006
こほん、と咳払いを一つして、ここまでのことはまるで無かったかのように、レティシアは俺達を来客用のソファーへと誘った。
「……やっぱり、償いの気持ちは行為で示して貰わないとね」
ソファーに深く身を沈めた途端、そんなことを満面の笑顔で言うレティシアに、俺はぐっと言葉に詰まった。
「騙された……?」
「人聞きの悪い。ユキに怒ってるのは本当だからね?」
……あんな顔をするから……そう、この昔なじみの美少女は冷徹で計算ずくな策士なのだ。
あの表情、あの言葉が、本心でないとは思わない。いや、本心であって欲しいというのは俺の願望にすぎないのかもしれないけれど……だけど、自分の本心さえも含めて上手く利用してしまう、レティシアはそういう奴だったと遅まきながら思い出す。
「そちらのマスターは変わらないね、ジーク」
「こういうところはな」
疲れたように肩をすくめてみせる旧友。
「クロバールの全面攻撃を退けるには、やっぱりユキの力が必要なの。万軍。協力してくれるよね?」
「もう、その万軍っていうの止めて欲しいな。恥ずかしい……」
「うん、ユキが嫌がりそうだから使ってるの」
笑顔のまま小首を傾げて言われては、俺はため息をつくほかは無かった。
覗うように見上げた、男なら誰でも見とれてしまう輝くような笑顔に、さっき垣間見えた気がした感情の揺らぎは、もう見て取れない。
「……協力って、具体的に何をすればいいのさ」
「シンプルなことだよ。クロバールを打ち破れる作戦を考えられるのは、ユキぐらいだと思ってるの」
そんな真っ直ぐな言葉を向けられると、なんとも言えない気持ちになる。まして、それがもう失った過去のことであれば、なおさらだ。
「買い被りだよ。キャメロットの時は、偶然にも助けられて何度も勝てたけど、運が良かっただけ」
「私はそうは思わなかったけどな。何度も一緒に作戦を考えて戦った時、私は、ユキの思考に追いつける気がしなかった。色んなことを教えて貰ったけど、今でもあの時ユキが考えた作戦を私が考えられるとは思えない。もうマスターではなくなってしまった……でも、今でもユキが私の先生だっていうのは、変わっていないんだよ」
迷いの無い眼差しで見つめられて、俺は唇を引き結んだ。
レティシアが語るのは……俺が、まだマスターで、銀剣の戦争が楽しくて仕方の無かった頃の話だ。
昔から、俺は戦略や戦術がテーマのウォーシミュレーションゲームが好きだった。
銀剣は明らかに、そういったウォーシミュレーションの要素を意識したゲームとして作られていたが、最初の頃はやはり、みんな戦場で自分の腕やパーティーレベルでの連携を楽しむことがメインで、戦術や戦略と言った要素が表立つことはほとんど無かった。要は正面からの押し合いで、強い人が多い方が勝つ。そんな単純な話だったのだ。
昔からアグノシアは大して強くなかった。いつだって人数や、平均的なスキルレベルの差から劣勢なアグノシアの戦場をひっくり返せないかと、俺はかつてプレイしていたウォーシミュレーションの定石考察から、果ては史実上の戦争の分析まで、色んなものを読み漁って、レギオンのみんなと作戦を考えた。レティシアとは、休日とかなら本当に日をまたいでまで話し合いをしていたことだってあった。
そうして得られた、いくつかの勝利。
だけど、それは少し戦術というものをかじった人間ならすぐに思いつく、迂回挟撃とか、中央突破とか、本当にちょっとした工夫で勝てただけだった。知っている人と知らない人の差。なのに、万軍なんて二つ名を貰って、俺自身も、自分にそういう才能があるんだって、勘違いをしていた。そんな勘違いの末に……俺は。
今や、クロバールは中央集権を成し遂げ、圧倒的な戦力を誇る。その軍権を握るような連中も、戦術のいろはぐらい、身につけているだろうと思う。
「あの頃とは……違うよ。私の考えつく作戦ぐらいで、クロバールとの差をひっくり返せるだなんて、思えない」
「勝てないから、戦わないの?」
うつむき気味だった俺に、鋭い声が、まるで叱咤みたいに降り注いだ。
俺のことを睨み付ける鋭い眼差し。
「……当然、戦うからには勝つつもりで、私は居る。だからそのために、出来ることを尽くしたいと思ってる。だから、ユキの力が欲しい、そうお願いしているの。
