008
ゲルトさん、ゲルト爺さん、お爺ちゃん。
そんな風にみんなから呼ばれていたゲルトさんも、元キャメロットのメンバーだった。
渋い歴戦の老軍人といった風情の見た目に、好々爺なキャラクター――もちろんそれが、本当にお爺さんなのか、ロールプレイなのかは知れなかったが、少なくともキャメロットの時は、人生酸いも甘いも噛みしめた、みんなの良き相談役となってくれていた。
俺も何度とも無く、相談に乗って貰い、励まして貰った。
ゲルトさんと話すのも久方ぶりだ。
この半年のこと、怒られるかな、そう少し緊張していた俺に、ゲルトさんは、ただでさえ皺の多い顔をしわくちゃにして見せた。
「ユキ! 久しいのうおわっと!」
語尾が乱れたのは、新たに飛びかかってきた剣士の剣戟をすんでで槍の柄で受けて、はじき返したからだった。
「全く、折角の再会というのに、無粋な輩よ」
そんな冗談交じりの言葉に、不覚にも胸が詰まってしまう。それでもなんとか、顔を微笑みの形にして、昔のように敬語でゲルトさんに言葉を返す。
「……残念だけど、積もる話は戦いが終わってからですね」
……とはいえ。
敵の剣士一人吹き飛ばしたところで、戦況は何も変わっていない。文字通り悠長なおしゃべりの時間は無いみたいだった。
パーティー申請を送る。プライベートモードでは、パーティー以外の人に声は届かないとはわかっていつつも、つい声をひそめてしまう。
「レギオンチャットで聞いてるかもしれませんけど、今レティシア達が援軍を編成してます。でも、未だ、伏せておきたい」
「ふむ、何故じゃな?」
「援軍が来るとわかれば相手が一気に攻めの手を強めるだろうからです。しばらくこの緩い膠着を保って時間を稼ぎたいんです」
「……あいわかった」
ゲルトさんは大きく頷いて、それからにっと笑ってみせた。
「懐かしいのう。年寄りにはつい昨日のように感じるわい、そうやって作戦を話す時のユキの顔は」
何とも照れくさく、俺は口をもごつかせた。
「ちなみに、そちらの娘さんは?」
「あ、申し遅れました! 私はユキの妹のネージュです! ゲルトさんは何度か戦争でお見かけしたことはー」
「こんな年寄りじゃが、よろしくのう。姉妹揃って別嬪さんで嬉しいことだて」
一瞬、ネージュがなんとも言えない顔をする。耳元で響く1対1トーク。
「兄様、中身男だって言ってないの? ……こんなお爺さんまでもたぶらかしてるの?」
「ちょ、ちょっと何言ってるの! もちろんゲルトさんも知ってるよ! ただ、ゲルトさんはゲームの中のキャラを尊重するタイプで、女キャラならあくまで女の子として扱うってだけで。あと『までも』って何。私男をたぶらかそうとしたことなんて一度きりたりともないからね!」
「……そっか、良かったぁ。流石に兄様を人間の屑を見る目で見ちゃうところだったよ」
一瞬ちょっと見てましたよね。ゴミ屑を見るような目で。あれは燃えるゴミの日に出すべきか、粗大ゴミの日に出すべきか迷っている主婦の目だった……。
「さあ、とはいえ、凌ぐだけでも難儀じゃぞ」
ゲルトさんの声に、俺もネージュも、向き直り、気を引き締め直した。
ゲルトさんの言うとおりだった。アグノシアの戦線は薄氷。それは、俺とネージュたった二人が加わったところで、どうにもならない状況だ。ゲルトさんのような両手槍使いまでが、戦線維持のために最前列を張っていることからもわかる。
銀剣において、スキルビルドによる職業通称は星の数ほどあれ、戦争におけるプレイヤーの役割は大きく三つに分類できた。
防御力に主眼を置いて、戦線維持の役割を果たす者。
攻撃力に主眼を置いて、殲滅役を果たす者。
機動力に主眼を置いて、突破・遊撃役を果たす者。
