012
―クロバール共和国 辺境属領ジルデール
白露月 1の日
戦争の始まりは静かなものだった。
それもそのはずで、戦争が開始された時点では、攻略側のプレイヤーは当該マップの隣接する自国領側の最初ポイントへ、防衛側のプレイヤーはマップ中央付近のポイントへと飛ばされるのだ。お互いの距離はだいぶ開いている。
攻略・防衛双方がお互いめがけて進軍し、会敵して初めて戦闘が開始される。戦争開始時点では激しい戦闘が起ころうはずもない。
ソロで参加する戦争では、開始からもうしばらく時間が経っていて、転送されてすぐさま最前線ということが多いので、そんなことも忘れていた。
この戦争では……防衛側は動かないはずだと俺は思っていた。難攻不落を称される防衛ポイントが存在する戦域。防衛側としては、そこに陣をくんで待ちかまえていればいいわけで、わざわざ不利な平野に降りてきて会戦を挑んでくるなど、まともな指揮官なら試みようはずもない。
だから、俺もフィルも……リオ達も、まだ気負うこと無く、しずしずと前進を続けていた。
ジークとネージュは、先行隊として、偵察をしつつ、敵の斥候を潰していく役割に着いている。
「しかし面白いことを考えるんだね。意外だよ、大剣使い。単なる脳筋だとばかり思ってたのに」
リオが囁いたそんな言葉に、俺は眉をひそめた。
どうして俺の回りの女の子は、こう、評価が辛いんでしょうね。まぁユキさんの振る舞いは本当単なる脳筋だったので仕方無い部分はあるんでしょうけれど……。
それにリオは、常日頃から自分はネカマだからと公言していた。それが本当のことなのか、それともネットゲームにありがちな、近寄ってくる不埒な男どもを避けるための方便なのかは知らないけれど、女の子にカウントするべきかどうかは微妙なところだ。
……この戦争の中心を担ってくれる人達に話した作戦は一旦は受け入れては貰えたようだった。
ヌアザの左腕の人達は、半年前の俺を覚えていてくれたから、ユキらしいねなんて言ってくれた。
しかし、こうやって一緒に戦争に挑むことが初めてなリオは、しばらくしてから疑問が湧いてきたらしい。隣り合って歩きながら、いつも通りの調子で話しかけてくる。
「私は、あんまりこう作戦とか考えたことないんだけど」
「よくそれでレギオンマスターやってこれたね」
「うちは、小細工を力でねじ伏せるのが信条なんだ」
開き直ったそんな言葉は、しかし真実だ。
オーダーオブメイランディア。近接職だけを集めて作られたレギオンがアグノシアの上位レギオンとして数えられるのにはそれなりの理由がある。今回の戦争でも、彼らには攻撃の主力となって貰うべく編成を組んでいる。
見た目的には日本刀をぶらさげた女子高生という、狭い範囲のマニアに受けそうな格好をしたレギオンマスターは、俺の顔を覗き込むようにして、遠慮の無い疑問を投げかけてきた。
「本当に敵は思った通りに動いてくれるのかな」
「……どうだろうね」
「どうだろうねって、ちょっと」
呆れた声に、俺は肩をすくめてみせる。
「作戦の世界に絶対なんてない。結局は人と人との勝負なんだからさ、どちらに転ぶことだってあり得るんだよ。私も色んな今までにあった戦争……銀剣の中の話題になった戦いも、現実の過去の戦争も調べてきたけど、もし、ここで別の選択をしていれば逆の結果になっていたって言う例はいくつもあったよ」
「……それじゃ、この作戦はやっぱり賭けってこと?」
「……いや」
俺は首を横に振った。
「レティシアに教えて貰ったり、自分で調べたりしたけど、クロバールの人達も戦術を色々勉強しているらしい。やっぱりジルデールを任せられるレベルの人達はちゃんと戦術の定石を把握しているってことだよ。
……そう言う人達は、ちゃんと正しい答えを導き出してくれるはずなんだ。相手がこちらの意図を正確に読み取ってくれるなら、この作戦は勝てる。そういう風に作ってある。だから、賭けじゃないと思う」
「そういうものなんだ?」
「少なくとも、確率的には高いと思ってるよ」
俺の目をじっと見つめて……それから、リオはにっと笑った。
「ま、とりあえず今回はアンタに賭けてみるよ。私にはアンタの言ってることが作戦として正しいのかはわからないけれど、随分真剣そうな目してるしね」
「そうかな」
後頭部を掻いてみる。
真剣になる理由は、十分にあった。
この戦いに勝てなければ、俺はクロバールとの全面戦争に全力で当たることが出来なくなってしまう。
――私に出来ることがあったら……言ってください。
そう言ってくれた同級生の女の子に。
――だから……必ず助けに行くから!
