026
ちらりと見やったシステムクロック。もうリアルの時間は23時を回っている。
……迷ったのだ。別にホームタウンでも無いし、いちいち足を運ぶのは自然じゃ無いし。
だけど、いつも通りと言うべきなのかもしれないけれど、いつまでもユミリアから動くことの無いその様子が気になって、結局俺は、エクスフィリスの転送NPCに話しかけてしまった。うるさいネージュを先にログアウトさせるのに無駄な気を遣ったのはまた別の話だ。
―ブライマル自由都市連合 辺境の村ユミリア
夜から始まった宴会が終わった頃には、もう日は昇り始めていて、ユミリアに降り立った俺を迎えたのは、静かで穏やかな朝の風景。しばらくしたらログアウトして布団に入らないといけない身としては、時間感覚が狂ってしまわないか心配にもなった。
数人のNPCが行き来するばかりで、相変わらずプレイヤーの姿は全くない、世界の外れの寒村。
黒髪の剣士殿がいつも気怠げに背中を預けている木立には、しかし人の姿は無かった。もう一度フレンドリストを確認しようとして指を滑らせた、その時、ちょうど俺から死角になっていた樹の後ろから、人影がのぞく。
「カン……」
口にしかけた言葉が、喉の奥で詰まる。背中の半ばまでに届く長い髪、その色は煌めくような白銀。
思わずストレージから大剣を引き出しかけて、だけど、その姿がよく知った人であることを遅れて認識して。慌ただしく目を白黒させながら、俺は後ずさった。
「こんばんは、ユキ。おはようございます、の方が良いかな?」
「レティシア……」
花の咲くような笑顔を俺に向けてきたのは、今更言うまでも無い、ラウンドテーブルのマスターにして旧い友人の美少女。
どうしてレティシアがここに、とも、カンナは? とも、どちらともなんとなく訊くに後ろめたく、俺は冷や汗をかきながら目を伏せる。
「カンナとはおしゃべりしてたんだけど、ついさっきすれ違いで落ちちゃったよ。残念だったねー」
だがそんな俺の躊躇いを正面から撃砕するいつもながらの、旧友の微笑み。
「あの、別にね、カンナに会いに来たわけじゃ……」
「そうなんだ。こんななんのクエストも、なんのショップも無い外れの村に、こんな時間にわざわざねー」
「うぐ……」
なんだろう、なんら後ろめたいことなんてしていないはずなのに、なんでこんなに追い詰められているんでしたっけ。
「カンナが居なくて不満だとは思うけれど、折角だし私のおしゃべりに少し付き合って貰ってもいいかな」
そんな、はいともいいえとも答えられない言葉に心を折られて、俺は頭を抱えたい気持ちで、レティシアの寄りかかる樹の根元に、すごすごと腰を下ろした。
足を投げ出したはしたないユキさんとは違って、楚々と膝を折って座る銀髪の美少女殿。
そんな仕草を横目に見ながら、ふと、カンナとレティシアがおしゃべりなんて珍しいことがあったものだなんて思った。
そういえば今日現実で二人が一緒に歩み去っていったことを思い出す。
――仲良く、なったのかな。
心の中の問いかけが、レティシアに届くはずも無く。
「まずは、ジルデール攻略おめでとう、ユキ。すごいね」
その言葉に、俺は口元だけで照れ隠しに笑う。
「ありがとう。レティシアも打ち上げ来れば良かったのに。ジークとフィルも居たんだから」
「ああいうのは、実際に戦争で勝った人達のものでしょ。私が首突っ込んでも浮くだけだよ」
「まぁ、そうかな」
「私も戦争に参加したかったってのは、あったけどね。あのパシフィズムの腐れマスターが口を出さなければー」
――おっと、レティシア、あんたは手伝うなよ。
それは、あの会議でそう釘を刺してきたブラッドフォードのこと。相変わらず怒ったときにこそ、にこにこ笑うレティシアが怖い。
「だから、一人でマスターの雑務をしてるのも癪で、カンナとおしゃべりしに来てたの」
「……戦争中、ずっと?」
だいぶ長く、ジルデールでは戦っていたはずだ。その間ずっとおしゃべりを続けるというのは、女の子同士だからなせることか。
「そうだよ。ユキも意地悪で作戦教えてくれなかったから、カンナと二人でこの後どうするつもりかなって、兵棋盤眺めながら。あ、ちゃんと鍵かけた部屋でやったから、他の人に目撃されて誤解を招くようなことはしないように気をつけたからね」
