011
◆ ◇ ◆
―アグノシア帝国 帝都エクスフィリス
白露月 1の日
全く……と、レティシアは途切れたトークウィンドウをしばらくぼんやりと見つめていた。
フィルの頼み事は、普通に聞けば首を傾げざるをえないような内容だったが、二人の旧友の表情が、それがたちの悪い悪戯以上のものであることを明白に語っていた。
目的を二人は教えてくれなかった。戦いが起こってからのお楽しみだと。アグノシア最強と呼ばれるレギオンのマスターである少女にも、その意図ははっきりとはわからない。
キャメロットの頃、作戦立案での議論では決して敵わなかった二人。フィルが『戻ってきた』のだ。そして……ユキも。
――万軍の本領発揮かぁ……。
かつて肩を並べて戦った戦友達が、またその全力をもって戦おうとしている。そのことにわくわくするとともに、自分がその戦場に居られないことが残念でならない。
――レティシア、あんたは手伝うなよ。
直接の原因で言えば、ブラッドフォードの入れてきた茶々によるものなので、勿論、パシフィズムのマスターに対しては怒りに近い苛立ちを覚える。
だけど……元を辿れば、自分がレギオンマスターという道を選んだことに起因しているのだろうなと、レティシアは思ってしまう。
ユキは……半年前、レギオンマスターを辞め、ソロプレイヤーの道を歩んだ。ほとんどの昔の仲間との関係も断ち切って。
頼れるものは自分の力のみ。だけど、どんなしがらみに囚われることもなく、自分の望みのままに選ぶことができる道。……救えない誰かを、救える道。
自分は、レギオンマスターの道を選んだ。ソロプレイヤーなんかより、動かせる力は余程大きく、きっと色んなことを叶えられる道。
だけど、もしかしたら一番大事なものを……見捨てなければならないかもしれない道。
半年前、レギオンマスターを引き継ごうと名乗り出た人は他にもいた。人に任せるという選択肢もあったはずだ。
みんなが大切にしてきた、レギオンという場所を守りたいという気持ちもあった。
だけど、ユキが行くことを諦めた道を、敢えて選んだのは明確な自分の意志だ。
きっと自分は人の上に立つのが好きなんだろうと思う。
ユキの甘さは大好きだったけれど……心の奥でどうしてももっと割り切れないんだろうと思ってしまうこともあった。
――自分ならもっと上手くやってみせる、なんて、酷い傲慢。
だが……実際、レティシア率いるラウンドテーブルは、今やアグノシアの頂点に君臨している。
多くの人がついてきてくれていて、そして、このクロバール共和国との戦争も、ラウンドテーブルがアグノシアの主導権を握れる位置にいるからこそ、まだ勝つという希望を繋ぎ止めていられている。
きっと、ソロプレイヤーで居たら、今日、ユキやフィルと一緒に戦えたんだろうなとは思う。
――でも……後悔はしない。
レギオンマスターとなった今の自分にしか出来ないことが、たくさんあるのだから。
……そう思いつつ、自分に言い聞かせつつ、やはり悔しさというか、もどかしさが消えて無くならないのも、確かなことだった。
「男3人寄り集まって、あんな楽しそうにしないでもいいじゃない……」
他に人も居ないレギオン城のマスタールームで、そう独りごちて、レティシアは頬杖をつきながら、もう片方の頬を膨らませた。
プライベートトークで、レギオンメンバーの何人かにフィルからの依頼を伝え、それから戦域攻略に関するいくつかの指示を出してしまうと、途端に手持ちぶさたになってしまう。
そういえばここの所、夜のプレイ時間の多くをユキ達とのために割いていたからだと思い当たり。
「……女子は女子同士で仲良くしようかな」
そう、銀髪の少女は、おそらく同じように手持ちぶさたにしているであろう友達に、プライベートトークを飛ばした。
◇ ◆ ◇
―クロバール共和国 首都ディオファーラ
白露月 1の日
「……ジルデールが攻められるって?」
「はい、次のアグノシアの目標はジルデールだそうですよ」
レギオン エルドールのマスター、オルテウスが不審そうに眉を潜めたのは、ジルデールという地名の故では無く、サブマスターのユラハが、いつもの努めて平板な声音のまま、さも当然のことのように告げたからだった。
……ここのところ、オルテウスは、黄金の翼の旗が翻るレギオン城のマスタールームに缶詰となっていた。
