アリスの過去
完全に真面目回です
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『みんな仲良くなろう! マスの指示には絶対服従だよ剣護さん? すごろく』を、アリスの家で遊んだ日の夜。
俺は自室のベッドに腰かけ、緊張した面持ちでスマホと向かい合っていた。
五人で連絡先を交換したあと、西園寺家の専属シェフが用意してくれた重箱のランチに舌鼓を打った。昼食後、もう一度アリスが入れてくれた紅茶を飲みながら談笑。十五時ごろには、解散。
結局、アリスのお母さんとは会えなかった。
帰りの電車の中で、俺はズボンのポケットでくしゃくしゃになっていた紙を広げた。
百合さんからこっそりと受け取った、あれだ。
そこには少し走り書き気味に電話番号と、一言が残されていた。
『アリスのことで知りたいことがあるなら、夜ここに連絡してください』
こうして俺は、すでに十分はスマホを見つめているのだ。
もう、メモされていた電話番号は打ち込んだ。
あとは、発信ボタンを押すだけだ。
その踏ん切りが、いつまでもつかずにいた。
スマホをベッドの上に、やや乱暴気味に置く。
一度立ち上がって目を閉じ、大きく深呼吸をする。
正直怖い。
百合さんと話すということは、きっとアリスの傷に大きく近づくことになる。
核心に触れることになる。
彼女の傷を癒すには、絶対避けて通れない道ということはわかっている。
でも、やっぱり恐ろしいのだ。
俺はまだ高校生。まだまだ子供だ。
……でも。それでも……!
何回か深呼吸を繰り返し、まぶたをゆっくりと開く。
スマホを力強く拾い上げると、決心が鈍らないように一気に発信ボタンを押す。
コール音が、耳に響く。
逃げ出せないように早く出てほしいような、いつまでも出ずにホッとしたいような。
微妙な感覚。複雑な精神状態。
そんな揺れ動く時間は、すぐに終わりを告げた。
『……はい』
「百合さんですか?」
『ええ、そうよ。あなたは相馬君ね?』
「はい」
まだ短いやり取りだけど、相手の緊張も感じ取れる。
つまり百合さんは、これから固くなるだろう内容を話すことを予測している。
その事実が、さらに俺を緊張させた。
『それで、電話してきたってことは、聞きたいことがあるのよね?』
「はい。……たくさんあります」
『わかったわ。できる限り答えるから。なにを知りたいの?』
なにを、知りたいかだって!?
そんなの全部に決まってんだろ!!
アリスの心をズタボロにした、原因のすべてだ!!
怖いけど。辛いけど。俺は知らなくちゃいけない。
アリスを幸せにするって決めたから。
でも、あえて。あえて最初に聞くとしたら――
「――いちおうの姉って……どういう意味なんですか?」
ほかにも聞きたいことは、山ほどある。
父親はどうなってんのか?
母親はちゃんとしてるのか?
あんたらは、アリスの心が傷ついて壊れてしまったことを知ってるのか!?
