001
「起立、礼」
「さようなら」
「はい、さようなら。寄り道せず帰れよ」
いつもと変わり映えのしない挨拶が、今日も消化試合な高校での時間の終わりを告げた。着替えを抱えて部活へ急ぐ奴ら、仲の良い友達と寄り集まって寄り道の算段をする連中――担任の千早センセの注意は右から左へ綺麗に抜けたらしい。みんな、高校生活を謳歌している。
勿論、といってしまうのに忸怩たる思いがないでもないが、俺には部活も無く、予定も無い。俺には何にも無いんだ……なんて何か深い過去を抱えている物語の主人公の台詞みたいだが、そんな過去さえありはしないので、単なる虚しい平凡な高校生の世迷い言にすぎないのである。
この身に残されたのはさっさと帰ってゲームをするという意志のみ。もう俺が授業でなくても誰も困らないんだし、このまま銀剣の世界へとフェードアウトしていっても何ら問題ないんじゃないかという気がするけれど、なかなか実行に移すとなるとハードルが高いのが困ったものだ。
鞄に教科書やら文房具を詰め込みながら、俺は、ちらりと主の居ない後ろの席に視線をやった。
「栂坂さん、結局来なかったな」
向き直ると、裕真が気怠げに椅子の背もたれにあごを載せている。こいつもどうせ家に帰って銀剣をやるしか予定はないのだろう。
「そうだね。まあ風邪でも引いたんじゃ無いのって思うけど……」
「ユキちゃんが踏みすぎたんじゃねえの?」
「週末は踏んでない。それに、踏まれたから学校休むとか、そういうタイプじゃないと思う」
「踏んだらリアルで踏み返してくるタイプだもんな」
肩をすくめてみせる裕真に、俺はため息をついた。
土曜のことは軽く裕真には話しておいた。別に秘密にしておくことでも無いし、何だかんだで裕真とは一緒に銀剣をやることが多い。栂坂さんとまたクエストに行くようなら裕真も一緒になる機会もあるだろうし、と思ってのことだったが。
……クロバールの、聖堂騎士団とのことまでは、話していなかった。
もし栂坂さんが銀剣を理由に休むんだとしたら……俺の心にひっかかるのは、あの聖堂騎士団の連中との悶着だった。
あの時、聖堂騎士団に挑みかかる以外の判断があったかと言えば、無いと断言することができる。それが、ユキのやり方であって……あんな連中の言うことを聞き入れていたら銀剣を遊ぶ意味さえないとさえ思う。
だけど、それがカンナにとってどうだったのかと考えると、答えは出ない。
確かに戦ってくれたのはカンナの意志だったけれど、意志によって選択した結果が常に最良なら、後悔なんて存在しない。国やレギオン……何十、何百という人が寄り集まって作った集団は、例えゲームの中とは言え、普段感じるよりずっと複雑で面倒くさいものなのだ。
カンナが、あの後、聖堂騎士団の連中や、所属レギオン、エルドールの人達から何を言われ、どんな目で見られたのか……。
「あ、四埜宮くん」
そんな俺の思考を、突然の声が中断する。
見上げると、そこに、知っては居るが見慣れない人物が立っていた。
「な……なんでしょう」
思わず敬語になってしまった俺を、その人……藤宮さんは笑顔とともに見下ろした。
藤宮翔子さん。1-Aのクラス委員長で、成績優秀な優等生。栂坂さんも成績面では優等生だったが、違うのは、藤宮さんは人当たりも良くクラスに彼女のことを悪く言う人はまず居ない、対人面でも優等生だというところだ。あ、栂坂さんも対人優秀ですけど、戦闘力とかね。
背中まで届くきちんと手入れされた栗色の髪を、正式名称は知らないが、如何にもお嬢様風な髪型に纏めて、顔立ちもよく見れば、というレベルでは無く一目見て可愛いとわかる整い方。まつ毛とかびっくりするくらい長いし、艶々した唇とか見てるだけでなんだかどきどきしてしまう。
言わば、俺みたいな平々凡々なのにしてみれば、殿上人なわけで、話しかけらればそれは緊張してしまう。入学以来、まともにしゃべるのは実は初めてなんじゃ無いかと思う。
「ちょっとお願いがあるんだけど……」
「……う、うん、なんだろう?」
「今日、栂坂さんのこと、様子を見に行ってあげてくれないかなぁ?」
「……はい?」
……藤宮さんからのお願いであれば、多少の無理でも聞こうと思っていた俺だったが、そのあまりに突飛な内容に、凍り付いた。
栂坂さんのことを、様子見に? 栂坂さんの家に、俺が?
