002
「四埜宮くん」
「んわぁ!?」
そう声をかけられたのは、放課後だった。
ホームルームが終わるなり鞄を肩に担いで教室を出た。階段を降り、昇降口でローファーに履き替え、校門を出てぼんやりと歩き、駅に続く道を右に折れる。
そこまで来たところで急に声をかけられたらそれは驚きはする。というか、ここまで気付かなかったのは、俺が鈍いのか、それともこの子がよっぽど尾行が上手いのか……。
「……なんですかその反応」
「……いや、それは驚きますよね……なんでしょう、ストーカーですかね」
「何が悲しくてヘンタイネカマさんのストーカーしないといけないんですかね」
相変わらずの無表情で、ふんと鼻を鳴らしてみせたのは、栂坂さんだった。
「ネカマじゃないって言ってるだろ」
「四埜宮くんの中でのネカマの定義を聞きたいところですけど」
「ネカマって、いかにも女の子ってふりして人を騙すって感じじゃない?」
「はい」
「だから俺は違う」
「……はい?」
『?』のエモーションエフェクトがぽわんと浮かびそうな表情で栂坂さんが首を横に傾げる。
俺も首を横に傾げる。
「いや、だから、俺別に女の子のふりしてないじゃん」
「……まさか、あれが素なんでしょうか?」
「そうだけど……」
困惑した俺に、栂坂さんははぁとため息をついた。
「いいです、何も言いません。四埜宮くんの人生ですもんね」
良くわからないけれど、もの凄く貶されているということだけはわかった。
「なんだよ……というかそんなこと言うために声かけてきたんじゃないよね?」
「違いますよ。四埜宮くんが話逸らすから」
いやいや、逸れていったの栂坂さんでしょう。愚妹といい、なんで女子ってこうなんだろう……。やっぱり性格も見た目も一番可愛いのは自キャラなんだよなぁ。
そんな俺の想いを知るはずも無く、知っていたところでまた罵られるだけだろうけど、ともかくも栂坂さんはつかつかと歩き始めた。
「銀剣のこと、ちょっとお話ししたかっただけです。帰り道途中まで一緒みたいだし、ついでに」
少しきょとんとしてしまって、それから俺は慌てて栂坂さんに追いつく。後頭部を掻きやりながら。
「なんだ……そんなことなら、教室で声かけてくれれば良かったのに」
「みんなに四埜宮くんと仲が良いって誤解されちゃうじゃないですか」
「あ……そうですね、はい」
もう結構誤解受けてるみたいですけどね、主に人のことを旧校舎まで引っ張っていって引きずり倒して踏んづけてくださった誰かさんのせいで。
マイペースに歩を進める栂坂さんに、おずおずと横に並んで、ちらりとその様子を覗う。
頭に血が上っているバーサクモードな栂坂さんならともかく、この普段は無表情な同級生とはまだ距離を掴みかねる部分があった。自分がユキで、相手がカンナなら普通に話せるぐらいにはなったのに。ゲームの自分と現実の自分、何が違うのかは、よくわからない。
結局先に口を開いたのは、栂坂さんだった。
「勝てるんでしょうか……クロバールに」
もう一度覗ってしまった横顔。心細いような色が浮かんだと思えたのは、気のせいだったろうか。
黒髪を揺らしてこちらを見上げる、その時にはもう、いつもの無表情だった。
「まだクロバール所属の私が言うのも何ですけど、やっぱりクロバールは強いと思います」
「そんな強いクロバールから、最弱ともっぱらの評価のアグノシアに亡命しようとするんだから物好きだよね」
ついついそんな軽口が漏れてしまって、栂坂さんは唇を尖らせた。
「別に、手に入って当たり前の勝利が欲しくてゲームやってるんじゃないです」
図書館の奥で読書にふけっているのが似合いそうな同級生の口から、勝利とかそんな言葉が出るのが面白くて、思わず笑みがこぼれる。
「カンディアンゴルトの封鎖をやってた連中に聞かせてやりたいな」
「言っても聞かないですよ、ああ言う人達は」
あの事件のあと散々粘着されたというカンナの中の人が言うと説得力があった。
「まあ、そんな連中に負けたら元も子もないんだから、頑張らないとね」
