014
ぽつり、ぽつり、地面に染みを作り、肌の上に冷たさを弾けさせて、降り始めた雨。
―アグノシア帝国 帝都エクスフィリス
陽炎月
……あれはいつの日だったろう。
陽射しの眩しい夏の日だというのに。作り物とは思えない銀剣の世界、それをなお一層に鮮烈に映す夏の日だというのに。
薄暗い会議室に何時間も籠もりきりになって、それでも大した成果も得られないまま、みんなそれぞれ自分のやりたいことへと戻っていった。
喧噪の溢れるレギオンチャット。
涼しく快適に調節されているはずのレギオン城内の空気が煩わしくて、俺は焼ける陽射しに焦げ付くような城壁の上へと1人出ていた。
小高い丘の上に居るような高さの城壁から望む帝都エクスフィリスは活気に溢れ、頭上にはどこまでも高い空。剣の山脈には沸き立つばかりの入道雲がはりついていた。
現実でも見たことの無いような、夏の景色。
胸壁に寄りかかって空を見上げながら、茫と立ちすくんでいた。
クロバールへの大規模な攻勢作戦に向けて、キャメロットの作戦会議は大詰めだったが、連合相手のレギオンの人も交えての議論は喧喧囂囂として進まず……みんなに本当に話したかったことはついに口に出すこともできないまま、タイムアップを迎えてしまった。
徒労感と胸寂しさ。レギオンのみんなと遊ぶことは楽しかったし、戦争も楽しかった。困難な相手に挑んで打ち破ることの胸の高鳴りは、何事にも変えがたいはずだった。
それをただ繰り返してきただけのはずだったのに、今辿り着いているここは、本当に銀剣でやりたかったことなんだろうか。
ただ、1人で居たくて、1人の方が気楽で。どれだけぼんやりとしていただろう。
際限なく膨らんだ入道雲が太陽を遮った。
「ユキ」
遠慮がちにかけられた声に肩を震わせて振り返る。
そこに居た自分より少し背の低い女の子に、俺は表情を緩めた。
「どうしたの、こんなところで」
「それを言ったら、ユキもだよ! こんなところで」
キャメロットが未だ小さなレギオンだった頃からのレギオンメンバー。
本当は明るくて、いつもにこにこしていた女の子。
ミドルショートに整えた栗色の髪に、幼げな顔立ち。髪の色は違うけれど、ユキによく似た見た目の女の子。
ミハネ。
そういえば、知り合ったきっかけも容姿が似ていたからだった。
VRでまるで現実そのもののように見て、感じられるようになったとは言え……いや、むしろVRになって一層、ゲームの中でも見ず知らずの人と仲良くなるなんて難しいことだった。
元々そういうのが得意じゃ無い俺は、βサービスが始まってソロで居た時期も、他の人より長かったと思う。
最初に出会ったのは、ジークだったっけ。レティシアとは一度戦場でふとしたことからPTを組むことになって、でも、それから仲良くなるまでにはしばらく期間が必要だった。
ミハネとは、戦場でカバーしてあげたことにお礼を言われて、それから。
――なんだか姉妹みたいですね!
――あ、あの一応、私中身男だけどね……。
――……え、ええっ!? またまたご冗談をー! 私もちゃんと中の人女だから安心してくださいよ!
それからそんな風な会話をした。なかなか中身が男だってこと信じて貰えなかったけど、あと、ミハネも自爆よろしく言わなくても良いことをカミングアウトしていたけど。
俺が男だってわかってからも引くこと無く普通の友達みたいに接してくれた。
歳も同じくらいだったこともあって、フレンド登録して、ジークと一緒にほぼ固定PTを組んでβサービスを遊んだ。
正式サービスが始まる日も待ち合わせて、一緒に戦争に行って……それから、レギオンを組んだ時も、最初のメンバーの1人。
――そして……半年前の出来事のきっかけになった女の子。
「ん……特に用事とかあったわけじゃないんだけど、ほら、景色良いし」
沈んでいた気持ちを、俺はそんな言葉で誤魔化した。
「確かに凄いよね、ここの景色。こんな風にエクスフィリス見下ろすの初めてかも」
何気無い言葉にさえ、なんとなく後ろめたさを感じてしまったあたり、俺も大分弱っていたのだと思う。
ミハネは、キャメロットがその主となったレギオン城に、あまり寄りつかなかった。本人は、広くて綺麗すぎてなんだか落ち着かないなんて、困ったように笑いながら言っていたけれど、きっと、何か思うところがあっての行動なんだろうなって。
「こんな高い城壁、攻め落とせるのかなぁ」
「どうだろう。宣戦布告システムが近々実装されるって話だけど、実際は首都まで攻め込まれるなんて起こらないんじゃないかな」
「そうだよね。ユキなら、負けないもんね」
そんな言葉にさえ……。
「ね、もしユキがエクスフィリスを攻めるとしたら、どうやって攻める?」
ミハネにしては珍しい問いかけに、俺は少しきょとんとして、それから城壁の街並みをもう一度見下ろした。
