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008

 頬に触れた冷たい感触が、一気に意識を覚醒させた。

 

「いつつ……」


 横たわっていた体を引き起こす。痛みが走ったのは頭だ。体は自由に動いたが、自分が何故こんなことになっているのか、思い出すのに少しばかり時間を要した。


――えっと……。

 

 ゲームの中で気絶するということがあるらしいというのは、知識としては知っていた。

 当然のことだが、仮想現実型のゲームにおいては、気絶を引き起こすほどのインパクトを脳に与えないように出力制限がなされている。しかし、ある種の感覚刺激の結果、神経が昂奮し神経心原性失神に繋がるケースがあるのだと言う。


――……例えば、高所から落下する仮想体験とか。か……。


 意識を失っていたのは気絶と言うほどに長い時間では、きっと無かったんだろう。一定時間の意識の断絶、あるいは睡眠状態への移行―いわゆる寝落ち―が発生すると、強制ログアウトシーケンスが実行され、俺たちは現実へと戻される。起き上がって見回した薄暗い湿った景色は、どう見てもまだ銀剣の世界のものだった。


「兄様起きた?」


 まだ若干焦点の定まらないようにぼやけた視界で左右を見回すと、俺たちと一緒に降ってきただろう石の塊に腰掛けた、ポニーテールの女の子。ネージュの姿。


「うん……。なんだ、あれだけ落ちて死ななかったんだ」

「落ちるところまで含めてイベントだったみたいだね、ダメージは無しだったけど、地面に激突するときほんと死ぬかと思ったよ……」

「……良く意識保ってられたね」


 我が妹ながら、その肝の据わり具合には本当に感心する。


「カンナは?」

 

 俺の問いに、ネージュは視線を少しだけ傾けてみせた。

 その先を追う。俺のすぐ横に、黒髪の魔法剣士殿はうつぶせで息絶えたように倒れ伏していた。俺と同じように、意識を保っていられなかったクチなんだろう。


 ため息を一つついて、俺は立ち上がる。

 あんまり長い間そのままだと、強制ログアウトシーケンスが始まってしまう。軽く刺激を与えればきっと目が覚めるだろうと……。


「ちょい待ち兄様」


 何故か、妹に肩をがっと思い切り掴まれた。


「……なんだい、愚妹よ」

「何しようとしてるのか詳しく説明してくれる?」

「カンナを起こそうと」

「……なんですぐ横に居る人を起こすために、わざわざ立ち上がって、その上足を持ち上げているのかな?」

「いやぁ……なんでだろうね?」


 べったりと地面に横たわったその背中を見た瞬間に、体が勝手に。

 そんな悪意とかは全然無かったんですよ、ただ、味方から踏まれたらカンナさんがどんな反応示すだろうかなという考えが頭に浮かんで、これは試してみざるを得ないという理系的探究心から発生したもので。

 ちなみに得意科目は国語と世界史ですけど。


 盛大なため息が、ネージュの口から漏れた。


「兄様は本当に……そんなことしたら後でどんな反撃貰うか、会って数時間の私でもわかるんだけど。反撃されてぼこぼこにされたいMなの? そうまでしても踏みたいSなの? それとも単なる変態なの?」

「失礼な」

「文句言う前に自分の行動を反省してください! そもそも人のこと踏んだりしちゃダメだって何度言ったらわかるのかなぁ」

「それはリアルのカンナさんにも言って貰えると……」


 思わずそんな愚痴っぽい反論を口走ってしまってから、俺は慌てて口を塞いだ。


「リアル……?」


 いぶかしげにネージュが目を細めて、


「ん……うぅ」


 ナイスタイミングでカンナがうめき声を上げた。


「目覚めたみたいだね。大丈夫?」

「……白々しい」


 妹のつぶやきと白い目を認識の外にして、俺はそうカンナに声をかける。


「あ……だ、大丈夫です。死ぬかと思いましたけど……ここは……?」

「落ちてきたってことは、たぶん城の地下だと思うんだけどね……マップにも無いフィールドだから、確かなことはなんとも」


 額を押さえながら起き上がったカンナはきょろきょろと辺りを見回す。俺も改めて、周囲に広がる空間を見渡した。


 俺たちが落ちてきたのは、広大なドーム状の空間のようだった。巨木のような石柱が何本も立ち並んで、薄暗闇の中にその先を溶け込ませている。見上げても、もはや空いた穴は判然としない。足下には結構な量の水が溜まり、俺たちの体を濡らしていた。


