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第1話 思いがけない出会い

頬杖をつきながら窓の外を見ると、夕日が空を焼いていた。


教室の中はたくさんの生徒で賑やかだった。


一緒に帰る約束をする者、部活へと向かおうとする者、机を囲んで駄弁っている者。


色んな生徒がそれぞれのやるべきことをやっていた。

けれど頬杖をついて黄昏ているのは僕だけだった。これが僕のやるべきことだとでも言うのだろうか。


僕は黙って立ち上がり、リュックを背負って教室を静かに出ていった。


廊下、数え切れないほどの生徒とすれ違うが、僕に声をかける者は誰一人としていない。僕から声をかけるべき相手も、同じくいない。


昇降口に着いた、上履きを脱いでさっさと靴を取り出す。


かかとを踏まないように靴を履いて、そのまま校門へと真っ直ぐ向かう。


僕は部活には入っていない。


グラウンドを走る生徒たちを背にして、誰に挨拶するでもないままに僕は校門を出た。


校門から先は、ひたすら伸びる一本道を歩いてれば駅にたどり着く。

遥かな向こうに、点のように小さくなった駅が見える。


これが、僕がいつも通る道だ。


そんな道を僕は、教室から校門までそうしてきたように、誰と話すでもなく、黙って歩く、歩く、歩く。


学校から駅までの道のりには沢山の家々や古びた店、汚い雑居ビルが並んでいるけど、それらの建物の中で僕が頭に思い浮かべられないものは何一つとしてない。



記憶力がいい? そうだったら嬉しいけど、残念ながら違う。


理由、それは話し相手がいないから、これだけだ。

話す相手がいないなら、歩いている間は街の風景を見るくらいしかすることがない。歩きスマホは危ないからね。


で、そんな日が毎日続いていたら、嫌でも帰り道に広がる光景は頭の中に焼き付けられる。 


幸いなことに、この道を歩くようになってから今まで風景が変わったことなんて一度も無かった。新しいコンビニすらできない。だからなおさら覚えやすくて済む。 


下校中の唯一の暇つぶし相手の様子が変わらないままってのは、僕にとってはある種の安心だった。


この景色だけは僕を置いてきぼりにはしない、なんて感じて。


一方、社会の発展から取り残されたかのように代わり映えのしないこの道は、高校に入ってから1年経つのに何も変わっていない僕のことを表しているようで、たまに酷く鬱陶しく思える時もあった。


高校生になって1年も過ぎたのに、僕はこの道をずっと一人で歩き続けていた。 


彼女なんてもっての他、一緒に帰る友人すら手に入れられず、一人この道を歩き続けてきた僕は、入学のあの日から何一つ変わっていない、何一つ得られていない。


そんなことに気づかされると、どうしても鬱陶しさを感じずにはいられないのだ。




…別にこの道は何も悪くない。全部僕がいけないのに。


僕がもう少し勇気を持っていれば、今頃この道ももう少し賑やかなものだったはずなのに。


真岡高校に入学したばかりの頃は僕もまだ人並みの希望を持っていた。


毎日面白い話をしながらいっしょに帰ってくれる友人、休みの日にも会って過ごせる友人、卒業してからも繋がりは途切れることはない、そんな友達がきっと現れるものだと去年の春は思っていた。



でもそんな友達は現れなかった。



クラスのみんなが着実にそれぞれの繋がりを作り始めている中で、僕はただそれを外から眺めていることしかできなかった。


今思えばあそこで何もせず、ただ誰かが話しかけてくれるのを待っていただけの僕に、友達なんて出来る訳がなかった。


あの時のみんなは、それぞれ小さな不安を抱きつつも、それを乗り越えて掛け替えのない繋がりを獲得していったんだ。


僕もあそこで勇気を振り絞っていれば。無限に遠く感じた机と机の間を飛び越えて話しかけていれば。


何もしなかった自分への、そんな後悔は今でも絶えることなく湧き続ける。



でも、もう全てが遅かった。



きっとこれから卒業まで、僕はこうやって一人でこの道を歩き続けるだろう。


僕もこの道も、きっと何一つ変わることなく時間は過ぎていくのだろう。 


そんな考えが僕の脳内をうごめき、心を薄暗くした。



ふと、足元を見ると先ほどより影が黒くなっていた。


夕日は地平線の近くまで沈み、辺りは既に暗くなり始めていた。


僕もゆっくりしている場合ではない。早く駅に向かわなければ。




…そう考えてるのに、足がどうにも重い。

 



このまま駅に歩けば、今日の帰り道もまた、いつもと同じ代わり映えのしないものになってしまう。


今日は、今日だけはこのまま歩いて帰ってはいけないような気がする。


そんな思いが体の内を巡り、僕の足を完全に止めた。 



しばらく止まって、道の先に目を投げていた。



何を見ているのでもない。ただ僕は何をすればいいのか、それを考えていた。


しかし、いざそれを考えてみると全く何も浮かんでこない。


友達がいるならいざ知らず、一人で一体何が出来るというのだろう。


せいぜい、普段は使わない道へと踏み込んでいって、駅まで余計な遠回りをすることで「いつもの光景」を回避することくらいが関の山だ。こんなことをして何になるというのだろう。



