021
丘の下から見えたのは、丘の縁へとアグノシアの熾炎旗、そしてメイランディアの剣槍旗がはためく様。
そしてすぐさまにブリュンヒルデのレギオンフラッグと入り交じって騒乱を広げていく様。
一瞬一際鮮やかに煌めいて見えたのは、誰の振るった剣だったろう。
後方を突かれたからといって、厚みのある敵の布陣、すぐさまこちらの前線の状況が変わるわけでもない。
だが、誰かが上げた歓喜の雄叫びは連なって、平野に鳴り渡った。
「流石、見事な斬り込みですね」
「伊達に脳筋を自称してはいないって感じかな」
「どうにもユキさんは素直じゃ無いですね」
そんなエノアさんの声に苦笑い混じりに頷いて、俺は最前線へと戻ったジークにトークを送った。
「少しの間、敵の圧力が増してくるだろうから、戦列、固め直して。油断してたら逆に崩されるよ。防御専念で良い、殲滅は後ろからやってくれる」
「はぁ!? 包囲が上手いこといって楽になるんじゃねぇのかよ」
「槌と金床って……言ってもジークわかんないよね」
「うるせえ、全く解らんぞ!」
「じゃあ、とにかく耐えて」
何やらわめくジークだったけれど、一方的にトークを切る。ま、そんな適当なやり取りをする余裕が出てきたのは戦況が良い証拠ということで。
槌と金床は戦術の基本的な概念の一つだ。
どれだけ優位な状況で敵を追い立てようと、敵の後方の安全が確保されている場合、敵は下がるばかりで、決定的な戦果を得ることは出来ない。
敵に強力な打撃を与えるためには、振り下ろした槌の衝撃を受け止める金床が必要になる。
今回は槌の役割をリオ達に託した。すなわち金床となるのが俺達となる。
振り下ろされた槌の衝撃は金床にまで伝う。金床は強固でなければ、槌を振り下ろした衝撃に耐えきれない。
優秀な指揮官ならば……槌の勢いを利用するところまで考えるだろう。
――思ったより……消耗しすぎたかもしれないな……。
頬を軽く叩いて、やはり包囲が成功した状況、緩みかけている気を引き締め直した。
指揮を執る人間が今の景色だけを見ていてはダメだ。次に起こりうる景色に備えることが仕事なのに。
味方の士気は軒昂だが、やはり敵の攻撃を受け続けた前衛の損耗度が高い。先日のツィタディアの如く、プレイヤー自身の集中力の問題もある。
敵がこのまま混乱と動揺を収められずにいる限りにおいては問題ないが。
戦場での優勢なんて、常に薄氷の上のもの。
「エノアさん。陣形を再編します。タイミングはまだだけど……」
◇ ◆ ◇
「してやられたな……」
横目に窺った指揮官の表情は、しかし思ったほどに落胆や憔悴に彩られてはいない。
動揺甚だしい参謀たちと、それは対照的だった。
「……随分余裕があるようだけど」
思ったことがつい口を突いてしまうのは、自分の悪い癖だと思いつつ、なかなか直すことが出来ない。
ガランサスの呟きに、しかし、耳ざとくレオハンは反応した。
「そうでもない。どうすれば良いのか頭を巡らしている。それに、気を抜けば後悔に押しつぶされそうだがね」
「態度に出ないだけ?」
「そうだな。古来から指揮官が負けると思ったらその通りになるものだしな。それに後悔は後ですれば良い。戦いは過去を向いた瞬間に負ける。今は戦況を打開する一手を見つけるのが、私の仕事だ」
後ろからは全く疲労していない敵が勢いよく押し寄せ、正面には未だ崩れない敵陣がある。
挟撃されたということ、そして挟撃されるというのはとてつもなく不利だということは彼女にも解る。自分にも解ると言うことは、ほとんどのクロバールの人達が理解しているだろうということで……それ故に広がる動揺が、余計にクロバールの力を削いでいた。
事前に陣形を変更して円形陣なりでも組めれば、まだましだったのだろう。しかし、予備兵力を全て投入し、坂にまで達していた陣を容易に組み直すことは能わず。本当に、敵の指揮官は狙って仕掛けてきたのだということを改めて感じることしかできない。
