013
―クロバール共和国 辺境属領ジルデール
白露月 1の日
丘陵にも敵の姿は無く、俺達は簡単にその頂上を占拠することが出来た。
小高く開けた丘の上に、晩夏の風を受けて、アグノシアの熾炎旗が翻る。普通なら、主力レギオンのレギオンフラッグも一緒に掲げられるものだが、生憎と俺もフィルも寄る辺なきソロの身だ。
「メイランディアの剣槍旗でも掲げる?」
「これは、大剣使い、アンタの戦争でしょ」
リオのそんな涼しげな言葉に、俺は頭を掻いた。
「ま、漸くスタートといったところだな」
フィルの声に頷いて、視線を北側にやる。
細めた目の先には、クロバール領側からせり出す丘陵の上に、所狭しと翻る共和国旗と、兜と翼……あれは、ブリュンヒルデのレギオンフラッグか。守りの主力はどうやら、今回は聖堂騎士団ではないらしい。
挑戦者を待ち受けるクロバールの軍勢は微動だにすること無く、整然と鉄壁の陣を敷いて、難攻不落の丘陵の上で待ち構えている。
あちらの視界にも当然、この熾炎旗はよく見えていることだろう。
――俺の、ユキの戦争。
リオに言われた通り、これは、俺にとっては、アグノシアのためでも、レギオンのためでもない、私戦だ。
何かのためなんて考えるからおかしくなる。ただ、自分がしたいことのために真っ直ぐに向かえば良いと、もう一度、自分に言い聞かせるように心の中で呟いた。
「すましてられるのも、今のうちだけ。その紅白のおめでたい正義ぶった旗、たたき折ってやる」
「ノってきたねぇ、ユキ。昔の感じ思い出してきた?」
ついつい口に出してしまったと我に返ったのも後の祭り。聞き流してくれるフィルではない。
「う、うるさいな。昔の感じって、私はただ普通に指揮とってただけだし」
「そうだっけかなぁ。ノってくると映画やアニメでしか聞いたことないような台詞がぽんぽんと出てきてた気がするけど」
「ないないない、そんなこと絶対無い!」
頬が紅潮するのを感じながら、俺は必死になって否定した。
「大剣使い、実は中二病って奴?」
「違う!」
「赤くなったユキちゃんも可愛い!」
むーっとむくれたユキに抱きついてこようとしたフィルを片手間に吹き飛ばして、俺はふぅと息を落ち着けた。
中二病だっていいじゃない、黒歴史だもの み○を。
いえ、全然良くないですね。社会に生きる人間として許して貰えないこともあるんです。
「もう、馬鹿やってる場合じゃ無い」
パン、と頬を叩いて、気持ちを切り替えた。
「リオ、エノアさん、フィル。最後のおさらい、やっておきましょう」
丘の、視界の通らない木立の一角にリーダー格の人達で集まって、作戦の再確認を行う。
大手レギオンが主力となる戦いでは――この前のツィタディアのラウンドテーブルがそうであったように、精緻な目的別のパーティー編成を組んで臨むものだ。俺がキャメロットのマスターだった時もそうだったが、今回は大手レギオンの人達がかなり参加してくれているとは言え、寄せ集め色が強いのは否めない。
なので、この戦いでは元々良く組んでいる人達の纏まりを重視することにしていた。
オーダーオブメイランディアのことはリオに一任しているし、ヌアザの左腕のことはエノアさんに。
一般参加の人達は、フィルだ。同じソロプレイヤーの道を選んだと言っても、屑プレイヤーの俺と違って、旅の軍師を気取って時折遭遇戦を勝利に導く働きをしてきたフィルは、それなりに人望がある。変態だけど。
「相手の目はちゃんと潰せてるかな」
地図を広げながら――といってもインフォメーションウィンドウ上のだけど――の俺の問いかけに、エノアさんが、フードごとこくりと頷く。
「大丈夫。ヌアザの左腕のメンバーは所定の位置について、相手の偵察は一人も逃してないよ。ジークさん達も活躍してるみたい」
「なんだかんだで一級だからなぁ、ジーク。筋肉馬鹿も一級だけど」
持ち上げてるのか落としてるのかはっきりしないフィルに、エノアさんはくすりと笑う。控えめで穏やかで優しい女の子だ。フードから覗く量の多い黒髪も、素朴な顔立ちも図書委員とかそんなイメージ。同じ黒髪読書家でも凶暴な誰かさんに見習わせてあげたいです、はい。
「じゃあ予定通りに……だね。移動の頃合いは任せるよ。準備できたら教えて」
「おうよ。よろしくな、リオちゃん」
「よろしく。戦術とかは私全然だから、任せるよ。その分、戦闘のことは任せてくれて良い」
ユキの大剣ほどではないにせよ長大な野太刀の柄を叩いてみせるオーダーオブメイランディアのマスター。フィルと頷き合うその様子、二人の相性はそんなに悪くも無いようで、心の中でほっとため息をついた。
「エノアさんは私と一緒に、ヌアザの左腕の人達やジーク達を拾いながら、移動しましょう」
「OKです。ふふ、久々のユキさんとの戦闘、楽しみにしてますよ」
そんな風に煙るように微笑んでくれるエノアさんが本当に眩しい……。
ともあれ、ここからは二正面作戦だ。
戦力は、フィル―リオ組とユキ―エノアさん組に分かれて……そして、俺達は一度登った丘をすぐ降りることになる。
そろり、そろりと忍び足で。
「いよいよ本番だな、ユキ」
「……そうだね」
「なんだよ、緊張でもしてんのか? 柄でもねぇ」
フィルのからかう声に、俺は自分の胸に手をやった。
革の軽鎧の下に差し込んだ手には、現実にはあるまじき柔らかい感覚……ではなくてですね。確かに、いつもよりも速い鼓動が伝わってくる。
緊張しているんだろうか、と、顔を撫でて……知らず知らずのうちに、口角がつり上がっている自分に気付く。
「いや、違うよ」
これは……高揚だ。
戦場という盤面を目の前にした時の、指揮官にしか感じることの出来ない高揚。ソロプレイヤーの剣士として、卓越した相手を目の前にしたときにも似た、しかし異なる感覚。
知恵の限りを尽くして、相手を欺き、盤面を組み上げ、王手へと追い込む、その感覚は、久しく忘れていたものだった。
いつだって同じだ。
戦いに挑むのは、約束のためだとか、そんなことを思っていたけれど、いざ戦いが始まってしまえば、戦い自体に没頭してしまう。
ゲーマーの救いがたい、悪い癖。
「みてぇだな。いい顔してるよ」
「もうソロで十分だって半年前思ったはずなのにさ、いざこの立場に立ったらこれだから、現金なものだよね」
「良いんじゃねえの。ゲームなんだ、やりたいことやるのが一番だぜ」
旧友と笑い合う。
「じゃあ、頑張ろう。勝利を」
「勝利を」
身を翻し、既に準備を整え終えて居るエノアさんの方へと向かう。
肩越しに、翻り続けるクロバールの共和国旗に、思い切り挑発的な笑みを投げつけた。