004
……というのが、俺が同級生の女の子に踏みつけられるに至った顛末なのですが。
「はぁっ……はぁっ」
怒りの赴くままの連続ストンピングが、おそらく栂坂さんの体力事情により一段落する。
最初の一、二撃以外はそんな痛かったわけではないのだけれど、虫も殺さなさそうな大人しげな女の子から存分に踏みつけられるという稀有な経験により、俺の心はボロボロです。
おそるおそる見上げた栂坂さんは、相変わらず泣き怒りの怖い顔。
そう。俺は栂坂さんとゲームの話をしていて……もしかしてあっちの世界で会ったことがあるんじゃないかとか妄想していて……。
確かに、ふと既視感を覚えたのだ。
普段からは想像もつかない険しい眼差しと、揺らぐ黒髪。
黒髪の女の子……俺のことを睨み付けてきた……瞳。
黒髪の……踏みつけた……散々踏みつけた……。
「……あ」
そうだ。
苛烈な色を宿した綺麗な瞳。
肩を上下させて息を弾ませるその様子が、今朝見た姿とぴったりと重なった。
「え……ええええ!?」
奇声を上げた俺に向かって、栂坂さんは唇の端をつり上げてみせた。
「漸く思い出して貰えたみたいですね」
事の起こりは、昨日の夜のこと。俺――ユキはとある戦場で、5人の敵に突然襲撃された。
俺にとっては突然だったけれど、相手にとっては十分に計画された襲撃だったようだ。
仕掛けてきた一人の相手を追って戦場の外れの森に入った俺は、そこに伏せていた連中に囲まれた。
5対1。客観的に見れば絶体絶命の状態の俺に向かって、以前俺にやられて煽られたレギオンメンバーの仇討ちだと、彼らは言った。
要は自分たちは屑のノーマナープレイヤーを討伐する正義の味方だという宣言に、俺は大して感銘を受けることもなく。
ただ、堪えきれない笑みと一緒に愛剣を抜き放った。
数に勝れば必ず勝てるとでも、思っていたんだろうか。
こちらが萎縮するとでも思っていたのか、余裕綽々だった相手のリーダーを最初のターゲットに、俺は開戦の宣言も何も無く、一足跳びで襲いかかり……。
数合の斬り合いの後、相手の4人までを地面にうち伏せていた。
大した腕も無い、数頼りの連中。不意を突いて、大剣の一撃必殺の威力をいかして潰していくのは、別に難しいことでは無かった。
「ご機嫌よう、群れても雑魚の諸君」
笑顔とともに、そう地面に寝転がって反論の術も喪った4人に告げ――それから、俺はただ1人残った相手に向かい合った。
し損じた訳ではない。
ただ、その子だけは……人数を恃みにしていただけの他の奴らとは違って、油断が無かったから。
白と緑を基調にした布地の多い軽鎧を身に纏い、細身の片手剣を油断無く構えた女の子。
その整った構えとは裏腹に、どこか最初から不機嫌そうで、乗り気じゃ無いようだった女の子。
「逃げないの? 1人になっちゃったけど」
「……こちらから挑んだ戦いです。逃げるなんて情けないこと出来るわけないじゃないですか」
真っ直ぐこちらを睨み付けてきた女の子に、俺は自然と口元が緩むのを感じた。
「それじゃ、戦おう」
大剣をもう一度構える。
――それが一晩中に渡った、黒髪の少女との因縁の始まり。
……そう、思い出した。
『Kanna』 確かに、そのアバターの上に浮かんでいたネームタグ。
『Kanna』――カンナ――カナ。佳奈。
俺がその後、幾度となく戦い、倒し、踏みつけた女の子。
「えーっと……」
「何か言いたいことがあるんですか」
「やっぱり、もしかして、あの頭に血の上りやすい剣士って、栂坂さ」
「誰が頭に血が上りやすいんですか!?」
「ぐふぅっ!?」
もう一度、上履きのかかとが無慈悲に俺の腹部を抉った。
「誰だってあんな風に踏まれたり座られたりすれば、頭にくるに決まってるじゃないですか!」
言外の肯定。
肉体的苦痛に加えて、一気に暗澹たる気分が押し寄せてきて、俺は頭を抱えた。
ネトゲで知り合った相手がクラスメイトとか、それなんてエロゲ。いや、待たれよ。俺が期待していたのは、こう、ダンジョンや戦争で助けた相手が実は……とか、いつも相談に乗っていて仲の良かったレギオンメンバーがクラスメイトだったとかそういうポジティブなお話であって。
なんだこの、すごく妄想していたものに近いのに、致命的に間違っている状況。
「いや、そのあれはですね……」
目をそらして、必死に言葉を探す。
「何か言い訳があるんでしょうか」
「さ、最初はさ、そっちが集団で袋だたきにかかってきたから、ちょっとした報復のつもりだったんだよね」
「まぁ……あれは私もどうかと思いましたけど」
元はと言えば手を出してきたのは栂坂さん達なのだ。やっぱり栂坂さんは乗り気じゃ無かったみたいだけど……俺ばかり一方的に責められるのは間違っている。
「でも、他の連中とは違って、そ、その、栂坂さん強かったから」
「え?」
「俺の方が勝ったけど、凄い手応えがある戦いで、つい夢中になって。あんまり銀剣でちゃんと剣で競える相手っていないからさ」
「……そ、そんなの何の言い訳にもなってませんからね! それがなんで踏む理由になるんですか」
口ではそう言いつつ、でも、栂坂さんが一瞬照れたように目を伏せたのを俺は見逃さなかった。これは行ける!