それでも、今日だけはいつもの自分でいることには耐えられなかった。


どんな形でもいいから、この道に閉じ込められた僕を外に飛び出させてやらなければならなかった。


僕は小さく何かを決意する。


泰然として、左へと目を向ける。


その視線の先には、奥へと細く続く道がこじんまりと開いていた。

今までは「風景」でしかなかった道、普段は絶対に使うことのない道。


そんな未知なる道へと、今、初めて僕は歩き出した。








その道を一言で表すなら薄汚かった。


道は狭いし、そして心なしか暗い。夕暮れが終わりかけているということを考えても、いつもの道より光の量が大分少ない気がする。


黒い染みの広がった雑居ビルや、昭和からタイムスリップしてきたかのような木造の駄菓子屋、人が誰一人いない中で洗濯機の音だけが虚しく響き渡るコインランドリーなど、普段の道に置くにはふさわしくない建物や店がここぞとばかりに集められている。


僕がいつも歩く道のすぐ近くに、こんな道があったのかと思うと驚いて口が開いてしまう。


そうやって口をポカンとさせて歩きながら辺りを見回していると、奥の方に一際ケバケバしい光の集まりが見えた。赤と青の光が、互いに主張し合いながら僕の目に飛び込んでくる。


一体何があるんだろうと思い、僕は小汚い道を前へ前へと進んでいった。



そのケバい光は、近づくにつれてますます輝きを強める。


目を凝らしつつしばらく歩く。そうしてようやく、その光の正体が分かった。それは、ネオンの光だった。


小さなアパートみたいなオンボロの建物の外壁に、今時珍しいネオン管が、赤と青の光を放ちながら掛かっている。


赤いネオン管は文字を作っている、おそらく店名だろう。その名前は、



「Game Centre MAOKA」



Game Centreの部分は筆記体で、MAOKAの部分は普通の書体で形作られていた。


そんな赤いネオンの光を取り囲むかのように青いネオン管が渦状に配置されている。


この建物も、まるで昭和の世界から飛び出してきたようなゲームセンターだ。


一体、普段の僕はどれだけのものを見落としてきたのだろうか。


こんなレトロ感満載のゲーセンがすぐ近くにあっただなんて、知りもしなかった。  



ゲーム…そう、ゲームか。


勉強も運動も可もなく不可もなくだった僕だけど、ゲームに関してだけは人一倍の技術と情熱を持っていると信じていた。


家庭用ゲームや携帯ゲームはもちろん、筐体の立ち並ぶゲームセンターも小さな頃から大好きだった。


なけなしのお小遣いを使って格ゲーで乱入した挙句、大の大人にフルボッコにされて返り討ちにあった回数も数知れない。当時は涙ぐみつつ理不尽さしか感じていなかったけど、今となってはいい思い出だ。


ゲームでそこまで感情を動かされるような経験も最近はあまり無くなってきたから。


今でもゲームは好きだけど、やっぱり子供の頃にやったゲームの面白さに比べたら少し霞んでしまう。


そういえば最近はゲーセンに入ることもあまり無くなったな。


今のゲーセンは音ゲーが幅を利かせている印象があるから…


どちらかというと格ゲー好きの僕にとっては、なんか場違いになった気がして入るのを避けるようになったんだよな。

でも、このレトロ感に溢れたネオンサインを見る限り、このゲー

センは昔ながらの格ゲーやシューターゲーの筐体が主役なのかもしれない。


そう思うと少しワクワクしてきた。


長い間、もう1年くらいになるだろうか、行ってなかったゲームセンター。


そうだ、久しぶりに入ってみよう。


錆びついた日常から飛び出すには、ちょうどいい機会じゃないか。今日行かないでいつ行くんだ。


僕は入口へと目を向けた。入口のドアは自動ドアじゃなくて手押し式だった。そんなところも昭和な感じだ。


ドアにつけられた黒ずんだガラス窓からは、色とりどりの光が漏れてくる。きっと中にある筐体の画面の光だろう。



行こう。



普段とは違う帰り道に胸を高鳴らせつつ、僕はドアの取っ手に手をかけた。








ゲーセンの中は想像していた五倍は汚かった。


まず、室内の明かりは天井の真ん中ら辺に付いている蛍光灯だけ。白い不健康な光を微かにゲーセン内に漂わせていた。薄暗い。明らかに照明が足りていない。


壁はそこかしこが茶色い染みで覆われている。おそらくタバコの煙を吸いに吸い続けてきたんだろう。汚い。


かなり前から営業してそうな風貌だが、一体今まで改修も何もしてこなかったんだろうか?


いや、そもそもまだ営業しているのか?