でも、俺はこれを一番目に持ってきた。
たぶん、むかついていたからだと思う。
百合さんの、『いちおう』なんて言い方に。
『……そうよね。あんなふうに言ったら、気になってしまうよね。それにアリスのことを大事に想ってくれてる人なら、怒るのも当然』
「あ。お、俺……すみません」
百合さんの一言で、俺の感情が言葉に乗ってしまっていたことに気づく。
冷静になろうと、気をつけていたはずなんだけどな。
やっぱり、アリスのことになると感情のコントロールが難しい。
『ふふっ。いいのよ。アリスの姉として、嬉しく思う。妹に、そういう存在ができたことに』
「……それで、いちおうっていうのは……?」
『……父親が違うの。わたしとアリスは』
「……え?」
『アリスは、母の再婚相手との間に産まれた子供なの。種違いって言うのかしら』
「……お父さんが、違う」
それで、納得できたことがある。
アリスと百合さんの容姿だ。
百合さんを一目見たときに思った。
雰囲気は似てるけれども、けしてそっくりではないと。
二人は、半分だけ血の繋がった姉妹なのだ。
『母は父……わたしの、本当の父親ね。父のことを本当に心から愛していた。……でも、父はそうではなかった。浮気を繰り返す最低の夫だった。まだ小さかったわたしでも、記憶に残るくらいに酷い男だった。それでも母は、縋りついていた。捨てないでと』
「……でも、だめだった」
『そう。母は最後まで納得してなかったけど、父の雇った優秀な弁護士には敵わなかった。父は母を捨てて、新しい女と再婚した。この家と慰謝料、それからわたしも残して。でも皮肉よね。父が母を捨てなければ、アリスはこの世に生まれなかった』
そのとおりだ。
百合さんのお父さんがろくでなしでなければ、アリスが生まれることはなかった。
アリスの心が壊れなければ、たぶん俺と出会うことはなかった。
誰かの不幸によって、誰かが幸せになることがある。
そういうことが、とくに珍しくもなく、ごく当たり前のように起こる。
この世の中は、綺麗ごとだけじゃないことを痛感させられる。
単純明快な人生を送れる奴なんて、存在するのだろうか。
『母は離婚後、荒れに荒れた。一日中、酒におぼれた。そんな母を支えたのが、アリスの父親だった』
「アリスの、お父さん……」
『アリスの父は、母の大学時代の友人だった。おそらく、母のことを昔好きだったんだと思う。もしかしたら、ずっと好きだったのかもしれない。誰かに寄りかかりたかった母は、そばに現れた優しくしてくれる都合のいい男と、流れるように再婚した。アリスも、すぐに生まれた。……でも』
「……でも?」
そこで、百合さんの声が途切れる。
十秒くらいだろうか?
緊張しているのか、つばを飲み込む音が聞こえる。
そして、彼女は息を吸い込んだ。
『……でも、だめだった。母は、わたしの父の幻影ばかり追い求めていた。わたしの父と母の離婚。父の浮気は最低な行為だけど、きっと母にも問題があった。当時は小さかったから、わからなかったけどね。そう確信できるくらい、母のアリスの父親への態度は酷いものだった』
「酷い、とは……?」
『毎日毎日、毎朝毎晩。母は、アリスの父親に罵声を浴びせていた。『やっぱり、あなたじゃだめ! わたしにはあの人が必要なの! あなたなんかと、再婚するんじゃなかった』って。それをアリスも、毎日毎日聞いていた』
「アリスが?」
『たぶんアリスはその意味を、小さいながらに理解した。『わたしなんて、いらない』ってことなんだって。もしかしたら、『わたしなんか、生まれてこなきゃよかった』と、言われてると感じてたかもしれない。それは、アリスにしかわからないけれど。とにかくそんな生活を送っていたアリスは、小学生になるころには心から笑わなくなっていた。……あんなに無邪気に笑う子だったのに』
胸が張り裂けそうだった。
甘えたい盛りのそんな時期に、毎日母親がそんなことを言っていたらどう思うだろうか。
妻が夫にぶつけているつもりだった言葉の凶器は、子供の心にも激しく深く突き刺さり続けていたのだ。
アリスの気持ちを想うと、やりきれない。
『結局、アリスの父も離婚して家を出たわ。アリスが小学三年生の時だった』
「……三年生」
蛍が言っていた、アリスが自分を名前で呼んで欲しいと言い始めた時期に重なった。
やはり、予想どおりだった。
名前呼びはなんとなくで希望したわけではなく、アリスの心になんらかの明確な変化が起こってのことだったんだ。
それが、実の父親の離婚だった。
