011
人1人が漸く通れる狭い道は、大分長く続いた。
一応上り坂になっているようだったが、その傾斜は緩やかで、地上の明かりは見通す限り望むことができない。もっとも地上が見えたところで、このカンディアンゴルトではそれが明るい景色であるとは、限らないのだけれど。
それもそのはずで、道は途中から随分と荒く削り出された石積みの階段に変わり、階段は螺旋を巻いて上へ上へと俺たちを導いていった。現実の階段の感覚的には、5階分ほどは上っただろうか。その先にあったのは、白い壁に遮られた、階段の終点。
「……行き止まり?」
「だったら泣いちゃうところだけど……」
「ちょっと良い? 兄様」
俺を押しのけて、ネージュが壁の前に立つ。
「……梟の耳」
妹殿は小さくスキル名を囁いて、そして右の手の甲で軽く壁を叩いて見せた。
梟の耳は、弓や短剣のスキルツリーで取得可能なスキルで、敵を見つけるという目的では索敵に似ている。しかし、索敵がマップ上でのレーダー機能という至極システム的なスキルなのに対して、梟の耳は使用者の聴力拡張という形で効果を発揮するのが面白い。つまり、音が良く聞こえるようになるのだ。それこそ、彼方の衣擦れや、隠れ潜んだ敵の鼓動や呼吸の音まで。
そういえば、ひそひそ話とかしてても、もし梟の耳使われてたら普通に聞かれるんだよなぁ、などと益体の無いことを考えていると、しばらくの間微動だにせずにいたネージュが、ゆっくりと目を開いた。
「……壁薄くて、すぐ向こうは部屋になってる。スキルで破れるんじゃないかな」
「はいはい、力技は私の仕事ですよね」
カンナとネージュ両方から視線を向けられて、満更でも無く、俺はグレートソードを肩に背負い込むように構えた。
スキルにせよそうでない通常攻撃にせよ、本来戦いに用いる攻撃にはターゲットの絞り込みが必要になる。スキルコールにあわせて意識を目標に対して集中させ、攻撃の軌跡を導いてやる技術に慣れるには随分時間を使ったものだけど、今回についてはその過程は必要ない。目標は一面を覆う壁。下手な鉄砲だろうが一発必中のレベルだ。
「強撃!」
グレートソードの幅広な刀身が青白く輝き、振り下ろした一撃が壁を抉りこむ。確かな手応えとともに剣を振り抜くと、少し遅れて白い壁はがらがらと音を立てて崩れ去った。
濛々と上がる土煙のエフェクトが晴れ、そこにあったのは、小さな、しかし小綺麗に整えられた一室だった。本棚と、長いす、それに執務机。物は少なかったが調度はどれもしっかりしたもので、それなりに地位のある人間が使うべき部屋のように感じられた。
グレートソードをストレージにしまい込む俺に先んじて、部屋に踏み込んだカンナが執務机の上に何かを発見したようだった。
「……日記、でしょうか」
古びて茶色に変色した本を手にとって、カンナは矯めつ眇めつ見やる。特に署名の類いは無いが、この部屋やクエストから考えるに、この城の主、姫君の恋人、その人の物と考えて問題ないだろう。
「読んでみようか」
「ユキが朗読するんですか?」
さも当たり前のように小首を傾げてみせるカンナに、俺はジト目を向けた。
「何でそうなるんですかね……普通に、3人で読めばいいでしょ」
「ユキと肩を寄せ合って本を読むなんてちょっと……」
本気で嫌そうな顔しないでくださいよ、傷つくから。
とはいえ、朗読なんてものは非効率とカンナもわかっているのだろう。執務机の前に肩を並べて、3人で日記を覗き込む。
――カンナが変なこと言うから意識しちゃうんですけど……。
装備越しとはいえ、魔法剣士殿の装備は布地が多く二の腕や肩の柔らかい感触が時折触れる。落ち着かなくもぞもぞしていると、冷めた目で見られて、俺は肩をすくめた。
日記は、やはりこの城の主によって書かれたものだった。
カンディアンゴルトに籠城を始めた日から始まり、日ごとの戦いの記録が簡素に綴られている。初めのうちは、堅牢なカンディアンゴルトの守りと、高い士気により戦いは優位だったようだ。いずれ敵も諦めて去っていくだろうという楽観的な観測も見て取れた。
だが、圧倒的な数の差と、いつまでも解かれない包囲に、次第に戦況は悪化していく。
そもそも籠城戦というのは、後詰め……本軍の来援が期待できない限り、決して勝ち目のないものだ。
殿をこの城に残して王都まで落ち延びた王がいずれ軍を立て直し、援軍としてかけつけてくれるものと、彼は信じていたのだろうか。
それとも……。
――もはや籠城を続けても、敵の退く望みは薄い。一か八か退くべきか、しかし、本国の状況も知れず。援軍が来ないと言うことは未だに騎士団は立て直せていないのだろう。陛下はご無事であらせられるのか。ここで敵が費やす時がこの国にとっては値千金であると信じ、この城を守り抜くしかあるまい。
読み進めるにつれて、日記からは苦悩の色が滲んでいた。
一つの城の主として、何百、何千という軍の指揮官として、自分の判断が配下の人間の命運を決めるというのは、どんな心持ちなんだろう。
