017
「なんだよ、えらいすっきりした顔しやがって」
休んだ翌日の登校というのは、なんだか緊張する。サボったという後ろめたさがあるからだろうか。
いつも通りを装って教室に体を滑り込ませた俺の上を、クラスメイト達の視線は素通りする。
安堵のため息をつきながら席に着いた俺に、しかし、すぐさまそんな声が投げかけられた。
椅子に行儀悪く後ろ向きに座った、相変わらず胡散臭いほど人好きする裕真の笑顔。
「別にすっきりなんてしてない」
通学で乾いた喉を、鞄から取り出したペットボトルドリンクで潤す。不機嫌にそんな受け答えをしても、裕真の笑顔は崩れなかった。
「栂坂さんにすっきりさせて貰ったんだろ?」
「ぶっ、げぐっ、ごほっ!」
吹き出しかけた。すんでの所で堪えて咳き込む俺の背中を、長身のクラスメイトはバンバンと派手に叩いた。それ背中さすってくれてるつもりなんですかね、もしかして。
「図星か」
「図星っていうか、お前、すっきりさせて貰ったとか、なんか色々誤解招く言い方やめろよ……」
「誤解を招くような意味を想像するのは、想像する方がムッツリだからだぜ、お二方」
「お二方って……」
ひっかかる言い回しに首を巡らして、背筋が凍り付く。
いつの間にか、俺が入ってきた時には居なかったはずなのに、自席に座って文庫本を開いた、栂坂さん。平静、我関せずを装いたいのだと思うけれど、顔には一目でわかるほど朱が差して、本を持つ手がぷるぷると震えている。
見なかったことにして、俺は前に向き直った。
背中に殺気を感じるのは、気のせいだと思いたい。
何も想像してませんからね、栂坂さんにすっきりさせて貰うとか、その、ね。眼鏡っていいよね、うん、なんでもない落ち着け俺。
「まあ、何にせよ元気になって良かった」
「何事も無かったかのように纏めようとすんな」
声を潜める。
「どうせ、後で色んなとばっちり受けるの俺なんだからな……」
「とばっちりって言っても踏まれたりするくらいだろ。良いじゃねえかよ、女の子に踏まれるなんて羨ましい」
くだらないことを言う裕真に反論しようとした時、ポケットの中でスマートフォンが震えた。
それは裕真も同じだったらしく、何か悪い予感を覚えながら顔を見合わせて、ポケットに手を突っ込む。
――そんなに踏まれたいなら、私が踏んであげようか?
「おはようございます、四埜宮くん。体調大丈夫?」
思わず肩を竦ませる。どうしようもないメッセージの送り主が、完璧な微笑みを貼り付けて俺と裕真を見下ろしていた。
俺達の周囲がにわかにざわつく。俺と裕真の会話なんて雀のさえずりほどにも気にされて無かったというのに、美少女委員長殿が絡んでくるだけでこれだ。
ちなみにインストールしていないと人にあらずみたいな扱いを受けるメッセージングアプリのIDを交換したのは、この間の喫茶店でのことだった。銀剣のことなかなか声出しては話しにくいでしょ、という藤宮さんの気遣い。
その場でアプリのインストールからはじめた人が2人。はい、俺と栂坂さんです。
「あ……うん、大丈夫です、ありがとう……」
「そう、良かった」
思わず敬語になってしまうあたり俺って。
――ま。ちゃんと元気になったみたいで良かったよ、本当に。
――あー、ごめんね。心配かけて。一応、大丈夫だから。
水面下で交わされるメッセージ。ここはユキであるべきなのか、悠木として返事するべきなのか、悩ましかった。
見ての通り、四埜宮悠木と藤宮翔子さんの間には色んなギャップがある。栂坂さんとの関係もそうだけど……現実の、この教室でもゲームの中と同じように付き合える日が来るんだろうか。
結局自分の心持ちなんだろうな、とは思わないでもない。周りの目とかを気にして。そういうのはなしにすると、ゲームの中では決めたけれど、なかなか現実も同じくとはいかないものだ。
――ちゃんと、ユキが何を思ったのか、ゲームの中で教えてね。
――そうだね、ちゃんと、話すよ。
――近々、アグノシアのレギオン連絡会があるんだよ。そこにユキも、出て貰うつもりだから。
さらりと送られてきた内容に一瞬息を詰まらせる。
藤宮さんは、もう自席に戻り、ノートか何かを開きながら時折スマートフォンを手に取るだけで、こちらを気にするそぶりも見せない。
レギオン連絡会ともなれば、半年前散々もめた他レギオンのマスター連中もきっと出てくることになる。
どんな顔をして俺はその場に居れば良いのか、気の重くなることだったが、逃げるわけにはいかなかった。
今は前に進むんだと、決めたからには。
――了解。
そんな短い返事を送って、俺はスマートフォンをポケットの中に戻した。
「大変だな、お前も」
「……まぁ、基本自分が播いた種って言うんかな……俺が向き合わないといけないことだから、な」
裕真は苦笑に近い、笑みをこぼす。
「普段は無茶苦茶やる癖に、肝心な時には真面目になるのな、ほんとお前」
「俺はいつだって真面目だよ」
「へーへー。ま、また抱え込むなよ。今度はちゃんとみんないるんだからな」
肩をすくめて、それからそんな似合わないことを言う裕真に、俺は返事の言葉を選び損ねて、
「……ま、ありがとな」
掠れた小声で、そんなことを言った。
戦うと決めた。
そんなゲームの中での決断。きっと皆は、ゲームなんかで悩んでとか、ゲーム如きにマジになってとか、そう嘲笑うだろうけど、実際、これまでそうだったけれど。
人がなんと言おうと、捨てられない思いはあるものだ。人の心も、思いもその人だけのもの。自分だけのもの。所詮嬉しい気持ちも悲しい気持ちも、人にはわからない。どれだけ痛い思いを誰かがしていても、隣に居る人は痛くなんてないのだから。
だから……人がなんて言おうとも、昨日カンナと話して手に入れたこの気持ちと、約束は、守らなければと思った。
もう一度、そっと後ろを覗う。
栂坂さんの眼差しは本の上に向けられていて、俺に気付くそぶりは無く。
俺も、すぐに前に向き直る。
ホームルームの開始を告げる、チャイムの音が鳴った。
少し短めのリアルパートです。