そう言った、自分の約束に、応えることがことが出来なくなってしまうのだから。
もう一度、作戦を頭の中で反芻する。動くべきタイミング、見逃すべきで無い敵の動きのシグナル。
それらをもう一度おさらいして、俺は顔を上げた。
視界には、最初の目標である、丘陵の一つが入りつつあった。
◇ ◆ ◇
―クロバール共和国 首都ディオファーラ
白露月 1の日
――ジルデール辺境属領がアグノシア帝国の侵攻を受けています。
そんな無味乾燥なシステムインフォメーションに、レギオン『ブリュンヒルデ』のマスタールームはにわかににざわめき立った。
難攻不落の、という言葉が定冠詞のようになったジルデール丘陵に、アグノシアが迂闊には手を出さなくなってしばらくになる。ジルデール攻略戦とは、アグノシアにとっては緻密な作戦を立案して挑む、一つの決戦のようなものらしい。
もっとも、攻める側と守る側の意識が一致していないというのは、銀剣の戦場においては良くあることだ。
幾度かの戦いを経て、アグノシアがどれほど作戦を練ろうとも、クロバールの主力レギオンが守るジルデール丘陵はまず落ちはしないというのが、クロバールの指導部――それはもちろんブリュンヒルデも含む――の認識となっていた。
ブリュンヒルデのレギオンマスターは、リスティナと言う。戦乙女のレギオン名は彼女自身のことを差しているのだとたびたび噂される、北欧人のように彫りが深く整った顔立ちに、白皙の肌。美しく波打つ金糸の髪を垂らした姿は、甲冑を纏えば、まさに神話に登場する戦乙女のようだった。
そして仮にもクロバール2位に位置する上位レギオンのマスターの身。外見に実力が伴わないはずもない。
「そちらのマスターは、何か言っているのですか? 攻められると言われていたジルデールで、実際に戦いが起こったことについて」
エルドールの簡素なマスタールームとは全く趣を異にする――豪勢な椅子が設えられ、そこに王侯のように深々と腰掛けたリスティナの興がるような眼差しに、ユラハは表情を変えないまま、わずかに首を傾げてみせた。
「特に何も言っていませんね。先日からアグノシアとの戦争の準備でそれどころでは無いのだと思います」
エルドールのマスター、オルテウスからの依頼を受けたユラハは、他の用件もあったため、直接ブリュンヒルデが居を構えるレギオン城を訪れていた。
マスタールームにリスティナを訪ね、ジルデール丘陵のことをまさに伝え終わったその時に――もっとも、アグノシアがジルデールを攻めてくるという話自体は、ブリュンヒルデでも把握していたらしいが――ジルデールで戦争が勃発したのだった。
エルドールのサブマスターの答えに、リスティナは唇の端をわずかに持ち上げてみせた。
「相変わらずですね、彼は。迂闊なことを言って責任を負わされたく無いと言ったところですか」
「ええ、そんなところだと思います」
聡明で直截的なブリュンヒルデのマスターに対して、見抜かれていることを韜晦しても仕方が無い。すっぱりと返ってきた言葉に、リスティナもまた苦笑する。
「先日の件があったとはいえ、問題のあったメンバーの追放も済んでいるのですから、そんなに気を遣うことも無いのにと思います。あくまで私の意見なので、聖堂騎士団が何を考えて居るのかは知れませんけどね」
ユラハはそれに対しては何も答えない。オルテウスや……聖堂騎士団に無謀にも挑んだ元レギオンメンバーと違って、ユラハは合理主義者を自認している。その言葉に反論したところで何らエルドールの利益にはならないと思っているのだ。
ただ……レギオンメンバーの追放を「済んでいる」の一言で済ませるこのマスターと、自分やオルテウスの考え方が交わることは決して無いのだろうなとは思う。
「何にせよ、情報感謝します。ジルデール……今日の担当はレオハンでしたか?」
「私です、マスター」
脇に控えた男が上げた声に、ユラハはちらりと眼差しをやった。
何度か戦場でも会議でも見かけたことがある。細面の顔立ちの、壮年の貴族といった印象のプレイヤーだった。癖のある焦茶色の髪に、蓄えられた口ひげ。
立ち振る舞いにもどことなく優雅さがある。よもや、実世界で貴族というわけはないだろうが……。
「第二騎士団を率いてジルデールに向かってください。万が一のこともあってはなりませんからね」
「承りました」
「ご心配なく、ユラハ。ブリュンヒルデが油断することなどあり得ませんよ。どんな奇策があろうとも、全力で叩きつぶすのみです」
平然としたリスティナの言葉に、ユラハは頷き、それから思い出したように、唇に手をやった。
「そういえば、うちの幹部が一人、ジルデールに参加したいと言っているのですが、構わないでしょうか」
「戦争に参加する権利は誰にでもあるはずです。ちなみにどなたですか?」
「ガランサスです。二刀使いの」
「……ああ、、剣の巫女ですか」
「お気遣い無く、バーサーカーと呼んでやって結構ですよ」
わずかに間を置いて苦笑した、その理由を正確に察して、そうユラハは言う。
「ともあれ、優秀な戦士の参戦ならレオハンも文句は言わないでしょう……オルテウスにもよろしくお伝えください」
会話の終了を暗に意味するそんな言葉に、ユラハは黙して一礼し、身を翻した。
「……というわけで、連絡、終わりました。ブリュンヒルデはそれなりの戦力でジルデールに臨むようです」
後ろにマスタールームの重厚な扉が閉じるのを聞きながら、ユラハはレギオンチャットにそんな声を流す。
すぐさま、レギオンマスターからのねぎらいの言葉が返ってきた。
「何がというわけなのでかわからないけどね。ありがとう、ご苦労様」
「どういたしまして。それから、ガッちゃん、ブリュンヒルデには話通しておきましたから、後はお好きにどうぞ」
「そのガッちゃんっていうのやめてって言ってるのにー」
耳元で弾けた賑やかな声に、ユラハは露骨に鬱陶しそうな顔をする。
「ガランサスは長すぎるんですよ」
「雪待草の学名だから、ゆーちゃんとか、ユッキーとか可愛い呼び方他にもあるでしょ。あ、でもユッキーはどうやら被るみたいだからダメかなー」
「被るって誰とですか」
「ユキ、て言うんでしょ? カンナのこと誑かしたろくでなし」
ユラハは相手に表情が見えるはずは無いとわかりつつ、思い切り渋い顔をした。おそらく、オルテウスもマスタールームで同じ顔をしているだろうと思った。
「もしかして、ガランサス。ジルデールに行く理由って……」
「ジルデールに布告してきたのそのユキって人って話じゃない。どんなろくでなしなのか、ちゃんと見てこようと思って!」