手を拱く(てをこまぬく)って何?
先ず、日本語の母音は4つで、古代台湾語から来ています。
エは合成音で、少なくとも2種類あって、互いに独立です。
文法規則も意味も独立ですし、違う母音と言えるでしょう。
仏教徒は元々は仏教用語の音写の為に仮名を発明しました。
仏教用語のうち、サンスクリット語自体は3母音体系です。
しかし音写に使用した漢字体系同様、本来5母音体系です。※
日本語の子音の区別は漢字で表せるものしか残ってません。
日本語の母音と対応する文法体系は5母音では表せません。
仏教用語も漢字も5母音体系である事は、恵まれています。
漢語の名詞化語尾の量子力学用語で知られる「〜子」から
生じたと思われる、日本語の形容詞化や名詞化に使われる
「き」(語尾形、後に「〜い」になった)の語幹「こ」は
修飾部分の直前に置かれ、後に修飾部分の接頭辞のように
解釈されるようになりましたが、これに「免れる」という
受け身の形で伝わる修飾部分を併せたのが、「拱く」です。
そうなると、「手を拱く(こまぬく)」とは何でしょう?
「免れる」なら「まぬが」まで送り仮名にしないとなると。
「手を子免」? 「く」は送っていいよね?
追っ手が「てをこまぬく」と、逃亡者が「免れる」訳です。
「ワタクシをつかまえて御覧なさ〜い」
「け゛っ゛し゛て゛の゛が゛さ゛ぬ゛」
なお、以上はすべてフィクションでした。
「書゛き゛逃゛げ゛を゛逃゛さ゛ぬ゛」
─えっ?
(終劇)
※
サンスクリット語などのインド諸語は本来5母音体系です。
子音だけでほぼ通じるので、母音を簡略化しても通じます。
アラブの言葉であるイラン諸語も、子音でほぼきまります。
アラブのうちユダヤ人のヘブライ語でも、表記は子音だけ。
同じ綴りなのにエホバと読んだり(どうせ分からないし
いつも別名のアドナイで読んでたから母音を流用して)
ヤハウェと読んだりするのも、母音で区別しないからです。
(どちらも面倒なら読み方は今に伝わるイヴで大丈夫です)
神の名の綴りと同一視される綴りのギリシャ式の数値化は
26なので、みだりに神の名を呼ばないという戒律により、
繰り返しや組み合わせで26を示せる13も避けています。
なぜギリシャにおける代用数字としての文字の数値化法が
ユダヤでも使われるかというと、インド・ヨーロッパ語族
としての共通の言語(に限らない)文化が共有だからです。
仏教徒のうち大乗仏教徒は、例えば今で言うパキスタンや
バングラデシュであるガンダーラの法華経教徒等の場合は
108の煩悩などで、啓示宗教の以前から採用しています。
日蓮遺文集を見ると100や1000が120や1200だった昔の
話だと1・2倍とか、四天王(虚空会タロットでの四衆)
なら半分とか、発明者達=啓示側は結構遊んでた様です
シリアスは啓示宗教になってからの話なんでしょうね