016
眩しいぐらいに、真っ直ぐな黒髪の剣士の眼差し。
その眩しさは、確かに俺の心のどこかに届いた気がした。
それは、答えを教えてくれるものでも無く、ましてや、俺の失敗への赦しなんかでは無かったが……それでも。
「カンナ……私は」
この気持ちを少しでも伝えるにはどうすれば良いんだろうと、俺は言葉を選ぶ。
半年間答えを出せずに悩み続けていたこと、そんな簡単に言葉になるはずも無かったけれど、今までみたいに諦めて沈黙していては……何も変わらないんだ。こんな俺のために色んなことを言ってくれたカンナに、何かを伝えたくて。
「正直……まだ、本当にそれで良いのか、私には解らない」
「ユキ……」
カンナはまた何かを言い足そうに口を開きかけたけど、俺は手でそれを遮った。
誤魔化しても仕方無い。
戦うことで、勝つことで、望んだ結末に辿り着けるのか、まだ、自信が持てなかった。
みんなと一緒に戦って勝っていたのに、迷い込んでしまったのが半年前の結末だったのだから……。
だけど……。
「でも、この、これから始まるクロバールとの戦争は……戦おうと思う。じっと座り込んでいる訳にはいかないし、オルテウスさんにも、負けっぱなしじゃ格好悪くて居られない」
ただ、この戦いで俺が叶えられる願いがあるんだとしたら。
「だから、私は」
そう、それを伝えようとした瞬間に、耳元でシステムアラームが鳴り響く。
滅多に耳にすることの無いそれは、外の世界からの強制割り込み。
『兄様聞こえてる!?』
少しばかりノイズ混じりに聞こえたその声は、ゲームの中でならネージュとして聞き慣れている、妹のものだった。
「あ、う、うん……ど、どうしたの」
『母様帰ってきちゃうよ! カンナさんのこと紹介するつもりならともかく!』
「うげ……」
相変わらずこの妹は何を頭の沸いたことを言っているんだと思いつつ、確認したシステムウィンドウの示す時間は19時を回ろうとしていた。時間はいつだって残酷だ。タイムアップ。
「ごめん、そろそろ親が帰ってくるかもで……」
「あ……そ、そうですか」
突然この世界からかけ離れた現実のことを示されて、戸惑うように俯くカンナに、俺も、躊躇い混じりにシステムウィンドウのログアウトメニューを操作した。
こんなことで邪魔されて、伝えられないんだろうか。大事なことを。
現実から見たら、たかが、ゲームの世界での失敗や懊悩。銀剣の世界を後にしたら、この気持ちも、伝えたい言葉も儚く消えてしまう気がして。
だけど、システムは、そんな躊躇を忖度するはずも無く、操作された通りにログアウトのシーケンスを実行する。
視界を虹色の泡が覆った。
目を開く。VRインターフェースを脱ぎ捨てて、まず視界に入ってきたのは、ほっとしたようにため息をついた、雪乃の姿。
ログアウトの操作を行ったのはわずかな時間差で、栂坂さんは隣で目を覚ました。
「ごめん、なんだかドタバタで」
「……いえ、良いんですけど」
ゲームの中とは違う色をした瞳が、背の分少しだけ高い位置にある俺の目を何か問いたげに見上げる。
だけど、それは一瞬のことで、栂坂さんも雪乃の姿を認めて、慌てたように立ち上がった。
「ご、ごめんなさい、お邪魔しました雪乃ちゃん」
「あ、いえ。私は全然良いんですけど! むしろすみません、こんな兄のために」
VRインターフェースを鞄にしまい込んで、皺のついてしまったスカートを整える。
そんな同級生に、俺も後頭部を掻いて立ち上がった。
「……家の前までだけど、送るよ」
肯定も否定も無く、俺は先に立って歩き出した。
振り返って栂坂さんと目が合ってしまうのが、なんだか気恥ずかしいような、怖いような気がして、前を向いたまま、ただ静かな足音が後ろについてくることだけを頼りに、階段を下った。
サンダルを突っかけて、ローファーをちゃんと時間をかけて履く衣擦れの音を背中越しに聞く。
うちの玄関は、通りに面しておらず、少しばかり小道に入り込んだところにある。
両手をポケットに突っ込んで、背中を丸めて、何かから身を守るように縮こまった姿で歩いて、通りに出るところで、足を止めた。
陽はもう山の向こうに沈んで、橙から紫がかった夜へと落ち込む残照が西の空にわずかに投げかけられていた。
「……お邪魔しました」
そんな細い声が背中越しに投げかけられて、それから足音が俺を追い越す。
空から視線を落とした時には、もう見えたのは同級生の背中と、揺れる髪だけで。
とぼとぼと、少しずつ遠ざかっていく栂坂さんに、俺は、口を開いて、閉じて。
それから。
「……カンナっ!」
びっくりして、振り返る黒髪の同級生。
夜の訪れを告げるように、街灯に明かりが灯る。
