第三話『カグツチ』
拝啓、お母様。
娘はどうやらここまでのようです。先立つ不幸をお許しください。
……なんて、思わず最期を覚悟してしまうくらいには私は不可思議な現象に遭遇している。
目の前のお兄さんの手から、直に炎が出ているのだ。
勿論手に火種は無く、よく見てみると掌から5ミリ程離れた場所から出ているようで…。
手品ではなさそうなその雰囲気に、思わず頭を抱えてしまったのは許して頂きたい。
「えええ……」
「?どうした?」
「いや…」
「ンだよ、言いたい事あんなら言えって」
「ええと…、その、……お兄さんはお化け?なんですか…?」
「……おばけェ?」
あああついに言ってしまった…!
おばけにおばけなんですか?と尋ねるなんて滑稽にも程がある!
緊張と恐怖で泣きそうな私を後目に、おばけ(仮)のお兄さんは目をまん丸くしたまま口を開けた。
音にするなら正にぽかーん、だろうか。何でだ。
暫く此方を見ていたお兄さんだったが、小さく一度吹き出せば、堰を切ったようにゲラゲラと腹を抱えて笑い始めた。
「俺がおばけって…ッ…ひ、っはは、面白ぇなァお嬢サン…!?……っあー、笑った笑った」
「…そんなに笑うことですか?と、いうよりおばけではないんですね…?」
「俺は神様だよ。かーみーさーま!」
「神様?」
「そ。んー…一つ昔話をしようか」
つい、と人差し指を立てたお兄さんは、目を閉じたまま静かに語りだす。
「むかーしむかしの話だ。
お嬢サン、神世七代って知ってるか?」
「かみよななよ…?えっと…確か、天地開闢…?世界が出来た時に生まれた神様七人の総称……でしたっけ…?」
「簡単に言えばそれでせーかい。頭良いなァお嬢サン。
その神世七代の神様の中で最後に生まれた一組…伊邪那岐神と伊邪那美神が産んだ神様、カグツチってのは分かるか?」
「火の神様だった、ような…?」
「そうそう、上出来。古事記では火之夜藝速男神、火之炫毘古神、火之迦具土神なんて呼ばれてたりするんだが…伊邪那美神を殺した神様でもある。
そりゃ火を纏った子供を産みゃあ火傷もするだろうが、そのまま伊邪那美神は死んじまった訳で、当然怒った伊邪那岐神に殺された。…それがカグツチ」
すらすらと紡がれる話の問いに一度学校の宿題で調べたくらいの浅い知識で返事を返せば、良く出来ましたと言わんばかりに頭を撫でられた。
イザナギとイザナミの黄泉の国の話は大体頭に入っているものの、その子供の話はうっすらとしか記憶に無い。…咄嗟に答えられてよかった。
さて、と仕切り直してお兄さんが話を続ける。
「こっからは少し前の話だな。
言っても数百年程度だが…ある小さな村で一人の子供が産まれた。
紅い目を持って産まれた幼児は、それはそれは気味悪がられたよ。やれ鬼の子だ、やれ化け物だと大騒ぎでなァ…その内産んだ母親は死んじまったんだよ。“火傷で”」
「……火傷?」
「そ。なーんかどっかで聞いたことあるだろ?神話みたいに子供に焼かれて死んじまったんだ。
俺の母さん」
そうぽつり、と呟いたお兄さんは、それまでの笑顔が嘘だったみたいに表情を無くした。
紅い瞳は確かに私を見つめているのに虚ろで、映しているのは遠い何処か別の誰かな気がする。
懺悔するように。すがるように。
いつの間にかしっかりと掴まれていた両手に伝わる力が強まって、痛みに息も出来なくなりそうだ。
「っ、ぃ……ッ」
「母さん……母、さん、……ころして、ごめん。もう、大丈夫だから、もう……守レるから、…だカラ、」
視界に霧がかかったように見えなくなる。
少しずつノイズが混じるお兄さんの声は、震えてか細い。
泣いているのだろうか。見えない筈なのに、紅いあの瞳からぽろぽろと涙が零れているような気がする。
泣かないで、泣かないで。声が出ないことがもどかしくて私まで泣けてきそうだ。
胸が締め付けられるこの気持ちは、果たして本当に私の感情なのだろうか?
これは……彼女の…………ああ、だめだ。
意識、が、
「…なに、やってんのよ……この馬鹿火男ーーーッ!!!!!!!!」
「グハァ…ッ!?」
意識が遠退く一歩手前。
ズドンッ!と大きな音を立ててお兄さんが床に沈んだ。……沈んだ?
「…ッお兄さん!?!?」
今度こそはっきりと戻った意識の中認識出来たのは、頭から廊下の床にめり込んだお兄さん。
と、お兄さんの頭を踏んでいる、白髪のとても綺麗なお姉さんでした。