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008

◇  ◇  ◇


 パーティーウィンドウのカンナの現在位置が、ふっと空白になり、そしてクロバールの首都を指し示す。

 それを見届けて、俺は改めて大剣を構え直した。

 カンナは行った。俺は俺で、あとはやりたいようにやるだけだ。


 少し考えてから、スキルスロットを操作して、暗視スキルを死神の鎌(リーパーズ・サイズ)に代えて放り込む。この状況で相手が密集するとは考えにくく、突進範囲系のスキルは不要という判断だった。

 暗視を起動した瞬間、美しく幻想的な夜の景色にうっすらと無粋な黄緑色の線が輪郭を引く。それまでぼんやりとした薄暗がりにしか見えなかった木々の下に、人影がいくつも浮かび上がる。


 敵の姿。そう敵だ。俺達の道を塞ぎ、カンナを追い詰めようとした敵。尤もあちらもこっちを俺以上に敵と認識していることだろうが。


 準備の最後の仕上げに、俺はスキルスロットの一番下に常駐させてあるスキルを起動させた。


――血染めの饗宴ブラッドステインドバンクェット


 防御低下と引き替えに攻撃力を上昇させる、大剣固有スキル。防御低下率が著しいため、まともな戦場ではとても実用に耐えず、時折起こる一騎打ちや、自爆用のスキルだったが、今の戦いの目的には最適だと思った。

 人数に勝る相手は、ヒットポイントをゼロにされなければ、他の連中が防いでいる間に後ろに下がって回復すればいいだけ。数合の斬り合いで仕留めなければならない。それならば、攻撃力に全てを賭けるべきだ。

 剣がスキルエフェクトの仄赤い光を放つ。この暗闇では良い目印だけど、どうせ夜襲を仕掛けてくるような連中、暗視スキルは鍛えてあるだろう。

 体が熱を帯びる。全てを捨てて攻撃に特化するスキルが、俺の意識さえも狂騒に駆り立てようとしているように錯覚した。


 一人でも多く倒してやる。数に任せて楽に勝ちを得ようとした、その甘い考えを打ち砕いて、地べたに這いつくばる屈辱を味合わせてやる。

 勇敢にも大手レギオンのくだらない行為に立ち向かうことを選んだ女の子を、集団の論理で轢き潰そうとしたことを、後悔させてやる。

 

 別に正義の味方ではあり得ないし、弱者の味方を気取るつもりは無かった。第一カンナが弱者だなんてあり得ないし……。


 ただ、俺は……私は、気に入らないことにはとことん、悪質に立ち向かう、屑の煽り屋、ユキだというだけだ。


――さぁこい。殺してやる。


 うっそりとした呟きが聞こえたわけでは無いだろうが。


 敵が動く。


 耳が鋭い風切り音を捉える。矢だ。やはり、索敵(サーチ)では捉えきれない高レベルの隠密(ハイディング)持ちが、どこかの茂みにでも潜んでいるらしい。

 咄嗟に前方に飛んで転がる。物見小屋の板壁に矢の突き立つ音を聞きながら、俺は起き上がって駆けだした。

 インフォメーションウィンドウの敵性アイコンが動きを激しくする。あまりこっちから積極的に動くということは予想していなかったようだ。俺を中心に敷かれていた円陣が歪な形に崩れる。

 大剣は鈍重な武器と思われがちだが、豊富な突進技を持ち、当たれば重量比でほぼ押し勝ちが可能で、相手を吹き飛ばすことが出来る。そこから生まれる機動力が、実はその強さの過半をしめているのではないかと俺は思っている。足を止めての一対多の戦闘用にデザインされた槍やハルバードといった他の大型武器カテゴリとは根本的に違うのだ。相手も、滅多に戦うことの無い大剣という武器の特性を捉え損ねているのだろう。


 狙いは、正面の木立に潜んだ影。疾駆する勢いそのままに、俺はスキルを発動させる。狼の牙(ウォルフスファング)

