003
「ごめっ……危なっ!」
大してリアルの運動神経は良くない俺だが、こういうときばかりは銀剣で鍛えた危機反射が自動的に動いて、後ろ向きによろめいた栂坂さんの下に体を滑り込ませた。滑り込ませようとした。
頭は反応するんだけど、リアルとゲームでやはり違うのは、体がついてこないと言うことで……。
綺麗に栂坂さんを支えて受け身を取るつもりが、自分が後頭部から行く羽目になった。
一瞬世界が真っ暗になって、相手の強攻撃をパリィした時のような派手な火花が頭の中で散る。
その後の若干混乱した記憶に浮かぶのは、栂坂さんの体を支えたときに、全くもって偶然に掌に収まった慎ましやかな柔らかい感触とか、あくまで無意識にむにむにしてしまった自分とか、ひっと息を詰まらせて真っ赤になる栂坂さんとか……
……鳩尾にめり込むかかとの感触とか。
意識レベルにとどめをさしたは鳩尾へのストンピングのようで、次に気付くと、俺は玄関にのびたままで、若干決まり悪そうな顔の栂坂さんに覗き込まれていた。
「ぶ、無事で良かったですね」
「……あんまり無事とは言えない気がするんだけど」
後頭部は良いとして、ぶつけても居ないはずの腹部に残る鈍い痛みはなんなんでしょう。
「庇ってくれたのは、その、ありがとうですけど、そもそも四埜宮くんが急に変質者よろしく体を突っ込んでくるから……」
変質者は酷いと思ったけれど、思い返した自分の行動は確かに酷かったから救えない。
「そうですね……どうかしてた。栂坂さんは怪我無い?」
「怪我は……ないですけど」
胸元を気にして頬を赤らめる栂坂さんに、掌の幸せな感触がフラッシュバックする。ついつい左手を閉じたり開いたりしてしまいそうになって、栂坂さんの眉がきりきりつり上がるのを確認して慌てて引っ込めた。
「色々忘れてください。忘れられないなら私が忘れさせてあげます」
「いえ、何も覚えてません」
至極真摯に答えを返した俺を、栂坂さんはこの上なく胡散臭いものを見る目で睨んで、それからため息を漏らした。
「で……どうしたんですか、わざわざ危ないことして何か言いたいこと、あったんですよね?」
「あ、うん……まぁ」
いつまでも地べたにはいつくばっているわけにもいかない。上半身を起こして、すっかりふくれてコブになってしまった後頭部をさすりやりながら、どう切り出そうかを考えた。だけど、あんな行動に出てしまった以上、誤魔化すこともできず、結局は素直に思っていたことを伝えるしか無かった。
「今日学校を休んだのって……やっぱ、土曜のことが原因なのかなって」
窺った栂坂さんの表情は、揺らぐでもなく、ただ、その口から小さなため息が漏れただけ。
「……別に、四埜宮くんは……ユキは悪くないですよ。私が決めたことの結果です」
「……カンナならそう言うと思ってたけどさ……あの後、クロバールで何かあったなら聞きたいなって」
「あれだけやらかして、何も無い訳が無いですよね」
苦笑に入るんだろうか、力の抜けた笑みを浮かべて、栂坂さんはそう言う。
それから、ちょっと迷ったように。
「……いつまでも玄関で話し込むのもなんですし、ゲームのことはゲームの中で話しませんか?」
……もしかしたら、あのオルランドと戦ったときより喉が干上がっているかも知れない。
人様の家の階段を上りつつ、俺は何度目かに唾を飲み込もうとして失敗した。緊張しないはずがない。そんな付き合いが長いわけでもないクラスメイトの女の子の家。不肖四埜宮悠木、普通でも健全でも無いかも知れないが、仮にも男子高校生である。
築うん十年経つ古い造りの我が家とは違って、栂坂さんの家は階段も二階も広々としていた。
先を歩いていた栂坂さんが振り返って相変わらず胡乱げに眉をひそめる。
「……挙動不審になってますよ、四埜宮くん」
「い、いやだって……ねえ」
「何を期待してるのか知らないですけど、私の部屋じゃないですからね。単なるパソコン部屋です。まあ実質私が独占してますけど」
「そ、そうなんだ」
そう釘をさされて、残念な気持ちも少しあったが、どちらかというとへたれを自認する四埜宮悠木としては、正直なところほっとした。普段栂坂さんが寝てるベッドとか、色々男子が見てはいけないものが詰め込まれたクローゼットとかがある部屋ではとてもとても平常心を保てる自信が無い。
