010
「【英雄の友】はカンディアンゴルトの物見の塔を舞台にしたクエストでね。
ある交易商がカンディアンゴルトの側を通りかかった時に、塔の上から漏れ聞こえるか細い笛の音を耳にするところから物語は始まる。
霧の港の船着き場で、その交易商に話しかけてから物見の塔に向かうと、まるで私を招き入れるみたいに、扉が開いたんだ……」
ぴしゃり、ぴしゃりと水音が広い空間に残響する。カンナもネージュも黙って聞き入っているので、俺の声ばかりが静けさのなかに響き渡って、少しばかり気恥ずかしかった。とは言っても、声は可愛いらしい女の子のものなのだけど。ユキさん可愛いよ。
「クエスト自体は、モンスターを倒しながらひたすら8階層ある物見の塔を登っていく一本道なんだけど、ソロ縛りが付いてる癖にやたらとモンスターが強くて、その上ドロップや貰えるスキルポイントも低いし、さらにはさ、ボスキャラへのチャレンジ1回制限までついてたんだよね。負けたら再チャレンジ不可でおしまい。だから人気が出ずにクリアする人もろくに居ないまま、終わっちゃったんだろうね」
「よくそんなクエストを根を詰めてクリアしましたね」
感心とも呆れともつかないカンナの声に、俺自身も苦笑を漏らした。
「報酬がこれじゃなかったら、私もクリアなんかしなかっただろうね」
脇に抱えたままのグレートソード。まぁ、ドロップ狙いも経験値稼ぎも出来ず、その上報酬が使う人間のほとんど居ないイレギュラー武器となれば、それは人気が出なくて当然だろうと思う。
話しながら歩くと感覚的にはすぐに、壁へと突き当たった。煉瓦を積んで補強されたその壁面に右手を置いて、ざらざらとした感触をなぞるように反時計回りに、また歩き出す。こうやって一周すればどこかで出入り口に当たるだろうという算段だった。
壁につるされた、一体いつから燃え続けているとも知れない松明が3人の影をゆらゆらと不安げに水面に映し出す。何やらまた後ろからマントを軽く引っ張られた気がしたが、細かいことは気にしないことにした。
「それで、まぁそれなりに苦労してその塔の一番上にたどり着いたら、1人のNPCが居た。笛を吹いていたのは、その男だったんだ。入ってきた私のことを胡乱げに見て、聞いてきた。敵国の兵士か? って」
――改めて思い出すと、随分と鮮明に思い出せるのは、やはり俺にとっても、印象に残るクエストだったからなんだろう。
もはや、カンディアンゴルトが普通の城だった頃の国々は古の日々のうちに全て滅び去った。その問いになんとも答えを返せず黙り込んだ俺に、男は、ふっと皮肉げに笑って言った。
まぁそんなことはどうでも良いことだと。
大事なことはお前が俺を殺せるのか、それだけだと。
そうして振り上げられたグレートソード。背丈を超えるほどの武器を全く危なげもなく構えるその男がプレイヤーに比定すれば相当の手練れだということを直感的に理解して、俺も大剣を抜き放ち、戦いが始まった。
「どのくらいの時間かかったんだろうなぁ、随分長かった気もするけど……なんとか討ち果たした私に、そいつは、このグレートソードをくれて……それから言ったんだよね」
――お前なら、あいつのことも助けてやれるのかもしれない。どうか、頼む。俺の一番の親友のことを。
「あいつ、って?」
小首を傾げるネージュに、俺は肩をすくめた。
「クエストはそこで終わりでさ、結局誰のことかわからないまま、私もすっかり忘れちゃってたんだ。それで、今考えてみると……あのお姫様が言ってた、この城の主のことなのかな、って」
「どう考えてもそうですよね。というかこのクエストが始まったときに、どうしてその話を思い出さないんでしょう……」
「確かに……」
女子2人の視線が背中に突き刺さって、俺は後頭部を掻きやった。
「すっかり忘れちゃってたって言ったじゃない……すみませんね鶏頭で」
「反省してください」
「はい……」
なんなんだろう、この俺の扱い……。
「でもさ、それじゃ、ほんとにこのクエスト分岐に入った人はほとんど居ないっていうことなんだよね」
「まぁ、そうだろうね。Wikiにも上がってないってことは」
「なんだかドキドキするね! 私たちが初めてかもしれないんだよね、この先の物語を知るのは」
ばしゃばしゃと水をけたててはしゃぐ愚妹を振り返って呆れた視線を向けながら……だけど、その気持ちはわからないでもなかった。
誰も知らないストーリー、自分たちだけのクエスト。まだ誰も挑んだことも無く、それ故にこの先何が起こるのか全くわからない。その展開にわくわくしないゲームプレイヤーは居ないんじゃないかと思う。
それに……俺にとってはある意味、【英雄の友】クエストの続きでもある。古の時代からいくつもの世代が過ぎ、数え切れないほどの国が興っては滅びてきた中で、ただずっとこの古城を守り戦ってきた2人の戦士の物語を、これは終わらせるための物語なのだ。あの男から託されたグレートソードを改めて見やると、胸の奥が沸き立つような感覚がした。
たかだかゲームで……そんな風に言う奴もいるかもしれない。だけどそんなことを言ったらどんな小説や映画だって、誰かが頭でこしらえた現実で無い絵空事、で終わってしまう。例え創られたものだったとしても、そこに確かな人の物語があるなら……それは現実と同じように人の心に訴えるものだと思う。
壁をなぞっていた右手の感覚がふっと消える。
少しよろめきながら、壁のあるべき方に向き直ると、そこには、煉瓦で整然と整えられた通路が、口を空けていた。
今回はちょっと文字数少なめですが、区切りがついたので。
一つのクエストをだれないように描くのはなかなか難しいですね!