現実の戦史における三兵戦術――歩兵、砲兵、騎兵のそれぞれの役割と似ているかも知れない。
両手槍の特徴は当然ながら攻撃力だ。本来、突破の際に敵の戦線を食い破る力、あるいは、重騎士が足を止めた敵を纏めて殲滅する近接火力としての役割が一番力を発揮するところなのだが、今ゲルトさんは前へ前へと出てこようとするクロバールの連中を押しとどめることにその力のほとんどを割いている。
盾持ちの数が圧倒的に足りないのだ。近接スキル中心のビルドの人間は、片手武器だろうと両手武器だろうと短剣持ちだろうと、ほぼ全員が最前列に居る。
そして、俺もそこに加わらざるを得ない。
大剣は本来機動力を持って戦うべき武器。こんな風に足を止めて戦うのはその長所を生かせていないことこの上ないが、それでも、戦線を支えないことには、援軍までの時間を稼がないことにははじまらないのだ。
先ほどはじき飛ばしてやった剣士が、報復に燃えて打ちかかってくる。
その一撃を、さらに横合いから斬りかかってきた両手剣士と纏めて巻き打ちではじき返す。わずかなスキルディレイの間にも挑みかかってくる敵は、すんででネージュの矢がいなしてくれる。
ゲルトさんの両手槍は元々カバー範囲の広いスキルが多く、1対多の打ち合いに大剣よりは優れた武器だ。俺より余程安定感をもって、戦線を支える。
だが、それでもやはり、数の優位というものを、俺は痛感していた。
どれだけ相手の攻撃を弾き、カウンターでダメージを与えようとも、ヒットポイントゲージがイエローに入った敵は後ろに下がり、次に前に出てくるときはその色をグリーンに戻している。
こちらは、一人たりとも戦線を長く空ける余裕は無く、レッドゲージに突入しても、ぎりぎりまで踏みとどまり、そのまま倒されてしまう者も多く居る。
銀剣には、モンスターハントを主眼にしたMMORPGにはほぼ必ず存在する回復役の職業、あるいは回復スキルというものが存在しない。ヒットポイント回復のためのアイテムも、時間あたりの回復量が決まっているタイプのものしかなく、回復アイテムを叩きまくれば、どれだけでも生き延びられるというものではない。どれだけ回復アイテムを持っていても、時間あたり回復量を上回るダメージを集中されれば、倒れるほかは無いのだ。
俺のヒットポイントゲージも、じりじり減っていく一方だった。
何本目か数えるのも馬鹿らしくなる、ミントのような風味の高級回復薬を煽りながら、戦線の様子に目を走らせた。
揺らぎ、ぶつかり合う、クロバールとアグノシア。アグノシアがどれだけ魔法や矢を集中させ、クロバールのプレイヤーを打ち伏せようともその穴は、後ろから躍り出てくる新しい戦力で即座に埋められ、アグノシアのラインに空いた穴は二度と埋まることが無い。じりじりと、アグノシアのラインは後退する。
「あとどれだけ持つか……な」
「厳しいね……」
新しい矢をつがえながら、ネージュはふう、と重いため息をついた。
「レティシアは、何か言ってます?」
「他の戦域に回ってた人間が多く、集合に思ったより時間がかかっているようじゃの。あと少し、とはいうておる」
「レティシアがそう言うなら、信じますよ」
「伝えようかの?」
「止めてください」
ほっほと笑って、どこからともなく飛来した矢を、ゲルトさんは難なく躱してみせた。
どちらにせよ信じるしか出来ないのだ。そして、実際のところはレティシアはどこまでも嘘をつかないタイプだった。勢い任せの俺なんかとは違って。
一瞬だけ、後ろを振り返り、ラウンドテーブルの主力が集まりつつあるだろう遙か後方の丘陵を見上げる。
――うん。信じてる。
銀髪の旧友の顔を思い浮かべ、俺は大剣を握り直した。
間空いてしまってごめんなさい!