そんな不安が一瞬頭をよぎったが、ふと目線を奥の方に投げた時に映ったものが、その不安を払拭してくれた。


目に映ったのは、カラフルな光の踊り。


緑、赤、青、黄色、色とりどりにドットの光を画面から放つゲーム筐体を目にして、ようやくここが本当にゲーセンなのだと実感できた。

僕は筐体の並ぶ方へと足早に歩く。



すごい。



人の世から取り残されたようなさっきのフロントとは全然違う。


通路の奥に現れたのは、そこにもここにも壁一面にも筐体がびっしりと並んだ、まさにゲームにまみれた空間だった。


シューターの機銃の乾いた音、横スクアクションゲーの筐体から流れるおどろおどろしいBGM・・・あれは魔界村かな? 実機で見るのは初めてだ。


他にもマッスルなお兄さんが襲いかかる雑魚どもをパンチとキックで次々と返り討ちにしていく音も・・・あれはファイナルファイトか、これも実機で見るのは初めてだ。


どのゲームの音も、ビット数の小ささを感じさせる荒い電子音ばかりだ。


当然僕の年代とは全くマッチしないゲームばかり。本当に30年前からそのまま時間転移してきたような場所だな。


PS2からゲームデビューした僕にとっては、ここはもはやゲームの歴史の博物館みたいなものだ。


ドット絵のゲームなら一応ゲームボーイアドバンスでやったことはあるけど、こんなに荒いドットのゲームを、筐体のこんな大画面でやったことは流石にない。 


僕は、ある意味新鮮な面持ちで古びた筐体を眺めて立ち尽くしていた。電子音の波に打ちつけられながら。


とても古いのに、とても新しい音。


その音を聞いているだけでも、僕にもまだ残っている男としての本能がくすぐられるのか、心臓の鼓動が若干せわしなくなってくる。 


ゲーム台の前に座る度にワクワクしていた小学生時代を思い出して、自然と緩んだ笑顔が出てくる。




ただ、一つ悲しかったのは、この音の中に人の空気が全く感じられなかったことだ。 


室内を見渡す限り、あるのは筐体ばかりで、人は僕を除いて一人たりともいない。


筐体の前に置かれた赤い椅子、電車の座席と同じような素材の柔らかいクッション付きのあの椅子が、全て、上に寂しい空間をぽっかりと空けたままポツンと置かれている。


今までゲーセンには何度も行ってきたけど、人が誰一人いないゲーセンなんてのは初めてだ。


そして今初めて知ったことだけど、文字通り一人ぼっちでいるゲーセンというのは、どうやらとてつもなく不気味なものらしい。


おまけに、吐息で消せてしまいそうな蛍光灯の貧弱な光と埃まみれの汚い床が合間って、その不気味さをより強力なものにしている。


ここは実はゲーセンをテーマにしたお化け屋敷なんじゃないだろうか。


さっきまでの笑みは何処へやら、急にここにいるのが怖くなってきた。 


でもここで帰るのは気が引ける。ここで逃げては、結局またいつもの変わらない帰り道を変えることになる。


せめて、何か、何でもいいからゲームをしてから帰らないと、僕の中で納得がいかない。


そうだ、やるぞ。筐体に座るのは久しぶりだけど、まだ僕のゲームの腕はそうなまってはいないはずだ。それを証明してやる。


・・・・別に誰が見ているという訳でもないのだが。本当に誰もいないから文字そのままに。


でも、ここで下手くそなプレイをしでかすのは嫌だ。


誰も見てないとか関係ない。これは自分にとっての問題だ。


僕は勉強も運動も大したことはない。人より全く駄目ってことはないが、人に自慢できるようなものでもない。


そんな僕が唯一自慢できるとしたら、それはゲームだった。


子供の頃から、ゲームでだけは他に負けることはほとんど無かった。

ゲームの腕でも、ゲームへの愛情でも、僕は誰にも負けることなんて無かった。


高校生になって色々と腑抜けた僕かもしれないけど、ゲームだけはまだ腐ってはいないはずだ。


・・・出来るはずだ。


僕は決意とともに筐体で作られた通路を歩き出した。


どれもこれも初めて見るゲームばかりだ。魔界村やファイナルファイトみたいに名前だけは聞いたことのある神話のようなゲームが、今まさに目の前に置かれている。


魔界村・・・このゲームの名前はよく聞く。曰く、挫折者続出の鬼畜ゲーだって?


流石に、久しぶりのゲームでいきなりこれをやるのは無謀だよな・・・。



・・・・・・・・・・・・。



どす黒い背景を背に、「PLEASE DEPOSIT COIN」の表記とともにデカデカと掲げられた「魔界村」のタイトルが映し出された画面を見つめながら、僕は自分の中で抑えがたい何かが暴れ出してくるのを感じた。


そいつは暴れながらこう言っている。



「できないって決めつけて逃げるのか? 

本当にそれでいいのか?

お前がゲームに関することで逃げたことなんて、今まであったか?

それは誇れることだ。お前はそれを誇っていい。

でも、お前は今日その誇りを自分で捨てるつもりなのか?」



そうだよな。


始めから答えは決まっている。   


僕は目の前の赤い椅子に座って黒々とした画面に向かい合った。

そう、僕がやるのは、この魔界村だ。


どこまでできるのか、このゲームで確かめさせてもらう。


手を台の前へと置く。レバーの動き、良好。ボタンの感触、問題なし。


さあ、後は100円玉を入れるだけだ。


背負っていたリュックを隣の椅子に置いて、中から財布を取り出した。


僕は、勝負の火蓋を切るコインが眠るその財布を開いた。








衝撃。




財布の中には100円玉が1枚と10円玉が3枚転がっているだけだった。




う、嘘だろ!?