「だから、さ、その、煽ったらまた同じ戦場に来てくれるかなって」
「……それで?」
「で、実際煽ったらもう顔真っ赤にして挑みかかってくるのが楽しくて楽しくてふぐぅっ!!」
しまったつい本音が漏れた。
「よっぽど踏まれたいんですかね、四埜宮くんは!」
「いや、嘘! 冗談だって! あの、ほんとは踏むつもりなんてなくて、そう、偶然進みたい方向に栂坂さんが倒れてただけっていうか」
「先を急ごうとする誰が、こんな風に人の上に座り込んだりするんですかねぇっ……!?」
そう言って、すとんと人の上に結構な勢いでまたがってくる黒髪の同級生。
相手は華奢な女の子とは言え、そんなに腹筋も発達しちゃいない腹の上に全体重をかけられたら息が詰まる。
いや、物理的な衝撃よりも衝撃的だったのは、こう健全な青少年だが青春とは遠いところに居る俺にとって、同い年ぐらいの女の子とこんな残念な形とは言え密着するのは初めての経験。
夏服のスカートから覗く、白くて丸っこい膝小僧とか、布きれ数枚を挟んで密着しているふとももの柔らかい感触とか、汗でじっとり濡れた体温とか……。
確かに、俺は昨日同じように栂坂さん――カンナさんの上に座り込んだけれど、その、ゲームの中なら女の子同士だったし、こう、やっぱり現実で再現するのは色々とまずい。
「ちょ、ちょっと栂坂さんお願いだから落ち着いて。はな、話せばわかるから」
「もう私たちの間にわかり合えることなんて何一つ無いと思うんですけど」
「いやいや、ちょっと、ちょっと落ち着いて、やめよう。こういうの良くないと思うんですよね」
「ゲームの中で人のことは散々踏みつけられて、自分が座られるのは嫌だっていうんですね。最低ですね」
バーサクモードに入った女子って恥じらいとか全部なくなるんだね、人生にもしかしたら必要になるかもしれないけどどうでも良い知識がここで一つ。
そんなことより、いい加減この状態をなんとかしないと、守るべき節度を越えてしまうというかなんというか。これって体位でいうとあれですよね。やかましいわ。
「そもそもなんで四埜宮くんは人のこと煽ったりするんですか。そんなことしたってノーマナーだのなんだの叩かれるだけで、何も得することないじゃないですか」
だけど、そんな栂坂さんの真面目な言葉が、心の深いところを撫でる。
「……そんなの楽しいからに決まってるじゃうぎゅ」
襟元を掴まれて、妙な声が出た。
「四埜宮くんは単なる屑なんですかね」
「あ、はい……確かに屑かもしれませんが」
「普通の人は屑って言われたら否定すると思うんですけど……」
「屑でもなんでも、俺はノーマナーだとか、そういうのはさ」
呆れた顔をする同級生に、笑ってみせて、だけど、伝えようとしたことは上手く言葉にならず、言い淀んでしまう。
それは、ゲームの中の景色だったか、それとも小さい頃にみた全く別の景色だったか。
ただ、俺はみんながなんていうかとか、正しいこととか、そんなことはどうでも良くて……。
上手く頭の中が纏まらない。
その原因は、きっと――あの、さっきからずっとお腹の上のあたりが温かくて柔らかい感触に圧迫され続けているせいで。だってこれ、あれでしょ。俺のワイシャツの上に栂坂さんの……いや、もう限界。
「あの、栂坂さん、とりあえずお話する前に、ちょっと、どきませんか。マナーとかそういう話は良いとしてね」
「良くないです」
「ちょっと、現実を見据えましょう。あっちでは女の子同士だったけど、こっちでは男女のわけで」
「うるさいヘンタイ屑ネカマ」
「あの、こんな、密着されると、その……ふ、太ももとかお尻の感触が!」
「…………」
結構な間があって、さっきまでの勢いはどこへやら、栂坂さんはふらふらと立ち上がった。
見上げれば、真っ赤になってぷるぷる震えている同級生の女の子。下から俺が見上げる構図に気付いて、ばっとスカートを抑えてさらに顔の赤みが増す。ここまでされてスカート覗く元気なんてあるはずないんですけどね。ちなみにパステルブルーな感じだった気がします。あくまでちらっと偶然視界に入ってしまっただけですから。
「いや誤解、覗いてなんていないかr」
「このドヘンタイっ!!」
弁解なんて通るはずも無く、これまでで一番強烈なストンピングをたたき込まれた。
因果応報という奴か、と腹を抱えてのたうち回りながら考えたが、どうにも理不尽な感じはぬぐえなかった。
ゲームの中の仕返しを現実でされてるからかな……きっちりつけよう、ゲームとリアルの区別。
そして栂坂さんは、俺が呼び止める間も無く、引き戸を強烈な勢いで開け放って走り去っていってしまった。
……遠くから、練習に励む体育系の部活動の声が聞こえる。
夕暮れの橙色の陽に照らされ、どこか現実感を喪った、教室の天井。
――これ、どうすれば良いんでしょう。
栂坂さんのことも。
何気に残された、まだ全然片付いていない段ボールの山も。
泣きたい気分で、俺は深々とため息をついた。