009
―アグノシア帝国 帝都エクスフィリス
白露月 1の日
昨夜、ユミリアにもシルファリオンにも戻らずにエクスフィリスでログアウトしたことには理由があった。
虹色の泡のような視界が晴れ、ログインしたての若干のふらつきを振り払って、俺は中央議事堂の一段高いきざはしから帝都中央広場の街並みを見下ろした。転送の出現ポイントを囲むように、円形に並ぶ様々な店の看板を眺め行き……目当ての店を見つける。
「……あいつが、そんな都合良く居るもんかねぇ」
チャットでタイミングを合わせて一緒にログインしたジークが、後頭部を掻きやりながらそう呟くのに、俺は肩をすくめて見せた。
「居なかったらトーク送って呼び出すさ」
「最初からそうすりゃいいじゃねえか」
「そこはほら……約束したからね」
「拘るよなぁ、そういうところ」
呆れてるんだか感心しているんだかわからないジークの仕草を横目に見て、俺はゆっくりと歩き始めた。
俺に課された『試験』
今日中にジルデール丘陵を攻略する。
そのためにはまず、『仲間』を集めることから、始めなければならなかった。
普段俺が好き勝手に戦場を渡り歩くように、自国の戦争であればプレイヤーは好き勝手に参戦出来るのが銀剣のルールだ。
なので、ジルデール丘陵に俺が戦争を仕掛ければ、人はそれなりに集まりはするのだろうが……流石に完全寄せ集めの状況で戦争に勝てると思うほど、俺も脳内お花畑では無い。
レティシア……ひいてはラウンドテーブルの支援は、ブラッドフォードによって禁じられ望めない。ジークは個人資格での参戦だ。他にも声をかければ集まってくれる元キャメロットのラウンドテーブルメンバーは居るかも知れないが、それが多すぎれば、ブラッドフォードから物言いがつくだろう。
――文句言ってくるようなら私が叩きつぶしておくけどー。
そんな風に、いつものにこにこ笑顔で怖いことをレティシアは言ったけれどさ。
俺は自分の力で戦力を整えなければいけなかった。半年前に自分から捨ててしまったはずのものを、ちゃんと手繰って。
昨日のうちに、俺はいくつかのつてを辿り、中核となる戦力の目途はつきつつあった。
だから、これは……パズルの最後のピース。
歩き着いた先の看板を見上げた。扉を両手で押し開ける。
まだ現実なら昼間と呼ぶようなゲーム内時間、その上、今日の天候は快晴で、眩しいくらいだった陽射しを背に踏み込んだ店は、酷く薄暗く感じられた。
灯火亭は、酒場に分類される店だ。
メルドバルドの鹿角亭もそうであったように、軽食や飲み物を出してくれるNPCがいて、それらを肴にプレイヤー同士の交流の場として設けられたスペース。もっともどんな中小のレギオンだろうと、レギオンの拠点となる建物を所有しているものなので、こういったオープンの店は、自然、ソロプレイヤーのたまり場になりやすい。
一番戦争も盛んに行われる時間帯、店の中に人影はほとんどなく。
だが、カウンターにひょろりとした優男が一人。
顔だけで振り返って、全て知っていたと言わんばかりに、唇の端で笑みを浮かべていた。
「随分懐かしい顔が二つも揃って。お先真っ暗な状況で昼間から飲まないとやってられないって?」
この半年の間に何度か戦場では顔を合わせている。だけど、そんな言葉を聞くと不思議と懐かしさがこみ上げてきて、俺は胸元を手で押さえた。
「生憎とどんな負け戦でも戦意だけは喪わないのが信条でね。知ってるでしょ?」
「そういえば居たねぇ。そんな諦めばっかり悪い意固地な奴が」
「お互い様だったと記憶しているけどね。フィル……約束通り、助けを乞いに来た」
――俺の力が必要になったら、エクスフィリスの灯火亭に来るんだな。
それは、キャメロットを解散した時、俺と同じようにソロプレイヤーとなる道を選んだ仲間が残してくれた言葉だった。まさか、本当に居るとは俺だって期待はしていなかったんだけど。
フィル。癖のある栗色の髪をした整った容貌の短剣使い。言葉遣いや表情と相まって、軽薄なナンパ男といった風情だが、キャメロット創設時からのメンバーだった。
……レティシアやジークと一緒に、ミハネの最後を見送った仲間。
そして、作戦立案において参謀として一番激論を交わした相手。
単純に戦術能力だったら、レティシアさえも上回るだろうと、半年前の俺が偉そうにも思っていた相手。