予想外の軍資金の少なさに自分の目が点になった。


この金じゃ1回でも死んだら復活のコイン挿入も叶わず、即ゲームオーバーだ。


これで・・・こんな状態で魔界村をやるのか・・・・・?


僕はもう一度画面へと目を戻す。


相変わらず画面には漆黒を背景にした「魔界村」のタイトルがおどろおどろしく掲げられている。


気のせいか、先ほどよりも威圧的な空気をまとって僕の方を向いている気がする。


さて、どうするべきか・・・・。


・・・・・・・・。




・・・・・・・・・・・・・。


 




よし、決めた。






隣のファイナルファイトをやることにしよう。


 


こんな状態で死にゲーと言われる魔界村を選ぶのは幾ら何でも危険すぎる。


開始から3分もせずにゲームオーバーで退店なんてことになったら、いつもの帰りとほぼ何も変わらない。


それだけは避けなければならない。


そう、これは逃げなんかじゃない。僕はゲームから逃げた訳じゃない。


むしろ逆、ゲームが好きだからこそ、少しでも長くゲーセンに留まれるための道を選ぶんだ。 


もしもっとお金が手元にあれば僕はそのまま魔界村に挑戦していた。


ただ、今の状況を見つめた上で最善の手を考えると、それをするのはあり得なかったというだけだ。無謀と勇敢は似てても別物だ。


だからこれはしょうがないことだ・・・・・・




こうして、誰もいないゲーセンで一人言い訳を済ませた僕は、隣の席に置いていたリュックと自分の位置を入れ替えて、心新たにファイナルファイトの画面へと向かい合った。 


さて、魔界村ほど難しくはないはずとは言え、チャンスが1回であることには変わりはない。


ゆっくりと呼吸を整え、万全の態勢を作り始める。


レバーもボタンもまた触って状態を確認する。よし、問題はない。


やることを全て終えて、ついにコインを投入しにかかる。


傷にまみれたアルミの光が眩しい100円玉が、今、僕の手元を離れて穴の中へと・・・・・・





穴の中へと・・・・・・・





・・・・・・・入らない。




虚を突かれた思いがした僕は、もう一度コインを押し込んで見るが、やはり入らない。


一体どういうことだ?


何が間違っているのか分からない僕は、思わず辺りをキョロキョロと見回した。


すると、ヤニまみれの汚い壁に、大きく何かが書かれた紙が貼られているのを見つけた。


その紙には、黒いマジックインキで太くこう書かれていた。




「当店の遊戯台のプレイ料金は全て50円となります。」




と。


またも虚を突かれて僕は思わず口を開けっ放しにした。


今まで遊んできたゲーセンはどこも1回100円だったので、まさかここが50円だったなんて発想は最初からなかった。お値段まで昭和である。


しかし僕の財布に50円玉は無い。


どこかに両替機はないかと店内を見回してみると、先ほどの張り紙の場所のすぐ近くに50円玉用の両替機がひっそりと立っていた。


さっそく1枚しかない100円を両替機に投入し、カランコロンと乱暴に落ちてきた50円玉2枚を確保する。


これでついにファイナルファイトができる。


ゲーム画面の目の前に戻り、50円玉二つを投入口のそばに置く。 


こうやって予備のコインを何枚も重ねて置くのって熟練者感が出ていいな、と一人で感傷に浸る。まあ今は2枚しかないし、まだ始めてもないから実質予備は1枚だけど。 


さて、そろそろ始めよう。








アレ



ここで何かに気づく。



2回できるんだったら、別に魔界村でもいいんじゃ・・・・・・・



・・・・・・・・・・








チャリーン



深く考えないことにした。




コインを入れるとストーリーを知らせるためのムービーが流れ始めた。


どうやらヒロインらしき女性が敵の組織にさらわれてしまったので、直接敵のアジトに乗り込んで助けに行くという流れらしい。


なんとも単純明快なストーリー、さすがは大昔のゲームといった感じだ。


最近のゲームはファルシのルシがコクーンでパージやらなんやら設定が複雑すぎるものも多いから、たまにはこんな感じの何も考えずに正義心を燃やせるゲームがあってもいいのかもしれない。


そうしてムービーに浸っていると、急にキャラクター選択画面に切り替わった。


3人の男の中から選択するのか・・・ 別に誰でもいいけど、やっぱ右端のハガー市長にしようかな。他の二人は知らないけど、ハガー市長だけは某動画サイトの影響で知ってたから、何となく安心感がある。


そして単純におっさんキャラというのがイイ。


僕が格ゲーでよく使うキャラも。大抵は渋いおっさんキャラだ。鉄拳だったらもちろん平八がお気に入り。ストリートファイターなら元が相棒だ。 


何でおっさんばっか使うのかって聞かれると、特に考えてそうしている訳でなく、直感で使いたいと思ったからとしか言いようがない。



でも、強いて言うなら、よく童顔と言われる僕の、心の奥にある渋さへの憧れがそう選択させているのかもしれない。


幼なさから中々抜け出せない僕だからこそ、老いてく中で経験を積んだ者特有の渋い空気をまとったキャラを選んでしまうのかもしれない。


そう、成長への憧れがそうさせているのかもしれない。 


周りは成長していっている中で、僕だけが何も変わっていない。


床屋に行ってもいまだに中学生料金で通ってしまうし、そのせいで中学生と勘違いされゲーセンを6時で追い出されたりもした。最近ゲーセンに行かなくなったのはこのせいかもしれない。