 スキルの加速がターゲットとの距離を一瞬でゼロにし、剣を握った両腕に衝撃が走る。

 清冽の剣(オートクレール)は、木立の幹を貫き、そのままその背後の敵まで串刺しにする……はずだった。しかし、木に威力が減衰されたことともあったかも知れないが、相手の身のこなしは俺の予想を上回っていた。切っ先がわずかに相手の体をかすめた程度の手応え、明らかに致命傷には至っていない。

 この前のカンディアンゴルトのような、熟練度の低い連中では無い、それなりに腕の立つのがこのPKのために集められたようだ。

 唇を噛みしめる。


 盾にされた哀れな木が破壊判定を食らい、燐光を残して消滅する。その向こうから現れた奴――どうも女キャラクターのようだった――は、にっと笑った気がした。


 スキル硬直を課された俺の左肩に冷たい衝撃が走る。そこから幾筋にも走る体に食い込む刃の痺れる感触。


「ぐっ」

 

 相手の得物は短剣だった。武器の中では最軽量の部類で、一撃の威力はそれほど高くないが、それでも血染めの饗宴ブラッドステインドバンクェットで下がった防御では馬鹿にならないダメージを貰う。しかし、それも覚悟の上だ。どれだけ攻撃を貰おうとも、倒す。

 

 バックステップで退こうとした相手に、硬直から解放された俺は更に前に踏み出す。ダメージを受けたこちらは体勢を整えるだろうと踏んでいたらしい、一瞬次の行動に迷った隙を見逃さなかった。


 二本の得物を体の前で交差させ、ガードに入った短剣使いに、俺は剣では無く、体からぶつかっていった。驚愕の気配。スキルスロットの中で発動の光を放つ当て身投げのアイコン。

 小柄な体が瞬く間にバランスを崩して、地面に引き倒される。ダメージはほとんど無いが、転倒から生じる長い硬直時間。


 呆然としてこちらを見上げる様子の相手に、せいぜい酷薄な笑みを浮かべてやる。この暗がりであちらに見えるかは知れたことでは無い。頭上高く振り上げた、清冽の剣(オートクレール)をギロチンのように頭めがけて振り下ろす。


――まずは一人……といっても、あと一人とれるかな……。

 

 一瞬崩れた包囲の輪はしかし、すぐに立て直され、もはや一つ一つの光点が見分けられないほど至近に、俺へと殺到しつつあった。


 右から襲いかかってきた両手剣を払いのけ、後ろからの突き技を体をひねって何とか躱す。

 崩れた体勢を引き起こそうとしたところに、背中に続けざまに矢が二本突き刺さって、うめき声が漏れた。だが、


――囲まれたら……終わり!


 動きを止めるわけにはいかない。四方から殺到する敵影に、俺は唯一の逃げ道を上に見つける。


狼の牙(ウォルフスファング)!」


 今一度、愛用の突進スキルに体をゆだねる。ただターゲッティングするのは、頭上にさしかかった大木の枝だった。


 スキルに輝く大剣に引きずられるようにして、体が宙を舞う。木立の作る葉のカーテンが顔面を叩いて、次の瞬間に広がる、一面の夜空。

 地上の戦いなんて関知しないとでも言うように、静かで綺麗な満月がそこにあった。


――ああ、こんなに月は綺麗なのにな。

 

 満月の青白い光を浴びながら、俺は体を翻す。

 スキルの加速が途切れ、重力に捉えられる。それは、狼の牙(ウォルフスファング)の加速力が重力という形にチャージされ直したということに他ならない。

 折り重なる枝葉の向こうに透けて見える、暗視の影。呆然とだろうか、憎々しげにだろうか、俺を見上げて居るだろうそいつらに向けて、俺は空から大地に向かって突進した。


「あああああああああああああっ!」

「ぐうっ!?」

 

