007
本城の鉄の扉を押し開く。俺たちの道先を案内するように……あるいは、新たな犠牲者を招き入れるように灯った青白い炎は、本城の中にまで続き、廃墟と化した城の内景をほの暗く照らし出していた。
夏の季節、ゲームの中はまだ春だったが――にはちょうど良いような風景。あちらこちらに崩れた瓦礫が散乱し、床に敷かれた赤絨毯は引き裂かれ薄汚れている。壁に掛かった誰とも知れない肖像画が、尊大そうにこちらを見下ろしていた。
得体の知れない風鳴りと軋みの音。城の外からは一定しない間隔で雷鳴が轟く。
「わざわざお化け屋敷なんかにでかけなくても十分な風情だね」
「そ……そうですね……」
微妙にカンナの声に先ほどまでの張りが感じられなくて、俺は首だけで後ろを振り返った。
城のどこかを見やるその横顔からは、特に妙なところは見受けられなくて……。
一際大きな雷が窓の外で光り、直後に耳朶を打ち付ける。
「ひぁっ!」
城全体がびりびりと震えるほどの衝撃に、俺も少しばかり肩をびくつかせたが、今の可愛らしい悲鳴は……。
もう一度後ろを振り返る、最初に視界に入ってきたネージュはあっけらかんとした顔で首を傾げてみせるだけ。こいつがびびったところを俺は見た記憶が無い。女の子なんだからもう少し繊細でも良いと思うんですけどね。
と、なれば……。
俺のすぐ後ろ、身を縮こまらせて、ユキさんのマントの端を掴んだ……これ、カンナさん?
「……怖いんですか?」
「べ、別にちょっと大きかったんでびっくりしただけです」
「でしたら放していただけると……」
「そ、そうですね……すみません……」
口では言うものの、その手は俺のマントを握り込んだまま、一向に。
ついついにやけてしまう。いやぁ、どんな小さいことでも人の弱点見つけると嬉しいですよね。
「怖いんですか?」
「ち、ちがっ」
「怖いんですよね。いつもあんな強気なカンナさんが、お化けとか雷とか怖いなんて思いもしなかったけど、いやぁ、まさかまさごふっ」
鳩尾に鈍い衝撃が入って台詞は強制中断させられた。痛みは無いが腹部に走る違和感はどうしようもない。普通にダメージを貰うレベルの打撃に、PKアラートがインフォメーションウィンドウにポップアップする。
「本当に最低な人ですね……」
涙目で睨み付けてくる魔法剣士殿に、流石に悪いことをした気になった。
「すみません……小学生みたいな兄で」
ネージュにそんなため息をつかれるのは心外なのだけど。
「ごめんなさい……でも、そんなんで大丈夫? ここからずっとこんな感じのダンジョンだと思うけど」
「……怖くないから大丈夫です」
そんな答えにため息が出る。なんでこの人こんなに意地っ張りなんだろう。つい先日まで抱いていた現実の栂坂さんのイメージ―クールで、マイペースな女の子―が爆破解体されたビルのように綺麗さっぱり消えていくのを感じた。
まぁみんな現実では何かしら演じてるってことなんだろうな、なんて思う。
現実の自分と、ゲームの自分。
どちらが自分らしい? だなんて。
「ま、なるべく最短距離で進もうか。お化け屋敷から早く抜けないとね」
「だから別に怖がってなんか!」
まだ抗弁するカンナさんを丁重に無視して、俺はメニューからマップをオープンする。【英雄の友】のクエストで入手した、カンディアンゴルトの見取り図だ。尤も、これはカンディアンゴルトが人の守る城だったころのものなので、細かな道は崩れて塞がっていたり、案外そのまま信用できないものだったりするのだけど。
恐らくクエストの目的地は本城の最深部、【騎士の間】と註書きされた場所だろう。そこに至る道は何本もあるが……
ズズン
思ったよりも入り繰った道を指で辿る。時折、また落雷のせいか震える床に逸れそうになる指に苛立ちながら……
ズズン
「に、兄様……」
「ちょっと待ってね、もう少しでルートが……」
「……どうもそんなこと言ってる場合じゃなさそうだけど!」
「ん?」
妹の方を向き、中空に固定されたその視線の先を辿る。
「……はぁ!?」
目を剥いて、次には口から絶叫にも似た声が漏れた。
目の前に立ち塞がるように……いや、実際立ち塞がっているんだろう、居たのは天井に届かんばかりの巨大な鎧騎士……いや、その目が覗くはずの部分にはどこまでも昏い空間だけが見えている。
どうも、鎧の幽霊とでもいうべきもののようだった。この場で息絶えた騎士達の無念が集まって作り上げられた怪物……そんな設定が脳裏に閃いたが、こっちの観察なんてお構いなしに、鎧の右手に握られたこれも巨大な剣が振りかざされる。
「ちょ、まっ!」
回れ右して逃走を開始する。カンナも、ネージュも必死の形相で俺に続く。
「こ、こんなトラップモンスターが居るなんて聞いてないんですけど!」
巨大鎧にはヒットポイントゲージが存在していなかった。つまり、打倒不可能なイベントモンスターなのだ。
「に、兄様が事前にわかっちゃったらつまらないからって! 調べるの止めたからじゃない!!」
「実際わかっちゃったらつまらないでしょ!?」
「でもあんなのに潰されて死ぬのやだよおおお!」
「逃げ切るんだよ!」
床を鳴らして追ってくる巨大鎧の迫力たるや、それはすさまじい。あの剣にやられても、あるいはストンピングを食らっても、こう、ぷちっと逝くことだろう。実際死にはしないし痛みも無いとはいえ、これはリアルと見まごう仮想現実。ぷちっと死ぬ疑似体験だけは避けたかった。
だけど、相手は倒すことも叶わない巨大なモンスター。逃げるだけしかできない俺たちは、いとも簡単に広間の角へと追い詰められた。
「い、イベントだっていうならここら辺で、助けが……さぁ」
じりじりと壁際に後ずさりながら、そんな希望的観測を口にするけれど、どうもそんな気配はありはしない。カンナはユキさんのマントを掴んだまま、完全に機能停止しているし、ネージュももはやあきらめ顔だ。
「兄様のせいだ……」
「希望を失ったら負けだって、どこかのラノベの主人公が言ってたよ……」
目の前に迫る巨像を見上げる。クエストの一環のイベントである以上、何か回避の手段はあるんだろうが、それは一度二度死んでから見つけなさいと言う開発者からのお達しだろう。まぁ、解決策がそう簡単に見つかったら面白く無い。謎解きもクエストの重要な要素の一つなのだ。わかっては居るけれど……これは怖い。
剣を振り上げ、鎧の化け物が一歩前に出る。
だけど、その瞬間、予想しなかった轟音が響き渡った。
化け物の踏み出した足を中心に、床が大きく波打ち、そして崩れる。
崩壊の波及はとどまること無く、俺たちのへたり込んだ足下の石畳もぼろぼろと崩れ去った。
飛びすさる暇も、縁に手をかける余裕も無く、いや、手を伸ばした縁さえ崩れ去り、足下に覗いたのは、底の知れない深淵。
果ての無い自由落下が開始される。
「うわああああああ!」
「ひっ……ひあああああああああああああああああ!」
「落下死体験もやだよおおおおおおおおおおおおおおお!」
三者三様の絶叫を引きずりながら。