外見が成長してないだけならまだいい。でも、中身だって高校生になってからどれほど成長したか・・・


部活にも入らず、話せる友達すら作れず・・・


いくつかの数学の公式や英単語を新たに覚えた以外には、僕は去年の4月から何も変わっていない。


経験は空っぽで、乗り越えてきたものも何もない。 


「高校2年生」として身につけておくべき人生の味を、僕は何一つ知らない。


そんな人間に魅力なんてないだろうな、友達が寄ってこないのだって当然だ。




でも、今僕がいるのは教室じゃなくてゲーセンだ。


目の前にあるのは黒板じゃなくてブラウン管の画面だ。


同じ道を往復するだけの臆病な小市民じゃなくて、自らの手で街を守る勇敢な市長だ。




さあ、行こう。


ハガー市長を選択した僕は、ついにゲーム画面と向き合うこととなった。


昔ながらの横スクロールアクションだ。ステージは普通の街中のようだ。まずは試しにキャラを色々と動かしてみる。


レバーを横に傾けると、画面のハガー市長も横に歩く。上に傾けると、市長は今度は奥の方へと歩き出す。下に傾ければ、市長が手前へとやってくる。


どうやら横方向のみ移動できるただの横スクではなく、奥行きを考慮して動く必要があるらしい。これは少し面倒だな。


しばらくレバーを上下左右に動かして操作に慣れようとした。レバーの指示を受けるハガー市長も、狂人のごとく同じ場所を行ったり来たりしていた。


そんなことをやっている内に、突然画面右上にあったドアが開き、筋肉に覆われた敵が出現、市長の方へと迫ってきた。


まだ操作に十分慣れたとは言えないが、仕方ない、やってやる。


敵がこちらへと接近しきってしまう前に、僕はキックで先制攻撃をおみまいしてやった。敵は一撃で吹っ飛んでいった 



が、まだ死んでない。すぐさま起き上がって再び襲いかかる。さらに画面右端から今度は別の敵が侵入してくる。


ゲーム開始でいきなり3対1とは随分なスパルタ仕様だ、この辺も昔のゲームっぽい。


どうやら出鼻からまずい状況に陥ったようだ。しかし僕はこの状況を回避する術すら知らない。ここは下手な小細工なんかより、拳で全員ノックダウンする脳筋戦術でいく方が賢明だ。


取り敢えず敵が迫ってきたらこちらからパンチ連打で相手の動きを止め、そこから間髪入れずにキックでまとめて相手を吹っ飛ばす、この戦術でいこう。 


引きつけてー・・・ボカボカボカ、からのドカーン、からのビターン。


飛ばされて地面に打ち付けられた敵3人がまたこちらへやってくるので、同じくボカボカボカ、からのドカーン、ビターン。 


・・・今度は起き上がってこない。おおっ、仰向きの敵が点滅を繰り返した直後に消えた。敵への接し方はこれで大丈夫なのか。


そうと分かれば話は早い。ドンドン進んでって、ちゃっちゃとボス戦に突入してしまおう。




その後の流れも以上のように、パンチとキック、拳と足の合わせ技を酷使し、止まることなく前へと進んでいった。


しばらくしてそれまでの街中からステージが切り替わり、市長は単身地下鉄へと乗り込んでいった。


電車内に乗客なんてものはなく、雑魚敵が相変わらずこちらへと湧いて出てくる。


僕は淡々と敵さんたちをボタン一つで処理していった。

よし、いい感じだ。


こっちがダメージを受けたそぶりはまだ一つもない。このままなら万全の状態で中ボスに臨める。


僕は雑魚を打ち破り、電車の連結をドンドンくぐり抜けていった。

そして、ついにそれらしい敵にたどり着く。


今までの敵よりも明らかに筋肉の付きが一回り大きい。


赤いタンクトップを身にまとったそいつは、両腕を肩の位置まで上げてこちらを掴もうと構えている。


こいつは手強そうだ。今までのような単調な対応では攻略し切れそうにない。


雑魚敵を投げ飛ばしたり、落ちているナイフを投げつけたり、遠距離からチマチマ削って極力こちらがダメージを負わないように心がけないと。なにせチャンスは2回しかないんだから。


そんなこちらの逡巡などお構いなしに、タンクトップはさっそく市長へ掴みかかって突撃してきた。


とっさにジャンプで回避しようとするが、間に合わずに敵の腕に捕まり、後方へと投げ飛ばされてしまう市長。背中を全力で打ち付けてしまった、これは痛いな。


初めてまともな攻撃を喰らってしまった。やはりこいつは接近戦よりも、遠くから削っていく方がいいな。


赤タンクトップ野郎、命名赤タンへの対策を決めたところで、再び市長を立ち上がらせる。


さあ、次はこうはいかないぞ。赤タンの攻略法はたった今見つけ・・・た・・・・・・


しかし、僕の目に映ったのは立ち上がった市長ではなく、椅子に括り付けられながら、目の前に置かれたダイナマイトの火を息で必死に吹き消そうとしている市長だった。


なんだこれは?


