022
波が動く。
前線の押し引きの感覚は波に近いと前にも言ったが、今度のそれは押し寄せる大波に見えた。
後ろから襲いかかられる焦燥に駆られて、ただがむしゃらに前を出てHPを減らすだけだった、敵の重騎士達が息切れしたように、ゆるゆると下がる。
次の攻勢がくるかと、合わせてこちらも引いて、態勢を立て直そうとしたその時だった。
敵の戦列が割れ、楔形に編成された完全に新規の戦力が押し出してくる。先頭にブリュンヒルデのレギオンフラッグを押し立て、鬨の声が鳴り響く。
「進め!! 挟まれたとて相手はアグノシアの弱兵、食い破れ!」
「言ってくれるね」
『兄様も良く同じようなこと言ってるけどね』
『……だから、梟の耳で人の発言拾うのやめていただけません?』
何この妹怖い。兄様のことそんなに好きなの? ヤンデレの妹に死ぬほど愛されて眠れないの俺?
そんな逃避的な思考は、しかし、頭の隅に。急激な戦場の変容に、計算をめぐらした。
「ユキ、まだこいつら攻撃の余力十分持ってるぞ! それもさっきよりきつい!」
「下がりながらで良い! 突破はもう少し凌いで!」
苦しそうなジークの声に応じる。
『ネージュ、トークついでにジークを集中的に援護してあげて! 今リーダーがやられると不味い』
『了解!』
挟撃が上手く決まった時点で動揺し混乱し、そのまま潰走してくれることを望んでいたのだが、熟練の相手との戦いは、何一つ楽には行きはしない。
包囲に対する最良の回答は正面突破。わかっていてもそれを成し遂げられる指揮官は少ない。包囲、挟撃を決められた時点で指揮官も兵士も心が折られてしまう。
それを立て直せるのは、本物の証だ。
「こいつら……なんで挟撃されてるのにこんな強気なんだよ!」
「クロバールの人たちはほんとなんか出来が違うんじゃないの……」
圧倒的に不利な状況にあるはずの敵の奮戦に、わずかに前線に動揺が走る。
「心配しないで、これが敵の最後の攻勢だ! これを潰して、私たちは勝つ!」
叫んで、俺はレギオンフラッグを今一度、高々と掲げた。
そう、戦術に通じて策を考えるだけでは、指揮官になることなんて出来ない。そんなのは偽物だ。
本物は、味方を……仲間を、戦術の先に勝利があると信じさせることが出来てこそだ。
「エノアさん、陣形変更!」
「はいっ」
「ジーク! 抜かれて良い! 突破されたら突破口の両側面を維持!」
「難しいこと言うなよ! みんな! 俺の横に道を作る! 俺に向かって敵の勢いを受け流せ!」
敵の勢いに押し込まれて、凹字に歪んでいた重騎士の第一戦列に、ついに穴が空く。
「くおおおお……っ!!」
突破口に向かって殺到する敵の勢いを大盾を地面に斜めに突き立て、必死に受け流すジークの苦悶の声があがる。
俺はレギオンフラッグに両手を沿え、陣形の中になだれ込んできた敵を正面から見据えた。
俺の視線を受け止めたわけではないだろう。だが、突破を果たした後は本営を破壊することで指揮系統の破壊を目論むものだ。
「本陣はあそこだ! 飲み込め!」
「ユキ! 敵はお前を狙ってるぞ!」
鋭い鏃形の陣形を維持したまま、敵は真っ直ぐにこちらに向けて殺到してくる。
重騎士の後ろの第二列は本来攻勢任務の戦列に過ぎない。その守りは薄く、勢いに乗った敵に、一瞬の抵抗で突き破られる。
アグノシアは最前線を支えることに精一杯だった。ラインが突破された今、敵の勢いを有効に止める手段があるはずもなく……。
兜と翼を染め抜いた黄金の旗が風にたなびき、坂を下りきる。
重なり合い、迫り来る怒号。戦士達の血走った目。額に冷や汗が浮かび、前髪が張り付く。
乾いた喉を鳴らし、俺は、ぎりぎりのタイミングで、声を張り上げた。
「今っ!」
「食らえええええええっ!!」
