007
―アグノシア帝国 属領ツィタディア
清明月 9の日
目を開いた、広漠とした平原は照りつける太陽の下で、遙か彼方まで鮮明に見渡すことが出来た。清明月は、春のぼんやりとした霞が晴れ渡り、夏に向けて空がどんどんと高く蒼くなりゆく季節。大気はどこまでも澄んでいる。
青々とした初夏の平野の景色に、しかし、不気味に金属質の煌めきがあちらこちらに灯り、ちかり、ちかりと目映い閃光を放つのは、稲妻か、炎の範囲魔法か。
今や平穏な草原は血なまぐさい戦の舞台と化そうとしている。
「ネージュ」
「ユキ! ジークさん、レティシアさん」
ポニーテールを風になびかせて、平野を眺めていた妹が振り返る。ちょうど良いタイミングでログインして、1対1のトークを送ってきたネージュに、この場で合流しようと言っておいたのだ。
そんなネージュに、とりあえずフレンド要請を送る。妹はポップアップしたシステムウィンドウに、目をぱちくりさせて、それからふっと笑った。
「一歩ぐらいは、前進できたのかな、兄様」
俺はふんと鼻を鳴らす。
「偉そうだよ、ネージュは。あと兄様ってオープンで言うな。ネカマがバレる」
「自分でネカマって言ってれば、世話無いよな」
ジークとレティシアが呆れたように笑った。
俺達が降り立ったのは、ツィタディアの平野からシルファリオン方面の山岳へと接続する小高い丘陵地帯だった。
戦場の様子ははっきりとせず、レギオン、ラウンドテーブルのメンバーは、マスターの呼びかけに各地から移動しつつある。編成も未だの状況で最前線に突っ込むのは避けたく、一歩引いたここを作戦の拠点としようという、レティシアの判断だ。
未だ、俺達以外の援軍は到着していないようだったが、一目戦場を見下ろすだに、アグノシアの劣勢は明らかだった。
迫り来る、白と赤のクロバール共和国旗。並び立つレギオンフラッグは、様々なものが見て取れるが、やはり、白地に黒でチェスのナイトの駒を染め抜いた、聖堂騎士団のものが多いように思える。
白地に蒼炎の燃え立つアグノシア帝国旗―熾炎旗は数自体が少ない。重厚なクロバールの戦列に対して、なんとか対抗するラインを形成してはいるが、それは心細いほどに薄く、食い破られないよう戦線を保つだけで精一杯の体で、じりじりと下がる一方だった。
「相変わらず厳しそうな戦いだね」
「大丈夫だよ」
すました顔のレティシアに、怪訝な眼差しを向ける。
「この数ヶ月、厳しそうでない戦いなんて無かったからね」
流石、アグノシアの屋台骨と呼ばれるレギオンのマスターと言うべきか。
レティシアは、兵棋盤を大きく展開する。半透明の地図に重ねて描き出される、戦線の様子。
「厳しいけど……やっぱり、クロバールは本気じゃ無いのかなって思う」
「どういうことだ?」
昔から戦闘メインで作戦面はからっきし、質問役のジークを懐かしく思いつつ、俺は旧友の顔を見上げた。
「ちゃんと戦術をわかって指揮を執る人間がいるなら、こんな平たく押しまくるんじゃなくて、一点に戦力集めて突破すればもっと簡単に片をつけられてしまってたはず。とりあえず血気にはやる連中を纏めて送り込んできたってところじゃないかなぁ」
「なるほどな。良くわからんけど」
適当な相づちをうつジークに、ため息が漏れた。
「ほんとジークは相変わらず脳みそ筋肉なんだから……」
「うるせえ、適材適所って奴だよ。俺には俺の活躍の仕方があるからいいの」
「なんだか、そのやり取り懐かしいね」
微笑ましそうにレティシアに言われてしまって、俺もジークも頭を掻くしか無かった。
「とにかく……そういう相手ならいくらでもやりようがある。ラウンドテーブルは、ちゃんとラインを張れるだけの人数が集まるまで待って、一気に行くのがよさそう」
「そうだね、この様子じゃ中途半端な人数送り込んでも、焼け石に水ね」
マスター殿とうなずき合い、それから俺は、愛剣を実体化させて地面に突いた。
「私は、前線に行くよ。少しでも支える手助けになれば。抜かれちゃったら元も子もないしね。やっぱり、今の私には、その方が性に合ってる」
「……うん、お願い。前線の中央に、ゲルトさんが居るから、良かったら合流してみて。その方が連絡とかも執りやすいと思うし」
「ゲルトさんなら気兼ねなく挨拶できるよ。ありがとう。敵の正面さえ止めてくれれば、後はなんとか、出来ると思う」
「頼もしいな。よろしくね、ユキ」
