002
メモに書かれた住所をスマートフォンに打ち込んで確認した場所は、それほどうちから離れて居なかった。
傾いた陽射しに染まった、築年数もあまり経っていないと思われる、二階建ての綺麗な家。表札に『栂坂』と明記されているのを確認して、俺はため息をついた。
一番気まずいのは家族の人が出てくるパターンだが、よしんば栂坂さんが出てきてくれたとしても、俺はどんな顔をして挨拶すれば良いんだろう。
ちなみに、薄情な裕真は『邪魔しちゃ悪いからな、結果報告だけよろしく!』と元気に宣って帰って行った。銀剣で敵側に入ってぶっ殺してやる所存。
……まあ、いつまで悩んでいても仕方ない。
意を決してチャイムを鳴らした。
夕暮れの街に、平凡な、澄んだ音が染み渡って消えていく。
……だけど、長く伸びた余韻が途切れ、朱い空に静けさが戻っても、何も反応はなかった。
返事の無いチャイムは、そこはかとなく虚しさを誘う。
留守なんだろうか、と何となく二階を見上げてみるが、カーテンが降りていて中の様子はうかがえない。
あんまり家の様子を窺って、近所の人に不審者と思われても嫌だし……かといってここまで来て、とぼとぼ帰るのもなんとなく癪で、俺は、未練がましく、もう一度チャイムに指をかける。
また余韻を引く、金属質に澄んだ音。
それが、途切れる寸前。
『……はい、栂坂です』
インターフォンから聞こえた声は間違いなく、栂坂さんのものだった。
「あ……えぇっと」
思わず声がうわずってしまって、咳払いをした。同級生の家訪問しただけでどれだけ緊張してるんだ俺。別にクラスメイトとして普通のこと。プリント届けに来ただけ。と自分に言い聞かせる。
「えっと、クラスメイトの四埜宮だけど」
『……どちら様でしょう』
返事まで明らかに間があった。絶対わかって言ってるでしょうこの人。
「栂坂さんが俺のこと踏みたいほど憎いのはよくわかってるけどさぁ……」
『冗談ですよ……情けない声ださないでください』
ため息交じりのそんな声。
「その、宿題のプリント届けに来たんだけど……」
本題……と言って良いんだろうか、藤宮さんには言い訳の手段と明言された気がしたが、そう切り出した俺に、また少し、逡巡するような間があった。
『……ちょっとだけ、待っててくださいね』
そう言い残して、インターフォンのホワイトノイズは途切れる。
ふぅとため息をついた。
どうやら栂坂さんは特に体調が悪いとかそういうことじゃないようだった。ひとまずほっとするべきところなのかもしれないけれど、それなら……と休んだ理由に思いを巡らせてしまう。
やっぱり、クロバールの連中に何か言われたんだろうか……俺が仕掛けた結果ああいうことになったんだし、一言ぐらいは謝った方がいいんだろうか。でも、それは戦ってくれたカンナの意志に対して失礼なことかもしれない……。
もし、休んだのが銀剣のせいだったとして、どう話を切り出せば良いんだろう。どうして休んだの? なんてストレートな質問。何か相談に乗るよ、なんておこがましい。
もう一度、深いため息。
こういうときは本当に自分のコミュニケーション力の無さが嫌になる。仮定を積み上げてぐるぐる思考が堂々巡りをして、一向に言葉を決められない。雪乃みたいに思い切り良く話をできたら良いのに。今度こつを聞いてみるかな……。
……しかし、栂坂さんはちょっとだけ、と言ったけれど随分時間がかかっているみたいだった。
傾いて赤みを増していく陽射しに、スマートフォンで時間を確認したその時、ちょうど、玄関のドアが開く。
「すみません、お待たせしました」
遠慮がちに開かれたドアの隙間から覗く、クラスメイトの姿に、ちょっと息を止めてしまった。