アグノシア最大レギオン、ラウンドテーブルのマスターと、クロバールの最高評議会構成レギオンのメンバーが、アグノシアVSクロバールの戦場の様子を一緒に眺めるなんて、見る人が見れば凄まじい光景だ。
そして、そんな自分の行動がどう見られるかまで気にしなければならない、レティシアの立場に苦笑いする。昔の自分もそうだったから……わかってしまう。
「マスターは色々大変だね」
「そうだよ、マスターは大変。ユキは……マスターを辞めて、どう?」
気軽な言葉に、気軽では無い問いかけを返されて、しばし、言葉に詰まった。
「……気楽にはなったよ。出来るようになったこともあれば、出来なくなったこともある」
「他国の女の子を助けるために、自国の大手レギオンマスターに啖呵切ったりとかかな?」
……この子は真面目な話がしたいのか、それとも単に俺をいびりたいのか、どっちなんだろう。
「いいじゃないかよう、ちゃんとジルデール落とせたんだから」
拗ねた声を出した俺に、レティシアはきょとんとして、それから、何故か向こうまで口をすぼませた。
脱力したように樹にもたれかかって、銀糸の髪が流れて零れ落ちる。
「そこを言ってるんじゃ無くてね」
「良く解らないけどごめん……」
はぁとため息をついて。
「ユキはなんなのかな。コミュ障なのかな」
「そう言われましても……自覚はありますよう」
会話を繋げるのも苦手だし、適切な話題を選ぶのも苦手だし。
人の言葉の意図を探るのは特に。
言葉通りのことを言われているのか、それとも言外に皮肉を言われているのか、戸惑ってしまう。だから踏み込むこともできないし……ただ、笑ってやり過ごすだけ。
みんなどうやってその当たり折り合い付けてるのかなぁって……わからないからコミュ障なんでしょうね。
頭を巡らせると、じっとりと細められた蒼氷色の目。レティシアが姿勢を崩したせいで案外近くにあったそれに、どきりとした。
「たまには、私にも何かこう……優しくしてくれることがあってもいいかなぁって思うんだけど」
現実の姿と同じく整った、旧い仲間の顔。不満げにすぼめられた口と、じと目。だけど、その白皙の頬にわずかに赤みが差しているように見えるのは、目の錯覚じゃなかろうか。
いつだって大体にこにこ微笑んで、まぁその裏で腹黒いことを考えて居ることがきっと大半なんだろうけど……レティシアのそんな表情は見たことが無くて。
「レティシアはさ……あんまりこう優しくするタイミングが無いって言うか、どちらかというと私の方が助けて貰ってばっかりだったから」
「そうだね。色々突っ走るマスターの後片付けばかりだったもんねー……と言うか、さっきのは忘れてね。忘れてください」
……もう一度樹の幹越しに表情を窺おうとして、だけど、見えたのは銀色の流れる髪だけ。旧友はそっぽを向いていた。
きっとマスターとして少し疲れているんだろうな、なんて思う。
「……頭でも撫でようか?」
「……っ!!」
一瞬逡巡の間があった気がしたのは、きっと気のせいだろう。
ばっと振り返ったレティシアの頬は、やはり少し赤みがかっていた気がしたが、表情はいつもの穏やかで、そしてにこにこと怖いものだった。
「時々ね-、ユキは私のこと馬鹿にしてからかってるんじゃないかなぁって思うことがあるんだよねー」
「な、ないない! 絶対そんなこと無い!」
レティシアを怒らせたら現実で社会的に殺されるんじゃないかと本気で危ぶんでいる俺がそんなこと出来るはずは無いのである。
「全くユキは本当に……」
「ごめんなさい……」
はぁと深々したため息をつかれて、釈然としない感じはあったけれど、とりあえず謝る社会的弱者の危機回避スキルを発動させておく。
「きっといつか誰かに刺されるよ?」
「後ろめたいことしてるつもりは無いんだけどな……煽りもPKも正面切って正々堂々がモットーなので」
「そっちは心配してないんだけどねー、全くー」
今日のレティシアはやたらと絡んでくるなぁ……なんて。カンナから何か良からぬ事でも吹き込まれたんだろうか。
そんな俺の心を読んだわけではあるまいが、レティシアはまた笑みの色を深めて、俺の方に流し目を送ってきた。
「そういえば落ちたカンナも、何かユキに言いたいことあるみたいだったから。明日の学校が楽しみだねー」
……何それ怖い。