「まるで、あれみたいだね、イスタンブールの、ほら」

「バシリカ・シスタンですか」

「そう、それ……だっけ?」

「一般には地下宮殿の方が呼び名として通ってるかも知れないですね」

「そう、それそれ」


 流石読書の虫だけあって博識なカンナさんにちょっとたじろぎながら、俺は更に視線を巡らせる。

 バシリカ・シスタン……と、正式名称はいうらしい、イスタンブールの地下宮殿は、ローマ帝国時代に巨大な貯水槽として作られたものだ。大理石の列柱が立ち並び、さながら神殿のようなその様子に、写真ごしながら圧倒された記憶がある。

 ここも同じように、元々は籠城の時のための貯水池だったんだろうか、それとも……。

 どちらにしても、イベントフィールドである以上はどこかに出口があるはずだった。モンスターは出ない設定らしく、落ち着いて探索に専念できるのは有り難い。


 システムウィンドウに目をやると、リアルの時間は12時30分。ログインしてからちょうど3時間ばかり。時間を認識すると、少しばかり疲れを覚えて、俺はカンナとネージュに向き直った。

 

「ちょうど昼時だし、少し休憩取ろうか」

「……そうですね、朝ご飯抜いてたからちょっとお腹空きましたし」

「さんせー」

「それじゃ、14時ぐらいに再集合で大丈夫かな?」

「大丈夫です」

「それじゃ、また」


 軽く手を上げて挨拶代わりに。メニューからログアウトを操作すると、確認のカウントダウンが開始される。

 同じようにログアウト操作を行ったんだろう、静かに眠るように目を閉じたカンナの横顔をぼんやり見つめながら、また体を捉える浮遊感に、俺は身を任せた。



 ◆◇◆


 ダイニングに降りていって冷蔵庫を開ける。昼食は作っておいたから、という母親の言葉に従い上から下へ視線を走らせると、中段にサランラップに包まれてサンドイッチが盛りつけられた皿を見つけた。

 そいつをテーブルの上に無造作に置き、麦茶をコップに注ぐ。

 3時間にわたるプレイで大分干上がった喉を潤していると、ぱたぱたとスリッパを鳴らして雪乃が降りてきた。


「あ、兄様ずるい! 麦茶私も!」

「誰も独占してねえだろ。はいよ」


 麦茶の入ったポットを渡してやると、コップになみなみと注いだ麦茶を、雪乃は腰に手をあてて一気に飲み干した。


「ぷはぁ、たまんないなー」


 これが花も恥じらう15歳の乙女である。


「年頃の妹がすっかりおっさんなんですけど、兄はどうすれば良いですかね……」

「年頃の兄がネカマまっしぐらなんですけど妹はどうすれば良いですかね……」

「ネカマじゃねえよ」

「はいはい知ってますよ-、兄様は単に可愛いキャラが好きなだけですもんねー」


 そんな台詞を棒読みする妹を横目で睨み付ける。

 

「でも私は安心したよ、そんな兄様にも親しい同級生の女の子が居るってわかって」


 いただきますの挨拶も適当に、サンドウィッチをついばみ始める妹に、俺はなんとも複雑な心持ちに顔をしかめた。


「別に親しくはないんだけどな……」

「そう? 完全に息ぴったりに見えたけど」

「そう、ゲームの中でならね」

「……はいはい、これだからネット弁慶は」

「うっせ」


 ゲームのプレイには体力を使う。体は動かしていないはずなのに、その分頭の方に負荷がかかっているんだろうか。妹に遅れて、ハムと卵のサンドウィッチを口に放り込むと胃が元気よく働き始めるのがはっきりとわかった。