『その離婚が、あの子を完全に壊した。わたしたちの前では、作り笑いすら見せなくなった。他人どころか、軽蔑する相手に向けるような視線になった。態度も同様に。わたしたちは、同じ家に住むだけの他人になってしまった』
「そんなに、ショックだったんですね。父親の離婚が」
『……たぶん、離婚がショックだったわけじゃない。あの子も、いつか親は別れるって覚悟してたと思う。何年もの間、完全に夫婦としては終わってたから。でも、アリスは信じてた。父親は自分を連れて行ってくれるって。この地獄のような場所から、連れ出してくれるって。でも、あの人は一人で行ってしまった』
「…………それが、アリスの心を完全に破壊した」
『……うん』
アリスにしてみれば、二度も親に裏切られたのだ。
一度目は、母親から言葉によって存在を否定された。
二度目は、父親に置いていかれることで希望を失った。
そして、心を深くえぐられた。
『……わたしね、本当は工藤百合じゃないの。親が離婚したから、今は早乙女百合なの。でもアリスは、早乙女と名乗ることを絶対に許さない。早乙女の表札をかけたら、放火して家ごと焼き尽くすなんて脅してくる』
「だから、表札がなかったんですね」
『ええ。アリスの要望で、学校側にも工藤のままにしてくださいと掛け合った。本当なら、早乙女アリスなのにね。あの子なりの、主張なんだと思う。わたしは、離婚に納得してないっていう。あとは、当てつけかもね』
「当てつけ……?」
『うん。母への……もしかしたら、わたしもかも』
そこで、百合さんはまた言葉に詰まる。
息を整えてから、続きを発した。
『わたしは母とアリスの父親がどんどん険悪になるのを、ただ傍観していた。間に入って仲裁したり、改善できるように手を尽くすこともなかった。きっとアリスは、そんなわたしを恨んでる。あの子にしてみれば、当時のわたしはすでに大人だから。でもあの時のわたしは、まだ高校生。高校生なんて、なにもできない子供だよ。まあわたしが動かなかったのは、最後まであの人のことを、どうしても自分の父親とは思えなかったってこともあるけど』
「高校生は、子供……」
それは、ついさっき実感したばかりだ。
小学生の頃なんて、高校生はすげえ大人でなんでもできるような気がしてた。
でもいざなってみると、あんがいあの頃と変わらない。
世界が見違えるほどに、できることが増えたりもしないのだ。
『でも、後悔もあるの。自分のためだと何もする気にならなかったけど、アリスのためになにかできたんじゃないかって。せめてあの人を、『お父さん』って呼んでたら。それだけでも、もっとましな結末になってたかもしれない』
『……はい』
『だから、わたしはアリスの言うことを拒否しないの。こうなったのは、わたしのせいでもある。そういう考えがよぎって、どうしても拒否できない。罪滅ぼしのつもりなのかな。自分でもわからないけど』
……もしかしたら、アリスの言っていたハーレムに加えるつもりの人って、百合さんじゃないだろうか?
蛍の可能性も考えたけど、彼女は自ら積極的に入ることを望んでる。
アリスに逆らえずに入るという表現と、あまりにもかい離している。
美人という言葉も、年上に使っているほうがしっくりとくる。
『……あの子の傷について話せるのは、このくらいかな。わたしの、予想も結構入っちゃってるけど』
「アリスのことを身近で見てきた百合さんなんですから、きっと見当はずれなんてことはないですよ」
『ちゃんと見れてるかどうかは、はなはだ疑問だけどね』
そう言って、自虐気味に笑う。
アリスだけじゃなく、きっとこの人も少なからず傷を抱えているんだ。
「……今日は、本当にありがとうございました。ちなみに、なんで俺に連絡先を教えてくれたんですか?」
『インターフォン越しであなたの名前を呼んだ時のアリスの顔、心から嬉しそうに笑ってた。あの子のあんな笑顔を見るの、本当にいつぶりかも覚えていないわ。だから、アリスを救えるのはあなたしかいないと思った』
「百合さん……」
『相馬君。わたしも、できる限りの協力をする。だから、アリスのことを助けてください。お願いします』
電話越しで、百合さんが頭を下げている気配を感じる。
俺は、スマホを持つ手に力を込めた。
「百合さんにお願いされなくても、アリスの心は救います。絶対に」
その日、俺は一睡もできなかった。
一晩中、アリスとススズのこれまでのやり取りを眺めていた。
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