すような父親はいないでしょ」


「う、生まれた時から育てて見慣れた娘と、16年間男だったのに急に女になった娘とじゃ話が違うだろう・・・」


「まあ確かにそうかも」


「そういうことだ、分かったらさっさと着替え済ませて学校行きなさい」


「はいはい。あ、あと父さん・・・・もう僕は”ヒカル”じゃなくて”ヒカリ”だから、次から間違えないようにね」


「うっ、そうだったな、ついうっかり忘れてた、スマン」


「母さんはもう間違えずに呼べるようになったから、父さんも早いとこ慣れてね」


「分かった、注意しておく」


父さんと話をしつつも制服を着ていた僕は、最後の仕上げの仕上げに白いソックスを足に通す。

・・・靴下のことソックスって呼ぶようになったのも女体化が原因だな。

さて、支度も終わったし早いとこ家出るか・・・・・・その前に。


「父さん、ちょっとこっち見て」


「ん? どうした」


僕は新聞に目を戻していた父さんをこっちに振り向かせた。

そして父さんに向かってニッコリとした笑顔を作ると同時に、右手を肩のあたりにまで上げて手のひらをヒラヒラと優しく振って見せた。


「・・・???」


「どう? 父さん」


「どうって、何がだ」


「もしクラスであまり話さない女子と街中でバッタリ出会った時に、向こうがこんな感じで手を振ってきたら父さんはどう思う?」


「ん、んー・・・いや別になんとも思わないが」


「変だなとか、女っぽくないとか思ったりしない?」


「変だとは思わんし、女らしくないどころか女性らしい可愛らしい仕草だと思うぞ」


「やっぱそうだよねー・・・じゃあ何で時田くんはどっか行っちゃたんだろ」


「何の話だ?」


「いや昨日ちょっと同じクラスの子と・・・父さんなんか顔赤くなってるけど」


「ヘッ!? き、気のせいじゃないか とと父さん別に熱なんてないからな!というか、お前、時間は大丈夫なのか?」


「へ? ゲッ! 40分!? ヤバイもう行かないと!」


「まったく・・・」


「そういえばアキラはどうしたの?」


「アキラはとっくのとうに学校へ行った」


「あー、そうかアイツは朝練か」


「どこぞの姉さんにも見習ってもらいたいな」


「う、うるさいなー・・・ それじゃ、行ってきます!」


「気をつけてな」


雑に折り曲げて短くしたスカートを履いた僕は、急いで家を飛び出した。

そして駅の方に続く道を、女子高生らしからぬフォームで全力疾走した。





_____水野ヒカリ、電車の中


ああああああ・・・・50分の電車乗り逃した・・・・・・

ヤバイなー遅刻確実だよこれ。


はあ・・・全く父さんと変な話してたせいで家出るの遅れたばっかりに。


嫌だなー、学校行くの憂鬱になってきた。

遅刻ギリギリに教室に駆け込む日が多すぎて山田先生からただでさえ目つけられてるってのに、今日遅刻でもしたら面倒臭いこと言われそうだなー。


それに加えて、昨日の時田くんのこともあるし・・・・・・まさかクラスのみんなに喋ってはいないとは思うけど、もし私が一人でゲーセンで格ゲーやってたなんて話広まったらこれまた面倒臭い。


女らしくを意識して学校で過ごしてきたのに、格ゲーなんて女らしさゼロの趣味にいそしんでいることがバレたら今まで築いてきたイメージが台無しだ。 


せっかく今までは上手いこと過ごせてきたんだから、こんなところでまた失敗してしまうのは何としても避けないと。 



よし、決めた。今日時田くんに会ったら、昨日のことは内緒にしてもらうよう頼もう。


時田くん、話したことはあまりないけど大人しそうな子だし、きっと頼めば協力してくれるはず・・・


うん、そうしよう。教室で話すと人に聞かれるかもしれないから、今日の昼休みに時田くん外に連れてそこで話すことにしよう。

よし、この問題はこれで解決!

 



・・・それにしてもあんな古いゲームしか置いてないゲーセンなんかに一人で来るようなガチ勢が僕以外にもいたなんて。


真岡高校の生徒は女子はおろか、男子すらスマホアプリでくらいしかゲームをやらない人間ばっかりで、ゲーム好きの僕は少し退屈してたけど、同じ志を持ってる子がやっぱり一人はいた。 


時田くん、これまで意識したことはなかったけど、中々面白そうな子かも。




気がつくと僕の胸が少し鼓動を早めている。


遅刻の危機にある僕の焦りがそうさせるのか、それとも、これまでとは違う何かがこれからの学校生活に起こるかもしれないという根拠のない淡い期待がそうさせるのか。 


いつの間にか口元が緩んでいた僕は、少年のようにワクワクを溢れさせた明るい面持ちで、電車の窓の向こうを動く街の風景を眺め続けた。

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