ユキは……どう考えても勝てないとみんなが思ってた戦いでさえ逃げるのを嫌がったユキが、今は考える前から逃げるの? カンナさんがあんな目に遭わされたのに、諦めたままにしておくの?」
その言葉は、俺の深いところに鋭く突き刺さった。
「……ごめん」
負けるのは、いつだって嫌だ。でも、それより戦わないことの方が嫌だったはずだった。
いつだって、ゲームの中でだって、力の差、数の差というのは横暴だ。力がある連中は自分たちのルールを押しつけようとする。あの、カンディアンゴルトを封鎖していたクロバールの連中みたいに。
別にそれ自体が間違ったことだとは思わない。正しいことはプレイヤーによって違う。ゲームのルールに違反しないなら、それをジャッジするのは所詮勝ち負けしかないのだ。屁理屈をこねるより、ずっとすっきりしていて潔いと思う。
だけど……負けたからといって。勝てないからといって、戦うことを止めてしまうのは、何よりも格好悪いと思っていた。
気に入らないと思ったなら、自分の信じることと違うと思ったなら、戦い続けないと。たとえ一人でも戦い続けると、自分のプレイスタイルを決めていたはずなのに。
俺は、クロバールの連中のやり方が、気に入らない。全員倒して、地面に這いつくばらせてやりたい。
「ユキが、半年前のこと、まだ気にしてるのは、わかるけれど……」
「いいんだ」
躊躇うように沈んだレティシアの声を、俺は遮った。
「……いいんだ、ごめん。私が間違ってた。簡単なことだよね。クロバールの連中をぶちのめしてやりたいんだから、私が出来ることは全部やるべきなんだ。ソロとしてとか、そんな風に限定せずに」
真っ直ぐに、昔の仲間を見返す。
少ししてから、レティシアは、煙るように微笑んだ。
それから、呆れたように、肩をすくめてみせる。
「カンナさんの名前を出した途端にこれなんだから、妬けちゃうよね」
「な、ち、違うから! 私も巻き込まれてPKされて煽られたから復讐したいだけで!」
「どうでしょうねー、私が折角踏んであげたのに、あんまりお気に召さなかったみたいだし」
「私は踏む方が好きなの!」
「ろくでもないことを大声で主張するなよ……」
ジークの冷静な突っ込みに、俺はぽりぽりと頬を掻いた。おっしゃるとおりです。
それにしても、なんで俺の回りの人って、こう人のこと踏んづけるのが好きな人ばっかりなんでしょうね。あ、俺もか。渡る世間は屑ばかり。
レティシアはそんな俺の様子に笑っていたが、一頻り、笑いが収まると、長い睫毛を伏せて寂しそうな顔をした。
「……ユキは、レギオンに戻ってくるつもりは、やっぱり……ないのかな」
さっきとは違う場所に鈍い痛みを覚えさせる言葉だった。
それは、優しい言葉なのに、俺を気遣ってくれているはずの言葉なのに、半年前の傷を疼かせて、俺は言葉を探してしまう。改めて元レギオンメンバーに言われると、どれだけ引きずれば気が済むんだろうって、自分でも思ってしまうのだけど。
「……そうだね。ちょっとソロの気楽さに慣れ過ぎちゃったから」
「カンナさんのこと、ジークから聞いたけど、そんなにレギオンのこと大事にって思ってるのなら……って」
「なんだろう。自分が失敗しちゃったから、自分の周りの人には同じ思いはしてほしくないなって、そう思うんだけど、自分のことは、良くわからないや。やっぱり、自分が何事も無かったようにレギオンに所属するっていうのは、なんだかずるい気がして」
「ユキは、自分にばっかり厳しいんだね。人の過ちは、すぐに許しちゃう癖に」
元サブマスターの声は、詰るとも、慰めるともつかないものだった。
「まぁ、もうしばらくはソロで居るよ。今のプレイスタイルは、レギオンの名前背負ってたらあんまり出来たものじゃないしね」
「煽り専門のレギオンっていうのも面白そうだけどね」
レティシアは大して面白くもなさそうに笑って、ふぅとため息を漏らした。
「でも、これだけは覚えておいてね。あれから……ラウンドテーブルに残ってくれたメンバーは、誰一人、ユキだけが悪かったなんて思っていないから。みんな、それぞれ後悔があって、だから、みんなユキともう一度一緒に遊びたいって、思ってるから」
「……うん、ありがとう」
そんな旧友の言葉は、優しくて、だけど、やっぱり古傷に酷く染みた。
言葉は嬉しいのに。それでも、傷は消えない。許して貰えればそれで終わりではないのだ。一体何が手に入れば、俺は自分の失敗を、笑って見つめられるようになるんだろうか。
