006
「ユキ、どうして……」
「知らないよ、私も!」
呆然とこちらを見上げてくる、カンナにどこかぶっきらぼうな応え方になってしまったのは、カンナの表情が無防備で、瞳に少し泣きそうな揺らぎまで見えて。なんとなく照れくさくて仕方無かったからだ。
心臓は強く拍動している。間一髪だった。
そして、まだ危機は去って居ない。
「ああもうしつこいな!」
夜霧の中から追いすがりくる足音。
「カンナ、いける?」
「……大丈夫。です」
繋いだ手を一瞬だけ強く握られた気がした。ここに俺が居ることを確かめるように。
そんなのはもしかしたら錯覚だったかも知れないけれど。
握っていた手は解けて、身を翻した。艶やかな黒髪が流れる、その横顔は、もう、いつものカンナだった。
俺にとっては初めて踏み入れる場所で、何故自分がここにいるのかもよくわからない中で。
だけど、大丈夫だと思えた。
カンナと二人きりで戦うのなら、周りが全部敵なのなら、もう何度も経験している。
「時間がかかればかかるだけ不利だ。一気に決めよう」
「了解です」
清冽の剣を脇に構えて引き絞る。
カンナの構えた不滅の刃が、街灯のぼんやりとした明かりを映し込んで寒々と輝いた。
そう、初めて一緒に肩を並べて戦ったカンディアンゴルト。そこで手に入れた二つの武器。オルランドとオリヴィエの剣。
出来る奴らなら俺達の足音が消えたことに警戒するだろう。だけど、そんな奴なら、ただ一人の亡命者を追い詰めるために徒党を組んだりしないと思っていた。
――――大丈夫、いけるさ。
そう口の中で呟いて、夜霧の中から姿を現す追っ手に向かって、スキルをコールする。
「死神の鎌!」
「草薙っ!」
スキルに後押しされて突っ込む。夜霧の向こうから見知らぬ顔が瞬く間に鮮明になって、その表情が驚愕に代わる前に、強烈な手ごたえを愛剣が伝えてきた。
「ぐはあっ!?」
二人同時に放った横薙の突進技が、追手の連中を余すことなく捉えた。
大剣の一撃を最初に綺麗に急所に食らった奴は、不幸にもヒットポイントゲージを一撃で失う。他の連中は、流石に一撃とはいかなかったが、軒並み吹き飛ばされて地面に這いつくばった。
「あ、アグノシアの奴がなんで……っ」
ばっちりと見られてはしまったらしい。だけどこの場に長居する術はない。俺が聞きたいよ、とは口の中でつぶやいて、不滅の刃を構えなおすカンナの手をまた取った。
「今のうち、ほら、カンナ!」
「あ、は、はい……!」
少し意外そうに、だけど黒髪の剣士は身をひるがえす。この子ここで全員殺るつもりだったのかしら、やだ怖い。
何人追手がいるのかは知れない。こいつらをここで片付けることができたところで、新しい追手に追いつかれたら元も子もない。
石畳を鳴らして全力で駆ける。進んできた距離から、南門はあとわずかのはずだった。ディオファーラから出てさえしまえば、果てしなく広がる世界マップ。限りのある追手に捕捉されることはそうそうなくなる。まずは何より南門の突破を……
「ユキっ!」
強烈に引っ張られて、思考の中に入り込んでいた意識を一瞬で引き戻された。
「うわわわ……っ」
もつれかけた足がふわりと浮く。あの細腕のどこにこんな力があるのか。いや、ゲームの中では鋼で出来た剣を振り回して、大の男を向こうに回す女剣士。このくらい朝飯前なのかもしれないけれど。とにかく、俺はカンナに路地裏へと無理矢理引きずり込まれた。
「門、張られてます。何やってるんですか」
囁き声ながら鋭い叱咤に、俺は首をすくめる。少しばかり考え事をしていたとは言え、敵の察知でカンナに先を越されてしまったことが何となく悔しく情けなかった。
しかし……最初助けた時はなんだか普段と全然違って儚く、弱々し気に見えたのに……すっかりいつものカンナさんだ。まぁその方が俺としても調子が狂わないから良いんですけどね。
「あー……くそ、勢いに任せて亡命者狩りを楽しむようなろくでなしばかりだと思ってたのに……」
「相手を侮りすぎです」
「面目ない」
一手でカンナを追い立てながら、別の一団が唯一の逃げ道である南門を塞ぐ。南門に回った連中が単に頭が働く一団だったのか、それともお互いで連携をとっている?
亡命者一人相手に大げさなと言ってやりたいところだったが、だとすれば厄介なことこの上なかった。
俺とカンナは、ディオファーラの城壁の中で追い詰められる袋のネズミでしかない。
「とりあえず、南門がふさがれてるなら振り出しだ。作戦を考えないと……なるべく離れよう」
一転足音を殺して、細い路地を縫うように進むことになった。
「少し落ち着ける場所がどこかにあるといいんだけど」
「西門側の市街が良いと思います。普段は聖堂騎士団が頻繁に利用しているゾーンですけど、今はもう出払っているはず」
「いいね。下手に普段から人気のない方にいくより、裏をかけそうだ。流石原住民」
「原住民って何か違いません……?」
胡乱気な視線を俺に向けて。
だけど、それからカンナは、どこか遠慮がちに声を繋いだ。
「それより……ユキはどうしてここに」
「私も判らないんだよね……何か見たこと無いクエストポップみたいなメッセージが出たと思ったら、気付いたらディオファーラに放り込まれててさ。亡命なんて滅多にないからクエスト情報不足してたとは言え、まさかこんなことになるなんて……」
「……そうだったんですね」
「まぁこうなったからには、意地でも二人で脱出しなきゃ」
「そうですね」
――――まぁ、まずはちょっと休まないとね。
少し後ろを振り向いて、俺は心の中で独り言ちた。
いきなり予想外の状況に放り込まれて自分もどっと疲れているのもある。まだ全面戦争が始まって、最初の夜は明けない。現実世界で言ったら、まだ数分しか経っていないはずなのに。
だけどそれより……カンナの足はふらついていた。
ひとまずの危機を脱して気が緩んだんだろう。そんなのことを直接言ったら、黒髪の剣士殿はむきになって否定するだろうけれど、と俺は思い、わずかに上を振り仰いだ。
背の高い建物に挟まれた空は狭い。夜霧の向こうでは星も見えなかった。