 両手剣使いと思しき男が頭上に掲げた武器でガードの体勢を取るが、衝撃で足は地面にめり込み、たまらずに膝を折る。

 至近に漸く視認できた、歪む顔に向かって、俺は口元だけで笑った。


強撃ブローイングスマッシュ!」


 衝突から、さらに一段。スキルの成す一撃に、男の武器は軋みを上げて弾け飛ぶ。男のヒットポイントゲージもろとも。


「さあ、次はっ……うぐっ!」


 大剣を構え直し、さらなる殺戮を望んだが、しかし、ここまでが限界だった。


 射かけられた矢が続けざまに体の至る所に突き刺さって、冷たい痺れの感触が全身を満たした。

 

 ヒットポイントゲージがあっという間にレッドゾーンへと遷移する。体力減少による脱力感に襲われたが、膝をつくわけにはいかなかった。


 満身創痍だろうと構わず、可能な限りのダメージを奪おうと剣を振りかぶる俺を、嬲るように間合いを取って取り囲んだ連中が嘲りの眼差しで見る。


――ああ、そうやってさ。いつだってそうだ。優位な立場に居れば、人間どんな顔だって出来るもんだよな……!


 唇を引き結んで、最後の一撃の機会を狙った。

 激しい戦いの末に訪れる、一瞬の静寂。

 俺の荒い息だけが辺りに響き……だけど、いつまでも、次の動きは訪れずに。


 違和感を覚え始めた頃、暗闇の奥からの声が耳を打った。意外だった。ここまで来て、コミュニケーションを取ろうとしてくるとは。


「俺達が用があったのは、君のお仲間の方なんだけどな」

 

 満月の明かりの向こうに浮かぶ、薄ぼんやりとした影。リーダー格と思しき男が、包囲の輪から一歩進み出る。戦いの最中は確認する余裕など無かったそのネームの横に浮かぶレギオンエンブレムは、やはり聖堂騎士団(テンプルナイツ)のものだった。


「自分の身を犠牲にしてまで、逃すだなんて随分仲が良いじゃ無いか。リアルでは恋人同士とかなのかな?」

「ほど遠いね」


 悲しいけどこれ、真実なのよね。


「そうか。その程度の関係なのに自分の身を犠牲に出来るなんて大したものだと思うよ」

「それはどうも」


 言葉とは裏腹、自分たちの絶対の優位を確信して紡がれる台詞に、反吐が出た。

 そんな俺の心中を知ってか知らずか……いや、そもそも興味なんて無いんだろうな。男は薄笑い混じりに、言葉を続ける。


「俺達だって君をいたぶりたいわけじゃないんだ。デスペナルティだってバカにならないだろう、武器を置いて大人しくしてくれるなら、これ以上のことはしない。ただ、カンナって子との関係を少し聞かせてくれれば、それで良い」


――やっぱり、そう言う話の流れか。


 最初に、推測した通りの動機にため息が漏れた。カンナがアグノシア所属の俺と仲が良いことを理由にして、こんなPKを正当化し、同じクロバール所属の人間に噛みつかれてヒートアップしているレギオン内部の溜飲を下げる。