横合いから予備兵力の重騎士達が突っ込む。
普通は抜かれそうになった前線を維持するために、予備兵力というのは投入するものだ。
だが、俺は敵に前線ラインを突破させ、奥まったところまで進撃させてから止めることに用いた。
それはほんの十人程度に過ぎない少数だったが、予想して居なかったタイミング、方向からの反撃が、敵の行動に虚を作る。
その瞬間、三方から降り注いだ攻撃が、クロバールの陣列を乱打した。
弓矢、炎、氷、稲妻。ありとあらゆる類いの遠距離攻撃手段が、堰を切った如く降り注ぐ。
敵のヒットポイントゲージがあっという間に真っ黒になり、消滅していく。
予め焦点を定めておいた火力の集中。そのためにエノアさんは、巧みに第三列以下の後衛をV字に近い縦深陣形に組み直してくれていた。
本営を囮にして、敵の前衛に突破をさせ、予備兵力の機動と火力の集中をもってこれを殲滅する。
これで、終わりのはずだった。
――だが。
「行きたまえ! 剣の巫女!」
横合いから飛び込んだ重騎士達の壁が、すっとバターナイフを入れた様に呆気なく切り裂かれる。
未だに倒れない、ブリュンヒルデのレギオンフラッグがはためき。
炎と氷の壁をすり抜け、一直線に突進してくる、一つの影。
目を見開く。今の俺はレギオンフラッグを握りしめ、得物はストレージの中。丸腰の状態だ。
眼前に迫る、蒼い影。
『兄様っ!』
叫びとともに、風切り音が俺の耳元を掠める。ネージュが放っただろう矢はしかし、影を貫くより前に、一閃した銀の煌めきにはじき飛ばされる。だが、一度振るわれた剣を引き戻すには時間がかかる、こちらが立て直すには十分な猶予だ。
一先ず一撃目は凌ぐことができた、そう、戦闘態勢を整えようとした俺に、しかし、あり得ないスピードの二撃目が襲いかかってきた。
「くあっ!」
反射的に身を躱すが、間に合わない。左からの横薙ぎを捌き損ねて、肩口から胸当てを浅く切り裂かれる。
レギオンフラッグを抱え、必死に飛びずさる。
円舞のような優雅さで、長い髪を靡かせ、俺の居た場所に着地したのは、一人の女の子だった。
空を映し込んだような蒼穹の髪、同じ色の潤んだ様に濡れる瞳の奥には、しかし、醒めた戦意が強い光を刻んでいる。
どこか神秘的な雰囲気の、綺麗な少女。
帯びるレギオンエンブレムはブリュンヒルデのものではない。空色の地に白の翼のはためく――因縁深きレギオン『エルドール』
「あなたが、大剣使いのユキ、だね」
「……そうだよ」
頷いた俺に、問いかけを放った少女は、右の手の剣を真っ直ぐに差し向けてきた。
同時に、俺はさっきの連撃の仕掛けに気付く。右手だけではない、彼女は垂らした左手にも片手剣を握っていた。
……直接に剣を交わしたことはないが、噂には聞いたことがある。
エルドールの凄腕の剣士。片手剣二刀流の使い手。
とにかくその強さと、そして戦局や自分の立ち位置を顧みない戦いぶりから、ついた二つ名が、剣の巫女、あるいは……バーサーカー。
「あなたと剣を交えに来た」
「剣の巫女にご指名いただけるとは、光栄の至り」
皮肉っぽく笑って見せた俺だったが、そんな皮相の表情は一瞬ではぎ取られることになる。
「カンナを巻き込んだ人が、どれほどのものなのか、確かめにね」
詰まった息を、無理矢理に飲み込む。
クロバールの最後の突撃は押しとどめられ、坂の上の共和国旗は目に見えて数を減らしている。
もう、戦局は揺らがないだろう。
「……エノアさん、すみません。レギオンフラッグを、頼みます」
「心得ました。ユキさんには必要な戦いなのですね。後から抜けてくる連中も、任せてください」
レギオンフラッグを信頼できる旧友に託し、俺はストレージから清冽の剣を抜き放った。