緊張なのか、気恥ずかしさなのか……それとももっと別の気持ちに拠るものなのか。
ユキなら言えるはずの言葉を、小さくなって掠れそうになる声を、必死に絞り出した。
「だから……必ず助けに行くから! 絶対にカンナがアグノシアまで辿り着けるように」
……言ってしまえば、ああ、そんなこと伝えて何になるというんだろう。
物語じみた真っ直ぐな言葉が届くのはゲームの中だけで。現実では、いつだって、口に出してから、選んでから、嘲笑われて、後悔して、失敗して、そんな言葉、相手は望んでいないって。
だから黙っている方がまだ良いって、そう思っていたのに。
心臓は無駄に早鐘を打つ。
栂坂さんは、眼鏡の向こうで目を見開いて、それから顔を背けた。
街灯の薄暗い光の下では、その表情を読み取ることまで、望むべくもなかったけれど、風に乗って囁きのような声が届く。
「ゲームの名前で呼ぶのはルール違反ですよ、四埜宮くん」
それから。
「……信じてますから。待ってますから」
空耳かとも疑う、小さな声で、でも確かに同級生はそう応えて、身を翻した。
「……っ」
何か言葉を返そうとしたわけでもない。
ただ、得体の知れない感情が零れ落ちそうになって、引きつる喉で、それを飲み込んだ。
信じてるだなんて……みんなが使う安い言葉のはずなのに、栂坂さんの言葉は、凄く大事な物に思えて。
少しずつ小さくなって、夜の向こうへと消えていく制服姿の背中を、俺はしばらくの間、見送っていた。
◇ ◆ ◇
「おかえり、兄様」
行きと同じように、背中を丸めて縮こまった姿で戻った俺を、雪乃が満面の笑みで迎えた。
「なんだよ、にやにやして気持ち悪い」
「あー、可愛い妹に向かって気持ち悪いとはどういう了見かな!?」
「はいはい可愛い可愛い、世界一可愛いよー」
昨日だかゲームの中で言われた言葉をそのまま返してやる。いつもならむくれて突っかかってくるはずの妹は、今日は何故かご機嫌な笑顔のままで、俺は薄ら寒く雪乃の顔をみやった。
「なんでお前そんなご機嫌なの。何か悪い物でも食った?」
「悪い物なんてとんでもない」
そんな言葉に、俺は首を傾げて、それから一気に背中に嫌な汗が噴き出るのを自覚した。
「……雪乃、ちょっとお前まさか」
「格好良かったよ、兄様」
薄く煙るように、まあ世間様一般的に評価するなら天使のように穏やかに微笑む雪乃だったけれど、今の俺の主観フィルターを通すと、地獄の閻魔の笑顔だった。
ファイナルジャッジメント。ゲームの中の台詞を現実に持ち出して言うなんて、アブソリュートギルティ。地獄行く。
この腐れ妹、どこから覗いていたのか知れないけれど、前にも後ろにも居なかったはずなのに、梟の耳か、とか考えかけて現実とゲームを混同している自分に絶望する。
顔から火が出るとはこういう感覚を言うのか、全身に嫌な火照りを感じて、雪乃の顔をもう一度見るのさえいたたまれなく、俺は猛ダッシュで階段を駆け上がり、自室のベッドへとダイブした。
枕に顔を埋めて、水揚げされたてのマグロのように痙攣する。
後を追ってきた足音が、躊躇いがちにドアを軋ませた。
「に、兄様……そ、そんなにならなくても」
「死にたい……」
「私は本当に格好良かったと思ったんだけどな」
「そういう問題じゃ無いの! ばか! ばか!」
「兄様がぶっ壊れてしまった……」
兄様の繊細なグラスハートを完膚なきまでにぶっ壊したのはあなたですよ雪乃さん。
人間こう楽しかった気持ちとかは割とすぐ忘れるのに、恥ずかしいことはどうして忘れられないんでしょうね。何なら後から思い出した時の方が恥ずかしさが増幅されるまであるのはどういうことだ。
「ユキさんは邪悪で、無慈悲な屑プレイヤーなの! 悪役なの! 中二病なことは言っても、恥ずかしい台詞とか絶対言わないの! わかる!?」
「兄様のロールプレイ指針は良くわかったから、ちょっと落ち着こうよ……なんか口調にユキちゃん混じってて気持ち悪いし」
俺は枕を抱きかかえていやいやした。
「だいたい雪乃があんなタイミングで声をかけてこなければ現実であんなこと言わなくて済んだのに!」
「ゲームの中でなら良いんだ……」
完全に呆れたため息に、くぐもった声を返す。
「絶対安静が必要なんでもう放っておいてくれ……」
「はいはいわかりましたよ、もう。ちゃんと明日は学校行くんだよ」
苦笑交じりのため息が聞こえて、また、ドアが軋む。
ただ、ドアが閉まる前に、少し間があって。
「兄様、クロバールとの戦争、頑張ろうね」
そんな言葉に、俺は。
「……ああ、絶対勝つよ」
そう、ぶっきらぼうな言葉を返した。
ヨッシャ暗い展開一段落(何