 それは雪乃も同じらしく、しばらく2人で無言で昼食をむさぼる。


 まぁ、妙な偶然と言うべきか、なんてぼんやりと考える。カンナ……栂坂さんとクエスト攻略することになるなんて。

 きっと、同級生の友達とゲームをプレイする関係としては、これが世間様の大多数であり、正統派な在り方なんだろうなとは思うのだけど、元の出会いが出会いなだけに、どこか違和感が否めない。カンナさんは敵、という風にファーストインプレッションですり込まれてしまっているせいだろうか。

 しかし、雪乃はむしろ好感をもってるみたいだし、ちゃんとパーティープレイを理解していて腕も立つ栂坂さんとの戦闘は楽しかった。折角の機会だし楽しもう、なんて自分に言い聞かせる。


 雪乃が思い出したように……実際思い出したらしかったが、ぽんと手をうったのは、サンドウィッチの山もほとんどなくなり、2人とも腹も満ちてきた頃のこと。


「あ、思い出したよ。兄様! リアルのカンナさんに……ってどういうこと?」

 

 突如としてそんなことを言い出す妹に、俺は露骨に言葉に詰まった。ゲームの中でついつい口走ってしまった台詞……まさかきちんと覚えているとは……。


「もしかして……リアルでカンナさんに踏まれたの?」

「う……ん、まぁ……」


 誤魔化しきれずに、そんな曖昧に頷いてしまう。ごめんね、栂坂さん。

 だけど、俺の言葉に何故か雪乃はきらきらと瞳を輝かせた。


「同級生の女の子とそんな関係だなんて……兄様も隅におけないねぇ」

「ちょっと待って。なんでそんな反応になるのかさっぱりわからないんだけど」


 愕然とした俺の言葉に、雪乃は小首を傾げて、


「え、だって兄様、カンナさんとそういうプレイを」

「プレイってなんだよ。ただ俺は栂坂さんにゲームの中の仕返しをリアルでされただけだからな」

「あ、カンナさんって栂坂さんっていうんだね。お名前は?」

「佳奈さん」

「それでカンナさんかぁ。で、仕返しされたって?」


 兄の身としては、こう威厳とか尊厳とかそういう問題であんまり詳しくは説明したくはなかったのだが、プレイとか誤解されるのもたまったものではないので、渋々口を開いた。


「言葉の通りだよ。ゲームで踏んづけた翌日に、裕真と話してて俺がユキだってばれてさ……こう、足払いされて踏みつけられて」

「ご褒美?」

「違います」


 銀剣を初めてからネットゲーム界隈の情報に触れるようになって、どうも雪乃の発言が頭がおかしい方向に振れてきているような気がした。


「なんだつまんない。兄様も隅に置けないなって折角思ってたのに」

「つまんなくありませんからね……」


 兄の学生生活を話題のネタ程度にしか考えていないその神経、ちょっとたたき直した方が良いんじゃないかと思う。


「ねね、兄様、佳奈……さん? ってリアルだとどんな感じの人なの?」

 

 そんなことを聞いてくる雪乃を適当にあしらう。俺だって全然、そんなリアルの栂坂さんのこと知っているわけじゃないのだ。言葉数が少なくて、大体いつも1人で本を読んでいるクールな女の子。見た目は地味だけど、よく見ると可愛いんじゃないかなと思う。それが、ゲームの中のカンナを知る前の、俺の栂坂さんの認識。


 今は……うん、まだ良くわからない。

 思っていたより、表情豊かで意地っ張りで、頭に血が上りやすくて……あれ、なんだか元よりイメージ悪化している気もするけれど。

 まぁ、確かなのは、前よりは距離感は近く感じられるぐらいってところか……。元々席の距離はすごく近かったんですけどね。


 最終的には綺麗に空になったサンドイッチの皿を軽く洗って片付け、俺と雪乃はまたそれぞれの自室に戻った。14時までまだ30分以上はある。漫画でも読みながら、ごろごろするつもりだった。

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