聖堂騎士団のマスター、ユリウスが宣言したアグノシアへの宣戦布告。それに続く、全面戦争に向かっての準備に追われているのだ。
グラディウス・アルジェンティウスのサービスが始まって以来、システムとしては実装されていたものの、発動されたことは今まで一度も無い、宣戦布告システム。
それはそうだ――というのも、最終目的が世界統一に置かれた銀剣のメインストーリーからすればおかしな話だったが――いかに最強と呼ばれるクロバールと、最弱という評判のアグノシアとはいえ、他国を本格的に滅ぼすための侵攻作戦となれば激烈な抵抗が予想される。勝つためにかけなければならない準備と労力は莫大なものとなり……正直、ゲームの枠を超えているというのが、このシステムを評価した時のオルテウスの感想だった。
何日にも渡って参加できる戦力を調整し、アグノシアの首都エクスフィリスに向かう勢いを維持しなければならない。何かの失敗があって、戦線を断ち切られてしまえば、何千というプレイヤーの費やされた数日間が全て無駄になってしまう。そうなった時に爆発する不満を抑えることなど出来るのだろうか。
ユリウスが何を考えて居るのかオルテウスには計り知れなかった。
しかし、中央評議会で宣戦布告が決定されてしまった以上……オルテウスとしては、この戦争への準備を粛々と進める他は無い。
勝つため……というよりは、負けないために。
そこに振り込まれた、あたかも茶飲み話程度の気配の、ユラハの言葉。
事務作業で麻痺気味の思考回路だったが、纏わり付いた本能的な違和感を見逃す彼では無かった。
普段に比べれば、だいぶの時間をかけて、オルテウスは違和感の正体に辿り着く。
「どこから聞いてきたんだい、そんなこと」
ジルデール丘陵とはいえば、対アグノシアの最重要戦域の一つだ。幾度にも及ぶアグノシアの攻略作戦を退けてきたその戦域は、いつしか難攻不落の代名詞、そしてクロバールの強さの象徴のように語られるようになった。
今では、週替わりで上位レギオンが持ち回りで防衛を受け持つようになっている。
ジルデールを攻めるというのは、アグノシアの中でもそれなりの意味を待つはずだ。そんな情報が簡単に漏れるだろうか、というのがオルテウスの疑問だった。
「アグノシアの人がうっかり漏らしたみたいですよ。オープンで言ってから、しまった、っていう感じの顔をしていたらしいですが……やはり、マスターも胡散臭く思いますか?」
「君ねぇ……いつものことだけど、怪しいことはちゃんとそれらしく伝えてくれよ」
「マスターなら見逃すはずはないと思ってますので」
そんな全く悪びれないサブマスターの返答に、オルテウスは苦笑いするしかない。
だが、すぐに表情を真面目なものに入れ替えた。
「で、漏らした人の所属レギオンは? 同種の報告はいくつあった? 君のことだから当然調査済みだろう」
「信頼に感謝しますよ。同じような話は3つ報告があります。ブライマル自由都市連合のそれぞれ別々の街で。漏らしたのは、いずれもラウンドテーブル所属とのことです」
「……そんな偶然あると思うかい?」
「どう考えても、必然でしょう」
オルテウスはため息をついて、深々と執務椅子に背中を預けた。
アグノシアの戦争行動の中心にあるラウンドテーブルの所属メンバーが、それも同時多発的に情報漏洩をやらかすなどと、あり得るはずが無い、というのがエルドールの幹部2人の共通意見だった。つまり、この情報漏洩は、故意によるものだということになる。
問題は、その故意がどういう意図に繋がっているのかということだ。
「全く大事な時期に面倒な……しかし、わからないな」
やはり事務作業続きで疲れているのかも知れない。オルテウスは戦争に関してはどちらかというと緻密な分析を繰り返して答えに辿り着くよりは、直感によって相手の意図を見抜くタイプの戦術家だったが、そのあまりに安っぽい情報漏洩の目的とするところは、頭にかかったぼんやりとした靄に遮られて見えなかった。
レギオンメンバーの参戦可能な日程の確認、部隊分け、リーダー役の指名、情報伝達経路の整備。それに加えて、消耗品アイテムの補給方法の確認。戦線が拡大した時の補給先優先順位。実際の物品調達やレギオンの財務管理は目の前のサブマスターに任せているが、それでさえ、煩雑な……それこそリアルの仕事よりも面倒な事務作業による消耗は、思った以上なのかも知れなかった。
「……ちなみに、今週のジルデールはどこのレギオンの担当だったかな?」