いつも首の後ろで結ばれている髪は、解かれて肩口に流れて、トレードマークの眼鏡はどこにいったのか、レンズ越しじゃない黒い瞳が俺を見ていた。
服装は夏らしい白と緑のワンピース。
普段とは全然違う……なんだろう、儚げな少女然とした姿をじっと見つめてしまった俺に、栂坂さんは視線を逸らす。
「ちょっと銀剣やってたんで、眼鏡が馴染まなくて……」
「……あ、うん、そっか……ゲームやる元気があるみたいで良かったよ」
「うるさいですね」
相変わらず俺の言葉は皮肉ととられたらしく、小さくむくれる同級生の女の子。
機嫌を損ねられるとまた話がこじれて困る。俺は、なんとかなだめるための言葉を探した。
「……なんか、その格好カンナみたいだね」
とりあえず女の子はファッションを褒めておけば間違いないって愚妹が言ってました。
まぁお追従じゃなくて、本当に銀剣の中のカンナの姿にそっくりだったからそう、思わず口をついてしまったのだけど。
栂坂さんは、自分の服装を見下ろすと、ぱっと夕陽の下でもわかるぐらいに顔を真っ赤にして……
……きりきりと眉をつり上げると。
キレた。
「だ、だれがコスプレですかっ!」
「え、いや、ちょ、誰もそんなこと言ってないでしょう!?」
キレどころが意外すぎて、たじろいだ。
「言ったじゃないですか、カンナみたいって!」
「いや別にそういう意味で言ったんじゃ無くて、というか栂坂さん自分でそういう格好選んでる自覚があるからそうやってつっかかってくるんじゃぐふっ」
踏まれた、足を。
「全然普通のワンピースです!」
「……いやぁ、ゲームのキャラ衣装とかに似てる普通の服見つけると思わず買っちゃうとか、ありますよねぇ」
「へ、へぇ……そうやって四埜宮くんはユキちゃんに似合いそうな女ものの服買ったりしてるんですね、気持ち悪い」
「誰が買うか!」
「今度私が服見繕ってあげましょうか? 四埜宮くんは女顔だし、さぞかし似合うと思いますよ。ネカマの上女装癖なんて、救いようの無いヘンタイですけど」
あまりに酷い言われように、なんだか泣きたくなってきた。女の子と口喧嘩しちゃだめですね……口喧嘩の内容が、学校とかではとても出来ない酷い内容だったけれど。こんなのクラスメイトに聞かれたら死んじゃうよ……社会的に。
「折角プリント届けに来たのに……」
情けない恨み言を口にすると、流石に栂坂さんもバツが悪そうな顔をした。
「……それは感謝しますけど。というかなんで四埜宮くんが」
「色々あってね……藤宮さんには踏んだり蹴ったりすることが愛の象徴に見えるらしくて」
「ヘンタイですか……?」
小首を傾げる栂坂さんに、なんでもないよと手を振る。俺と栂坂さんが藤宮さんから受けていた誤解を詳説すると、なんだか俺が八つ当たりを受けそうな気がしたので。
とりあえず、プリントを手渡すと、手持ち無沙汰になってしまった。
用件が済んだのに帰ろうともしない俺に、栂坂さんは不思議そうに首を傾げる。
「たぶん明日は行くと思います……学校。何か他に用事、あるんですか?」
「……いや」
「変な人ですね。いつもかも知れないですけど。それじゃ……」
さらりと失礼なことを言って、栂坂さんは玄関に消えて行こうとして……
「あ……待って!」
思わず閉じかけたドアに半身を挟み込んだ。自分の行動に自分でも驚く。俺はタチの悪い新聞の勧誘か何かか。
「な、なんですか!」
「う、うわっとと!」
びっくりしてドアを閉める手を放した栂坂さんに、ドアをこじ開けようと力を込めていた俺は体勢を崩す。
結果……俺は栂坂さんともつれるように、エントランスに転がった。
アクセス数もポイントも伸びすぎなんですけど!
ありがとうございます! 一層頑張ります!