001
まるでそれは醒めない夢のような景色だった。
浮遊感、マップ移動で何度も経験しているはずが、目眩のように重い。
揺らぐ視界で捉えた景色は、夜霧の中に沈んでいた。
だが、次第に焦点を結んだ世界の、見知らぬけれど見知っているその光景に、呆然と立ち尽くす。
「……嘘だ」
大理石と水晶とで組み上げられた背の高い建物が並ぶ。
古代ローマを思わせるエクスフィリスとは似ても似つかない、近代的な様相の眼前の街。
スクリーンショットやプレイムービーで幾度も目にしたことがある。
この街に攻め込むことを夢見て、地図を眺めたこともあった。
―クロバール共和国 首都 ディオファーラ
雪華月 20の日
夜霧の向こう、大通りを武装したプレイヤー達が足早に駆けていく。
動き出したシステム。アグノシア帝国とクロバール共和国の全面戦争に向けて、雪崩を打って滑り落ちていく世界で、俺は迷い子のように立ち竦んでいた。
◇◆◇
「いたか?」
自分のものではない声に、はっと我に返る。
目に入った狭い路地に、体をねじ込み、息をひそめた。
石畳を叩く硬い足音が、近づいてきて止まる。
「いたら騒いでるよ。いざ探すとなると案外広いもんだな、うちの首都も」
極論を言ってしまえば、仮想世界である銀剣の中では息なんてしなくても生きていける。
だが、緊張にのど元を締め上げられて、現実でさえ感じたことのない息苦しさを確かに覚えた。
一体何が起こったというのだろう。
敵国の首都に迷い込んでしまった俺のことを探している? そんなスパイミッションじゃあるまいし。
暗がりの中から通りを伺う俺に気づいた気配もなく、足音はまた遠ざかっていく。
「しかし大戦争だっていうのに、首都でのんびりネズミ捕りなんて因果なもんだな」
「自分で選んだくせに何言ってんだ」
「どうせ戦争じゃ大して活躍できないしよ。アグノシアなんて主力5レギオンで踏みつぶして終わりだろ?」
自分の力で勝てるわけでもあるまいに、と、大して無い愛国心を棚に上げてむっとした俺だったが、次の言葉に意識を持っていかれた。
「それだったらこっちの方が面白そうだ。亡命者狩りなんてさ、滅多に無い」
「それいったら宣戦布告だって滅多にないけどな」
――――亡命者。
そうだ。探されているのは、俺じゃない。
そして、今起こっていることを、まだはっきりと理解出来たわけじゃ無かったけれど、俺が探さないとならない相手のことは、はっきりと意識できた。
――――カンナ……
足音が聞こえないぐらい離れるのを待って、俺はシステムメニューを操作した。
期待していたわけじゃない。だけど、今居るマップを呼び出してみたものの、赤いエラーが表示されるばかりだった。
なんだかんだでシステムのアシストに頼り切っている自分に初めて気付く。どんな戦場だろうと、マップさえ開いてしまえば迷うことなんて無い。自分の身体の状況だって、ステータスウィンドウを開けば一目瞭然だ。
広大な敵国の首都で、俺は迷い子だった。
宣戦布告がなされ、プレイヤーはみんなそれぞれ覚悟を決めて、この戦争に臨んでいる。
現実世界で24時間。だけどゲーム内時間にすると、一ヶ月余り。
一度でも死んだら、もう戦争期間が終わるまでは、ゲームの世界に戻ることは能わない。
まるでゲームであることを度外視した、過酷な全面戦争システム。
こんなことになるなんて、何もかもが想定外だった。
だけど……逡巡してる暇は無い。
この見知らぬ街のどこかに居るはずの、黒髪の魔法剣士を俺は見つけないとならない。
見つけるばかりでなく、一緒にアグノシアまでたどり着かないとならない。
――――必ず助けに行くから。約束したんだから……。
ヒントはある。
カンナはこの首都から脱出しないとならない。ならば、都市門へと向かうはず。
クロバール首都ディオファーラには三つの門がある。大陸中央へと向いた主門、北門はパライア連邦へと備え、南門がアグノシアへの街道へと続く。
全面戦争に伴い、主門からはアグノシアへの遠征軍が長い列を成して出撃しているはずだ。
となれば、亡命者がアグノシアに向かうには、南門へと行くほかは無い。
記憶の中で霞んだディオファーラの地図を眺め、俺は自分の向かう先を定めた。
細い路地から身を滑り出させる。
耳を澄まし、夜霧の中をうろつく敵の姿を探る。
息をひそめて、壁に貼り付き、滑るように一歩を踏み出した。