胸の奥で焦げ付くようなもやもやを感じて、俺は、奥歯を噛みしめた。何人もの見ず知らずの人が一緒にプレイするMMORPGを何年もやっていれば、人と人との軋轢は嫌でも目にする。集団となって戦う以上どうしても必要になる、リーダーという存在。指揮されるものと指揮されるものの意識の違い。記憶の底に沈めたいくつかの出来事が、思考のどこかで引っかかったのだろう。
ネージュがちらりとこちらを見た気がしたが、俺は気付かないふりをした。
最後の日、ついに城門が破られ、それまで背中を預けて戦ってきた友は本城とは離れた物見の塔へと、離ればなれになってしまう。かくなる上は、1人でも多くを道連れにという覚悟とともに、筆は置かれていた。
まだ日記自体のページは残っていたが、何も綴られない空白のページが続くのみ。
「あれ……」
残りのページをぱらぱらと手繰っていたカンナの手に、ページの間から滑り落ちてきたものがあった。
「……手紙」
それはアイテム扱いのオブジェクトのようだった。カンナが手に取るとパーティーインフォメーションに、アイテム入手のメッセージが表示される。
―姫君への手紙を入手しました。
「あの人への手紙……なんですね」
感慨深げにアイテムストレージを見やるカンナに、俺は少し微笑んで見せた。
「あの姫様に渡してやらないとね」
「そうですね……これだけをもって帰るというわけにはいかないんでしょうか……この後はきっと、この人と戦わないといけないんですよね」
「気持ちはわからないでも無いけど、そういうわけにもいかないんだろうね、イベントフラグはまだ立ってないし、何より私たちがお願いされたのは、この城の主を『助けて』くれってことだから。それに、私は【英雄の友】にお願いされたしね」
魔法剣士殿は、少し不思議そうに俺の方を見返してくる。
「……なんだか似合わないですね」
「何が?」
「ユキはそういう男っぽい約束って、似合わないなと思って。わざわざ可愛い女の子をキャラクターに選択するヘンタイさんなのに」
「もう酷い言われ様だよね……」
折角良いシーンだと思ったのになぁ、なんて肩を落としていると、くすりとカンナは笑って見せた。
「でも、私もそういうの嫌いじゃ無いですよ」
ならわざわざ人を貶めなくてもいいんじゃないの、なんてことはきっと言っても詮無いことなんだろう。
他にこの部屋で得られるものはないようで、俺たちは突き破った壁とは逆側に位置する正規の扉から部屋を後にした。部屋を出ると、扉は固く閉ざされ外から開くことは無かった。出た先はマップが復活し、どうやら本城に戻ってきたようだったが、今までいた場所はマップにも表示されず、通常のルートを辿ってきたプレイヤー達は、ここに部屋があると言うことすら知り得ないだろう。
ここまではモンスターの出現しないゾーンだったが、ここはもう通常のダンジョンフィールド、俺はグレートソードを実体化させ、脇に構えた。カンナもネージュも、俺が口を出すまでも無く、既にそれぞれの得物を構えている。
マップ上でゴールはもう見えていた。本城の最深部に位置する剣の間と名付けられた広間。そこにイベントアイコンが煌めき、おそらく既に人ならざるものとなったこの城の主が待ち構えていることを教えてくれる。
「最短距離で抜けよう。足の遅いmobとかは相手にしなくてもいいよね」
「ですね、今更です」
頷くカンナとネージュの顔を一瞥して、俺は正面へと向き直った。松明に照らし出され不気味に続く廊下の先に、ガシャン、ガシャンと軋んだ金属音を立てながら歩くモンスターの姿が覗く。だが、その体にあるべき頭は無く、ただ鎧で固められた体だけが彷徨っている。デュラハン。防御力もヒットポイントも低く倒しやすい相手だが、動きばかりは速く避けて通れまい。
体を沈み込ませ、床に倒れ込まんばかりにバネを撓める。大剣固有の突進技、狼の牙。思えばカンナと初めて戦ったとき、魔法剣士殿を地にうち伏せたスキルはこれだった。カンナがどんな顔で見ているか少し気になったけれど、気を散らしている余裕は無い。
意識を未だこちらに気付く様子の無いデュラハンの中心に固定する。レンズのフォーカスを合わせるような、ターゲッティング。揺らぐ視界の中で鮮明な像が結ばれたと思ったその瞬間、地面を蹴る。
自分の脚力だけではあり得ない加速が体を後押しして、流れる周囲の景色が加速し、混濁する色彩に変わった。みるみる大きくなる、視界の真ん中のデュラハンの姿だけが鮮明に、その胸の中心を鎧ごとグレートソードが貫いた。
スキルポイントと、いくつかのアイテムを残して消えるモンスターに、俺はグレートソードを払いやり、そのまま駆け出した。追いついてきたカンナとネージュが隣に並ぶ。
最短ルートを選んで、階段を駆け上り、広間を抜ける。
マップの現在位置とイベントフラグを見比べて、ゴールが近づいてきたことを確認して、嫌が応にも脈拍が上がった。
……だけど、ゴールポイントとして記された広間の手前で、俺たちが出会ったのは想像だにしないものだった。