第五話『招いた者』
話は遡ること数週間前。
この厄介な迷子神隠し事件(仮)の発端であり元凶の家鳴…じゅったの部屋では、月に一回の妖怪集会が行われていた。
顔の広い情報通、妖怪郵便屋(通称文車幽便)を営む文車妖妃の九識と、実質一期一会の管理者でもあるじゅったの情報交換の場となっているのがこの妖怪集会である。…表向きは。
宴会好きと悪戯好きが集まればその先の想像は容易い事だろう。
勿論、真面目な話し合いをしたのは最初の数回のみ。片手で数えても余りあるのだから、最初からそのつもりだったのかもしれないが、今ではすっかり情報交換会とは名ばかりの酒盛り会と化していた。
その日も例に漏れることなく、二人は持ち寄った酒瓶を次々と開けていた。
いつもはほぼ日本酒の所、珍しく手に入った洋酒に気分が高揚していたのもあったのだろう。開始から二刻が過ぎた頃には、既に数十本の空き瓶が部屋中に転がっていた。
いくらザルとは言えどもいつもよりハイペース、且つ慣れない洋酒を多量に摂取すれば酔いが回るのは当然の事だった。
「…で、言ったんでありんすよぉ。"お前さんには抱える頭もないだろう"って」
「だッはッはッはッ!超傑作じゃん…!」
「ひはっ、相も変わらず家鳴は笑い上戸でありんすなぁ」
「楽しく飲めりゃあこれ以上の幸せはないだろ~?」
「あらまぁ、そりゃあ確かに一理ある」
ケラケラ、クスクス。
部屋に笑い声が響き渡る。
ふわふわと定まらない思考の中、九識はふと今回此処へ来た本来の目的を思い出し、じゅったの袖をちょん、と引いた。
「ん?」
「坊、最近結界の辺りで怪しい輩を見かけるようになりんした」
「怪しい奴?」
「妖気は感じなかったから、多分人間でありんしょう。結界に気付いてる訳ではなさそうだったけれど"この辺りから妖気を感じる"と、呟いては結界の周りをぐるぐるしてたでありんす」
「なにそれめっちゃ怪しいじゃん」
彼方と此方の間にある一期一会は管理人に隠されている為、人間が入り込むのは容易ではない。
しかし結界を張っているのは出入り口付近。たまたま通った妖怪と一緒に通れば簡単に通れてしまう可能性も高いのだ。
結界と一期一会を維持したまま、いつ何時入るかも分からない人間を監視し続けるのも、妖力が底無しの上位妖怪でなければ難しいだろう。
“実質の”管理人は家主であるじゅっただが、結界と一期一会を維持し続け、家事を全て請け負っている管理人は妖狐の七緒なのだ。
家鳴である自分は勿論の事、ただの妖狐である七緒には既にギリギリの妖力を使わせている手前、これ以上負担をかける訳にもいかない…と、じゅったにしては珍しく頭を悩ませていた。
だが此処で忘れないで頂きたいのが、これが酒盛り開始から二刻半後の話という点である。
部屋中に転がる酒瓶の量を見てもお分かりいただけるだろうが、二人は既に多量にアルコールを摂取している。
普段の思考回路ならば“とりあえず七緒さん、並びに一期一会の住人全員に伝え、結界の強化及び各自注意するよう手配する”という判断に収まっていた筈だった。
全身所か脳にまで回ったアルコールは二人の正常な判断を鈍らせ、そんな選択肢の欠片すらすっぽりと覆い隠してしまっていたのだ。
「なら、いっそその人間を中に入れちゃえばいいんじゃね?」
「中に入れる?」
「いつ入るかってハラハラしながら手を小招いてるくらいだったら、中に入るように仕掛けて記憶消した上で返せばいいんじゃん?」
「なぁるほど。坊は頭が良いでありんすなぁ」
「だっろー?」
そうだそうだ、それがいい。
二人して満足そうに頷き合う中、不意に九識は
勢い良く顔を上げた。
「来たでありんす」
幸か不幸か、人間が結界に近付いてしまったのだ。
*
「まあ…そっからは分かるだろーけど、酔っ払った俺と九識は人間を引き込んで、散々怖がらせた後記憶を消して外に返したー……は良いんだけど、記憶がちゃんと消せてなくて都市伝説として広まっちゃったみたいなんだよね」
たはーと悪びれなく笑いながら頭を掻くじゅったの頭に鋭い拳骨が決まる。
ズガンッと大きく鈍い音を立てて決まったそれに、彼は声にならない悲鳴を上げ崩れ落ちた。
助けを求めるように此方を見る姿は随分と痛そうではあるが、生憎朱音は被害者の身。それも一歩間違えば死んでいたようなものなのだ。同情出来る筈もなく、静かに合掌するだけに留めておいた。
酷い!と小さく悲鳴が聞こえた気もするが、気のせいだろう。
「…つまり、クソニートと九識が原因って事なんだな?」
「って事になるわね」
顔を見合わせた二人は長く深い溜め息を吐いた後、朱音へとむかって頭を下げた。
「ごめんなさい、此方の事情に巻き込んでしまって」
「えっわ、頭を上げてください…!勝手に入り込んだのは私達なんですから!」
「いや…貴女が此処に来たのは“招かれたから”なの」
「招かれた…?」
「そうね、“此処に来る時は友達と来た”って言わなかったかしら?」
勿論招かれた、だなんて身に覚えは無い。
何のことだろうと見つめれば、神喇は少し困ったように微笑み、思い出してみて、と優しく朱音の頭を撫でた。
確かに此処に来ることになったのは律のせいだ。
いつも通り律が噂話を手に入れて検証したいと意気込み、半ば引き摺られるようにして此処に、…あれ?
