018
前衛が押されている。
眼下に広がる光景と戦況図が示す状況に、レオハンは意外に思いつつ、顎を一撫でした。
丘の上から攻め寄せるという有利な位置取り。森から出てきたアグノシアが十分に展開する前にその頭を抑え、クロバールの方が多くの戦力を戦場に投入できているはず。それなのに、自軍が押されるというのは、指揮官にとっては不本意なことだった。
入り乱れるレギオンエンブレムの中には、アグノシアでも勇名をもって鳴らすヌアザの左腕のものが多く見て取れる。
苦戦は彼らによるものか、それとも――
――あの、啖呵を切って見せた指揮官の腕によるものか。
「思い通りに行かないのは戦場の常、か」
唇の端を皮肉っぽくもたげて、レオハンは軽く右手を挙げた。
「第二騎士団の前衛を選りすぐって右翼から進出させろ」
「片翼包囲ですか」
「いや、地雷除去というやつだ」
参謀の言葉に、もう一度顎をなでて見せる。
レオハンが訝しんでいたのは、敵の数だった。森の出口で頭を押さえ込まれたといえ、平野に展開しているアグノシアは数がいささか少ない。
ならば、後ろの森に何らかの理由で予備戦力が潜んでいると考えるべきだろう。
アグノシアの左翼に十分に戦線が組まれておらず、そこを突き崩せば半包囲の形を作り出せるかに見えた。
だが、そのあからさまに脆い形が不審に感じる。戦場全体に罠を仕組んでクロバールを陥れかけた指揮官なのだ。
試してみよう、とレオハンは思う。
「怪しい動きがあればすぐに引くようにな」
彼の指示に、少しばかりの間を置いてクロバールの軍勢が動き出す。
翼と兜を染め抜いたレギオンフラッグが白銀にはためく。
ブリュンヒルデは、レギオンメンバーの中でも上位のものを中核戦力として8つの小隊にまとめていた。
レギオン名同様、戦乙女の名を冠された8つの騎士団。
今回ジルデール防衛のために与えられたのは、そのうちの一つ第二騎士団だったが、手持ちの戦力の最精鋭にあたるそれを、レオハンは何かあったときの予備兵力として、控えさせていた。
ようやく出番を与えられた彼らは、鬨の声も高く土煙を上げて、丘を駆け下っていく。
中央がクロバール側を押し込んでいるおかげで、あまり圧力を受けて居なかったアグノシアの左翼は、突然迫りきた脅威にほとんど対処できないようだった。
白銀の槍が薄い戦線に突き刺さり、一瞬の抵抗の後に呆気なく突破する。
勢いを失わないままにクロバールの槍は、そのままアグノシア本体の脇腹へと到達して食い破るかに見えた。
しかし、アグノシアの陣の後ろ半分を覆う森へと近づいたその時、俄に森の中から叩きつけられた矢と魔法の火力の壁にぶつかって、第二騎士団は急停止を強いられた。
「……やはり、か、反転命令! 退却させろ!」
突然の反撃を受けたとて、その程度で動揺して崩れるブリュンヒルデの精鋭ではないが、再度の突撃をかけようとする間に、一度突破したはずのアグノシア左翼が戦列を再編し直し、彼らの退路を断ちつつあった。その動きを丘陵の上から俯瞰した、レオハンの指示だ。
包囲の輪が閉じられる前に辛くもすり抜けるブリュンヒルデのレギオンフラッグ。予想通りのこととは言え、想定以上に洗練され、素早かったアグノシアの動きに舌打ちを禁じ得ない。
「もてあそばれたか。罠のオンパレードだな、この戦場は」
呟きながら、ふと、レオハンはもの問いたげに自分のことを見上げて居る少女に気付いた。
「相手の指揮官、そんなに凄いの?」
エルドールからわざわざ志願してきた蒼髪の剣士の、そんな朴訥ともなんとも言えない質問。
「そうだな……少なくとも、楽に勝たせてくれない程度には。ユキというらしい、あまり聞かなかった名だな。聖堂騎士団に喧嘩を売ったというんだから面白そうな奴ではあるか」
「そうだね……うん」
聞かない名だった。大剣を愛用する珍しいプレイヤー、そしてろくでもない煽り屋として、小耳に挟む程度だった。
つい数日前までは。
――ガランサスは、レオハンから視線を外し、眼下の戦いの風景へとやる。
戦場全体を俯瞰するなど、普段はひたすら前線で戦う彼女にとっては、あまり見たことの無い風景だった。
自分の見えないところで、戦況が動き、自分の武器が届かないところで勝敗が決まっていく。
あの場所に居れば……この剣で、倒される味方を助けることも、憎い敵を倒すことも出来るのに。
そんな風に考えてしまう自分は、やはり指揮官などには向いていないのだと思った。
ただ……アグノシアの陣地に翻る、白の、空白のレギオンフラッグ。それを握っているだろう、ユキという女の子。
その子のところまで剣を届かせる機会を、ガランサスは狙っている。
今はまだ、敵と味方の厚い壁に阻まれ、あの白いレギオンフラッグまで辿り着けそうに無い。
指揮官まで近づける、その機会があるとすれば、勝敗が決する寸前だろう。
それまでは我慢しなければならなかった。
両の手に握った剣の柄をもてあそぶ。
剣の巫女、あるいはバーサーカー。
そんな名誉なんだか、馬鹿にされてるのか――もちろん現実で呼ばれたら泣きながら逃げ去らないとならない類いの――二つ名をもつ彼女は、敵の指揮官とはまた別の意味で特異な得物を手にしていた。
両手にそれぞれ一本ずつ、片手剣を握った……いわゆる二刀流のスタイル。
大剣というまだ打ち合わせたことの無い武器を得物にする相手との戦いを脳裏に描きながら、ただ、じっと。逸る気持ちを押し込めて、時を待つ。
停滞ほど退屈なものはない。何か戦況を動かしてくれないものか。
そんな少しばかりの期待を込めて見上げた視線に、クロバールの指揮官はにっと笑ってみせた。
「退屈げだな」
「……そうだね、戦争なんだもの、戦わないとやっぱり退屈」
「では、少しばかり戦況を動かすとしようか」
それは、別にガランサスの期待に応えてのものではあるまい。
ただ、レオハンの決意が今偶然決まったというだけのことだ。ただ、そんな表現をしてみせる同盟レギオンの幹部を、ガランサスは少しばかり好ましく思った。
「予備選力を全て投入する。全戦線を厚くして、正面から力で押し込む」
「しかし、それでは集中の原則に反するのでは」
不安を眉根に滲ませた参謀の男に、レオハンは目元で笑ってみせた。
「地力ではクロバールが勝っている。相手が様々な罠を張っているのだとしたら、罠にかかりようがないよう、正面から力で押すのが最良なのだよ」