 あるいは、エルドールに対して聖堂騎士団(テンプルナイツ)が優位に立つためのネタの一つにでもするつもりか。

 そんなところにまで考えが及ぶ自分にも嫌になる。


――キャメロットからクロバールに情報が漏れたんじゃないか。


 過去の言葉が脳裏に響く。


「そうだね……私も無駄死にだけは避けたいところだね」


 俺は、ふっと肩の力を抜いて、愛剣から手を放した。足下にあった拳大の石に鍔があたって、金属質の音をたてる。


「話がわかるようで助かるよ、それじゃ」

「……あと一人ぐらいはせめて道連れにしてやらないとなぁっ!」

「なっ」


 石で浮いていた柄を思い切り踏みつける。梃子の原理で刀身が跳ねあがり、回転する大剣を、俺は中空で掴んだ。


「この、くそっ!」

「口数が多いのは三流だって相場が決まってるんだよ!」


 赤い燐光を帯びた、清冽の剣(オートクレール)が暗闇の中で軌跡を咲かせる。


 確実な手応えを感じる。だが、砕け散ったはずの相手のヒットポイントゲージを確認する前に、四方から報復の刃を浴びせられた俺の視界は灰色に染まった。 




 もう数え切れないほど味わってはいるとはいえ、冷たく湿った土の地面は、やはり寝心地の良い場所とは言えない。

 仮想現実世界で「死ぬ」というのは、妙な感覚だった。視界は灰色に染まり、どこか平べったくなった世界の中を、俺を倒した連中がゆらゆらとうごめいている。体はずっしりと重たいシートを覆い被せられたようだ。

 耳に届く音も、膜一枚隔てたように、どこか遠い。


「悪あがきしやがって屑が」

「一人でなんとかなると思ってたのかよ、だせえ」


 固定された視界に映り込む何人かの姿。


――カンナはちゃんとマスターと話せたろうか、そして……どうなったろう。


 怒りは頭では無く、心臓にでも宿っているんだろう。心臓が停止した今、戦っていた最中に感じていた体中が燃えるような感情は、冷めていた。

 頭上から浴びせられる嘲りに、もちろん腹がたたないわけはなく、見えるネームはプレイヤーチェックリストにざっくり放り込み済み。今後見かけ次第ぶっ殺す所存だが、俺の頭の中を占めていたのは、小屋の中から故国へと帰って行ったはずの女の子のことだった。


 俺が稼げた時間はリアルの時間で10分には満たない程度だったろう。


 視界の隅では強制拠点帰還までのカウントダウンが始まっている。

 俺はそれがゼロになるのを待つつもりも無く、メニューからそのままログアウトを選んだ。




 ……目覚めたとき、いつもと違う状況に体勢を崩しそうになってしまった。


「いててて……」

 

 仮想現実型のゲームは、寝転がった自然な姿勢でのプレイを推奨されている。俺も家でプレイするときは、必ずベッドの上に寝っ転がってプレイしていたが、今回はベッドに背を預けてのものだ。短い時間とは言え不自然な姿勢のせいで、背中から腰にかけてひねったような痛みが走る。

 やはり寝てのプレイじゃないときついよなぁ、と思いつつ。勿論今この状況でそんなことが不可能だったというのは十分承知している。隣には、まだ仮想現実世界に行ったまま座り込んだ、同級生の女の子の姿。

 ベッドは簡易なもので、ただでさえ小さめ。そこに二人で寝転がってログインなんて、提案しただけでぶっ殺されそうだった。

 ただ、実現した場合の光景を少しばかり想像してしまい、そのまま妄想じみた方向に進みそうになった思考を慌てて追い払う。馬乗りになられたときの体温とか、柔らかい感触とか封印しておかないとだめな記憶でしょ……。


 それに……と、今栂坂さん……カンナがあちらの世界でレギオンマスターと交わしているであろう会話を想像すると、そんな甘い空想はあっという間に冷めてしまった。


 栂坂さんの、艶やかな黒髪が流れる横顔をみやって、それから天井に青みがかって光る照明をぼんやりと見つめる。外はもう薄暗い。まだ夕飯にはならない時間だが、そこまで長居もしていられない。

 だけど、戦いが始まる前に少し考えていたように、こっそり帰ってしまおうと言う気にはなれなかった。


 抱え込んだ膝に顔を埋める。


 栂坂さんは何を考えて、どう思うんだろう。

 記憶の奥底に沈めた、もうその時の気持ちなんてはっきり思い出せない記憶。

 慣れた、というべきなんだろうか。もう俺は大分銀剣……MMORPGでの色んなこと、諦めがきくようになってしまったけど、栂坂さんは……。

 

 そうやってどれだけぼんやりとしていただろうか。


 わずかな衣擦れの音に、顔を上げる。

 インターフェースをもたげて、栂坂さんが現実へと帰還する。


「……おかえり」


 そう言った俺に、栂坂さんはぼんやりとした視線を向けてきて。

 

 

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