025
そうだった、と思い出す。
しばらくソロで、自分だけの戦いしかしてこなかったからすっかり忘れていた。
指揮官を務めた戦争の後は、こんなにも疲れ切るものだったって。
橙の滲むような灯火が照らし出す、大理石と煉瓦で出来たエクスフィリスの街並み。魔法の明かりに照らし出された宵闇の帝都は、メルドバルドとまでは行かなくとも、十分に幻想的で綺麗な景色だった。
流石に中央広場を陣取ってとはいかないが、一つは入った小路の酒場の軒先にテーブルを広げて、ささやかな戦勝祝賀会が開かれていた。仄明かりの下で、NPC製の出来合いのものとはいえ、様々な洋風の小皿とグラスが並ぶ、小洒落たパーティーの雰囲気。
もっとも……前述の通り俺は、すっかりグロッキーになっているわけなのだったけれど。
「指揮官殿、何か挨拶ないの?」
そんなことを行ってよこしたのは、相変わらずセーラー服みたいな女子高生然とした格好をしている癖に、ビールジョッキを抱えたリオだった。リアルだったら絶対補導されるやつ。
気付けば、みんな思い思いの飲み物を手にして、俺の方に何か期待の眼差しを向けてきている。
――苦手だ……こういうの。
戦場ではどれだけ声を張り上げることができても、こういう場所では……その、ちょっと。そもそも戦場でのことだって後から思い出すと恥ずかしくなったりするっていうのに。
恨みがましくリオを見てから、諦めて立ち上がって、首をすくめて。縮こまりながら、小さくグラスを掲げて見せた。
「その……お疲れ様でした!」
少しだけ間があって。
「お疲れさん!」
「お疲れ様ーっ!」
「お疲れ様でした! 祝ジルデール攻略!」
「クロバールざまああああああ」
わっと上がった歓声に、ほっと胸をなで下ろして、崩れるように座り込む。
「なんか気の利いたこと言えないの」
「ソロの大剣使いに何を期待して。こういうのはみんなが適当に盛り上がってくれれば良いの。私は隅で小さくなってるから」
リオにひらひらと手を振った。
結局、どんな時であれ人の視線が怖いんだと思う。どんなに上手くいったことでも、知らない人から向けられる視線から、悪意の種を見つけてしまう。それは本当に悪意を向けられてるわけじゃなくて……結局自分の心持ちの問題なんだろうけど。
絡むつもりは、元から無かったらしい。リオは肩をすくめて身を翻し、自分のレギオンの人達との会話に紛れて行く。
エノアさんと、ヌアザの左腕の人達。面と向かっては初めて話す何人か。
そんな人達が、軽く言葉を交わして去りゆき……結局、落ち着いてみれば回りに残るのは、ジーク、ネージュ、フィル。そんな面々。
少し遠く眺める大所帯の賑やかな風景に、羨望や憧れが無いわけでは無い。昔は……そうだったという寂しさもある。
でも、それは変わりたいわけではなくて……いつだってある無い物ねだりの感傷。
今の俺には、これでいい。これがいい。
「勝ったくせになに辛気くさい顔してんだか」
目ざとくそんなことを言い咎めるのはやっぱりジークで、俺は苦笑を漏らした。
「辛気臭く無いよ、こんなに可愛いのに」
「別に俺は表情のことを言ったんであって、顔の造形のことは何も言ってないんだが……」
「そうだよなぁ、アンニュイな感じのユキちゃんもそれはそれで可愛」
「キモ」
「俺はお前の言ったことを肯定しただけなのにおかしくねぇか!?」
フィルは相変わらずの平常運転だ。
あと、常日頃からカンナから言われ慣れてしまった、気持ち悪いとかそういうのですが、言う側に回ると凄く気持ち良いです。
「まぁ、全力で勝ったー! って気分になれないのは、ちょっと画竜点睛を欠いたからっていうのはあるかな」
「あの青髪の二刀流の人のこと? 綺麗な人だったね!」
「中身はおっさん、中身はおっさん、中身はおっさん」
「……どうしたの急に」
「ネットゲームでちょっと良い感じの女の子に出会ったらまずそう唱えると、心穏やかに過ごすことが出来るってとある人から教わったんだよ」