こんな状況からひっくり返せる手があるとはガランサスには思えなかった。もし自分なら、どうするだろう。
「私なら、もう覚悟決めて一人でも多く道連れにしようと突っ込んじゃうな」
「流石は、バーサーカーと言ったところか」
苦笑交じりの反応。むしろ、このままこちらが敗勢に陥るようなら、言葉の通り突っ込もうかと考えていたところだ。しかしレオハンは、一考の後、思い直した様に顎を一撫でしてみせた。
「いや……しかしそれは悪くないかも知れないな。相手が押してくるのなら、押し出されてみるのも一興か」
伏せられたレオハンの理知的な色を宿した瞳が忙しなく動く。自分の気楽な発言に何か得るものがあるとは思えなかったが、レオハンは確かに閃きを得たらしい。
「感謝する、ガランサス殿。第二騎士団! まだ戦う力は残っているな?」
「まだ行けます。ただ、ここからどのようにかする手が残っているとは……」
「弱気なことを言うな」
叱咤するでも無く、明るくそう返して、レオハンは、マップウィンドウを公開表示で投影する。
「正面突破だ」
レオハンの指さす先は、正面の敵陣のど真ん中。単純明快な指示だった。
よもややけっぱちかとガランサスは見上げるが、レオハンの眼差しは落ち着きに満ちている。
「……しかし、こんな動揺した状況で易々と突破できますかね」
「こんな動揺した状況だからこそ、難しい戦術は発起できんよ。単純に一直線に、力をぶつけるしかできまい」
不安げな司令部の人々を見回して、レオハンはにっと笑って見せた。
「もちろん戦況を一気にひっくり返せるような奇策ではない。だが、地力で勝るクロバールの力をもってすれば、もしかすれば。火事場の馬鹿力というのに期待してみようと思う。まずはこの混乱した状況に明確な目的を与えることだ。全軍に伝令を、頼むぞ!」
心からの賛同を示した人は少なかったが、それでもみんな与えられた指示の通りに散っていく。彼らも、目的を必要としていた人のうちに入るのだろうと、ガランサスは思った。
そして、レオハン自身も腰に差していた細剣を引き抜いてみせた。
「こういう時は指揮官が先頭を切るものと決まっているのでね」
「……ブリュンヒルデ上層の貴族っぽい人だから、もっと軟弱なものだと誤解してたよ」
相変わらず歯に衣着せぬ青髪の少女の物言いに、レオハンは苦笑をこぼす。
「軟弱モノがレギオンの幹部になどなれんよ。うちのマスターはああ見えて戦いには厳しいお方。この戦いが終わった後も、私が幹部でいさせて貰えるかはしれないがね。それはそれで、久しぶりに一戦士としての戦いを楽しむさ」
「死亡フラグっぽいから未だそういうことは言わない方が良いよ」
ガランサスは笑って、そして、自身も二本の剣を握り直した。
「私も行く。きっと、相手の指揮官に届くとしたら、この一撃だから」
「剣の巫女が先陣を切るとなれば、これほど心強いことは無い」
「さっきはバーサーカーって言ったくせに」
「すまぬすまぬ」
全くすまなくなさそうにはっはと笑って、それからレオハンは声を張り上げた。
もともとクロバールの本営は全力攻勢に出ていたために、坂の下の前線に近い。
「合図とともに最前衛は一旦引く動きを見せよ。相手がそれに合わせて引こうとしたタイミングで、第二騎士団が出る。あとは全軍続け。後ろのことは気にするな。むしろ敵の攻撃に背中を押して貰うつもりで前へ出るのだ」
銀剣に騎兵の概念があったらさぞかし絵になるだろうなと、ガランサスは残念に思う。ハイファンタジーや歴史スペクタクルの映画を愛する彼女としては、こういう危機にあっての騎乗突撃ほど絵になるものはないと感じていた。
だが、心持ちとしてはそれと変わらない。危機を打開する突撃。こういう心燃え立つ瞬間のために、自分は銀剣をプレイし、そして戦場にいるのだ。