「ブリュンヒルデですね」
「うわ、苦手だなぁ……」
ブリュンヒルデは色々と複雑な関係性の上位レギオンの中でも、聖堂騎士団寄りの積極派。のらりくらりと中立を装うオルテウスとは相性が悪い。
「……とりあえず、そういう話があったっていう事実はブリュンヒルデに伝えておいてもらえるかな。うちの判断とかは一切要らない。後でそのことで難癖つけられても厄介だしね。向こうも何人も指揮官クラス抱えてるんだから、自分たちで判断するだろう」
「丸投げしましたね……伝えるぐらい自分でなさったらいかがですか」
「頼むよ。もう、宣戦布告の準備だけで手一杯」
片手で拝んで見せるオルテウスに、ユラハは軽くため息をついた。
「まぁ、昨今のがんばりに免じて許してあげます。事務作業頑張ってくださいね」
「ああ、ありがとう」
また背もたれにもたれかかって天井を仰ぎながら、オルテウスは、しかし、と思う。
アグノシア……ラウンドテーブルとは何度か直接干戈を交えたことはあったが、こういう搦め手を使ってくるイメージは全くなかった。
戦争が近づき……アグノシアも変わりつつあると言うことなのだろうか。
頭に浮かぶのは、メルドバルドで剣を交えた、大剣使いの女の子。
それに、自分が追放した、黒髪の魔法剣士の女の子のこと。
ぼそりと呟いた言葉は、ユラハにも届かなかったようだった。
「……ゲームだというのに因果なことだね」
◇ ◆ ◇
―アグノシア帝国 帝都エクスフィリス
こんな風に戦争前に集まるっていうのも随分久しぶりだなぁ、なんて思ってしまう。
エクスフィリスの転送NPCの前に立った、俺とフィルとジーク。
それに向かい合うようにして、ジルデールを供に戦う人達が集まっていた。
ユキに勝るとも劣らない……という表現が適当かは別にして、近接職とは思えないほどの軽装に、腰に下げた太刀がよく目立つ、相変わらず不機嫌そうな目をした、オーダーオブメイランディアのマスター、リオ。
リオの後ろに控える、剣のレギオンエンブレムを掲げた人達はオーダーオブメイランディアのメンバーの人達だろう。
その集団の横には、オーダーオブメイランディアより数は大分少ないが、ジルデール攻略という困難な戦争に赴く気負いも無く佇む……半年前はよく肩を並べて戦っていた、ヌアザの左腕の人達。
「今日は、ありがとう。そして、よろしくお願いします」
そんな普通の挨拶をした俺に、リオはにっと笑った。
「なんか、らしくないね。大剣使い」
「久々で緊張しているんだよ、察して」
「本当、久しぶりだものね、ユキさんとこうやって戦うの。フィルさんも」
そう言ってくれたのは、ヌアザの左腕のエノアさん。目深に被ったローブの奥から穏やかそうな目の覗く、半年前の戦友。
そんな言葉さえ、暖かく感じられて、俺は後頭部を掻きやった。
「積もる話は後にして……それじゃ、そろそろ行きましょうか。作戦の詳細は、ブランダルについてから。編成はジルデールに入って、一般参加の人達も集まってから行います。勝ちましょう」
俺の声に、みんなが武器を掲げて、応じてくれる。
転送NPCに話しかけようとしたその時に、目の前にポニーテールに纏めた黒髪が翻った。
「ごめんユキ! 遅くなった!」
「ほんと遅いよ、置いていくところだったんだからね」
宿題を必死になって片付けてきたんだろう、虹色の燐光を纏って現れたネージュに俺は苦笑と一緒にパーティーを送る。
戦争自体は昨日だって行った。
だけど、自分が責任を持つ戦争……指揮を執る戦争はどれだけぶりだろう。
上手く出来るだろうか。
「伝説の名将の復帰は格好良く決めるものだぜ、万軍」
そんな、にやつき混じりのフィルの声が、背中を押してくる。こいつはどちらかというと崖っぷちに立った人間の背中を無理押しするくちだけど。それでも、俺は、にっと笑ってやった。
「そっちこそ、上手くやってね」
「ユキちゃんの頼みとあれば喜んで!」
「気持ち悪い」
いつもカンナやレティシアに言われてばかりの単語を、たまには使ってみる。なるほど人に言うと気持ち良いものですね。言われるのが気持ちよくなったら人間として終わりだと思ってます。
後ろを一度だけ振り返って、それからNPCに話しかけた。
「では頼んだぞ! アグノシアの熾炎旗よいざ燃え立たん!」
いつも通りのNPCの激励の言葉に、いつも通りじゃ無い気合いを込めて。
体を覆う浮遊感に、俺は身をゆだねた。