そんな必死な市長の下には「COTINUE」の文字と、そのすぐ横にドンドンと小さくなっていく数字が映っていた。今写っている数字は7。あ、今6になった。


これは・・・コンティニュー!?


死んでしまったのか?


まさか?


一撃で!?


いや、そんなことより・・・・




まずい! 今すぐ50円玉を入れないと!


僕はボタンに置いていた右手を慌てて投入口の横へと飛ばし、鷲が獲物を捕らえる時のように全力でコインを掴みとった。


コンティニューが終わるまで残り3秒、2秒、1・・・・



テロン



画面は切り替わり、そこには再び立ち上がったハガー市長が映った。

なんとか数字が0になる直前に、50円玉を入れることができた。

まさに間一髪・・・危なかった。


手のひらは手汗でぐっしょりだ、まるでそこだけ大雨が降った後のようだった。


しかし、一体なんで一度投げ飛ばされただけでゲームオーバーなんかに。まさかそんな鬼畜な難易度なはずはない。


赤タンと戦うまでにダメージを受けたような反応は一度もなかったはずだし、一体どうして・・・


あまり考えている時間はない、もう戦いは再開してしまっている。


理不尽さを感じつつも赤タンの攻撃を避け、雑魚を投げ飛ばすために攻撃を仕掛ける。


その際に、自分の体力ゲージに目を向けて見ると、なんと驚き、地味に減っている。


市長は全く動じていなかったから気がつかなかったが、こちらが雑魚に接近戦を仕掛けている時、雑魚の攻撃をしっかりと受けていたようで、その分の体力が着実と減っていたらしい。


だからさっきの赤タンの攻撃を一発受けただけでコンティニュー送りにされたのか。


しかし、敵はいつの間にこっちにパンチしてたんだ?

市長に一撃を食らわせたようには見えなかったけど・・・


当たり判定を識別しにくいのも、昔のドットゲーにありがちなことなようだ。


そうと判明すれば、これまでのように迂闊に雑魚に近づくことはできない。


手にしている投げナイフを駆使して雑魚どもの体力を削って、接近戦は最低限に留めなければ。


でも、そうやって遠くからナイフを投げているだけの状態に安住させてくれるほど赤タンは甘くない。雑魚と違ってナイフ程度では怯まず、猪突猛進、堂々とこちらへと向かってくる。


こういう場合は・・・あえて雑魚を一匹こっちへと引き寄せて・・・・・こうだ!


僕は赤タンとともについてきた雑魚の前へと忍び寄り、雑魚を背中で持ち上げた。


拳がダメなら、ここは腕だ!


雑魚を背中に乗せた市長は、それをそのまま赤タンへと思いっきり投げつけた。


直線を描いて宙を裂く雑魚は、勢いをまとって赤タンへと衝突した。


肉弾を受けた赤タンは、雑魚もろともそのまま仰向けに倒れ込む。


チャンス! 僕は瞬時にレバーを横に向け、市長を赤タンへと向かわせる。


起き上がった直後で隙だらけの赤タンへ、パンチ、パンチ、パンチの連撃。続けて顔面狙いの上段キックのコンボを喰らわせる。


これは効いただろう。


再び仰向け状態の赤タン、案の定立ち直ることができずそのままフェードアウトしていった。




ふぅー、なんとか凌ぐことができた。


束の間の安息に心を一旦落ち着ける。


初めて遊ぶゲームなのだから当然だが、やっぱり結構難しい。


格ゲーならたくさんやってきたから、似たようなジャンルのこのゲームもスイスイ進めることができると勝手に思っていたが、予想を見事に裏切られた。


まず格ゲーと違って奥行きがあるせいで攻撃がおぼつかないし、その攻撃の種類も基本キックとパンチ、たまに投げ技の3種類しか用意されてない。当然、コンボに応じて放てるソニックムーブや波動拳みたいな必殺技がある訳でもない。


パンチとキックで滝のように溢れ出してくる敵を捌ききるのは、中々骨が折れる。


シンプルであるがゆえに、プレイヤーの熟練と技能がそのまま難易度に直結する。


レトロゲーはほとんどやってこなかった自分にとって、ゲームでここまで汗ばむ感覚はとても新しくて、とても興奮するものだった。

そして、とても疲れる。


まだステージは先へと続いているが、今みたいな戦いがまだ何度も残っているのかと思うと、正直気後れしてしまいそうだ。


二人プレイだったら赤タン撃破の達成感を分かち合う喜びを原動力に、まだまだ余裕で先へ進んでいけるだろうけど、残念ながら今の僕の隣には教科書の詰まったリュックが置かれているだけだ。


まあ、そんなことでため息を出してもしょうがない。


まだステージの途中ってことは、本当のボスは電車の連結が途切れる一番奥で待ち構えているはずだ。


もう残りのお金はないけど、なんとかこの1回でそいつを倒して今日は帰りたい。


もしそれを達成することができたら、きっと今日の帰り道はいつもとは違った光景に見えるはずだ。


いつもとは少し軽い足取りで駅へ向かう自分を想像して、僕は少しにやけつつもレバーを再び傾け始めた。




その後も雑魚敵と赤タンの波を慎重にくぐり抜けつつ、なんとか電車の先頭部へと辿りつくことができた。


そこで待ち構えていたボスはツルッツルのスキンヘッドをした白いタンクトップのおっさんだった。この組織はタンクトップが制服か何かなんだろうか?