俯いた俺の様子に、何をみたんだろう。少しの間があって、それからレティシアは、腰に手をあてて、大げさに咳払いをしてみせた。
「こほん。でも、レギオンに戻らないっていうなら、せめてフレンドリストぐらいは復活させてね。それくらいなら、良いでしょう?」
沈んでいた思考を急に引き上げる言葉に、俺はわたわたと慌ててしまう。
「あ……う、うー……うん。それぐらい……なら」
「……随分と気が進まないみたいだけど、もう一緒に遊ぶ女の子も見つけたし、昔の仲間には興味なーしってことなのかなぁ?」
「い、いや、全然そんなことは!」
やけに眩しい笑顔で言われて、俺は冷や汗が浮かぶ錯覚を覚えながらフレンドリストを開いた。
……なんだか、こう、空白であるはずのフレンドリストに、きっちりカンナの名前が刻まれていることが、レティシアにばれたら、もの凄く大変な目に遭わされそうな気がして。
「レティシアが良いなら、俺も良いだろ。ったく長らくくだらない意地張りやがって」
「男のフレンドはちょっと要らないかな」
「うるせえネカマ」
鼻を鳴らすジーク、そしてレティシアに、俺はフレンド要請を飛ばす。
あとで雪乃にも言ってやらないと拗ねられそうだな、なんて思う。
承認がされて、フレンドリストに二つ、名前が刻まれる。これで、フレンドリストの名前は三つ。
平均的な銀剣プレイヤーに比べたら、大分少ないだろうけれど、俺はそれをやけに眩しい思いでみやった。
「まだ時間があるなら、昔の連中戻ってくるまで待ってたらどうだ?」
そんなジークの言葉には、難しい顔になる。
「うーん……いやぁ……それはそれで怖いというか……」
「何言ってんだよコミュ障が」
「……そうも言ってられないみたいだよ、ユキ」
ふいの言葉に、きょとんとして、俺はレティシアの方を見やった。
目の前に表示したシステムウィンドウを、レティシアは険しい表情でみやっていた。
「レギオンメンバーからの情報。結構大規模なクロバールの軍勢が、シルファリオン方面に来てるみたい。
……ユキはどう思う?」
レティシアの顔は、レギオンマスターとしてのそれだった。
……早速頭を使えって言うことか。
久しく使っていなかった頭の回路にスイッチが入る。さび付いていないことを祈るばかりだ。
「レティシア、地図出せるかな」
レティシアは頷く。兵棋盤という、レギオンマスターの特権スキルだった。白くて細い指が宙を滑ると、半透明の地図が、そこに浮かび上がった。
「クロバールはこの辺り。本格的に仕掛けてくるつもりなのかな?」
マスター殿の指さす先は、シルファリオンのちょうど真北。クロバールとの現在の前線付近だった。
俺はあごに手を当てて、少し考えた。
「……いや、流石にこの時間からじゃアクティブタイム中にシルファリオンまで迫るのは無理だって、連中もわかってるだろう。とりあえずこちらの出方見、あるいは示威行動ってとこじゃないかな」
クロバールの宣戦布告というのが本気なら、最終的にはここ、首都エクスフィリス攻略を目指すはずだ。その過程として、前線都市であるシルファリオンの攻略も必須となる。
だが、システム上作られた都市や要塞は、それ自体に強力な防衛施設が備え付けられていて、生半可な戦力でおとすことは不可能。必然的に大人数を動員できる時間帯に勝負をつける必要があるが、なんだかんだで継続的に戦線を押し上げるには手間が必要であり、平日にそれだけの時間を確保するのは難しい。
必然、クロバールが本気で攻略を仕掛けてくるとしたら、それは金曜夜から土日にかけてだろうと思っていた。
「じゃあ放っておいた方が良い?」
レティシアの問いに、俺は首を横に振る。
「いや……それも手だけど、今のアグノシアはきっと、クロバールになんて勝てないと思ってる連中の方が多い。ここで一発鼻っ柱を折っておけば、後々士気とか、きっと有利になると思う。だから、可能な限り全力で、打撃を与えてさっと引く。かな」
「……やっぱり、ユキはユキだね」
そんなことを花の咲くような笑顔で言われて、俺は気恥ずかしく頭を掻く。
レティシアは立ち上がると、システムウィンドウを操作して、すぅと息を吸った。
レギオンメンバーへと伝える、マスターの命令。
「軍を招集する! シルファリオン方面、敵はクロバール!」
次から漸く戦争!