008
八方美人、という悪評にどう反論しようか難しい顔になった俺の有様に、藤宮さんはくすくすと笑った。
「そうだよねー、ユキは困って悲しそうな女の子にはのべつ幕無しにいい顔しちゃう八方美人だもんね」
「なんか微妙に棘がありませんかね、その言い草」
不満げに見やった俺の眼差しを涼しげに受け流す、その悪戯げに澄ました表情はレティシアのものだ。
そして、ココアのカップを両手で抱えて、ちらりと横目に藤宮さんを見る栂坂さんの目に、何故か随分険があった気がして、俺は肩をふるわせた。
「あの……なんかごめんなさい」
「なんで四埜宮くんが謝ってるんでしょう」
その切れ味鋭そうな眼差しがそのまま俺の方を向く。
「いや……なんでだろう。あんまり悪いことはしてないつもりなんだけど」
「じゃあ、謝らなければいいんじゃないですかね」
ホットココアをすする栂坂さん。眼鏡に湯気がついて、その表情は窺い知れなくなってしまった。
なんだろう……悪いことしてないなら怒らないで欲しいなぁと思う。
人の気持ちなんて、わからない。怒っていた人が翌日にはけろりとしてにこにこしていたり。いつもにこにこしていた人が、急に小さなことで怒りだしたり。
いつも泣いている人より、いつも微笑んでいる人の方が深い嘆きを抱えていたりする。
……ミハネみたいに。
俺は、たぶんそういう人の心を察するのがへたくそなのだ。どれだけ考えてみても、いつだって上手くいかない。
とりあえず、俺のことはどのように取り扱ってくれても構わないけど、みんなが仲良くしてくれるのが一番なんですけどね。
「……また何か難しいこと考えてますよね」
はっとして顔を上げれば、呆れたようなばつの悪いような、眉根に皺を寄せた栂坂さんの顔。
「深く考えないでください。冗談ですから」
「う、うん……ごめん」
また謝ってしまう俺に、今度苦笑を漏らしたのは、藤宮さんだった。
「なんで四埜宮くんは、戦場だとあんななのに、普段はそんななのかなぁ」
「そうだね……ほら、ユキさんだと可愛いから何やっても許される気になってくると言うか」
「気持ち悪いです」
「気持ち悪いねー」
冗談のつもりだったんだけど、そんないつも通りの反応を返されて、俺はため息をついた。毎度のことなので、栂坂さんと藤宮さんの返しも冗談なんだろうと思っている。冗談だよね?
「まぁ、冗談は置いておくとして……戦争は明確な答えがあるからじゃないかな。やるべきことが解ってれば、誰だってちゃんと振る舞えるよ」
「そう普通の人は言いきれないと思うんだけどな。戦争に答えがあるだなんて。何百、何千って言う人が敵味方に分かれて、好き勝手に動き回るのに。なんで答えがわかるかなぁ」
それはキャメロットの頃に、いつもレティシアに言われたことだった。
「うーん……そう改めて言われると難しいけど、やっぱり色んな有名な戦いの記録を頭に入れてあるのが大きいんじゃないかな。数学の公式と同じで、やっぱり勝てる戦いの勝ち筋っていうのはいくつか決まってるから、自分たちはそれを目指すし、当然敵もそれを目指してくるものと思えば、相手の行動も読みやすいって感じで」
「東南の風が吹いたら火を放ったりですか」
「その勝ち筋は限定的すぎでしょう」
栂坂さんは三国志好きすぎですよね。俺は船を鎖で繋ぎ合わせようと言ってくる奴だけは、絶対に信用しないようにしておこうと思います。
「私もユキに言われて、色々勉強したんだけどなぁ。未だにそんなにぽんぽん出てこないよ、作戦」
「十分だと思うけどね」
「まぁ、そんなユキなら、今回も大丈夫だとは思うんだけど……勝算はあるんだよね、ジルデール丘陵」
そうして……計らずとも、話題は巡ってまた同じところに戻ってくる。
藤宮さんの珍しくも真剣な顔に、俺も思わず居住まいを正した。
ジルデール丘陵。
クロバールとアグノシアの前線の中で内陸寄りに存在する、アグノシア領に深く食い込んだ、クロバールの前線拠点のような戦域マップ。
しばらく『まともな』戦争から離れていた俺は、国のことなんてほとんど考えていなかったから、寡聞にして知らなかったのだが、前線に食い込んだ棘のようなその戦域を取り戻そうとアグノシアが戦争を仕掛けること数十回。未だ陥落させることの叶わないマップだということだった。
当然、ラウンドテーブルも何度か攻めたことがあり、あれは難関だぞと、裕真に教えて貰った。
そんな場所を条件に出してくる辺り、ブラッドフォードらしいということか。その条件を、しっかりと確認もせずに承けた俺も俺だけど……。
とは言え、提示された問題が難しければ難しいほど、かえって挑みたくなるのが、ゲーマーの救いがたい性という奴だろうと思う。
「昨日の夜少し考えてみたんだけど、まぁ、作戦は思いついたよ」
「どんなだろう?」
藤宮さんと栂坂さんが揃って身を乗り出してくる。
だけど、俺は、普段何かと言われている意趣返しというわけでは無いのだけど、二人に向かって、ぴっと人差し指を立てて見せた。
「それは……たまには、見てのお楽しみという奴で、どうかな」
ボブテイルを後にする頃には、空は赤というよりは紫に近い色に沈み、東の方には星が瞬き始めていた。大分長く話し込んでしまったんだなぁと思う。
薄暮の空を背にして、影絵のようになった並木や家並みに、少し見とれた。
もう美里高校の生徒も、ほとんどは下校を終えている時間帯だ。人気の無い坂道に、街灯がちかり、ちかりと瞬き始める。
「それじゃあね、四埜宮くん、栂坂さん」
すっかりレティシアの表情は影を隠して、完璧な優等生スマイルで、藤宮さんは手を振る。委員長殿は俺や栂坂さんと違って、電車通学だった。だらだら続く長い坂を下りきった先にある駅からは、ローカル線の電車が1時間に数本ずつ。
俺は、控えめに、手を振り返す。
少し歩き出した藤宮さんに、だけど、少し躊躇ったような間を置いて、栂坂さんが声をかけた。
「私も本屋に寄りたいので……その、駅までご一緒してもいいですか?」
「……もちろんだよ」
一瞬意外そうに目を見開いて、でも、藤宮さんはまたにっこりと微笑む。
それから、栂坂さんはくるりと、俺の方を向いた。
「四埜宮くん」
「うん?」
「あんな格好付けて、本当は作戦、まだ思いついてないなんてことないですよね?」
「……随分俺も信用ないなぁ、大丈夫だよ」
苦笑交じりにそんなお小言とでも言うべき栂坂さんの言葉に応える。
栂坂さんは、でも、俺の言葉に納得したそぶりは無く。
ちょっと背伸びをして、俺の耳元に告げた。
「私に出来ることがあったら……言ってください。その……ユミリアから私が助けて貰ってばっかりで……なんだかずるいですから」
今度は俺が目を見開く番だった。
俺の反応を待つことなく、栂坂さんは身を翻して、小走りに藤宮さんに追いつく。
女の子2人が何事か囁き合っていたけれど、その言葉はもう、俺の耳に届くことはなく。
俺は、しばらく、同級生の女の子2人の、会話を交わしながら坂を下っていく背中をぼんやりと見つめていた。