先ほどのコンティニューで学習した僕は接近戦に囚われすぎず、ドロップした飛び道具のアイテムを使い、消耗戦を避けながら敵の体力を削っていった。


白いタンクトップ、命名白タンも飛び道具ごときでは動じず、執拗に市長に投げ技を仕掛けようと接近してくる。


それに対して、僕は雑魚敵を利用した投げ技、人間肉弾で白タンを転ばせようと試みるが、毎回成功する訳でもなく、雑魚を相手にし終わる前に白タンの両腕の餌食となる時もあった。


市長の体力ゲージも気がつけば半分をとうに割っている。でもそれは白タンの方も同じだ、なんとかこの戦いを乗り越えたい。


僕の投げ技が決まり、白タンは腹を天井に向けて倒れる。かと思えば雑魚の攻撃で怯んだ市長に、そのまま白タンの追撃が襲いかかる。


一進一退の攻防、両者の体力ゲージはもはやミリ単位の残りしか見せていない。


次の攻撃で全てが決まる。


慎重に、慎重にレバーを握りボタンに手をかける。


画面の隅から隅まで全てを把握しつつも、次に自分が動くべき方向に意識を全て傾ける。


息が荒くなる。心臓の鼓動がうるさい。


目の横を、汗が一滴通り過ぎた。


僕はゆっくりとレバーを倒しだす。


雑魚の攻撃を受けることなく、白タンへと通じる唯一の道が見えた。操作ミスは許されない。


さあ行け、市長! 白タンのもとへと駆け抜けろ!


レバーの指示を受けた市長が画面を横へと突き抜ける。


たちはばかる雑魚の攻撃をかわし、白タンとの距離を詰める。


残す雑魚は後一匹。これを抜けば、その先は白タン一人だけ。 


ギリギリまで攻撃を引きつけて・・・・今だ!


僕はレバーを一気に手前に押し込んだ。市長は敵の攻撃を瞬時に横にかわし、ついに白タンの巨体の目の前に躍り出た。


あとはここからわずかに進み出て、手前からキックを放つだけでこの戦いは終わりだ。


相手はパンチか投げの超近接攻撃しかできない。リーチ外からキックを喰らわしてノックアウトすればこっちの勝ち。


レバーの傾きを微調整。距離を詰めて・・・距離をわずかに詰めて・・・・



今!



僕はキックボタンに上半身の重みを全て押し付けた。


ボタンのバチンとの激しい音とともに、市長の蹴りのモーションが炸裂する。


その蹴りは白タンの頭まで届いたかと思うと、相手の顔面直前で空を切り、そのまま地面へと降ろされた。 


届かない。白タンは倒れない。蹴りは数ドットの差で当たらず、失敗した。


僕はすぐにレバーを逆方向に傾けて白タンから離れようとするが、攻撃のモーションが収まらず市長はまだ動けない。


その隙を突いたかのように白タンが市長に摑みかかる。


大砲のように太い二本の腕に抱え挙げられた市長は、そのまま何度も回されて全身揺さぶられたかと思うと、遥か遠くへと投げ捨てられた。


わずかしか残っていなかったゲージを削るには完全なオーバーキル。


地面に打ち付けられた市長は伸び上がり、立ち上がることはなかった。



そして画面にギンギラと明滅する「CONTINUE」の文字。


手持ちの金はもう無い。僕は減っていく数字をどうすることもできず、ただ黙って見ているしかなかった。 



4、3、2、1・・・・・・0。







GAME OVER





「あああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!」



突如としてゲーセンの中に悔しさを発露させた甲高い叫び声が響き渡った。












そしてそれは僕のものではない。 



僕はその叫びに思わず身を震わせ、何が起きたのかと周囲を見回した。


僕以外にここに人はいないはず・・・まさかファイナルファイトのゲームオーバーの音か何かか?


いや、それもおかしい。今の声は・・・・甲高い・・・女の子が出すような高い声だった。とてもじゃないがハガー市長が出せるような声じゃない。


コンティニューのカウントが0になってハガー市長の目の前のダイナマイトが爆発したんだとしたら、叫ぶのはハガー市長なはずだからこのゲームの音じゃない。 


じゃあこの声はいったい・・・・



僕は電子音の波の中に耳を澄ませてみた。


注意深く、飛び交う音をかき分けて謎の声を捉えようと意識を傾けた。


すると雑音に混じってこんな声が耳に届いてきた。



「うぅ・・・あとちょっと、一撃で倒せたのにぃー・・・・・」

 


明らかに人間の声だ。そして、やっぱり女の人の声だ。


・・・・こんな場末の汚らしいゲーセンに女? 


