004
―ブライマル自由都市連合 辺境の村ユミリア
若葉月 25の日
ユミリアはブライマル島嶼部の山岳地帯に存在する本当に小さな小さな村だ。これといったクエストがあるわけでもなく、訪れる人は少ない。今後のアップデートで何かあるのかもしれないが、今のところ、世界観を描く一環として造られた寒村という域を出ず、俺も名前は覚えていたが、その場所は地図を眺めてようやく思い出したというレベルだ。
いつも通りシルファリオンにログインした俺は、転送NPCを使い、アル=ニグロス経由でユミリアの真ん中の小さな広場に降り立った。
ちょうどゲーム内時間では夜だった。銀剣の世界の時間は現実世界の1ヶ月で1年が回るように出来ている。リアルの12倍の速度で時間が流れているわけで、1日が過ぎるのは2時間ばかりという計算になる。
まばらに建った藁葺きの家々から漏れ出るわずかな光と、広場に灯された数本の松明しか明かりの無いユミリアの夜は、本当に暗い。幸いなことに二つある月がともに満月に当たる周期で、俺は月明かりを頼りにしながら、北へと向かった。中途半端に鍛えてある暗視のスキルを使えば、モノの形ははっきりわかるようになるのだけど、暗視スコープ越しに覗いたような景色では風情が無い。現実世界の日本ではまず経験することの出来ないような、綺麗な夜空の暗い夜を歩く。
ゲームの風景というのが好きだった。
……他の人達はなんのためにゲームをプレイするんだろうというのは、時折考えてしまうことだ。
仮想現実の世界というのは、ここには確かに一つの世界があって、もちろんゲームを作った人の意図する遊び方、ゲームシステムというのもあるのだろうけど、そこから離れてかなり自由に過ごすことができる。ただひたすらに綺麗な景色を追い求めて世界中を旅して回るのだって一つの遊び方だし、実際に出来てしまう。俺の知ってる奴にも、膝に矢をうけてしまってな、とかほざいて戦争から足を洗い、転送NPCを決して使わず、ふらふらとそこら辺をぶらついている奴が居る。時折気まぐれに戦争に参加しては旅の軍師とか称して、怪しい指揮で戦争を勝利に導いてしまうほんと謎な奴だ。
俺は、最初のうちは銀剣をオーソドックスに遊んでいた。所属している国を強くしようとそれなりに頑張ったし、勝ち負けにも拘った。
それが、半年前にある出来事をきっかけに、今みたいなプレイをするようになった。ちょうどスキルリセットのキャンペーンが来て、大剣という武器を選んだのもその頃のことだ。
栂坂さんは……カンナは何のために銀剣をプレイするんだろう。
ゆるやかな丘の上にぽつんと建つ、物見の小屋。その松明の前に座った人影を見つけて、俺は片手を上げて見せた。
松明の橙の光と月明かりに照らし出されたカンナは、一緒にカンディアンゴルトを戦った時とは随分違った格好をしていた。ワイシャツみたいな襟付きの服の上からカーディガンを羽織って、剣士というよりは普通の女の子というような装備だ。プレイヤーメイドだろうか。もしかして俺がリアル服装が装備に似てるって言ったの気にしてるのかな……。
「お待たせ」
「こんばんは。ユキは相変わらず可愛いですけど中の人を考えると気持ち悪いですね」
……何か俺は初手から罵られるようなことをしただろうか。
カンナの隣に、少し間を空けて腰を下ろす。リアルだったら隣に座るなんて凄く気が引けることだったが、ユキなら外見が女の子と言うこともあって割と気兼ねなく出来てしまって、やっぱり現実とゲームの自分の心持ちって少し違うんだな、なんて思う。
「待ってる間も、レギオンチャットやウィスパーがうるさくてもう大変でした」
「……そんななんだ」
「凄いですよ。まぁちょっとよく話そうっていう普通なのから、単なる罵りみたいなのまで。クエストの秘密教えろってしつこいのもありますね」
「うわあ」
「罵声とかはどうでも良いんですけどね……レギオンや国の運営が大変なんだっていうのは、わかってはいるつもりなんです」
抱えた膝に顔を半ば埋めて、カンナの表情はよく見えないけれど。
……やっぱり、落ち込んでいるんだろうか。
ゲームのことはゲームの中で、と栂坂さんは言った。現実では普通にしていても、ゲームの中に戻ってくると、我慢していたものが漏れ出してくるというのはあるんだと思う。
「みんな勝つために、自分の国を強くするために頑張っているんだろうし、勝手をやるレギオンメンバーがいたら他のレギオンに申し訳が立たないとか、そういうのきっとあるんだろうなって」
「まぁ……そうだね。レギオンが大きくなれば大きくなるほど、勝てば勝つほど、なんだかんだしがらみが増えて、段々、身動きがとれなくなっちゃうんだろうね」
「でも、だからって自分のやったことが間違いとも思えないです……ゲームなのにこんなに色々考えて、なんかバカみたいとも思えて、今日学校行く気がなくなっちゃったんですけど」
「最後のはどうかと思いますが……」
「うるさいですね」
首をすくめる。だけど、どこか元気の無いカンナは不機嫌そうな顔にも迫力が無かった。
「ゲームだからこそっていうのもあるんだと思うよ。現実ならどこかで大体妥協するし、なんだかんだで自然と我慢するのを、ゲームの中だからみんな割と本音でふるまっちゃってさ、言いたいこと言うし、やりたいことやるし」
「ユキはなんだか酸いも甘いも噛みしめてきたみたいなこと言うんですね。ソロプレイヤーの癖に」