栂坂さんは、『面会謝絶』というユーモラスなんだか本気なんだか良くわからないプレートがひっかけられたノブに手をかけ、ドアを開く。肩越しに覗き込んだ部屋は、それでも6畳はありそうなフローリングの部屋だった。黒いシックなデザインの机には、デスクトップPCが2台、仮想現実インターフェースも2つ。それに簡易ベッドが設えられており……その上には脱ぎ散らかされた寝間着と思しき……。
「ちょ、ちょっと待っててください!」
目の前でものすごい勢いでドアが閉ざされる。どたばたと、ドアの向こうで忙しなく動き回る足音に、俺は微妙な表情になった。
「……すみません、良いですよ」
数分後、栂坂さんはすました顔でドアを開けて、だけど、頬に宿る朱には隠しようも無く。
「……栂坂さん、起きてからずっと銀剣やってたでしょ。着替えさえもせず」
「何のことでしょうか」
言葉ではとぼけてみせても、顔に図星と書いてある。クールそうに見えて、栂坂さんはすぐ顔に出る、というのはここ数日で良くわかっている。
俺のジト目に耐えられなくなったのか、栂坂さんは口をへの字に曲げて、ふんと鼻を鳴らした。
「だって、しょうがないじゃないですか! 土曜の夜から日曜まで、ずっとレギオンの上の人達や聖堂騎士団の人達がうるさくて、ゲームしたいのにログインする気にもなれなくて! もう学校休んで思いっきりプレイしてやるって……」
「ああ……色々言われて気が塞いじゃったとかじゃないんですね……休んだ理由」
これは心配した俺がバカだったろうか……よもや週末プレイ出来なかった分を取り戻したいからなんていうのが理由だったとは。
「うるさいです」
もう一度鼻を鳴らして、栂坂さんは俺にインターフェースを手渡してくる。まぁ積もる話は銀剣の中で、ということか。
「一人で二つもインターフェース持ってるなんて凄いね」
「父がメーカーに勤めてて、自分の分貰ってきたんですよ。ただ、仕事で使うものを家でまで遊ぶ気になれないらしくて。コンフィギュレーションカード持ってますよね?」
「あ、うん。大丈夫」
俺はポケットからSDメモリカード大のチップを納めたケースを取り出した。
仮想現実インターフェースは脳と直接やり取りをするデバイスなので、個人差の補正に大分時間がかかる。最低でも数時間はつけっぱなしにしていないと最適化が済まず、その間に脳波同期をディープモードに移行させると、酷い違和感に襲われる羽目になる。
コンフィギュレーションカードはインターフェースの最適化情報を保存するメモリカードだ。インターネットカフェなどで遊ぶこともあるゲーマーにとっては必須のアイテムと言って良い。
受け取ったインターフェースに、カードを差し込み、ベッドに寄りかからせて貰って、それを被った。
視界が覆われる寸前、何気無く隣に腰を下ろした栂坂さんに、どきりとしてしまう。
――同級生の女の子とこう隣り合って座って、ゲームをやるってさ……
なんだろう、一週間ほど前までは想像だにしなかったこのシチュエーション。もっとも向こうは何も気にしてなさそうだけど……。
頭をふって雑念を振り払って、スイッチを入れる。スタートアップ、タイトル選択画面で銀剣を選ぶと、見慣れた相変わらずなログイン画面が視野に映し出された。
「あ……ちなみに、ご両親とかは?」
「共働きなんで、当分帰ってこないですよ。何を心配してるんですか」
いや、もし鉢合わせたりしたら、きまずいじゃんかよう……思春期の青少年の心を理解しない人ですね。
「それじゃ……ユミリアあたりででも落ち合いましょうか。北はずれの物見小屋とか、わかります?」
「なんとなくだけど……」
「まぁわからなかったら連絡ください。それじゃ」
小さくコネクトコマンドを呟く声。
ひたすら事務的な感じの栂坂さんに、そこはかとなく残念な心持ちを覚えながら、俺も、コネクトを命じる。
慣れ親しんだ浮遊感に全身を包まれて、意識はゲームの世界へと降りていった。
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