「そんなこと、考えたことも無かった。首都攻略、いつか実装されるって言われながら、ずっと来なかったしなぁ」
「あー……そうだったね。ごめんなさい、変なこと訊いて」
「でも、そうだね。こうやって見ると、エクスフィリス自体は綺麗な円環型をして、どっちに対しても備えがあるように見えるけど、街の外の地形はそんなに整っていない。東の方がちょっとばかり高く台地状になってるでしょ」
指さした先に、ミハネも視線を向ける。入道雲が影を落とす、緑の平野。
「例えばクロバールが攻めてきたとして、普通は街道を真っ直ぐ降りてきて、封鎖の意味から街道上に陣を敷くと思うけど、城攻めの時に一番気をつけないといけないのは、後ろを脅かされること」
気分は沈み気味だったけれど、作戦を考える頭の回路にスイッチが入ると、自然と言葉に力がこもってしまった。ゲーム好きの救いがたい性とでも言うべきなんだろうか。
「街道から見るとちょうど東の台地の裏手が死角になってるんだ。だからもしエクスフィリスを攻めて居る時に、シルファリオンあたりから出撃した別働隊に気付かずに後ろに回り込まれたら、たぶんそれで勝負はついちゃうだろうね」
「へえぇ……台地のことなんて全然気付かなかったよ。じゃあ、東の台地の上に陣を敷くのが正解なのかな?」
「うーん。それでも良いけど、やっぱり一番面白いのは、街道上に構えておいて、台地の上には偵察を置いて警戒。迂回部隊が回り込もうとしたところで、こっちも台地の上に別働隊を上げて逆にはめてやるのじゃないかな」
勝ちを確信して突撃を開始しようとした敵の上に、突如、あらぬ方向から魔法と矢が降り注ぐ……そんな戦いの風景を夢想しながら熱っぽく言った俺に、ミハネは感心したように頷いて、
それから、ふっと、微笑んで見せた。
「……やっぱりユキは凄いね」
「いや、そんな……」
「ユキは、銀剣の戦争が本当に好きなんだね」
そんな言葉が、胸の奥につうと、氷の欠片を滑り込ませる。
笑おうとして、失敗した。
「なに、急にそんなこと」
……ミハネには何日か前から相談を受けていた。
最近のレギオンの雰囲気がぴりぴりしていて辛いということ。
不利な戦場を作戦でひっくり返し、敵国が主力を傾けてきたネイショナルクエストの戦争をいくつも潰したキャメロットは、レギオン城の主となって、急に注目を浴びるようになっていた。
それは、元から居たレギオンメンバーにとっては、やったぜ! という本当に単純に嬉しい勝利だったのだけど、外から見たキャメロットの印象を大きく変える出来事だったらしい。
何人ものレギオン加入希望者がやってきた。
今までは交流も無かった大手レギオンのマスターがコンタクトを取ってきた。
勝つために、普段から色んなことを考えるようになった。
スキルの選択だとか、装備だとか、戦場での勝手気ままな行動だとか、他の国の人との付き合いだとか。
ミハネはリアルの友達がクロバールに居るんだと言っていた。同じゲームをやっていると知ったのは銀剣が正式サービスになってしばらくしてからで、国は別々になってしまったのだけど。
そんな中で、今のキャメロットのレギオンチャットに溢れる他国への対抗心に満ちた会話は、確かに辛いだろうと思った。
思ったが……どうするべきなのか、俺にも答えは無くて、何度かレギオンの会議で話題には上げたけれど、また大きな作戦を控えている時期で、どうしてもそちらが優先になってしまって。
「ごめんね、最近ユキが1人で居るの。みんなと戦争にもあんまり行かずに居るの、私が変なこと相談しちゃったからでしょ」
「そんなことないよ! 作戦会議とか長くやってるとどうしても疲れちゃって、それだけ」
「嘘だぁ」
誤魔化しを言う俺を責めるでも無く、いたずらめかしてミハネは言った。
「だって、ユキ辛そうだもん」
そんな優しい言葉に、俺は言葉に詰まる。
だけど、必死に代わりの言葉を探した。ミハネが口にしようとしていること、絶対に言わせてはいけないことな気がして。
「今は確かに作戦前でちょっとみんなぴりぴりしてて辛いけどさ、きっとちゃんと話せばみんなわかってくれると思うんだよ。だから……もう少し」
ミハネは、だけど首を横に振った。
ぽつり、と頭を冷たい雫が打った。
日は翳り、黒い底を見せる入道雲から、ぽつり、ぽつり、あっという間に雨脚を速めて、煙るほどの夕立になった。
「ユキはやりたいことをやって良いと思うんだよ、ユキは優しいから色んな人の言うこと気にしすぎて、私のことも。ごめんね、私がユキの優しさに甘えちゃったんだよね」
違う、違うと思った。そうじゃないと。だけど、その違うことを、その時は言葉にすることができなくて。
「私は、ちょっと疲れちゃったから。少し休もうと思うんだ」
なんだか暗い話が続いてしまって申し訳ないですが、もう数話、お付き合いいただければと思います。
書いてる時に聞いているBGMが悪いんでしょうか……(何