口をすぼめたカンナのぼやきみたいな言葉に、俺は苦笑を返した。見上げた架空のものとは思えない夜空の星の間に、昔の記憶を探す。
――それじゃあね、ばいばい。
探り当てた傷跡、あの日のあの子の表情は、今のカンナの横顔に似ていたっけ……。
「私だって最初からソロプレイヤーだったわけじゃないよ、レギオンに入ってたこともある」
「そう、なんですか?」
カンナは本気で驚いたみたいだった。そんなに俺は異端児に見えますかね、見えるか。罵詈雑言、踏みつけ、リザキル、なんでもありの狂戦士だものな……。
「まあ、結構昔のことだけどね。カンナは何でエルドールに入ったのさ? リアルの友達に誘われたとかじゃないんでしょ?」
「まるで、私がリアルに友達が居ないような物言いやめてもらえます?」
「だ、誰もそこまでは」
ふん、と鼻を鳴らして、カンナはまた膝の間に口元を埋める。
「初心者の時にレギオンマスターに拾って貰ったんですよ。一緒に遊ばない? って。エルドールのマスターって凄い優しい人なんです。全然戦争好きとか、そういう感じのしない人なのに、クロバール上位レギオンのマスターなんて、変ですよね」
「昔からある大手だと結構あるんじゃないかな。マスターよりその回りの人達が戦争に本気ってパターンは」
カンナの横目は、色んなこと知ってるんですね、と、俺の過去を訝しんでいるように見えたけれど、俺は気付かないふりをした。
自分の昔のことなんて人に話すような大層なもんじゃない。ただ、自分の経験したことが、少しは同級生の女の子の助けになれば、なんて思ってしまうのは傲慢というものだろうか。
これは自分の身勝手な感傷だろうとも思う。きっかけをつくってしまったことの、贖い。そして、昔の自分への……。
「カンナはどうしたいのさ」
「……そんなの簡単にわかったら苦労しませんよ」
俺の問いに、疲れたようなため息をつく、カンナ。
「マスターには凄くお世話になりましたし、申し訳ないと思いますけど……マスター以外にそんなに親しい人がレギオンにいるかっていうと、そんなこともなくて。むしろ今回のことで顔を合わせるのさえごめんな気分になっている人ばかりで」
「なんか、こんなこと俺が言うのもなんだけどさ」
「本当ですね」
「まだ何も言ってないですが……」
話の腰を複雑骨折ばりに砕かれて泣きそうになったが、目で続きを促された。ため息交じりに言葉を繋ぐ。
「マスターとか人の気持ちを考えるのも大事だし、凄く、きっとマスターにとっては嬉しいことだと思うけど、だけど……まずカンナがどう遊びたいかが重要なんじゃ無いかなって思うんだ。カンナは、このグラディウス・アルジェンティウスの世界で何がしたいの?」
「随分哲学的というか……ロマンチックなことを訊くんですね。気持ち悪い」
「こんなに可愛いユキさんに向かってなんてことを」
「きも」
「はい……」
ネカマにも人権というモノはあると思うんですけどね……。
「……ごめんなさい、ついユキ相手だと言い過ぎちゃって」
「あ、うん、別にそんな気にならないから良いんだけどね」
「その……笑わないでくださいね」
人のことを気持ち悪い呼ばわりしておいて、そんな言葉も無いだろうと思わなくも無いが、どこか、見つからないものを探して、遠くを見るようなカンナの眼に、茶化す気は奪われてしまった。
隣に座った、先週まで大して知らなかった同級生の女の子。その瞳に宿った、決して見つからないとわかっているものをそれでも探す、焦燥にも似た光。
「昔から物語が好きだったんです。剣と魔法と戦いの物語が。おかげで気の合う女の子の友達はほとんどいませんでしたけど……だから、昔からゲームが好きで、仮想現実技術が発表されたとき、ついに物語の世界にいけるって、そんなこと……思ったりして」
その言葉は、俺の心の奥底に潜り込んできた。段々恥ずかしいことを言っていると自覚してしまったのか、カンナは頬を赤らめて、声を小さくしてしまったけれど。
「……やっぱり忘れてください。忘れるまで殴って良いですか」
「……ご勘弁を」
慌ててわたわたと手を振る俺を、カンナは睨み付けてくる。どう考えたって八つ当たりだ。
「そういうユキはなんのために銀剣をプレイしてるんですか」
「私は……」
そんな問いに、俺は、言葉を詰まらせてしまう。
今俺は銀剣を割と楽しく遊んでいる。気に入らないものにはとことん挑みかかって、気が向いた冒険を仲の良い人として。
だけど、なんのために、ということへの答えは……。
記憶の深いところに沈んでいきそうになった俺の思考は、しかし、戦いの中で鍛えられた直感によって急速に浮上した。
夜の中、そよ風に揺らぐ草木の葉擦れに混じって、人の気配を確かに感じる。それも、殺意を帯びた、明確に敵対する意志の、色で表すなら深紅の気配。
「……カンナ、ここって扱い的には村の中? 外部フィールド?」
「誤魔化さないでください」
「良いから」
ひそめられた俺の声音に、カンナも何かを察してくれたらしい。
「モンスターは出ないですけど、外部フィールドですね」
なるべく小さい動きでメニューウィンドウを操作して、カンナにパーティーを渡す。同時に戦闘用のパッシブスキルをいくつか起動した。索敵を立ち上げた途端、四方を覆う、真っ赤なアラートアイコン。
プライベートモードに切り替えたチャットに、俺は囁いた。
「囲まれてる。PKだ」