011
遠く鳴る鐘の音を聞いていた。
それは夢の中、過去の日々を過ごしたエクスフィリスの大鐘楼の鐘の音に聞こえ、だけど、どこか遠い場所から呼ぶ音にも聞こえた。
巡る記憶に沈む自分を呼ぶ水面の音。
……目を醒ます。
気付いた時、認識にしたのは汗にぐっしょりと濡れた自分と、既に傾いてオレンジ色になった陽射しと。
それから、何度も鳴らされる玄関のチャイムの音だった。
「……誰も居ないのかよ。てか、何時だ……」
枕元に置きっ放しのスマートフォンを手に取り、開いたホーム画面の時計は、無表情に16時00分の文字を映していた。そりゃね、機械には16時も10時も何も変わらないことかもしれないけれど、人間様にとって時間というのは意味があるのだよ。
もう学校も終業を迎えた時間だ。いかに昨日全く眠れなかったとはいえ、真っ昼間に10時間近く眠っていたことになる。
鮮明な夢を見ていた気がする。だけど、目覚めた後の夢はたちまちにかすれていって、ただ眠る前と同じどうしようも無い気持ちばかりがみぞおちの辺りに残っていた。
そして……鳴り止まないチャイム。
「何なんだよ、しつこすぎだろ……」
深々とため息をついて、体を起こした。寝間着のままだったが、わざわざ着替えるのもまだるっこしく、そのまま階段を降りる。
「母さん居ないの?」
居間に投げかけた言葉に返事は無かった。ダイニングテーブルの上に一枚の紙。ノートの切れ端には、友人と会うので留守にする旨が記されていた。帰りは19時頃。何時にでかけたのかは知らないが、今からでも3時間はある。一緒にゲームをやるとかそういうわけでもなく、ただのおしゃべりだけで、女性陣というのは良くそんなに時間をもたせられるものだと思う。もしかしたら俺や雪乃に秘密でゲームやってたりするのかもしれないけど。やだな、踏んだ相手が実の親だったりしたら……。
そんなくだらない方向に逸れかけた意識を、また鳴ったチャイムの音が引きずり戻す。
「はいはい……なんだよ、もうここまでいったら迷惑行為だよなぁ」
築うん十年になる我が家にはインターフォンなどという洒落たものは備わっていない。玄関のドアノブに手をかけ、少しだけ出来た隙間から顔を覗かせる。
……思わず咄嗟にドアを閉めてしまった。
なんだろう。たっぷり眠りはしたものの、まだ心が疲れているんだろうか。ドアの向こうに居るはずの無い人が居たような。
だが、もう一度確認しようと思う間もなく、外からドアノブが回され、それが錯覚では無かったことを思い知らされた。
「なんで閉めるんですか」
「あ、いや。なんでだろうね、あはは……こんにちは」
「……こんにちは、四埜宮くん」
眼鏡の向こうの相も変わらず表情の薄い瞳。挨拶のつもりか、手をちょっと持ち上げてわずかに振ってみせ、顔の横に垂れた黒髪がわずかに揺れる。
栂坂さんがそこに居た。
夢だろうか。良い夢か、悪い夢かは別にして、現実では大して親しくも無い同級生が、それも女の子がうちの玄関の前に立っているだなんて、考えもしなかった。
探るようにちらりと合わせた眼からは、やっぱり特段の感情は読み取れず。
「全然出てこないから、銀剣でもやっているのかと思いました」
「そんなまさか栂坂さんじゃあるまいし」
そんな言葉を思わず返してしまい、軽く睨まれた。本人も恥じてるのか、わずかに頬が赤い。
「うるさいですね、悪かったですね廃人で」
「いや、良いんですけどね。俺も風邪で休みなら銀剣やってるだろ……」
慌てて口を塞いだ。漏れ出して締まった本音に、栂坂さんが呆れたようなため息をつく。
「誰も風邪だなんて思ってませんよ、私も、中里くんも、藤宮さんも」
「ん、うん……」
否定も肯定もしがたく、俺は曖昧に濁して頭を掻いた。
「だから来たんです」
はっきりとした声に、顔を上げた。
どこかぼんやりと、無表情ないつものものではなくて、眼鏡の奥の強い視線。
戦いの時のカンナと同じ眼差しが、真っ直ぐに俺を見ていた。
「ユキがあんな風に落ちるから」
「ああ、うん……あれは……情けないところを」
メルドバルドの記憶。戦いに負けて逃げるようにログアウトした自分。少し冷静に振り返れる今になって思い出すと、なんて格好悪いことをしてしまったんだろうと頭を抱えたくなる。
「別にそういうことを言ってるんじゃ無いです。四埜宮くんが情けないのは普段からのことですし」
そこでわざわざユキから本名に切り替えたのは意図があるんですかね……。
微妙に暗澹たる気分になった俺に向かって、だけど栂坂さんは、淀みない声で言う。
「オルテウスさん……元マスターと話してたこと、教えて欲しくて。それに、それで四埜宮くんが悩んでるなら……」
「……別に大したことじゃ」
「ユキは相変わらずですね。学校まで休んだ癖に」
そんなことを言われてしまう。俺の知っていた栂坂さんではあり得ない口調と語気。ゲームの中でカンナに言われているような錯覚に、なんだか現実感を喪ってしまいそうだった。
「……長くなりそうだし、とりあえず上がって。栂坂さんちみたいに綺麗じゃ無いけど」
「私は好きですよ、こういう昔ながらのおうち」
遠慮がちに言う俺に、栂坂さんは、小首を傾げてふっと笑った。
今回ちょっと短めですが、ちょうど切れたので。