「膝に矢を受けてしまってな、もう大きな戦争には関わらねえと決めてたんだけどな。国がどうだの、レギオンがどうだの、そんなくだらねぇ話。お前も嫌になったと思ってたんだが、どういう風の吹き回しだ、ユキ」
そんな旧友が、軽い調子の言葉と一緒に投げかけてきた、眼差し。
「仲間を守るため。私と、仲間の誇りを守るため。クロバールには負けられない」
間髪入れずに、俺は応える。前だったら口に出すことを憚っただろう真っ直ぐな言葉が、はっきりとした声で出てきて、自分でも驚いたくらいだった。
「……いいねぇ、伝説の名将が復帰するには、やっぱり若者の真っ直ぐで熱い想いに応えてじゃねぇとなぁ」
「誰が伝説の名将だよ」
後ろでジークが漏らした付き合いきれないと言わんばかりのため息に、俺は思わず吹き出した。
「相変わらずで良かったよ、フィル。そして、ごめん遅くなった」
「俺に謝る必要なんてねぇよ。レティシアやジークならともかく、俺もレギオンを投げ出したクチだからな」
漸くフィルはカウンターから立ち上がって、俺達に正対した。
「しかし、よく本当にここに居たなぁ。よっぽど暇なのかフィル?」
「いや……実は、さっきレティシアからプライベートトークがきて、きっとユキが探してるだろうからって。それならお前なら絶対ここに来るだろうと思ってさ。いや、それ自体は良いんだが……あいつ昔からあんな怖い感じだったっけ」
「……レギオンマスターやると色々荒むんだよね、きっと。ね、ジーク」
「ああ……そうだな」
心の中でレティシアに感謝はしつつ。
昨日、今日の特に怖い感じの笑顔を思い出して、やはり昔はもうちょっと穏やかだったよなぁなんて。
「ま、そこら辺はおいおい顔合わせた時にはなしゃいいや。で、ジルデールを落とすんだって? 復帰戦にしちゃ、最初っから随分な戦いに挑むもんだ」
立ち話も何だとテーブル席の一つに腰を下ろして、フィルは早速本題を切り出してきた。せっかちというか実利的というかそういうところは昔のままだ。
「やっぱり、難しいんだ」
「俺も何度か一兵卒としてジルデール攻略戦に参加したけど、ありゃマップ考えた奴意地が悪いぜ」
「ああいう突出部は普通作っちゃった方が不利なんだけどね」
昨日から俺はジルデール丘陵のマップとにらめっこを繰り返していた。授業中にも、こっそりと。
ジルデール丘陵はその名の通り丘陵地帯だった。
戦域内には丘陵が点在し、一軍が陣を敷けるほどの大きさのものがいくつもある。
俺の見立てによれば、この戦域の難点の一つは、丘陵の最大のものが、クロバール領内から伸びてきて、マップの中心にまで至っているところだった。
小高い丘陵は下から攻め上るのに難しい。クロバールは、お得意の多数の重騎士によるラインと射手と魔術師からなる重厚な火力をもって、丘陵に鉄壁の守りを敷いていると言うことだ。
通常そういうラインの守りに対しては機動力でかき回すのが定石なのだが、そこが、この戦域を難しいものにしている点のもう一つ。
クロバール側からは、3本のフラッグポイントラインがこのジルデールに集中するように伸びてきていて、丘陵の先端で合流しているのだった。
フラッグポイントは本国からの全てのラインが切断されることで初めて無効化される。逆に言うなら、ラインを全て切断しなければ機動戦をしかけても意味が無い。
大きく広がった3本のラインを切断しきるまでには、機動力も失われ敵に対処されてしまう。実際、これまでアグノシアは全てそうやって敗北してきていた。
「正面攻めも無理、機動戦も効かない。まぁ、世に言う難攻不落って奴だわな」
「そうだねぇ……」
「難しい顔しながら、もう案はあるんだろ」
そんなフィルの言葉に、俺は笑顔を返す。
「まぁ、こういうのは昔から意地の悪い罠にかけてやるしかないって相場が決まってるからね」
「お前、全然そんなこと言わなかったじゃねえか」
不満げな声を上げるジークに、俺は肩をすくめてみせた。
「だってジークに話してもしょうがないし」
「違いない」
「ひでぇ」
そう、懐かしいやりとりに、一拍おいて、三人で笑い声を上げる。
男同士――一人は見た目は女の子ですけど……――キャメロットの頃は、よくそうやって、くだらない話に花を咲かせたものだった。
「聞かせてもらおうじゃねぇか、万軍」
「もういい加減その名前からは卒業したいんだけどね……」
苦笑して……俺は、予め作り込んでいた簡単なメモ書きを、共有モードのインフォメーションウィンドウに、投影した。