005
―中立領 霧の港
花咲月 29の日
カンディアンゴルトの存在する山脈一帯の地域は中立領という特殊な扱いで、ブライマル自由都市連合の領域と同じく、国家所属に関わりなく出入りが可能なフィールドとなっている。
その入り口にあたるのが、霧の港という、海に張り出した岩壁の間に築かれた小さな港町だった。
いつも山から降りてくるうっすらとした霧に覆われた町。果たして港の立地としてどうかという気もしなくもないが、そこは死の古城への入り口たる雰囲気重視といったところなんだろう。
アル=ニグロスとは異なり出迎える人も居ない埠頭に、俺たちは降り立った。
霧の港からカンディアンゴルトまでショートカットの手段は存在せず、ただひたすらに、険しい山道を登っていく他はない。リアルと違って疲労感を覚えることが無いのは幸いなことだが、時間はかかる。
普段通りのジークや、ネージュとのPTなら益体もないくだらないことをしゃべりながら、周囲の景色を楽しんでいけばいい。しかし、今回はリアルでもろくずっぽコミュニケーションの無いカンナこと栂坂さんがPTに居る。若干の気の重さを覚えながら、道のりを踏み出した。
道の先導をする振りをして先頭に立ち、カンナとネージュが並ぶように仕向ける。こうすれば、俺は自分の仕事に専念するために話に参加出来ないだけであり、決してコミュニケーションを避けているようには見えない。見えない……よなぁ。よく使う手段なんだけど、改めて考えると有効なのか不安になってきた。
「カンナさんはどうして兄と知り合ったんですか?」
しかしそんな俺の微妙な悩みなんて関係無く、ネージュはカンナと会話を始めてくれる。持つべきものはちゃんと人と会話出来る妹ですよね。
でも、その話題選択はちょっと……。
カンナも事実を話すべきか少し迷ったらしい、少しだけ間があって、ため息が聞こえた。
「……そちらのユキさんが、戦場で踏んできたから」
「あ、あー……」
いきなり微妙な空気になって、背中にひしひしと非難の視線を感じた。
「兄様、そうやって人のこと踏むのやめなさいってずっと言ってるのに」
「いやぁ、同級生だなんて思わなくてさ……」
「そういう問題じゃありません」
ぴしゃりと言われて黙るしか無い。はい、俺もそういう問題では無いと思います。
そんな兄妹のやり取りに、呆れたような小さな笑いが聞こえた。
「別にもう過ぎたことなんで、大丈夫ですよ」
「ほんと?」
「ユキには言ってません」
「はい……」
「本当ごめんなさい、こんな兄で。仕返しいくらしちゃっても良いですから。何ならリアルででも」
「あ、うん……ええと、考えておきます」
――……言えませんよね、リアルで仕返し済みですとは。
「そ、それは良いとして……えっと、ネージュとユキは良く銀剣で遊ぶんですか?」
「そうですねぇ……私は兄ほどやらないんですが、私が遊ぶときは大体兄に付き合って貰ってるかもしれないですね。結構クラスの友達とかもゲームやるみたいなんですけど、あんまり銀剣やってる人は居ないみたいで」
そういえばそうか……と、今更ながらに思う。銀剣はなんだかんだ言って戦争……対人中心のゲームだ。年頃の女の子が遊ぶゲームとしては、もっとクエストやモンスターハントに重心の置かれたゲームの方が人気なのかもしれない。
「私はいくつか仮想現実型のゲームかじって見て、銀剣が一番面白いと思いますけどね」
「ですよね! 私もそう思うんですけどね。なかなか友達とは意見が合わなくて……」
今まで普通に遊んでいたけれど、雪乃は銀剣ばっかりで友達関係とか大丈夫かななんて心配してしまった。自分と栂坂さんについては、友達関係は考える必要ないんだけどさ。妹は一応学生生活をまともに楽しんでいるはずなので、それを損ねてほしくは無いなぁなんて……。
「何か失礼なこと考えてません?」
そんな言葉を投げかけられて、びくりとする。
カンナの、あからさまなため息。
「やっぱり何かろくでもないこと考えていたんですね……」
「いや、そんなことは、ないような」
「人の話に聞き耳立ててないで、ちゃんと前方注意してくださいね。いきなりバックアタックなんて食らわないように」
「ちゃんとやってますよ……ちゃん……と?」
言い訳の言葉を紡ぎながら、耳元で響くシステムアラームに、俺は目を細めた。
索敵の網にかかったターゲットが一つ。
岩がちな山の斜面を、岩と岩の間を縫うように近づいてくるそいつに、俺は立ち止まってグレートソードを実体化させる。
「カンナの発言がフラグだったかな」
俺の声を聞くまでも無く、カンナもネージュも武器を実体化させていた。カンナは先日何度も斬り合った、細身の装飾も美しい長剣。ネージュは綺麗な弧を描き、ぴんと弦の張られた……弓。