「カンナさんにも言ったの?」
「言わないよ。良い感じじゃなかったので。主に出会いのシチュエーションが」
「さいですか……良かったんじゃないかな。言ってたらユキちゃん決して許されなかったと思うよ」
ネージュのじと目を澄まし顔で受け止めて。まぁ、その通り。剣の巫女こと、ガランサスのことだ。
終始押されっぱなしで、決着も付けられずに終わった、二刀流使いとの戦い。
そして、おそらくこの戦いは今回で終わりではあるまい。
『カンナ』――その名を、エルドールの少女は口にしたのだから。
ついつい、フレンドリストに視線をやってしまう。
登録数の少ないリストの一番上の『Kanna』の名前。アクティブを表す白の彩りの所在地は、ユミリア。相変わらずログインはすれども戦争にも行かず、あの寒村に居るみたいだった。
カンナにとっては、ガランサスはどんな人だったんだろうか、聞いてみたかった。
まぁ、この宴が終わった後か……明日の話だ。
「あの、剣の巫女相手に渡り合ったんだ、十分じゃねぇか」
「やっぱり、剣の巫女ってそんなに有名なんだ?」
俺の問いかけに、フィルは氷の入ったグラスを転がしながら応じる。
「有名も何も、銀剣全体でも五指に入るんじゃねぇの? それに強プレイヤーっていうと男が多い中、可愛い女キャラ。男心をくすぐる二刀流。ファンも多いぜ、俺もファン」
「誰もそんなことまでは聞いてないけどね」
「でもほんと、格好良かったよー。私もファンになっちゃいそう」
「実際戦って無い人は気楽で良いよね」
お気楽極楽ネージュに、今度はこちらからじと目を向ける。
だけど、まぁ知ってる。この愚妹は俺からの冷たい眼差しなんて屁とも思わないんだ。
「まぁ、ユキ。そんな人と一応引き分けだったんだし、戦争も勝ったんだしで、今日は素直に喜ぼうよ。凄いことだよ、ジルデールを落としたんだから」
「そうだな。恥ずかしながら、ラウンドテーブルが何度攻めても落とせなかった戦域だもんな」
ジークにぽんぽんと肩を叩かれる。にっと笑ってみせる戦友を、少しばかり面映ゆくみやった。
もちろん、嬉しくないわけなんてない。自分の立てた作戦で難攻不落と言われる戦域を攻略できて、ゲーマー冥利に尽きるというに限る。
ただ、それを派手に喜ぶのはなんとなく、気恥ずかしいだけで。
「やっぱ指揮官やってるお前生き生きしてたぜ。たまにはやれば良いのに。レギオン復活させろとは言わねえけどさ」
そんなフィルの言葉に、俺は少し考えて……苦笑した。
「今回……いや、このクロバールとの戦争が片が付くまでの間だけだよ。もう、私はソロプレイヤーで大剣使いのユキ。あれだよ、あれ。日陰者は日陰者らしく生きてくのが良いって言うか」
「拘るねぇ」
その話は、それっきり。
そう、これは手段の話。こんな風に指揮をさせて貰うのは、クロバールのこと……カンナのこと、片を付ける間だけのことだ。
掲げた、かつてのキャメロットのレギオンフラッグ。それに色んな想いを、当然抱いたけれど、それは過去に向かう感情であって。
俺は、今はそういうもののためじゃなくて……戦うって。
……どうにも戦疲れのせいか、思考が妙な方に寄り道したがっていけなかった。
やはりみんなも激戦で疲れているんだろうし、ジルデールの戦争時間自体も長かった。
一人、二人とログアウトしていき、段々と賑やかさを減らしていく酒場をみやりながら、ネージュの言うとおり、今ぐらい純粋に勝ったことを喜ばないと、と。
これからのことも、勿論考えないと行けない。
ジルデールを落とすことが出来ても、これは戦端に過ぎない。そもそもまだ本戦――クロバールの正式宣戦布告は行われてもいないのだから。
どうやってクロバールに勝つのか。どうやってカンナを無事にアグノシアに迎え入れるのか。
だけど、それはとりあえず明日から考えることにして。
俺は、手元のグラスを一気に飲み干した。
「ネージュ、お替わり」
「自分で取りに行きなさい」