「私は……何か力になれるんでしょうか」
そんな言葉に、栂坂さんの方をまじまじと見てしまう。
俺の視線に気付いて、何故か栂坂さんはわずかに頬に朱を差して、言葉を繋いだ。
「ユキの、じゃないですよ。アグノシアの、です」
「わざわざ言わなくても期待してないですよう……」
本当は漸く普段の気遣いが実って同級生がデレたことをわずかばかり期待していたのだけど、やはり現実ってそうそう甘くない。
誰かのためにだとか、何かのためにだとか。言葉にすれば偽善の色をどうしても感じてしまう。どんなに良いことだろうと何だろうと、自分がやりたいからやってるだけだろうって。普段そんな言葉を聞けば、反感ばかりが心に浮かんでしまう。
でも、栂坂さんの澄んだ声で紡がれた言葉は、何故か本当のことように思えた。
「……まずは、亡命成功させないとね」
変に優しくなってしまった俺の声音に、栂坂さんはいぶかしげにこちらを見てきて、なんでもないよと慌てて取り繕った。
「そんなに、難しいものなんですか」
「俺も亡命したことないから、Wikiとかの情報になっちゃうけど、本当はそこまででも……五分五分ぐらいにはデザインされてるはずなんだけど、カンナの場合は状況がね」
本人は今更意識しているのかどうかわからないけれど……ある意味、一番クロバールを敵に回したのはカンナその人なのだ。クロバール最大最強にして国権をほぼ掌握した聖堂騎士団というレギオンを向こうに回して。
恨まれることをやった度合いなら明らかにユキさんの方が上のはずなんだけど、元から敵だった人への憎悪と、身内だった人への憎悪の質の違いは、推して知るべし。
普通あれだけの連中から悪意を向けられたら怯えるなり落ち込むなりするものだが、栂坂さん……カンナは、あまりそう言う様子を見せなかった。お宅訪問した時は、やっぱりショックだったように見えたけれど、それからは。
――そういう子にばっかり、ユキは優しいよね。
昔、レティシアに呆れ混じりにそんな言葉を向けられたことを思い出す。
だって……落ち込んでいる人には、きっとみんなが優しくしてくれる、俺じゃ無くても。
救われない何かを、救いたいんだなんて、そんな、捻れた願い。
「聖堂騎士団の人達も、アグノシアと全面戦争って時に私にかかずらうほど暇じゃ無いと思うんですけど」
相変わらずあっけらかんとした栂坂さんの言葉に、案外本当に気にしてないんじゃ無いかって思ったりもするんですけどね……。
「……まぁそうならそうで良いんだけどさ。やっぱり作戦とか考える時は、色んなことを考えておかないとね」
「普段のユキの行動見る限り、言ってることとやってることが逆なんですけど」
ジト目を向けられて、後頭部を掻きやった。
「前は違ったんだよ。前は、さ……だから、俺も頑張って前のやり方を思い出さないと」
「万軍ってヘブライ語なんですね」
「……その呼び方は忘れてください」
黒歴史的な二つ名をちゃっかり栂坂さんが覚えて居て戦慄する。
「良いじゃ無いですか、二つ名とか年頃の子みんなの憧れで」
「栂坂さんも憧れるの?」
「そんなわけないじゃないですか、馬鹿なんですか?」
その馬鹿呼ばわりは理不尽すぎませんね……。
とはいえ、生半可なやり方ではとてもクロバールに勝てないのは確かなのだ。
昔のように……いや、昔以上に、考えて、考え抜いて、相手の裏をかけなければ、ハッピーエンドは訪れない。
クロバールを倒せたとして、カンナさんと同じ国で肩を並べて戦争をするのが果たしてハッピーエンドなのかは怪しいところではあるけれど。
「それじゃ、私はこっちなんで」
気付けば、そこはもう分かれ道。この前地図を頼りに訪問した時にはあまり周りの景色を見ている余裕なんてなかったけれど、折れて栂坂さんの家へと続く道は真っ直ぐで、日はそちらに傾いていく。長くなりつつある影が、こちらへ伸びていた。
「また銀剣で」
そんなあまり普通じゃ無い別れの挨拶を口にして身を翻す同級生に、俺は苦笑いを浮かべながら手を振った。