ネージュは弓使いだ。妹の現実での性格をよーく知っている俺としては、近接武器を強くおすすめしたのだが、ファンタジー小説などを読むと必ずと言って良いほどエルフに憧れる妹様は弓使いになると言って聞かなかったのだった。
プレイを始めたすぐの頃は、俺の懸念の通り、何も考えずに最前線で弓を乱射しまくって即死するということの繰り返しだったが、長期にわたる粘り強い教育の結果、今ではちゃんと弓使いの役割を理解して、パーティープレイを出来るようになっている。
――カンナは……まぁ、腕前拝見といったところかな。
そんな偉そうなことを考えつつ、俺は近づくアラートアイコンに意識を集中させた。
目の前の木立が揺れる。
次の瞬間、俺……ユキの身長の二倍はあろうかという巨体が飛び出してきて、咆哮が辺りの木々をびりびりと震わせた。
頭上のネームは【オークの勇士】 このあたりのフィールドでは上級に属するモンスターだ。右手に握った鉄の塊のような片手剣でスキルも使ってくる。ソロで相手にするなら多少時間をかけることになるレベルの敵だが、3人がかりならそれほど心配する相手ではない。しかし、余計なダメージは貰わないに越したことは無いだろう。
「兄様の好きなオークだね!」
「ちょ、それどういう意味!」
「……うわぁ」
「……ねぇ。私何かネージュに悪いことした?」
完全に蔑む色のハシバミの瞳に怯みながらも、一瞬カンナさんであらぬ想像をしかけて、あわててそれを打ち消す。そんな馬鹿なことを考えていたせいで、視界の隅で煌めいたオークの勇士のスキル発動エフェクトに、俺は慌てて向き直った。
「んぐぅっ……!」
パーティーの中心めがけて振り下ろされた片手剣の下に身を潜り込ませ、グレートソードの腹でその一撃を受け止める。火花がはじけ、両足が少し地面にめり込むが、いかな巨大とは言え片手剣の圧力ごときに、グレートソードは負けない。そのまま、つばぜり合いに持ち込む。
「炎の矢!」
「ゼウスの雷霆!」
元気いっぱいの声と、静かな声。二つのスキルコールとともに、オークが苦悶に身をゆるがせた。燃え立つ矢と稲妻の魔法がその胴体に突き刺さり、ヒットポイントゲージを削りこむ。
「っりゃあ!」
わずかに緩んだ重圧に、俺はオークの剣を跳ね上げ、そのままの勢いで、右足を踏み出し体を大きく回転させた。剣系の初級スキル、【巻き打ち】ががら空きになった胴体に吸い込まれ……。
体の回転に合わせて流れる景色の中に、カンナの姿があった。魔法の距離から剣の距離まで一足跳びに詰めたカンナが、目にも留まらぬ速度で剣を閃かせる。
逆側のわき腹に、ダメージエフェクトがほとんど同時に三つはじけた。
クリティカルヒットとなったカンナの攻撃は、俺の攻撃の倍近いダメージをたたき出したが、それ故に、怒りと苦悶に細められたオークの瞳がカンナを捉える。
ヘイト値管理とターゲット移りは、おそらくモンスターを相手にするMMORPG共通の課題だろう。
モンスターが狙う対象は、与ダメージや距離といった様々なパラメータからAIが判断している。プレイヤーとしては当然、防御力の高い前衛職を狙ってくれたほうがありがたいのだけど、モンスターに大きなダメージを与えるのは後衛職なわけで、戦いの過程でモンスターのターゲットが後衛職に移ってしまうことが多々ある。
俺とカンナは、ともに対人中心の近接アタッカー。どちらが前衛でどちらが後衛かというと微妙なところだが、少なくともこの戦いにおいては、俺が前衛として動いている。
カンナめがけて片手剣を振り上げるオークに、今一度ろくでもない想像が浮かび上がりかけるが、振り払って、俺はカンナの行動を目で追った。
自身を狙う巨大な鉄の塊に、しかしカンナは少しもあわてる様子は見せなかった。
身をかがめてのバックステップ。俺の後ろに回り込む。
「うわっとと!」
カンナばかりを見ていた俺は……俺ごしにカンナを狙って振り下ろされた片手剣が目の前に迫るのをすんでのところで下段からの切り上げではじき返した。
「何ぼーっとしてるんですか」
「あ……いや、カンナの動きに見とれてて……」
触れられそうな距離から胡散臭そうな視線で見つめられて、額に汗がにじむ。
「……さっきもですけど、何考えてたのか後でちゃんと白状して貰いますからね」
「あ……ははは」
そんなの話したら俺殺されちゃうじゃないですか……。
カンナが再び一足飛びで俺の横を離れる。さっきのガードでまたターゲットは俺に移動している。苦痛に歪む風の赤い瞳が見つめるのはこちらだ。
横だめに次の攻撃スキルを発動させるオークに、俺はグレートソードを上段に振り上げた。
オークのスキルエフェクトが剣をきらめかせた瞬間、その額に矢が突き立つ。ネージュの狙撃が絶妙のタイミングで奴の体勢を崩したところに、俺とカンナの強撃が過たず命中して、そのヒットポイントゲージを消滅させた。