“律は人一倍怖がりの筈”
そんな事を思ったのは紛れもない自分自身ではないか。
噂を提供することはあれど、怖がりの律が自分から見に行こうだなんてそもそも言うわけがなかったのだ。
そこまで考えてサァ…っと身体から血の気が引いていく。
“私はずっと何と話していたのだろうか”
「っ、か、むらさん…」
「ごめんね、お嬢さん。俺一回ジョシコーセーってのやってみたかったんだ」
「………え?」
怖くなった朱音が助けを求めるように手を伸ばした先で、神喇の姿がグニャリと歪んだ。
透き通るような白い髪はどこまでも遠い青空の色に変わり、頭を撫でたままだったしなやかな手のひらは男性特有の少し骨張った手に変わっていく。
目の前の光景に信じられないといった様子で目を丸くしていた朱音がぱちりと一回瞬きをした頃には、神喇は完全に別人へと変貌を遂げていたのだった。
「うわッ写視だったのか!?」
「ほんと紅月気付かないよね」
「るっせェ…妖力まで似せるのやめろっつってんじゃねぇか」
「ええ?だってじゅったは気付いてたよ?」
「マジか」
「え、あ、うん。気付いてた…っていうか旦那方、お嬢サンおいてけぼりなんだけど」
呆れたようにじゅったが会話を遮り、二人の間に入れるように朱音の背を軽く押した。
間へと追いやられた朱音の肩を支えるように軽く抱きながら、写視と呼ばれた水色の髪の彼は、顔を隠すように覆っている布をひらひらと揺らしながら楽しそうに笑っている。
暖簾に腕押し、豆腐に釘。
怒気すら彼には面白いで片付けられてしまうらしい。
憤慨している紅月を見て案外弄られ役なんだな、と関係ない事を考えている朱音は、本日何度目かもわからない怪異現象に考えることを放棄し、現実逃避に勤しんでいた。
喉元過ぎればなんとやら。
今更気にする方が負けなのだ、と頭の中で誰かがぺったんこな胸をこれでもかと張って主張しているような気がする。
既に三人の話に着いていけておらず、正しくじゅったの言うとおり朱音はおいてけぼりとなっていたのだった。
このままでは進まない、と頭を振って思考を彼方から呼び戻し、写視へと視線を移す。
上方だけで留められている布がひらりと揺れ、少し背の高い彼を見上げる形のため目許までは見えないものの、にんまりと弧を描いた口が“なぁに?”と動いた。
…見えてるのか。
「あの、うつ…みさん?」
「うん。なぁに」
「いつから神喇さんに…?」
「神喇がお茶淹れに行った辺りかな。お嬢さんに謝りたいって言ったら変わってくれた」
「……謝りたい、って」
さっきの口振りから察するに“招いた”のは彼なのだろう。
限りなく確信を持って彼を見つめれば、一つ小さく頷いて口を開いた。
「君の考えてる事であってるよ。今日の“君のお友達”は“俺”だった」
「今日だけ、ですよね?」
「勿論。一回ジョシコーセーってのやってみたくてさ。四ツ南に潜り込んだのは良いものの、金髪赤目の教師にはすぐバレて怒られるしで散々だったんだよね。…そしたら君を見付けて」
「……ん?私?」
「そう。君の魂がとても心地好くて、ついふらふら~っと。きっと皆も気に入るんだろうなぁって思ったら楽しくなっちゃって、お友達に成り済まして此処に呼んだって話」
「気に入った馬鹿が此処にいるんだけど」
「表出ろクソニート」
ヒートアップする二人を他所に、写視が朱音にだけ聞こえる声量で囁く。
「朱音ちゃん、律ちゃんは無事だよ。今日の事は知らずにお家で寝てるから安心して」
「!ありがとうございます。…というより、全然気付きませんでした」
「そりゃあ雲外鏡の俺が化けてるんだもん。鏡に映ったお友達なんて見破れなくて当たり前だよ」
「雲外鏡ってそんな妖怪でしたっけ」
「俺が特別ってやつかな」
けらけら楽しそうに笑う写視に毒気を抜かれ、怒る気も失せてしまった。
過ぎたことを怒っても仕方ない。律も無事だし、帰れるようだし、ここまで来たら流れに身を任せるのみである。
「ほら、そこの2バカ。お嬢さんが帰るから一回やめて。」
「あ"ァ!?元はと言やぁテメェが原因なんだろーがよ」
「はいはい、ソウデスネ。じゅった、七緒さん呼んできて」
「ん?あー、ぉk」
わいわいぎゃあぎゃあと賑やかな声をBGMに、朱音は手近にあったクッションを抱き静かに息を吐いた。
…神喇さん、早く帰ってきて。