名残惜しそうに、でもこちらを信頼して送り出してくれる、レティシアの笑顔。懐かしいそれに、俺も手をあげて応えた。
「行こう、ネージュ」
「うん!」
ネージュにパーティーを飛ばし、丘を駆け下りる。剣戟と怒号の支配する前線まで、俺達は一直線に駆けた。
とは言え、戦線が突破される危険を考えて後ろ気味に構えた本営から、前線までは大分距離がある。戦いのことに頭を巡らせながら足を運ぶ俺に、ネージュが言葉をかけてくる。
「ね、兄様。レティシアさんとは仲直りできたの?」
「……仲直りっていうか、別に喧嘩してたわけじゃないしな。ただ、久しぶりに話せて……良かったよ」
「うん。兄様がフレンド要請くれるから、びっくりしちゃった。レティシアさんや、ジークさんとも、フレンド復活したんだよね」
「……まぁね」
改めて言われるとなんだか気恥ずかしく、ぶっきらぼうな受け答えになってしまう。
片意地というか、妙なけじめ感から俺は半年間、フレンドリストを消していたのだけど、そもそもなんら合理性はない俺の独りよがりな行為だったし、その上それを貫けずにいるんだから格好悪いったらありゃしない。
その上、レティシアたちをフレンド登録するより先に、どこぞのカンナさんに脅されて先にフレンド登録していた始末と言ったら。
「それは、凄く良かったことなんだけどさぁ、兄様」
うわああああと声を上げたくなってしまう葛藤に苦しめられていた俺に、しかし、襲いかかってきたのは、予想だにしない不意打ちだった。
「パーティーに何で、カンナさん居るの?」
……あ。
そういえば、昨日のPK襲撃からカンナとはパーティー組みっぱなし。特に気にせず解散せずにおいたのだ。
気にしていなかった、その時は。
にやついたネージュの声に、額に嫌な汗が浮かぶ感覚。当然、銀剣のキャラクターは汗をかいたりはしないけれど……。
基本的にMMORPGにおいて、狩りや戦争に行くでも無いのにパーティーをくみ続けているなんていうのは、よっぽど親しい間柄でしかやらないこと。愚妹が考えていることは、推して知るべし。
「もしかして兄様、固定パーティーとか? とか?」
「ち、違う、これは。昨日カンナの家でログアウトしてからそのまんまだっただけで」
「カンナさんの、家で!? ちょっと兄様昨日帰り遅かったと思ったら、どういうこと!?」
ああ……なんだろうこの墓穴の堀具合。
穴があったら入りたい。むしろもう墓穴に飛び込んで首の骨を折って死ぬしか無いんじゃないかな……。死者に鞭打つようなことはしてはならないと言いますし。
「い、色々事情があったんだよ。決してやましいことは何も無いよ、愚妹よ」
「レティシアさんに全部お話しちゃおうかなぁー」
「待って」
決してやましいことは、天地神明に誓って無いのは本当のことなのだけど、何故だろう。レティシアの耳に入ったら絶対に大変なことになると、確信できた。
「わくわくするなぁ、私今銀剣やってて本当に良かったと思うよ!」
「意味わからないからね……」
どうしてくれようこの愚妹。
だけど、近づく戦場の音が、色々と破滅的な雑念を頭から追い払う。
長い長いクレッシェンド。剣戟と怒号、恋しささえ覚える戦いの音楽。
「とりあえず、ちゃんと説明は終わったらする。ネージュ、戦闘準備!」
「了解!」
元気の良い返事が返ってくる。
もう何度も戦場を一緒に経験した妹がちゃんと必要な準備をしているか、確認する必要はない。俺が必要としている援護をしてくれるという信頼があった。
清冽の剣を肩に背負い込み、揺らぐ熾炎旗の間をすり抜け、最前線へと躍り出た。
目に映る、槍を構えて戦う一人のアグノシアの戦士。数に勝るクロバールの前衛を相手に一歩も引かずに戦う彼だったが、その横の両手剣使いが崩され、その退路を断つように、クロバールの剣士が回り込もうとしていた。
「させるかああああああ!」
地面を蹴りつけ、横合いから飛びかかる。流れる景色と、驚愕する敵の顔。
流石にこの規模の戦争の最前線を張る奴を一撃でとはいかなかったが、重い金属音とともに、相手は派手に吹き飛ぶ。
「かたじけないのう!」
時代がかった口調で、感謝の言葉を叫ぶ、槍使い。彫りの深い顔には数え切れないほどの数の皺か刻まれ、整えられた髭と薄くなった髪は、半分以上が白髪となっている。
驚きに見開かれたその目に向かって、俺は笑いかけた。
「久しぶり、ゲルトさん」
戦争回なのかラブコメ回なのか判然としませんが!