それは少し考えにくいけど・・・・



声は僕の場所から筐体の通路を4つ挟んだ壁際の方から聞こえてくる。


誰かいるのか?


恐る恐る、筐体から身を乗り出して向こう側に目をやった。


すると壁際に、こちらへと背を向けた一人の女らしき・・・いや絶対に女だ、スカートの制服を着ている。立ち上がって、何やら両腕を伸ばして背伸びでもしているようだ。


・・・ゲーム、してたのかな、あの人も。


画面に長い間向き合って疲れましたとでも言わんばかりに体を伸ばしている。


こんないかにもゲーマー向けって感じのゲーセンでゲームなんて、変わった女の人だなぁ。


・・・というか、あの制服って僕の高校じゃ。まさか同じ高校!?


誰だろう。


こちらに気づかれないように息を殺しつつ、僕は向こうの人影を目を凝らして見つめた。


しかし相手の顔は向こうを向いていて背中しか見えない。


その上室内の明かりは貧弱な蛍光灯一つだけ。正直後ろ姿もほとんどシルエット程度にしか見えない。


なんとか分かるのは、女であること、僕と同じ高校の生徒であること、そしてショートカットの髪型であることだけだ。


不意に、その子の近くのゲームに目を向けてみた。すると、もう一つ新しい情報が分かった。


その子がやっていたのは、格闘ゲームだったらしい。



ゲーセンで格闘ゲームをやってる女子、初めて見た・・・


こんな珍しい子も僕の高校にいたのか、全く知らなかった。


誰だろう一体・・・同級生か?先輩か、それとも後輩なのか?


心の底から溢れ出す興味深さが、僕の目線をその少女の影へと釘付けにした。



「はぁー・・・今日はもう帰るか」



気の抜けたつぶやきとともに、その影は身体をこちらへと回転させた。




突如として僕の目と彼女の目が衝突する。




空間が静止した。




燃えるような赤い髪に、力強さに溢れた凛々しい目、それでいてどこか暖かみのある緩んだ表情。


水野さん。


あの人は、今年の春から僕のクラスに転校してきた、水野さんだ。



明るい性格で、いつでも活発的、授業中にみんなを笑わせることが大好きで、話し相手の絶えない、クラスの人気者。


そんな水野さんがこんなところでゲーム?


え、ちょ、本当に? こんな汚いとこで格ゲー? 


彼氏に連れられてとかじゃなく、一人で? 格ゲー!?



あまりにも意外すぎる事実に衝撃を隠せない僕の目は思わず見開かれ、大きな点を描いた。


同じようにして開かれた口からは、言葉は発せられずただかすれた息が出てくばかりだった。


向こうも黙ってこっちを見つめている。


僕ほどでないにしろ驚いてはいるようで、普段から大きい目をより一段とクリンとさせてこっちを見ている。


口は小さく開かれている。

 


僕の心臓が暴れ出す。白タンとのラストバトルの時とは比較にならないくらい、ドクン ドクン と力強く破裂するように音を響かせる。



これからどうする?

どうすればいいの?


声をかけるべきか、黙って帰るべきか、何をすればいいのか分からずに頭が混乱する。


とりあえず口の中に溜まっていた生唾をゴクリと飲んだ。





しばし沈黙。

 




滝のような汗が僕の顔面を流れ落ちる。 


汗の滴りの音なんて普段は絶対に聞こえないだろうけど、そんな汗の音が鼓膜をつんざく鋭い音に感じるほど、今、この空間は静かであった。

 


そんな沈黙を破るかのようにいきなり、彼女は小さく、手を肩の位置まで上げた。


そして手のひらをこちらに向けて、そしてこちらへ向かって



ニッコリ



口角を上げて、両目の涙袋を持ち上げて、溢れんばかりの笑顔を作って見せた。



瞬時、僕の心臓は破裂した。


その笑顔に対し、僕はただただ動揺するばかりで何の返答も思いつかなかった。


早く何か返事しないと。どんな返事? 何を言うにも言葉が詰まって出てこない。


言葉じゃなくてもいいだろ、何か身振りで答えろ。 

どんな身振り? 

この場合どうやって動くのが正しいんだ?



あらゆる困惑と焦りが僕の脳内を渦巻いた。


頭の中で無数の糸が暴れだして複雑に絡み合う。考えれば考えるほど正解が何か分からなくなってくる。



この場から離れなくちゃ。



一瞬の内に無限の葛藤を巡った僕が得た結論、それは


____少年は瞬時に椅子に寝ていたリュックを手に取り、そして慌てるようにして店の外へと駆けていった______


逃げることであった。









少女は自分の挨拶に何の返事も見せずに走って出ていった少年の背中を、驚きを隠しきれない動揺の目つきで見つめた。


少年の姿が視界から消えると、少女は上げていた手を静かに、力無く降ろした。


「え、えー・・・・・何で!?」


少女の困惑に揺れた声が、電子音に混じって室内を広がった。


「・・・ていうか」


「同じクラスの子に、格ゲーやってるところ見られちゃった・・・・・・」


困惑から焦燥へと変わった声が、少女の引きつった口から漏れてあたりを漂った。


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