声に大分険が出てしまったのだろう、藤宮さんは慌ててわたわたと手を振る。
「い、いきなりでごめんね! その、今日栂坂さん何の連絡も無くてお休みだったみたいで、千早ちゃんから、宿題のプリント届けがてら様子見に行って欲しいって頼まれたんだけど……私もそんなに栂坂さんと親しいわけじゃないし、いきなりいっても役に立たないかなって……」
「あ……ああ、それで俺に代わりに行って欲しいってことか」
「うん、そういうことなんです」
フリーズ状態からの再起動に成功した俺は、藤宮さんの意図を漸く理解した。最初は何言い出すんだろうこの人とかちょっと思ってしまったけれど、藤宮さんに申し訳なさそうな表情と仕草で説明されると、なんだかこっちが悪いことをしてしまった気になっているから不思議なものだ。
だけど、それとこれとは少しばかり別の話なわけで。俺は後頭部を掻きやった。
「いや……でも俺も、そんな栂坂さんと仲良いわけじゃ無いから、行っても微妙だと思うんだけど」
「ええ、そんなこと無いよ! ここのところ毎朝栂坂さんと二人でどこか行ってるし、栂坂さん良く四埜宮くんのこと見てるし、もしかして実は恋人同士なのかなって、クラスでちょっと噂になってるくらいなのに!」
「うへぁ……」
瞳をきらきらさせてそんなことを言う藤宮さんに、俺はカンディアンゴルトの奈落にもう一度突き落とされたような気分になった。
二人でどこかに行っていたのは、愛を語らうためではなく、床に引きずり倒されてストンピングを食らうためだし、俺を見ていた栂坂さんの眼差しは、恋慕とかそういう甘い匂いのするものではなく、憎悪とか復讐心とか血の匂いのするぎらぎらしたものだったはずです……。
「まあ、何も知らずに行動だけ見てれば、そう見えるってこったろ」
裕真の助け船ともなんともつかない言葉に、俺はため息をついた。そりゃ、クラスメイト達も二人で消えていった先で、俺が踏まれたり蹴られたりしているとは想像も付くまい。
「と、とにかく、俺は栂坂さんとそんな仲じゃないし、家に行ったところで門前払い食らうのがオチだと思うけど」
「うーん……そうかなあ……」
頭を抱えてしまう藤宮さんには申し訳なかったけれど、こればかりはなんとも。
少しの間、沈黙が流れる。それを破ったのは、裕真だった。
「門前払い食らうなら食らうで、とりあえず行ってみればいいんじゃねえの?」
「……はあ?」
無責任な言葉に、俺は裕真を睨み付けた。だけど、付き合いの長い友人はにっと笑って俺を見返してみせた。
「だって、なんだかんだで気になることあるんだろ、さっきずっとそう言う顔してたぜ」
「……う」
そう言われてしまうと、確かにずっと思いを巡らせていた俺は、否定はできなかった。
元気出してとか、あの行動がカンナの選択の結果である以上、そんな安っぽい言葉をかけるつもりは無いけれど……レギオンとか国とか、もし何かあったなら話をしたい、そう思っていたのは確かだった。話をして何になるのかは……よくわからない。所詮他人の俺が聞いたところで……。
だけど、そんなのは銀剣にログインしてきたときに、カンナと話せば良いことだ。こう女の子の家を訪問とか、ハードル高すぎるんですけど……。
頭を抱える俺を見やって、藤宮さんはふっと微笑んで、
「四埜宮くんは、きっとツンデレって奴だね」
「……はい?」
「そういうときはまず、心配だって気持ちを優先すれば良いんだよ、はい、これ栂坂さんの住所。あと理由を言い訳するためのプリント!」
若干呆然としていた俺の目の前にぽんぽんとモノを積み上げて、藤宮さんはにっこりと笑ってみせた。
「きっと栂坂さんも四埜宮くんが来てくれたら喜ぶと思うよ」
……何やらとんとんと話を進められてしまった。
「決まりだな」
そんなことを言ってにっと笑う裕真は、どう見てもこの展開を他人事と楽しんでいるだけだ。
というか、都合の良い言葉で飾られて明らかに面倒ごとを押しつけられた気がした。藤宮さんを見上げると、その笑顔は一点の曇りも無い、清らかなものに見えたけれど。
俺は髪をぐしゃぐしゃとやって、それからため息をついた。
人間諦めが大事だと言うことだけは、良くわかっている。
登場人物も追加して、新章すたーとです。